編集長様親展


編集長様親展


ディーノ・ブッツァーティ

ブッツァーティ読書会・稲垣豊典 訳




編集長様


 苦渋の思いでせざるを得ないこの告白が、私の身の救いとなるか、それとも全くの恥さらし、不名誉、身の破滅となるかは、ひとえにあなた様にかかっております。

 これは、どうして秘密にしておくことができたのか、自分自身ですら分からぬほどの長い話なのです。家族も友人も同僚も、このことについて露ほども疑いを抱くことはありませんでした。

 ことは、ほぼ三十年前に遡らなければなりません。その当時、私はあなた様が今率いていらっしゃる新聞の一介の記者でありました。仕事熱心で意欲的で、そして勤勉ではありましたが、いかなる形でも冴えてはおりませんでした。夕方に窃盗、交通事故、式典などの短い記事をデスクに提出するとき、殆どいつもそれらが握り潰されるのを見る屈辱を味わっていました。カットされそっくり書き直された文章。修正、削除、加筆、その他あらゆる種類の訂正。辛くはありましたが、デスクがそれを意地悪でやっているのではないことは分かっておりました。それどころか、かつても今も私は物を書く器ではなかったというのが、本当のところです。私がクビにならなかったのは、それはただ、町を駆け回ってニュースをかき集めてくる熱心さの故でありました。

 それにもかかわらず、心の奥底には絶望的な文学的野心が燃え立っていました。そして、自分より少し若い同僚の記事が掲載されたり、同い年の同僚の本が出版され、その記事や本の評判が良いと分かると、嫉妬の念が毒を塗った万力のように私のはらわたに食い込むのでした。

 時々、彼ら才能ある連中の真似をして、随筆や抒情詩や小説を書いてはみました。しかしそのたびに、最初の何行かを書くと、ペンは手から落ちてしまうのでした。読み直してみて、まるで体をなしていないことが自分でも分かりました。その瞬間、私は落胆と悪意の危機に見舞われたものでした。幸いなことにしかし、それはそう長くは続きませんでした。文学的なばかげた野望はやがて鎮まり、私は仕事に気晴らしを見い出し、他のことを考え、そして人生全体がまあまあ平穏に流れていくのでした。

 ある日のことでした。全く見知らぬ一人の男が私に面会を求めて編集部にやって来ました。四十歳ぐらいで、低い背丈、小太りの体、眠ったように表情に乏しい顔。あれほど温厚で、礼儀正しく、控え目でなかったとしたら、嫌らしいとさえ思えたでしょう。その度を越した卑屈さが何よりも強烈なショックでした。名前はイレアーノ・ビッサーで、トレント生まれ、昔の私の高校時代の同級生の伯父にあたること、妻と二人の子供がいること、病気で倉庫係の職を失ったこと、少しばかりまとまった金が要るのだが途方にくれている、とのことでした。「で、私に何ができますんでしょうか」と私は尋ねました。「あのう」と彼は小さく身を縮こませて答えたのです。「実は私、微力なんですが物を書きますんです。一種の小説とでも申しますか、短編をいくつかやりました。エンリーコ(つまり私の高校の同級生、彼の親戚)にざっと読んでもらったら、悪くないと言ってあなたのところへ行くよう勧めてくれたものですから。ツテもコネも権威もお持ちでいらっしゃるし、あなた様ならと・・・」

「私が? しかし私は権限を持たない一番下っ端にすぎませんよ。それに新聞は、名前の通った人のでないと載せませんし」

「でも、あなた様は・・・」

「私は署名入りで書いたりはしませんよ。ただの報道記者です。とんでもない」(このとき、自分の文才に絶望した悪魔がその棘を私の四番目の肋間に突き刺した。)

 相手は媚びるような笑いを浮かべて「でも、できればご自分の名前で書いてみたいでしょう?」

「そりゃそうでしょう。ただ、その才があればのことですがね!」

「おやおや、ブッツァーティさん、そんなに投げやりにならないで下さい。あなたは若い、前途洋々としていらっしゃる。今にご覧なさい、今に。これはどうも、もうすっかりお邪魔してしまいました、今退散します。ところで、私の恥さらしを置いてまいります。ひょっとして三十分もお時間があれば、一目くれてみてください。もしお時間がなければ、それも結構です」

