小さな夜の話

小さな夜の話

ディーノ・ブッツァーティ 作

亀井邦彦 訳




 まだ昼下り、太陽は存分に輝いていた。通りで私は一人の男に出会った。〈こんにちは〉 私は云った。男は私をじっと見て応えた。 〈こんばんは〉


*   *   *


  誕生日


 今日は10月16日、私は58才になった。ぞっとすることだ。諸君も、いつかはそうなる。多くの人達と同じく、誕生日自体は、精々が恐らく、数が原因で、前の時よりも、いくらかやりきれないだけのものだろうが。

 然るに、私の父は、丁度58才で死んだのだ。とすれば、おもいあわせてしまうのも、これは無理からぬことではあるまいか。

 同様の連想作用が、大きな美術館を訪れる都度、私には生じてくるのだ。本能的に。そうして、こうした比較対照は、私に漠とした不安を残すのである。額縁の下には、例えばこんな文字が読まれる。ラファエロ・サンツィオ、1483 ~ 1520。で、私は、次の様な、計算と、考察をいたす。即ち、ラファエロは、わずかに37オの命を生きた。私の年にしてみれば、21年も前に死んでいたことになる。或は、ミケランジェロ・アメリーギ、通称、イル・カラバッジョ、1569 ~ 1609。わずかに40才の生。私は既に18年も余分に生き永らえている。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ、1853~ 1890。37才、ラファエロに同じ。アメディオ・モジリアニ、1884 ~ 1920。たった36才。私が彼だったら、私はもう22年も前から、死骸でいるのだ。

 時を無にしなかったのだ。これらの人々は、生れ、成長し、急いで世を去った。永久に去った。わずかな時聞が……それで充分だったのだ。彼らが不朽の栄光を手に入れるためには。ところで、私ときたら、生涯に、一体何を為したのであるか。全くの所、これら、天才達に比すべき何ものもないではないか。全体、私は何を、首尾よく、作り出したのであるか。彼らの一人に比べて私は既に、20年の利を得ている。他に比べても、10年、15年の利を得ているのだ。かくて、私は、時の利を得ながら、ここに、こうして、手をこまねいているばかり、そこいらに目をやっては待つ、あたかも、何か大したことでも、未だこれから始まるはずで、いささかも、うろたえることはないというばかりだ。こうした折、私は崩壊感覚に苦しむ。無にされた時の呵責に、空白と虚飾に因る眩倒病(めまい)に私は苦しむ。

 辛い、がっかりするものだ、大きな美術館の陳列室にいて為る、この数の遊び。だが、それは、昔の、又は伝説の人物、つまる所、私とは遠く離れた人間のことだ。ずっと強烈で、ずっと複雑に錯綜しているのは、私自身の父と向き合う時である。

 父が死んだ時、私はまだ、ほんの子供だった。そのことを、私は、ほんのわずかに覚えているにすぎない。恐らく、ひげのためか、ひげは、明らかに彼を10才程も老け込ませていて、私には、父が非道く、年長の男に、年長者の原型に見え、そして、もうその当時、彼が、とてつもなく長い人生を送ってきたかに思えた。いつの日か、私が父と同じ年令に達することがあり得ようとは、思いもよらなかった。

 そして今、あにはからんや、度を失って、私は、思いわずらって居る。一度は、一箇のファーボラ(荒唐無稽譚)に思えたそのことが、いざ実現してみると、驚ろくなかれ、私の気持を大きく動揺させているではないか。私は独り決め込んでいるのかしらん、云って見ればこの上更に、何時何時(いついつ)までも、生きのびようと。然し、父よりも、長く生きようという魂胆は、当然ながら、不当な話で、結果は、分別の欠如と欲望の濫用といった所に落ち込むだろう。かくも長い時を得て、かくもわずかの事しか為し得なかったということになると、私にとって、事態は、更に悪い。つまるところ、将来私に残されていることの一切は、余分なこと、過分な特権というものに相違あるまい。

