此岸の光景4


此岸の光景 その4


タヌキに化かされること

            

         岩田  強




 カジュちゃん、今夜はママはお仕事で東京、パパは一年ぶりに会った小学校の友達と飲み会だから、バーバといっしょに寝ましょうね。

 歯磨きはすんだ? はい、きれいに磨けたわね。バーバのお父さんは歯医者だったけど、パチンコに目がなくて、診療がおわると毎日のように宇和島までいってパチンコをやっていた時期があったのよ。宇和島にいくには、センバントウという七曲りの峠をこえて、バスで1時間以上かかるのよ。宇和島に連れていってもらうとき、峠でバスがグルっとまわると、身体が谷のうえにのりだして、草や木や向かいの山がクルっとまわるのが楽しかったな。お父さんがパチンコから帰ってくるころにはバーバはもう眠っていて、その枕もとにいつも景品のチョコレートが置かれていた。バーバは夜中に目がさめると、チョコレートを口に入れて、そのまま寝こんだから、歯医者のむすめなのにバーバはクラスでいちばん虫歯が多かった。お父さんが小学校の歯科検診にいって、虫歯がいちばん多かったのはバーバだった、とお母さんに話していたけど、あいかわらず枕もとにあめやチョコレートが置かれていた。バーバのお父さんもお母さんものんきな人たちで、年寄り子のバーバに甘かったわねえ!

 カジュちゃんは小学1年だから6歳ね。バーバがいまのあなたより3つか4つ年上のとき、タヌキに化かされたヒトを見たことがあるのよ。ほんとうにあった話よ。おもしろそうでしょ?

 ヒトを化かすのはキツネじゃないか、ですって? ところがどっこい、バーバの生まれた四国の山奥ではタヌキがヒトを化かすのよ。

 村はずれに砂かけという急な坂の桑畑があって、その下を歩いていると、ザラザラ、ザラザラと砂粒が転がってくるときがあるの。それはヒトを化かすためにタヌキが砂を落としているんだというので、子どもたちは日が暮れかかると砂かけには近づかなかった。暗い杉林が近くにあって、昼でも物の怪が木の後ろに潜んでいるようだった。

 近くの村に住んでいたバーバのおばさんは大人になって眼医者になったほどしっかりした女の子だったそうだけど、タヌキに化かされたことがあったのよ。ある昼下がり、おはぎを親類のうちに届けるため道を歩いていると、きゅうに頭がボーとなって、ふだんなら2時間くらいで着ける距離なのに、親類のうちについたら夕暮れになっていて、ふろしき包みを開けてみると重箱がカラになっていた。頭がボーとなって、なにがどうなったやら分からない、とおばさんがいうので、タヌキがおばさんを化かして、おはぎを横取りし、重箱を元どおり包みなおしておいたんだろう、ということになった。

 親類のなかには、おばさんがおなかを空かせておはぎを食べてしまい、それを胡麻化すために頭がボーとなったなんてウソをついたんじゃないか、という人もいたけれど、おばさんはバカがつくくらい正直なヒトだったから、バーバはほんとうにおばさんをボーとさせるようなことがなにか起きたんじゃないかという気がするのよ。カジュちゃんはどうおもう?

 なんにしても、こんなおとぎ話みたいな話が通用したのは、村の人たちがみんなタヌキがヒトに憑くと信じていたからね。

 バーバの生まれた村は、100軒くらいは家があったかなあ、ちいさなちいさな山里でテレビはなくラジオも入りにくかったけど、小学校、郵便局、お寺、お宮はあったし、お百姓さんばかりでなく、魚屋、酒屋、雑貨屋、医者、歯医者、洋品店、仕立屋、散髪屋、樽屋、時計の修理屋、三味線のお師匠さん、猟師、うどん屋、旅籠屋、葬儀屋などいろんなお店があり、造り酒屋や八千代座という芝居小屋まであったのよ。バーバが小学校で漢字を習いはじめたころ、八千代座の看板に読める漢字を見つけたことがあった。村田英雄(ムラタ エイユウ)。英雄をヒデオと読むなんて、そのときのバーバは知らなかった。カジュちゃんは知らないでしょうけど、歌謡曲じゃ三波春夫か春日八郎か村田英雄かといわれるほどの大歌手になった人だけど、そのころはまだ駆け出しで、黒い詰め襟服を着てバーバの村なんかにドサ回りに来てたのね。