「しかし、もう一度言っておきますが、私はお役には立たないでしょう、善意の問題じゃありませんのでね」

「さあ、どうでしょうかね」、彼はもうドアのところにいて、深々と別れのお辞儀をしていました。「時に、火のないところには煙は立たぬ、と申します。一目ご覧になって下さい。後悔はなされないでしょう」

 彼は原稿の束を机の上に置いていきました。それを読もうなどという気が起きるわけがありません。家に持って帰りはしたが、少なくとも二か月はタンスの上で他の書類と本の山の間に紛れ込んだままになっていました。

 そのまますっかり忘れてしまっていましたが、ある夜、寝付けなくて何か物語を書いてみたいという気が起こりました。構想は実を言うとあまりなかったのですが、あの呪われた野心にいつも巻き込まれていました。しかし、原稿用紙はいつもの引き出しの中には切れていました。私は、タンスの上の本の間に使いかけの古いノートがあったはずだと思い出しました。それを探していて、書類の山を崩してしまい、紙が床の上に散らばったのです。

 偶然でした。それを拾い集めている最中、紙ばさみからはみ出したタイプ打ちの一枚の紙が目にとまったのです。一行二行と読み、引き込まれて手を止め、そして最後までたどり、続きを探しそれも読んだのでした。さらにその次、その次と。イレアーノ・ビッサーの小説でした。私は、三十年経ってもまだ鎮まっていない、ある猛々しい嫉妬に捕らえられました。なんたることだ、信じられないほどだ。風変わりで、新鮮で、とても素晴らしかった。いや、とても素晴らしいのとはたぶん違うし、美しいというのでもない、むしろまさに醜悪でした。しかし、嫌になるほど私にぴったり当てはまっていて、そっくりだった、私だという感じが出ていたのです。一つ一つが私が書きたくて、しかし書けなかったことでした。私の世界、私の好み、私の憎しみ。私は死ぬほど気に入ったのです。

 賛嘆? そうではありません。ただ怒りでした、それも激烈な。子供のころから自分ですることを夢見て果たせなかったことを、正確にやってのけた者がいたことに対する。確かに特異な偶然の一致でした。今やあの哀れな男はその作品を出版することによって、私の道を遮ることもできるのだ。私が一縷の望みをもってそこへの道を開くことができるとまだ思い込んでいた、あの神秘の王国の中に彼は一番先に入っていくこともできるのです。仮にひらめきが、ついに私に救いの手を差し伸べてくれたとしても、なんという姿をさらすことになるでしょうか。盗作家、ペテン師という姿を。

 イレアーノ・ビッサーは住所を残していませんでした。探し出すのは無理でした。向こうから連絡してくるしかありません。しかし、彼に何と言ったらいいのでしょうか。

 彼が姿を現すまでに、たっぷりもう1か月が過ぎました。

前にもまして彼は恭しげで腰が低かった、「何かお読み頂けましたでしょうか」

「読みました」と私は言った。ありのままを言うべきかどうか迷いました。

「いかがでございましたでしょうか」

「ええ、まぁ・・・悪くはありません。が、この新聞というわけには・・・」

「私が無名だからでございましょうか」

「そのとおりです」

 彼はしばらく思案していました。それから「いかがなものでしょう、あなた様・・・本当のところ。もしあれを書いたのがよそ者の私ではなくてあなた様だとしますれば、出版の可能性はないものでしょうか。あなた様は編集者でいらっしゃるし、内部の方ですから」

「何てことを、とんでもない。もちろん編集長は幅広い考え方の持ち主ですし、結構太っ腹な方ではありますが」

 彼の青ざめた顔が喜びに輝きました「それじゃ~、試してみませんか」

「試してみるって、何を」

「ちょっとお聞き下さい。私をお信じなさって下さい。わたしゃ~お金が欲しいだけなんです。野心はございません。物を書くのはほんの気晴らしです。つまりですね、もしあなた様が私を助ける気持ちがおありなら、あなた様にそっくりお譲りいたします」