 にもかかわらず、私の内部で、対蹠的な、精神の鼓舞されるのを私は感じている。諸君は笑うが、私は、30才から現在まで、自分に認めうるどれ程の変化にも気付いていない、私の有様(ありよう)は、変化しなかった。確かに、消費し得る精力(エネルギー)の総量は下降している、が、意のままになるその質は不変だ。敢えて具体的に云おう。今日は恐らく、何とか、引続いて4時間位は仕事している。かつては、苦もなく8時間はいけた。だが、全く同じ調子(ペース)で働いているのだ。或時などは、毎日、スキーでプラテオ・ローザから、7、8回の滑降もした。今日は3度で沢山だ。だが、私は、全く同じ具合に滑っている。どころか、恐らく、前よりも見事に。私は、従って、年相応の老いは見せていない、で、青春時代は、未だ終っていないのではないかという、愚かにして、面目次第もない感じを持っている、とはいうものの、鏡と、生年月日、それに隣人達の私を見る眼こそは、自分で一番よくわかっているのだが、その感傷に対する、二倍も強い否認なのである。

 かくて、今日、1964年10月16日という時に応じて、私は揺れ動いている、少くとも、理屈から云っても、私の出番は済んだのだというあきらめの思いと、遠い明日への期待、夢想、願望、空恐ろしい野望との間を、私は揺れている。





  みやまがらす


 大事業家が破産した、彼は、疲労と落胆を思った。田舎の別荘にひきこもると、一人、又一人と、友人達は、彼を見限っていった。庭先に腰かけ、みやまがらす達を眺めながら、そして、その鳴声を聞きながら、彼は毎日を送っていた。みやまがらす達は、周囲の木立に、居た。彼は、みやまがらすのことばを理解し始めた。彼らとおしゃべりを始めた。暇さえあれば、毎日、みやまがらす達と語らった。使用人達は退屈し、給料も悪いところから、暇を取っていった。或朝、かの大事業家は、気がついてみると、みやまがらすの態をしていた。みやまがらす達は、彼のすみかに、古く、こわれた巣をあてがった。けれど、年のせいと、経験不足とで、彼はそれを、つくろうこともできなかった。他のみやまがらす達は、ひどく用心深くて、彼に手を貸すことをしなかった。巣は自動車専用道路の脇の木の枝にかかっていた。雨が降り込んだ。夜には、したたかに濡れて、凍えて翼をふるわせながら、大型乗用車の通過を眺めていた。それらには、巨額の取引をまとめて、トリノから戻る、かつての商売仲間達が、飛切りの美人秘書を連れて乗っていた。





  家


 君がその家に移るとしよう。下宿人達は、大歓迎だ。皆、善良で思いやりがある。君に非常な好意を寄せるだろう。例えばギラルドゥチ、これはいい子だ。フォツサドゥーカ夫妻、彼らは黄金(こがね)の心の持主なのではあるまいか。お医者のポルパル先生、ピアノ教師のマストルナ嬢、時計屋ラトラーニ、更に、全ての人と君は親しくなる。気楽で家庭的な感じを持つよ。情愛という、最上の〈よろい〉が、生の陥穽から、君を保護する。

 けれども、或る日、戸口の向うに、君は低い話声を聞く、ふと君は顔をだす、歯医者のチェラミーニと三階のジュジェーリ嬢が薄笑いを浮かべている。

  〈何ですって、御存知ないのですか〉彼らは君に云う。

 〈あなた、何にも聞いてませんの、フォッサドーカ夫婦のこと〉

 〈というと、何かあったのですか〉

 〈ありましたよ〉彼らは君に耳打ちする。

  〈こうですよ、ブツブツブツ……スキャンダル、気付かれなかったですか〉

 翌日、マストルナ嬢が君をつかまえる、〈なあーんですって。お聞きじゃないの、ラトラーニさんったらねえ……〉

 〈何か、あのひとにあったのですか〉

 〈ええ、そうよ、いいこと、あの、この目で見たわけではありませんの、でも、皆さんおっしゃってるわ……ブツブツブツ……〉

 更に翌日、ラトラーニさんは、あなたに、マストルナのことで、ひどいことを話し、マストルナさんは、ポルパル先生のことを、ポルパルさんはジュジェーリさんのことをというわけで、際限もなく厄介な話を吹き込まれる。

