アストレと源氏物語



官能愛的読書への試み     『アストレ』と『源氏物語』    Vers une lecture érotique de l'Astrée et du Dit du Genji 

                 高藤 冬武


土佐光起・源氏物語絵巻・四十二帖『匂宮』




Ⅰ はじめに(内容紹介、レジュメ)


 スペイン、イタリアから翻訳を介しフランスに入ってきた作品(例えば、タッソー『アミンタ』、サンナゾーロ『アルカディア』、グアリーニ『忠実な羊飼い』(以上イタリア)、モンテマイヨール『ダイアナ』(スペイン)、等々)、これら「田園(牧歌)小説」と称される物語様式は17世紀初からフランスの作家も手がけるようになり仏国でも一時期一世を風靡し隆盛をきわめた。上記イタリア、スペインの作品を原典としそれに想を得て世に出たものである。その代表作が『アストレ』、モンテマイヨール『ダイアナ』に直接連なる、その申し子とも言われる。長さにおいて『源氏物語』、『失われた時を求めて』に匹敵する大長編物語である。

 牧童、つまり若い羊飼いの男女が牧童の衣装をまとい羊杖(houlette)と称される杖を手に田園牧草地に羊を追い放ちその見張りをするというのは、「田園小説」舞台の建前上の設定であって、実情は暇に任せての恋愛談義、純潔、精神主義的愛(プラトニックラヴ)を語る〈清浄〉な物語ということになっている。しかし小説の仔細は、

  

 「愛の真実の泉」(後述Ⅱ-3 参照)に象徴されるネオ・プラトニスムがこの作品の愛のテーマの基調となっているが、その一方でエロチシズムや恋愛喜劇にもこと欠かない。相矛盾する要素の混沌とそれに由来するルネサンス的な豊穣がこの作品の身上である。                     

倉田信子著「フランスバロック小説事典」、p. 21


 ネオ・プラトニスムの透かし模様を取り払い、一方の基調であるエロティシスムに光を当てながら「アストレ官能愛的読書」を試み( Vers Une Lecture Érotique d'Astreé、これに対するに、同じ主旨から『源氏物語』を俎上にのせ秘められたエロスの正体を明かす。「同種の試み」二本を並べ〈屏風一双〉とする、これが本稿の題目である。 




Ⅱ 『アストレ』作品紹介


1.作者オノレ・デュルフェ

    文人戦士Honoré d'URFÉ, guerrier lettré 1567-1625


1567  誕生、於マルセーユ、父、フォレ領地王国代理官(フォレは『アストレ』の舞台となる土地)、母、サヴォワ家出身

1574  兄アンヌ、詩人、後年司祭、ディアヌ・ド・シャトーモランと結婚

1580  イエズス会コレージュ入学    

1584~89 『アストレ』草案に着手

1590  旧教同盟(la Ligue)に参加、兄と共に国王軍(新教)と戦う

1595  二月、国王軍の捕虜となり身代金を払い釈放される。九月、旧教同盟軍のモンブリゾン市(フォレ地方)救出作戦に参加、裏切られ捕虜となる

1596  フォレ最終和平、オノレ釈放、サヴォワ公国へ逃れる。『シレーヌ』脱稿(羊飼シレーヌと羊飼乙女ダイアナの恋物語. スペイン作家モンテマイヨールの『ダイアナ』に想を得た)

1598  サヴォワ公国軍事顧問、仏軍と戦う

1599  リヨン宗教裁判所、兄とディアヌの婚姻無効宣言(妻から夫不能の訴え)。翌年当の義姉ディアヌと結婚。仏軍、サヴォワに侵攻

1601  リヨン条約、公国領土一部(ブレスほか)、仏に割譲さる

1607  『アストレ』第一部刊行、以下続刊(1610, 19, 27)

1614? 夫婦離別(séparation de corps)

1625  サヴォーナ包囲作戦、発病、ニース近郊に移送、六月一日死す。トリノで葬儀後フォレに埋葬さる  

1626  妻ディアヌ・ド・シャトーモラン死す



2.作品の刊行経緯   

 全5巻 第一部1607、第二部1610、第三部1619、第四部1628(真本アストレ La Vraye Astrée 遺作、作者生前自筆完成原稿、バロー校閲版)、第五部1628(完結最終巻 La Conclusion et Dernière Partie d'Astrée 作者生前の草案に基づくバローの創作 )