「どういうことですか」

「あれをあなた様にお譲りします。あなた様のものです。お好きになさって下さい。書いたのは私です、が、署名はあなた様がなさる。あなた様は若い、私は二十も年上です。年寄りを売り出しても始まりません。ところが批評家は、これからという若者なら好意的に取り上げるものです。私たちはきっと素晴らしい成功を収めますよ」

「でも、それじゃ、それじゃ、詐欺、卑劣な搾取じゃないですか」

「どうしてですか。あなた様は私に報酬を支払うのですよ。私は自分の商品を得る手段としてあなた様を利用するだけです。ラベルが替わったとしてもそのことは重要ですか。損にはなりませんよ。重要なことは、私が書いたものがあなた様を満足させたかどうかです」

「ばかげてる、ばかな。私がどんな危険に身をさらすことになるか、分からないのですか。もしばれたら、それにこれは出版されるわ、次からは種切れになるわじゃ、私はどうすればいいのですか」

「近くにいますよ、もちろん。次々とお渡ししますよ。私の目をご覧ください、裏切ることができるようなタイプに見えますか。あなた様が恐れているのはそんなことなんですか。ああ、なんと哀しいことでしょう」

「もしあなたが病気になった場合は?」       

「その間はあなた様も病気になるのです」

「もし新聞社が私に出張を命じたら?」

「お供します」

「費用は私持ちですか」

「そりゃまあ当然でしょう。でも私はわずかで結構ですよ。悪い遊びもいたしません」


 私たちは長く話し合いました。自分の身を一人のよそ者のなすがままにさせることになり、身の毛もよだつ恐喝に手を貸し、スキャンダルに巻き込むこともできる汚い契約。しかし、誘惑はかくも大きく、ビッサーの書いたものはそれほど素晴らしいものに思え、名声の幻惑は、私にはそれほどに魅力的だったのです。

 合意の条件は簡単なものでした。イレアーノ・ビッサーは次の義務を負う、私の書きたかったことを代わりに書き、署名する権利を私に与えること、旅行や出張の場合は同行し付き従うこと、秘密を厳守すること、自分自身もしくは第三者のためには決して物を書かないこと。私は代償として稼ぎの八十パーセントを彼に支払う、とこういうことになりました。

 私は編集長のところに出向き、自分の短編を読んでくれるよう頼み込みました。彼はけげんそうに私を見つめ、片目をつぶってその原稿をひきだしの中に放り込みました。私は大人しく引き下がりました。予想どおりの受け取り方でした。それ以上期待するのは愚かというものでしょう。しかし、物語(イレアーノ・ビッサーの)は第一級のものでした。私は絶対の自信がありました。

 四日後、その短編が文芸欄に掲載され、私と同僚をあっと驚かせたのです。センセーショナルな一撃でした。が、醜悪なのは、私が恥辱と呵責の念にさいなまれるどころか、むしろ有頂天になったことでした。賞賛の言葉を、まるで本当に自分に資格があるかのごとく味わったのです。ほとんど、あの物語は本当に自分が書いたものだと思い込みかけていたのです。そして、別の“文芸もの”が、更には大評判となった物語が、続きました。私は“寵児”となったのです。初めて私の写真が、インタビューが載りました。私は自分の中に、それまで思ってもみなかった嘘つきの才と厚顔無恥を見ました。ビッサーのほうも非の打ちどころがありませんでした。手持ちのが尽きると別のを支給してくれました。前のよりもっと素晴らしいものに思えました。また、用心深く表に出ないようにしていたのです。私にまつわる疑惑は一つまた一つと消えていきました。私は得意の絶頂にあったのです。報道記者から“文芸欄作家”となり、稼ぎも大幅に増えだしました。ビッサーの方は、その間にさらに三人の子供をもうけていましたが、海に別荘を建て、車も買いました。