 遂には、君自身も、同じ破目に会うと知るだろう。フォッサドーカ夫人が先ずは君に云う。

 〈ラトラーニさんとは、気をつけてお話しなさいませ。はっきりは云いませんけど、あの人、あなたの事、何とおっしゃってるか、御存知〉

  〈何と云ってます?〉

  〈こうですわ、ブツブツブツ……〉

 それから、時計屋のラトラーニと出会う。彼は君に云う。

 〈もし、夕べあなたがキラルドゥッチの奴となさった話を私が聞いて、私がどんなに頭にきているか、おまえさんわかっていたら……〉

 〈何ですって、何を云われます?〉

 〈こう云ったでしよう、あなたは、ブツブツブツ……〉

 かくして、君は、ジュジェーリも、ポルパルも、フォンサドーカ夫婦も、あなたが、まず裏切ったこともない親しい友人達の、皆が皆、彼らの〈口〉でもって、君を苦しめることに思い至る。結局は、君の最も親しい友人達とても、多かれ少なかれ、八九三(やくざ)なところがあって、仮に、君の身に、何か事があれば会心の笑みをもらすと知るに至る。こいつは、最も強くはぴこっている、人間の原罪だ、例え彼らが、洗礼を受けていたにしても。

 しかし、君は何とかして、耐え忍ばなくてはいけない。混乱と紛糾だ、君が、そのまま彼らと同次元にたち、同様の心で、彼らを相手にするならば。

 先哲達の事蹟を何とか想起してみるには、幾許もかからぬ。君の側としては、寛容と善意だ、これらが唯一の救済手段だ、(君がうまくやればの話だが)そして、最終的に親しい友人達が………だとは誰が知ろう。



  犬


 ピアーぺ並木通りでの事。午后も陽の傾く頃、ポクサー犬が一頭、若者と喋っている老主人の前を、ゆったりと歩いている。が、時折犬は、歩きを止め、上を跳める。梢の方をだろうか、何度も犬は見上げる。いや、いや木はない。そこでは、既に並木はきれている。犬は、依然として上を見ている。空を眺めているのか。ところで、主人は犬のあとに続いてくるので、犬は改めて歩み始める。ゆっくり、ゆっくり。




  手相見


 死刑の宣告を受けて、彼は、最後の望みをたずねられた。

 〈手相見にみてもらいたいな〉彼は答えた。

 〈どの手相見か〉

 〈アメーリア〉彼は云った。〈王様の手相見の〉

 アメーリアは、まこと、誰よりも、よく鑑た。で、王は、あらかじめ彼女に問うてみることなしには、何ひとつ決定を下さぬ程の、信頼を彼女に置いた。

 死刑囚は、そこで、手相見のもとに連れてゆかれた。彼女は左手の掌を鑑て、微笑みながら、告げた。

 〈あなたは、幸運だわ、あんた、あんたは、とてもとても長生きするわ〉

 〈なあんてこった〉受刑者は、自分から獄に戻った。

 その件は、すぐ巷間に知れて、人々は、大笑いした。けれども、翌朝、その男が死刑台に引き出された時、執行吏は、断首のため、斧を振りかざしたまま、たじろいだ、と、すすり泣き始めた。

  〈だめだ、だめだ、〉彼は叫んでいた。

 〈できねえ、考えてみてくれ、神様がお宥しなさるかい。金輪際(こんりんざい)、できねえ、〉

 彼は、まさかりを、放りだした。




  いくさ


 それは激しい白兵戦だった。私達は若く、強かった。ラッパは鳴り響いた。

 激戦のうちに、敵は、次第に退却してゆき、一歩又一歩と、敗北していった。全く、破竹の勢いだった。

 だが、突如、思いもかけぬ時に、味方の一人が、突かれ、倒れた。それからが、本当の殺しあいだった。壮烈に戦闘は続き、敵を撃退しながらも、身近なところで、一人又一人と斃れていった。バタバタと斃れた。

 心の奥底で、怯儒な心は、それを見て、ほっと安堵の息をついた。死ぬのは他人で、自分達ではない。俺達は違う。戦いつづけて、形勢は、一層有利に動いた。

 遂に、味方は、皆、打ちのめされ、私達が独り、残った。しかも、もはや、戦うべき敵はなかった。

 勝った、勝ったぞ。私達は叫んだ。だが、それは、誰の為であったのか。

(完)


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