 ある年、ドサ回りの劇団が去ったあと、村の年頃のむすめがいなくなって、美男の役者を追っていったんだろうなどと大人たちが話していた。しばらくするとそのむすめが村に帰ってきて、何事もなかったみたいに元のように暮しはじめたのよ。いろいろ噂されて本人は針のムシロだったかもしれないけど、バーバの向かいの魚屋のおじいさんは、キセルで煙草盆を叩きながら、

「若いうちはいろんなことをやったらええ」

といっていた。

 八千代座では、ドサ回りの芝居や映画は飛び入りで、ふだんは小学校の学芸会、青年団の歌と踊り、村の有志の歌舞伎などをやっていた。顔に自信のあったバーバのお父さんが女形になって明智光秀の母をやったことがあったけど、光秀の母の着物は地味で、散髪屋のおじさんがやっている光秀の妻の着物のほうがきれいなので、残念だった。それに光秀の妻のかんざしの銀の短冊がキラキラ光ってすてきだったな。 いまはなにもかも東京や都会に集まって、田舎にはなにもないみたいになったけど、昔はちがったのよ。バーバの村のような片田舎でも、農業ばかりでなく、製糸、製材、綿くり、縫製、樽づくり、酒造りなどの産業もあって、それでお金を稼いでいる人たちもいたのよ。だからいろんなお店も商売になったし、芝居見物をたのしんだり、三味線を習ったりする人たちもいたのでしょう。なにしろ阿波の人形浄瑠璃や大洲の内子座も近いし、芝居をたのしむ風習が村全体にしみこんでいた。

「青年団の三郎さんは、見栄をきるとき歯をむきだしよるが、あれはご自慢の金歯を見せびらかしちょるんじゃ」

なんて、ウソかホントか、村の人たちは芝居をダシにうわさ話に花を咲かせていたな。バーバのもう一人のおばさんは80歳をすぎるまで南予を離れたことがなかったけれど、そういう人たちだって、東京に行かなくても地元で芝居を楽しむことができたのよ。

 すっとこどっこい、むずかしい話はストップ、ストップ。

 さて、バーバの村にはトーフ屋さんもあったのよ。バスが通るたびに土埃がまいあがるバス道路から細い脇道がわかれていて、その分かれ目に間口に障子戸がはまった小さな家があって、土埃のこびりついた障子戸が穴だらけになっていた。チャンバラ映画に出てくる破れ屋みたいだったな。障子戸があいていると、2人の子どもを胸と背中に括りつけたキヨミおばさんが、土間のオクドのまわりで 働いているのがみえた。そこの家はバーバの1年上級のサナエちゃんの家で、子どもが5人か6人かいたのに、おじさんの姿をみたことがなく、キヨミさんはいつも一人でテンテコマイしていた。

 いちど、給食がない日に昼ごはんを食べにめいめいのうちに帰っていたとき、サナエちゃんのうちに寄ったことがあるの。そのとき、サナエちゃんが軒下につんだ柴のなかからまっすぐな小枝を二本折って箸にしたのをみてビックリした。

 夜、バーバのお母さんにつれられて、サナエちゃんのウチに行ったこともあった。障子戸をあけたら電灯もランプもなくて真っ暗、はじめはなにも見えなかったけど、目が慣れたら囲炉裏の熾火(オキビ)がほんのり赤くて、囲炉裏のまわりでみんなが寝ているのが見えてきた。ワラをあんだムシロをしき、綿のはみ出たようなペタンとした布団を身体の上にかけていた。カジュちゃん、信じられる? 冷たくて固い板の間にムシロ一枚しいて寝るのよ。

 ところが、弱り目に祟り目で・・・

 カジュちゃん、近ごろ、ことわざカルタに凝ってるんですって? 弱り目に祟り目、ってどういう意味かわかる? 泣き面に蜂のことでしょ、ですって? よく知ってたわねえ!

 そう、サナエちゃんのうちにとっては泣き面に蜂で、村にもう一軒トーフ屋さんができてしまったのよ。

 その新しいトーフ屋さんはほんとうは新しくはなくて、昔からあったの。そのトーフ屋さんをやっていたのは、すごく年よりでピーピーと泣くような声で話すおばあさんだった。真っ白な白髪を後ろ頭で丸くたばねてトーフを作っていたのを覚えているわ。ピーピーのおばあさんの作るトーフは縄で十文字にくくって持てるほど固くて人気があったのだけど、やがて年のせいでトーフが作れなくなり、店を閉じ、しばらくして亡くなった。その後1年か2年、バーバの村にはトーフ屋がなくなっていたのだけど、やがて若いころに都会に出たきりだったむすめのハル子さんが年をとってもどってきて、ピーピーのおばあさんの道具を使ってトーフ屋をはじめたわけ。村のあたらしいトーフ屋というのは、このハル子さんのトーフ屋のことなのよ。はじめハル子さんは都会風なやわらかいトーフを作っていたけど、村の人たちは実の詰まった固いトーフのほうが好きなので、いつとはなくハル子さんも固いトーフを作るようになった。ハル子さんは気さくで話し好きなヒトだったから、お店もだんだん繁盛していったのよ。