 彼は相変わらず腰が低く、卑屈でした。もっぱら彼のおかげで私が手にしていた栄誉について、ほのめかしてしつこく恩に着せることは決してしませんでした。しかし、金にはいつも困っていました。そして、私から搾れるだけ搾り取ったのです。

 給料というのは秘密の事柄ですが、大きな会社だと必ず何かしら漏れるものです。月末になるといつも、目を見張るような札束の山が私を待っていることは、多少とも誰もが知っていました。にもかかわらず、どうして私がまだマセラーティを乗り回さないのか、ダイアモンドとミンクのコートを身にまとった女友達やヨットや競走馬を持たないのか、説明がつきませんでした。何百万という大金をどうしているのか、ミステリーだったのです。かくして、私がとんでもないケチだとの噂が広まったのです。たとえ思いつきであっても説明をする必要がありました。


 以上のような次第であります。そして、編集長様、これから核心に入ります。イレアーノ・ビッサーは、野心は持っていないと誓いましたし、私もそのとおりだと信じております。このことは脅迫ではありません。やっかいなことは、とどまることを知らぬ金銭欲なのです、自分自身と息子たちの家族のための。まるで底無しの井戸になっています。掲載原稿の八十パーセントの取り分ではもう満足しません。おかげで私は首まで借金漬けです。彼は相変わらず口先がうまく、愛想がよく、むかつくほど謙虚です。

 二週間前、ほとんど三十年にわたる偽装の共存関係ののち、初めての言い争いがありました。彼は常軌を逸した額の、それも契約にはうたっていない金を余分に要求してきたのです。私は断固断りました。彼は言い返すこともなく、脅迫もせず、ゆするような素振りも見せませんでした。商品の支給をストップしたのです。ストに入ったわけです。もう一言も書きません。かくて私は干上がってしまったのです。半月ほど前から事実、読者は私の書いたものを読む楽しみがなくなっております。

 かくして、親愛なる編集長様、とうとうあなた様にこの邪悪な密約を打ち明けねばならないはめに至ったのです。そして、お許しと寛容をお願いせねばなりません。私をお見捨てになりたいでしょうか。良くも悪しくも、ペテンにせよ否にせよ、社の名声のためにできる限りのことをした一人の男のキャリアが永遠に断たれるのをご覧になりたいでしょうか。私達を取り巻く人間性のじめじめした無関心さの中に灼熱の隕石のように急投下された、何篇かの“私の”ものを覚えてはおいでになりませんでしょうか。素晴らしいものではございませんでしたでしょうか。ご支援賜りますよう。わずかの、そうですね、例えば二、三十万リラの増額で結構でございます。はい、さしあたり二十万リラで十分かと思われます。それとも最悪の場合は、いか程かはともかく、何百万かの借金を。新聞にとりまして大したことでもないでしょう? そうすれば、私は救われるのです。

 編集長様、あなた様は常日頃私が信じておりましたお人柄そのままでいらっしゃらぬのでございましょうか。また私を厄介払いする願ってもない機会を神様のご意志としてお取りになるのでございましょうか。今日、あなた様は一文の退職金も無しに私を路頭に迷わすこともおできになることをお分かりでしょうか。この手紙を取り上げ、第三面に文芸ものとしてコンマ一つ省略することなく掲載なさるだけで十分なのです。

 いや、あなた様はそうはなさらないでしょう。そうであっても、あなた様はこれまで罪深い者を、たとえそれに値しようと、奈落の底に突き落とすようなことは決しておできにならぬ心優しき方でした。それにあなた様の新聞はこうした愚劣なことを文芸ものとして掲載なさることは決してなさらないでしょう。いかがなさいますか。私、犬のようなことしか書けません。経験もありません。私には向いていません。ビッサーが支給してくれておりましたあの素晴らしいものとは全く何の関係もありません。私の署名ではありましたが。

 いや、さらにあなた様が悪人で、私を破滅させようと考えていらっしゃるというばかげた仮定をいたしましても、この恥ずべき手紙を(私の血と涙の代償であります!)お出しになることは、絶対にないでしょう。新聞は致命的な一撃を食らうことになるでしょうから。



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Riservatissima al  signor  direttore



Signor direttore,

dipende soltanto da lei se questa confessione a cui sono do­lorosamente   costretto   si  convertirà   nella  mia  salvezza  o nella  mia  totale  vergogna,  disonore,  e  rovina.