 バロー版挿絵入り五巻本刊行(1633)、同修正改訂版刊行(1647)

 バローは『アストレ』刊行に当初から深く携わった秘書

 現在、校訂版刊行中、L'Astrée, édition critique établie sous la direction de Delphine Denis, Honoré Champion, Paris, 2011.  2023年現在、第三部まで刊行中    



3.『アストレ』梗概(主筋)

舞台: 5世紀中葉、ヨーロッパが民族大移動の動乱の最中にあった頃の話である。リヨン近郊のフォレの国は、女神ディアーヌの神域であり、ニンフ(水の妖精)と呼ばれる女王が代々統治する桃源郷である。ここリニョン川流域に住む羊飼いたちは、貴族出であるが、平和な田園生活を愛するあまり、皆で申し合わせて羊飼いになったのである。主人公アストレと彼女を女神のごとく神聖視して絶対服従を誓うセラドン、この二人の恋を中心に物語は展開する。プラトニックラブがこの作品の基調となっているが、その一方でエロチシスムや恋愛喜劇にもこと欠かない「田園牧歌小説」である。(以上、倉田信子、「フランスバロック小説事典」より。一部細部変更、筆者)


 セラドンとアストレは両家の仲違いで交際も結婚も許されぬ身である。

→ 二人は、仲を隠蔽するために、また軽い嫉妬、疑惑により愛を更に強く確認するために、セラドンが愛するのは別の女アマントという仮定の下に振る舞う。

→ アストレを想う牧人セミール、愛の告白を冷たく一蹴されるや、セラドンとアマントの仲は本物だと嘘言を弄し中傷する。

→ それを信じたアストレ、「許しがあるまで私の前から姿を消せ」とセラドンに厳しく命じる。

→ 絶望したセラドン、雪解けの激流リニョン川に身を投げる。              

→ 過ちに気づいたアストレ、後を追うが人に助けられる。 (娘入水の報に両親ショック死)   

→ セラドンの死体は不明、発見された帽子からアストレ宛て真実の愛の手紙が見つかる。 

→ 実はセラドンはニンフ、アマシスの娘ガラテに介抱され、イズールの宮殿に匿われている。介抱の中から芽生えたガラテの愛をセラドン拒む。ガラテに仕えるレオニードもセラドンに恋慕。 

→ レオニード、叔父のドリュイド教長老アダマスの先導でセラドンを女装させ逃がす。

→ 「恋人の命令は絶対」という掟を堅く守るセラドン、森に隠れ村には戻らぬ。(以上第一部)。 


→ セラドン、木陰に眠るアストレの友人シルヴァンドルの傍らに密かに手紙を置き立ち去る。 

→ 手紙の筆跡を認めたアストレ、セラドンの面影を求め仲間と森の中を尋ね歩く。     

→ その夜、セラドン、森に眠るアストレ一向に近づき接吻を奪う。闇の中にセラドンの影を見たアストレは亡霊と見なし、その成仏を願い、長老アダマスに墓建立を切願する。

→ アダマスの諭しにもかかわらず、セラドンはアストレの前に現れることを拒む。

→ セラドン女装してアダマスの娘アレクシスに成り代わる。アレクシスはドリュイド教神学校に尼僧修行中、異郷に不在、男子のない僧侶の長女は30年間神学校に預けられ40歳にして初めて帰郷が許される事になっているが、偽りの口実を設けて帰省が許可。(以上第二部)


→ 女装と気づかぬアストレ、セラドンに似通う面影ゆかしく深い〈同性〉の友情に惹かれる。ガリア宗教ドリュイド教の祭事、「神木宿り木祭」に奉仕する羊飼い青年男女起居を共にす(ガリアはフランスの古名)。二人の〈異様な人為的同性・異性愛〉、注目すべきエロチシスム。(以上第三部)


→ フォレの領主ポレマス、寄せる想いに靡かぬガラテに兵を向け、さらに、ガラテに通じたアダマスへの意趣返しにその娘アレクシスを誘拐。服を交換、〈着せ替えごっこ〉をしていた二人は取り違えられ、尼僧姿のアストレが手にかかり人質として攫れる。 