 キヨミさんがトーフ屋を始めたのは、ピーピーのおばあさんが亡くなってハル子さんが店をひきつぐまでの、村にトーフ屋がなかった間のことだったけれど、キヨミさんはハル子さんほど明るい人ではなかったし、数えきれないほどの子沢山のうえ、おじさんがいつも留守だったから、それでなくても、ムシロを布団代わりにしなければならないような暮らし向き、そこに商売敵があらわれたのだから、キヨミさんとこの勝手元は火の車になったことでしょう。

 せめて子どもがもっと少なく、乳飲み子がいなければ、キヨミさんもなにか内職をして日銭を稼ぐことができたかもしれない。たとえばバーバのウチの斜め前の未亡人のカヤノさんは、カイコのマブシを作って障がいのある息子さんとの暮しの足しにしていたわ。   

 カジュちゃん、カイコさんって知っている? 近ごろの服にはたいてい化学繊維が入っているでしょ。化繊というのは石油を原料にして工場で作られるけど、バーバの小さいころまではたいてい木綿の服を着ていたし、大人たちが着る和服の上等なものは絹の糸でできていた。どちらも工場ではなく、木綿は畑に綿という植物を植えて作るし、絹はカイコという小さな虫を桑という木の葉でそだてて作るのよ。だから多くの村には桑畑があって、カイコをそだてるお百姓さんが多かった。

 カイコは卵からかえったときは2ミリか3ミリの大きさしかないけど、桑の葉をモリモリ食べ、ウンコとオシッコをどんどんしながら、脱皮を4回くりかえして7センチほどにまで成長すると、口から白い糸を吐きだしはじめ、やがてその糸がカイコの身体じゅうを包みこんで白くてやわらかいピーナッツの殻みたいな形のものができる。それが繭(マユ)で、その繭から絹の糸ができるのよ。だから、1つ1つの繭のなかには1匹ずつカイコさんが寝んねしてるの。まるでカジュちゃんが頭から白いお布団にくるまって眠っているみたいにね。

 ところが、ヒトって残酷ね、その繭を熱湯で煮て、なかで眠っているカイコさんを殺しちゃうんだな。カイコさんが目をさまして外に出ようと繭を内側から食い破ると、絹の糸がちぎれて使い物にならなくなってしまうでしょ。それでカイコさんがまだ眠っているうちに、釜茹でにしてしまうのよ。

 カイコが繭を作るころになると、マブシという特別なベッドに寝かせるの。マブシはまるい木枠にイグサを張りめぐらせて作るんだけど、カジュちゃん、畳に顔を近づけてよく見たことある? 畳はほそい薄緑色の草を編んでできているでしょ。あの草がイグサよ。そのイグサを決まった順序に枠に張っていくと、決まった形に小さな穴ができ、そこがカイコさんのベッドになるの。カヤノさんがよく、玄関わきの板の間で、束からイグサをぬいては、まるい大きなマブシの枠に張っているのを見かけたな。カヤノさんはマブシ作りをだれかから請け負って家計の足しにしていたのね。

 でも、キヨミさんは子育てにおわれてマブシ作りで手間賃稼ぎをする暇もない。肝心のおじさんはどこに行ったか家を留守にして頼りにならない。キヨミさんはガンジガラメ、しかもそこから抜けだす方法が見あたらない。

 ある日、夏休みの終わりごろの曇り空の夕暮れだったようにおもうけど、バーバが水撒きを言いつかって、家の前のイデゴ-----イデゴというのは溝のこと、いつも田んぼに引く水が勢いよく流れていた-----そのイデゴから水をくんで道路に撒こうと表に出てみると、いつになく辺りがさわがしく、村でいちばん賑やかなセンダンの四つ辻あたりに大勢の大人たちが立っているのがみえた。