È una lunga   storia  che  non  so  neppure   io  come  sia  riu­-scito  a tenere  segreta.  Né i miei cari, né i miei amici, né i miei colleghi  ne hanno  mai avuto  il più lontano  sospetto.

Bisogna tornare  indietro  di  quasi  trent'anni. A quell'epoca ero  semplice  cronista   nel  giornale  che  lei  adesso  dirige.

Ero assiduo,  volonteroso,  diligente, ma non brillavo in alcun modo.  Alla sera, quando consegnavo al capocro­nista i miei  brevi resoconti di furti, disgrazie stradali, ce­rimonie, avevo quasi sempre la mortificazione di veder­meli massacrare; interi   periodi tagliati e completamente riscritti,  correzioni, cancellature,  incastri,  interpolazioni di ogni genere.  Benché soffrissi, sapevo  che il capocronista non lo faceva per cattiveria. Anzi. Il fatto è che io ero, e sono, negato a scrivere.  E se non mi avevano ancora licen­ziato era solo per il mio zelo nel raccogliere notizie  in  giro per  la città.

Ciononostante, nel profondo del mio cuore, ardeva una disperata ambizione letteraria.  E quando compariva l'articolo di un collega poco meno giovane di me, quando veniva pubblicato il libro di un mio coetaneo,  e mi accorgevo che l'articolo o il libro avevano successo, l'invidia mi addentava le viscere come  una tenaglia avvelenata.

Di quando in quando tentavo di imitare questi privile­giati  scrivendo dei bozzetti, dei pezzi lirici, dei racconti. Ma ogni volta, dopo le prime righe, la penna mi cadeva di mano.  Rileggevo, e capivo che la faccenda non stava in piedi.  Allora mi prendevano delle crisi di scoraggia­mento e di cattiveria.  Duravano poco, per fortuna.  Le vel­leità letterarie si riassopivano,   trovavo distrazione nel la­voro,  pensavo ad altro e nel complesso la vita  riusciva abbastanza serena.

Finché un giorno venne a cercarmi in redazione un uomo che  non avevo mai conosciuto.   Avrà avuto quarant'anni, basso,  grassoccio, una faccia addormentata e inespressiva. Sarebbe riuscito odioso se non fosse stato cosí bonario, gentile, umile.  L'umiltà estrema era la cosa che faceva più colpo.  Disse di  chiamarsi Ileano Bissàt, trentino, di essere zio di un mio vecchio compagno di liceo, di avere moglie e due figli, di aver  perso per malattia un posto di magaz­ziniere, di non saper  dove  sbattere la testa per mettere insieme un po' di soldi. « E io che posso farci? » domandai.

« Vede? »  rispose  facendosi piccolo piccolo.   « Io  ho la debolezza di scrivere.  Ho fatto una specie di romanzo: delle novelle.  Enrico (cioè il mio compagno di liceo, suo parente) li ha  letti, dice che non sono male,  mi ha consigliato di venire da lei.  Lei lavora in un grande giornale, ha relazioni, ha appoggi,  ha autorità , lei potrebbe... »

« Io?  Ma io sono l'ultima ruota del carro.  E poi il giornale non pubblica scritti letterari se non sono di grandi firme. »

« Ma  lei…»

« Io non firmo.  Io sono un semplice cronista.   Ci manche­- rebbe  altro. »    (E il deluso demone letterario mi trafisse con uno spillo al quarto spazio intercostale .)

L'altro fece un sorriso insinuante: « Ma le piacerebbe firmare?»

« Si capisce. A esserne capaci! »

« Eh,  signor Buzzati, non si butti via cosí!  Lei è giovane, lei  ne ha del tempo dinanzi.  Vedrà, vedrà.  Ma io l'ho di­sturbata   abbastanza, adesso scappo.   Guardi, le lascio qui i miei peccati.  Se per caso ha mezz'ora di tempo, provi a darci un'occhiata.   Se non  ha  tempo,  poco male. »

« Ma io,  le ripeto,  non posso esserle utile, non si tratta di buona volontà. »                                .