→ アレクシス(実はアストレ)殺害を命じられた兵士セミールは、前非を悔い、ポレマスを倒し人質を解放後、命果てる。(以上第四部)

                       

→ 恋人の命令に絶対忠誠を誓うセラドンは事ここに至っても名乗り出ない。        

→ アダマスに唆されてアストレは、黄泉の国から死者の霊を呼び戻すことが出来る水の妖精〈いたこ〉(巫女)の力を借りて一目セラドンに会いたいと願う。

→ セラドン正体を現し再会に狂気する二人。アストレ、恋人としての不完全さを反省、再びセラドンを眼前から追放。               

→ 心を汚され我が身を厭うアストレ、〈愛の真実の泉〉(la Fontaine de la Vérité d'Amour)の魔法の犠牲となるべく死を求め霊泉に近づく。この泉は、覗く者に、自分が真に愛する人の姿が映し出されるという魔法の泉で、これまで多くの偽りの恋人を暴きその結婚を邪魔したため呪縛を掛けられ、ライオンと一角獣が護る禁断の泉と化したが、完全なる恋人が二人して自らをこの野獣の犠牲に捧げるならば呪縛は解けることになっている。セラドンもアストレと同じ思いに駆られ死を求め泉に近づく。 

→ 泉水を覗きこむや、天変地異生じ、野獣は不動と化し二人は結ばれる。(以上第五部最終巻)



4.作品の構成(主筋に絡み合う挿話)

 五部六十書(各部12書)、書簡120通、詩190篇。『失われた時を…』と略同じ長さ。「主筋とエピソードが交互に置かれる結果、作品の中に主筋の進行と共に流れる時間と、エピソードの中で流れる時間との二種類の時間の流れが平行することになる。主筋はエピソードで中断され、エピソードは主筋で中断される。27のエピソードは更に細切れにされ56に分かれる。読者は時間的なジグザグ運動を何十回も繰り返す  ことを強いられ、そのことが、この作品を実際以上に錯綜したものに見せている」。

 田園小説、騎士道冒険物語、捨子譚、貴種流離譚、宮廷風恋愛物語、宮廷陰謀劇、恋愛喜劇、魔法奇譚、歴史小説 etc.          

 倉田信子「アカデミア」(34)p.147


 倉田氏が挙げるごとくエピソード(挿話)は多種多岐にわたるが、作品全5巻約3000頁に占めるその割合は、筆者の試算では、約1600頁、ほぼ半分強となる。これが主筋に纏綿しながら複雑に絡み合う様は、唐突な喩えだが、帯状に絡み合うDNA模型が連想される。




Ⅲ 『アストレ』をどう読むか

 

 以下は、『アストレ』がどう読まれてきたか、どう読むべきか、を拾ったものである。1は官学の権威、19世紀末、2は一般向けの仏文学史、以上2点プラトニックラヴの立場。3は仏の文芸評論家、エロティシスムを採る。4は、カトリック僧会員、熱烈『アストレ』プラトニック派、著者デュルフェを高くかう余り、その筆の脱線〈猥褻描写〉が許せぬと言う。


1.恋人に男が誓う献身的忠誠、いわゆる宮廷風恋愛と共にスペインからフランスに移入されたプラトニックラヴとパストラル様式(田園小説)、後者により恋愛が昇華され、前者により〈人間心身の衝突と妥協の産物〉である諸感情が浄化され、つまり、昇華洗練なきいかなる現世の世事(せいじ)も私心もなき物とされたのであった。これがデュルフェが『アストレ』でなしたことであった。 

G. ランソン「フランス文学史」抄訳 p. 374                                                      


2.〔刊行〕当時から人気を呼び、17世紀文学に大きな影響を及ぼした。... アストレに対するセラドンのいつまでも変わらぬ忠実な恋心を中心に、... さまざまな形の恋愛が描写される。恋愛心理の分析というよりは恋愛の種々相が示される。いたる所に恋愛論議がはさまれ、理想的恋愛が探究される。愛とは美に対する欲求であるが、理想においては真善美は一体であり、理想的な愛は善を、真を求めることになり、結局神性を求めることと等しくなる。これがデュルフェの愛の哲学である。中世の騎士道的恋愛物語の伝統をひく『アストレ』は17世紀人にとって恋愛指南の書として必読のものとなり、その影響で恋愛小説はいよいよ盛んになった。饗庭孝男編『フランス文学史』p. 84