 行ってみると、同級生の魚屋のツネちゃんとこの前の、すこしふくらんだ道端に人垣ができていた。大人たちの腋の下をかきわけて前に出てみると、キヨミさんが地べたにしゃがんでいるのが見えた。ザンバラ髪のしたの眼が吊りあがり、足には草履も下駄もはいていない。キヨミさんが低い声でなにかいうと、笑い声がすこし聞こえたけれど、たいていの人は黙りこくって、ただ見つめていた。

 ひとりの男の人がぞんざいな口調で

「ワレ、どこから来たんぞ」

と、キヨミさんに声をかけた。

 キヨミさんは

「ワシゃぁ、十二段から来た」

と答えたが、それなり独り言にもどってブツブツ、ブツブツ言いはじめた。キヨミさんのコトバはほとんど聞きとれなかったけれど、ふいに

「ノノムラの油揚げはみなワシが舐めちょったけん」

というコトバが聞こえ、また笑い声がおきた。ノノムラというのはトーフ屋のハル子さんの名前よ。

 さっきの男の人が魚屋からテンプラを買ってきて、キヨミさんのまえに放りなげ、

「これやるけん、それ食うち、はよ十二段へ去(イ)ね」

といった。

 キヨミさんはテンプラをちらりと見て、

「ワシゃ、そがいなもんは食わん」

といって、しゃがんだまま低い声でまたブツブツしゃべりだした。

 四国のテンプラはふつうの天ぷらとはちがって、魚をすりつぶし片栗粉をまぜて油であげたサツマ揚げのようなものよ。十二段というのは、山奥にある人焼き場の、そのまた奥にそびえている山の名前で、人焼き場は村からは見えないけれど、その煙がたち昇るのが見えると、大人たちは声をひそめて「だれが死んなはったんじゃろ」などと話していた。十二段山にはタヌキが住んでいるといわれていて、これまで何人もの人が十二段でタヌキに化かされ、なかには二日、三日行方知れずになり、山狩りをしたら小さな窪地に倒れていて、その後しばらく気が触れたようになり、座敷でオシッコをするので困ったという人もいたのよ。

 バーバにもやっと分ってきた。キヨミさんは十二段のタヌキに化かされて、タヌキになってしまったんだ、そして、ノノムラのトーフ屋の油揚げを舐めて唾をつけ売り物にならないようにしてるんだ、ってね。だってノノムラのトーフ屋のせいでキヨミさんとこのトーフや油揚げは売れなくなってしまったんだもの。

 そのとき、道路をはさんだ斜めまえのキヨミさんとこの暗い戸口に、サナエちゃんの顔がのぞき、すぐ奥にひっこんだ。すると、それまでしゃがんでいたキヨミさんが、やにはに、じぶんのウチにむかって両脚をそろえてピョーンと跳びあがり、舗装されていない石ころだらけのバス道路に裸足のままドンと降りたので、足が切れはしないかとバーバはヒヤッとした。でもキヨミさんは足から血が出たようすもなく、しゃがんだままの姿勢で一呼吸二呼吸おいて、またピョーンと跳んだ。キヨミさんは小柄で痩せているのに、一跳び一間、大人の背丈ほど、跳んだとおもうな、信じられないけど。

 大人たちもバーバも、キヨミさんにつられて、バス道路の真ん中まで移動した。

 そのとき、

「山伏が来なはったぞ!」

という声が聞こえた。

 町筋の下のほうをみると、山伏が錫杖をガシャン、ガシャンといわせ、風に衣の袖をひるがえしながら歩いてくるのがみえた。

 カジュちゃん、山伏って、知ってる? 山伏は白い着物に柿渋色の上着を着て、ちいさな角ばった冠を額につけ、合図用の大きなほら貝を腰にさげ、手に錫杖という長い鉄の杖をもって、山の中で修行をしている人のことよ。

 なんで山の中で修行するのか、ですって? それはバーバも知らないけど、ながくて急な山道を息を切らせて登ったり、目もくらむ崖から身をのりだしたり、何日も食べず眠らずにお経をとなえたり、そういうきびしい修行をいっしょうけんめいやると、とくべつな霊の力が身について、タヌキ憑きを治せるようになる、とみんな信じていたのよ。

 バーバの村の山伏は村はずれの山の斜面に住んでいて、ふだんはお百姓さんをしているけれど、村に病人のつづく家がでたりタヌキ憑きなどがおきると、山伏になってご祈禱で憑き物を落としてくれたの。