« Chissà,  chissà »  era già sulla porta, faceva dei grandi inchini  di commiato.   « Alle volte, da cosa nasce cosa .  Ci dia un'occhiata.   Forse non si pentirà » .

Lasciò sul tavolo un malloppo di manoscritti.  Figurarsi se avevo voglia di leggerli.  Li portai a casa, dove rimasero, sopra  un cassettone, confusi in mezzo a pile di altre carte e libri, per  almeno un paio di mesi.

Non ci pensavo assolutamente più, quando una notte che non  riuscivo a prender sonno mi venne la tentazione di scrivere una  storia.  Idee per la verità ne avevo poche ma c'era sempre di  mezzo quella maledetta ambizione.

Ma di carta da scrivere non ce n'era più, nel solito cas­setto.  E  mi ricordai che in mezzo ai libri, sopra il casset­tone, doveva  esserci un vecchio quaderno  appena comin­ciato.  Cercandolo,  feci crollare una pila di cartacce, che si sparsero sul pavimento.

Il caso. Mentre le raccattavo, lo sguardo mi cadde su di un foglio scritto a macchina che si era sfilato da una car­tella.  Lessi  una riga, due righe, mi fermai incuriosito, an­dai fino in fondo,   cercai il foglio successivo,  lessi anche quello. Poi avanti,  avanti.  Era il romanzo di Ileano  Bissàt.

Fui preso da una selvaggia gelosia che dopo trent’anni  non si  è ancora quietata.  Boia d'un mondo, che roba.  Era strana, era  nuova, era bellissima.  E forse bellissima non era, forse neanche bella, o addirittura era brutta.  Ma, corrispondeva maledettamente a me, mi assomigliava, mi dava il senso di essere io.  Erano una per una le cose che avrei voluto scrivere e invece non  ero capace. Il mio mondo, i miei gusti,  i miei odii.  Mi piaceva da  morire.

Ammirazione? No. Rabbia soltanto, ma fortissima: che ci fosse uno che aveva fatto le precise cose che fin da ragazzo avevo sognato di fare io, senza riuscirci. Certo, una coincidenza straordinaria.    E adesso quel miserabile,  pubbli­cando i suoi lavori,  mi avrebbe tagliato la strada.  Lui sarebbe passato per  primo nel regno misterioso dove io, per una superstite  speranza, ancora mi illudevo di poter aprire una via. Che figura ci avrei fatto,  ammesso  anche che l'ispirazione fosse arrivata  finalmente  in  mio soccorso?  La figura dello scopiazzone,  del  baro.

Ileano Bissàt non aveva lasciato l'indirizzo.   Cercarlo non potevo. Bisognava che si facesse vivo lui.  Ma che cosa gli  avrei detto?

Passò  un  altro   mese  abbondante   prima  che  ricomparisse.

Era ancor più complimentoso e umile : «Ha letto qualche cosa? »

« Ho letto »  feci.  E rimasi in forse se dirgli o no la ve­rità .

« Che impressione ha avuto? »

« Be '... mica male.  Ma è da escludere che questo giornale... »

« Perché io sono uno sconosciuto? »

« Già. »

Restò qualche  momento pensieroso.  Poi:  « Mi dica, signo­re... Sinceramente. Se fosse lei ad avere scritto queste cose, invece che io estraneo,  non ci sarebbero probabilità di pubblicazione?  Lei è un redattore, lei è della famiglia  ».

« Mio Dio,  non  so.  Certo  il  direttore è  un  uomo  di  idee

larghe,   abbastanza  coraggioso. »

La sua cadaverica  faccia si illuminò di gioia:   « E allora, perché non proviamo?  ».

« Proviamo cosa? »

« Senta,  signore.   Mi creda.  Io ho soltanto bisogno di quat­trini.  Non ho ambizioni.   Se scrivo è per puro passatempo. Insomma ,  se lei è disposto ad  aiutarmi, le cedo tutto in blocco.»

« Come sarebbe a dire? »

« Glielo cedo.  È roba sua.   Ne faccia quello che crede.  Io ho  scritto,  la firma la mette  lei.   Lei è giovane, io ho vent 'anni  più di lei, io sono vecchio.  Lanciare un vecchio non dà soddisfazione.  Mentre i critici puntano volentieri sui ragazzi che debuttano. Vedrà che avremo un magnifico successo.»                              

« Ma sarebbe una truffa, uno sfruttamento ignobile. »

« Perché ?  Lei mi paga.   Io mi servo di lei come di un mezzo  per piazzare la mia merce.   Che mi importa se la marca vien  cambiata?  Il conto torna.   L'importante è che i miei scritti la  persuadano. »

« E assurdo,  assurdo.  Non capisce a  che rischio mi espon­go?  Se la cosa si venisse a sapere?   E poi, una volta pub­blicate     queste cose, una volta esaurite queste munizioni, io cosa faccio? »

« Le starò vicino, naturalmente.  La rifornirò man  mano. Mi               guardi in faccia.  Le pare che io sia un  tipo  capace  di tradirla?  È questo che lei teme?   Oh, povero me. » ·

« E se per caso lei si ammala? »

« Per quel periodo si ammalerà anche lei.» 

« E se poi il giornale mi manda a fare un viaggio? »

« La seguirò. »

« A mie spese? »

« Be',  questa è logico.  Ma io mi accontento di poco.   Io non   ho cattive abitudini. »

Se ne discusse a lungo.   Un contratto ignobile, che mi avrebbe   messo in balia di un estraneo, che si prestava ai più bestiali ricatti, che poteva trascinarmi nello scandalo. Ma la tentazione  era tanta, gli scritti di quel Bissàt mi sembravano cosí belli,  il  miraggio della fama mi affascinava talmente.

I termini dell'accordo erano semplici. Ileano Bissàt si impegnava a scrivere per me ciò che avrei voluto,  lascian­domi  il  diritto di firmare; a seguirmi e assistermi in caso di viaggi e  servizi giornalistici;  a mantenere il più rigo­roso segreto; a  non scrivere nulla per proprio conto o per conto di terzi.  Io, in  compenso, gli cedevo l’80 per cento dei guadagni.  E cosí  avvenne.

Mi  presentai  dal  direttore  pregandolo di leggere  un  mio racconto.   Lui mi guardò in  un certo modo,  strizzò un occhio,   ficcò il mio scritto in un cassetto.  Mi ritirai in buon ordine.   Era l'accoglienza prevista.   Sarebbe stato idiota aspettarsi di  più.   Ma la novella (di Ileano Bissàt) era di primo ordine. Io  avevo molta fiducia.

Quattro giorni dopo il racconto compariva in terza pagina fra  lo sbalordimento mio e dei colleghi.   Fu un colpo strepitoso.  E  l'orribile è questo: che anziché tormentarmi di vergogna e di rimorso, ci presi gusto.  E assaporai le lodi come se spettassero

veramente a me.   E  quasi  quasi mi persuadevo che il racconto  l'avessi scritto veramente io.  Seguirono altri "elzeviri ",  poi il romanzo che fece clamore.  Divenni un "caso".   Comparvero le   prime mie fotografie, le prime interviste.  Scoprivo in me una  capacità di men­zogna e una improntitudine che non avrei mai  sospettato.  Da parte sua Bissàt fu inappuntabile.  Esaurita la scorta originaria di racconti,  me ne forní altri, che a me sem-bravano  uno più bello dell'altro.    E si tenne scrupolosa­mente   nell'ombra.   Le diffidenze,  intorno a me, cadevano ad una ad  una.  Mi trovai sulla  cresta  dell 'onda.   Lasciai la cronaca,  diventai uno  "scrittore di terza pagina",  co­minciai a guadagnare forte. Bissàt, che nel frattempo aveva messo al mondo  altri  tre  figli, si fece una  villa al mare e l'automobile.