 ご祈祷は精神を集中させて祈らなければならないから、ご祈祷に立ち会えるのは年寄りの世話役だけということになっていた。だから、山伏がキヨミさんの家のまえに着き、世話役たちといっしょにひき摺るようにしてキヨミさんを家に連れてはいった後のことはバーバは見ていなくて、世話役の一人だったバーバのお父さんから後になって聞いたことよ。

 家にはいると、山伏と世話役たちはキヨミさんを板の間の奥の部屋につれてはいり、腹ばいに寝かせたんですって。キヨミさんはブツブツしゃべりつづけ、ときおりなにか叫(オラ)んだりしていたそうよ。サナエちゃんたち子どもたちは囲炉裏の周りに集まって、泣いている子もいた、とお父さんがいっていた。

 山伏は、うつ伏せているキヨミさんを肩から袈裟懸けに錫杖でおさえ、しばらく呪文をとなえた後、錫杖をじぶんの腰の高さまでもちあげ、竹刀を撃ちこむようにキヨミさんの背中を打ったんですって。錫杖についた鉄の輪がガシャンとすごい音をたて、お父さんはじぶんたち世話役のほうがビクリとしたといっていた。キヨミさんは打たれた瞬間身体をうごめかせて黙りこんだけれど、すぐにまたブツブツしゃべりはじめた。山伏は呪文をとなえながらまた錫杖をふるい、それが3度くりかえされたとき、キヨミさんがおおきな声で叫(オラ)んだ。

「いたや、いたや、こらえチクれや、こらえチクれ。ワシゃぁ、もう十二段へ去(イ)ぬるけん」

 痛い、痛い、叩くのはもう勘弁してくれ、わたしはもう十二段山に帰るから、という意味よ。キヨミさんは十二段のタヌキになりきっていたのよ。

 そのとき世話役の一人が天井を見あげて、

「タヌキが梁のうえを走ったぞ!」

と叫んだんですって。

 その途端、キヨミさんはしずかに身を起こし、モンペというズボンみたいなものを穿いていたのに和服の裾を気にするような仕種をして、きちんと座りなおした。ブツブツがやんだ。キヨミさんの憑き物がおち、正気が戻ったのよ。

 もっとも正気づいたといっても、キヨミさんはその後ながいこと寝ついてしまい、村の人たちが食べ物を持っていっていた、とバーバのお母さんが言っていたわ。

 キヨミさんのトーフ屋がその後どうなったか、バーバは覚えていないな。バーバが覚えているのは、バーバが大人になって久しぶりに村に帰ってみると、キヨミさんのトーフ屋がお肉屋さんに代わっていて、キヨミさん一家は村からいなくなっていた、ということね。


 カジュちゃん、ビックリした? こんなふうにタヌキはヒトにとり憑いて化かすのよ。

 憑き物というのは、なにかの考えが頭にこびりついて離れないことよ。たとえば、キヨミさんには商売敵のノノムラのトーフ屋が憑き物だったわけ。もっとも、キヨミさんの憑き物はノノムラだけではなくて、べつの悩みもとり憑いていたのかもしれないけれど、ほんとうのことはだれにもわからない。

 なにか憑き物が頭にこびりついて夜も眠れなくなったりしたら、近ごろではお医者にいって話を聞いてもらったり、薬をもらったりするでしょ。

 でも、バーバの村のようにみんながタヌキ憑きを信じているところでは、お医者より、山伏のご祈祷と錫杖のほうが効き目があるのよ。キヨミさんの憑き物は梁を走ったタヌキにのって十二段山に去っていった、とキヨミさんは信じて正気をとり戻したのだし、それを見ていた世話役や、世話役から話をきいた村の人たちも、そう感じたのね。タヌキ憑きがおきたら、だれかが「タヌキが走り去ったぞ!」と叫ぶのが暗黙の習わしになっていたのかもしれないな。これはお医者の治し方とはちがうけど、おなじように効き目のある治し方だとはおもわない?

 あれっ、カジュちゃん、眠っちゃったの? そうね、日本昔ばなしに出てくる遠い遠い昔の話のようで退屈したかな。

 でも、バーバにはついこの間のことのような気がするのよ。だって、バーバが10歳のときにこの目で見たことなんだもの。あれから67年が経ったなんて信じられないな。ことわざの「光陰矢の如し」ね。

 でも、じつをいうとバーバには、ヒトはなんにも変わっていないという気がするのよ、文明はちがう星に来たかとおもうくらい進んだけれど。


(妻の少女時代の目撃談をもとに)

 

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