Era sempre complimentoso,  umilissimo, neppure con velate allusioni mi rinfacciava mai la gloria di cui godevo per esclusivo  merito  suo.  Ma di soldi non ne aveva mai ab­bastanza.  E mi  succhiava  il sangue.

Gli stipendi sono una cosa segreta,  ma qualcosa trapela sempre  nelle grandi aziende.  Tutti più o meno sanno che mucchio   spettacoloso di bigliettoni mi aspetti ogni fine del mese.  E non  riescono a spiegarsi come mai io non giri ancora in Maserati,   non abbia amichette cariche di dia­manti e visoni, yachts, scuderie da corsa:  Cosa ne faccio di tanti milioni?  Mistero.  E  cosí  si è sparsa la leggenda della mia feroce avarizia.  Una spiegazione doveva pur  es­sere  trovata.


Questa la situazione.   Ed ora, signor direttore, vengo al dunque.  Ileano Bissàt aveva giurato di non avere ambi­zioni;  e  credo sia vero.  Non di qui viene la minaccia.  Il guaio è la sua  crescente avidità di soldi:   per sé, per le famiglie dei figli.   È diventato un pozzo senza fondo.  L'80 per cento sui compensi   degli scritti pubblicati non gli basta più.  Mi ha costretto a indebitarmi fino al collo. Sempre mellifluo, bonario, schifosamente modesto.

Due settimane fa,  dopo quasi trent'anni di fraudolenta simbiosi, c'è stato un litigio.  Lui pretendeva pazzesche somme  supplementari, non pattuite.  Io gli ho risposto pic­che.  Lui non  ha ribattuto,  non ha fatto minacce, non ha alluso a ricatti    eventuali.   Semplicemente ha sospeso la fornitura della merce.  Si è messo in sciopero.  Non scrive più una parola.  E io mi  trovo  a secco. Da una quindicina di giorni infatti al pubblico è negata la consolazione di leggermi.

Per questo, caro direttore, sono costretto a rivelarle final­mente  il complotto scellerato.  E a chiederle perdono e clemenza.   Vorrebbe  abbandonarmi?   Veder troncata per sempre la carriera di uno che, bene o male, con l'imbroglio o no, ha fatto del  suo meglio per il prestigio dell'azienda?  Si ricorda di certi   "miei"  pezzi che piombavano come ardenti meteore nell'indifferenza paludosa dell'umanità che ci circonda?  Non erano meravigliosi?  Mi venga incontro.  Basterebbe un piccolo aumento,  non so, di due-trecento-mila al mese.  Sí, penso che  duecento basterebbero, almeno per ora.  Oppure, nella peggiore  ipotesi, un prestito, che so io?,  di qualche milioncino.  Cosa  vuole che sia per il giornale?   E io sarei salvo.

A meno che lei, signor direttore, non sia diverso da quel­lo che ho sempre creduto.  A meno che lei non saluti come una provvidenza questa facilissima occasione per sbaraz­zarsi di me.  Si rende conto che oggi lei potrebbe sbattermi sul lastrico senza  manco una lira di liquidazione?   Baste­rebbe che lei prendesse   questa lettera e la pubblicasse, senza togliere una virgola, sulla  terza pagina,  come elze­viro.

No.  Lei non lo farà.  Intanto, lei finora è sempre stato un uomo  di cuore,  incapace di dare la pur minima spinta al reprobo per   precipitarlo nell'abisso, anche se lo merita.  E poi mai il suo  giornale pubblicherebbe, come elzeviro, una schifezza simile.  Che vuole?   Io personalmente scrivo come un cane.  Non ho  pratica.   Non è il mio mestiere.  Nulla a che fare con quelle  stupende  cose che mi forniva Bissàt;  e che portavano la mia  firma.

No.  Anche nell'assurda ipotesi che lei fosse un uomo mal­vagio  e mi volesse distruggere, mai e poi mai farebbe uscire questa  obbrobriosa lettera  ( che mi costa lacrime e sangue! ).  Il giornale ne riceverebbe un duro colpo.


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