3.本能的愛の完全昇華、〈肉から魂〉を志向する精神主義的愛の理想と二人の恋人の実際の行動との間には大きな矛盾撞着がある。セラドンとアストレにとってこの理想は欲望の即時充足を妨げる障害となる。二人の行動は、欲望超越のための努力、或いは、肉体のエロティスム完全排除化のための「儀式」(中略)とは思えない。肉体のエロティスムから心のエロティスムへの昇華は、ディアヌとシルヴァンドル(プラトニックラヴ派の代表的カップル)にこそ相応しいものであろう。アストレとセラドンの場合は、ロマネスク文学史上、化学的に最も純粋な肉体愛の様相を呈する(肉体間の化学的変化反応作用)。二人の愛の本質と行動の意味は間違いなくこの点にある。

 二人の恋人によって常に精神的愛が裏切られていくところの、プラトニックラヴ小説をどう考えるべきか。『アストレ』全篇を通じて見られるものはこのパラドックスである。 詮ずるところ、この作品で作者デュルフェが見せてくれるものは、作者の意図に反して、精神主義的愛の理論とそれを覆さんとする肉の造反行動、ロマネスク神話理論と反証、マルクスに借りれば、「下部構造暴露」とも言える。

 ロマンとアンチロマン、純粋愛とリビドー(性的エネルギー)、つまり羊舎の中の蛇、この相反する二者が、純粋無垢、純潔の相の下に、共存する、『アストレ』という作品の通奏低音と言えるのではないか。( 〉内は筆者  ジェラール・ジュネットp.121~122(抄訳)

 

4.ここに至り、削除したくなるような余りに猥褻な場面描写が幾つか見られる、この純潔小説(roman honnête) になぜ、しかも、作者デュルフェがこの種の描写につかのま  筆を染めひとり悦に入ると見えるだけになおさら理解に苦しむ。 O.- C. Reure  p.228.




Ⅳ セラドン女装、男から女へ

(Le déguisement transsexuel de Céladon)

 

 この物語においてセラドン、3回女装する。以下3例はその前後の状況の概略、


1.アストレを見初めしし折り

Ⅰ-4-111、 ローマ数字は部を、次のアラビア数字は書を、イタリック数字は頁を示す. 例、Ⅳ−2−345は『アストレ』第Ⅳ部第2書345頁、以下同じ)


 親の仲違いで接近が叶わなかったセラドンとアストレ、愛神ヴィーナス神の祭日が縁となり初の出会い。踊り(branle 輪舞、今のフォークダンス様のもの)に紛れ込み、順めぐりに手を触れあい親近恋慕の情募り、ついに死をも恐れぬ宿命的な恋の虜になるに至る。祭の焦点は三日目、ギリシャ神話「パリスの審判」祭事であった。予選通過者アストレを含め三人、これに審判の計四名、いずれも女性、御堂の密室に籠もる。そこで三人、脱衣、腰の周りに薄い腰巻きもどきをまとった半裸体、女性審判パリス(女装)の前に出て試問を受ける。偽装発覚すれば投石の死罪、これをも恐れぬセラドン、奸策を弄しまんまと審判の座に就く。


2.イズール宮脱出時(Ⅰ-12-475)

  フォレの女王アマシスの女王ガラテとその侍女レオニード(ドルイド教長老アダマスの姪)の二人からの愛の板挟みとなったセラドン、なおアストレに忠誠の契りを誓い聞く耳持たぬ。ガラテを遠ざけセラドンを独り占めすべくレオニード、叔父アダマスと謀り女装させ森に放つ。

 夜陰に紛れ、レオニードの先導で城外に逃げ延び、二人手分けして持参したもとの服に着替えて、脱いだ女物をレオニードに手渡す。レオニード、セラドンのアストレへの愛の揺るぎなきを、だめ押しの再確認後、

 レオニード、「われを汝の妹のごとく愛せよ、われをして汝を兄のごとく恋い慕うを許せ給え」と懇願し、セラドン肯う、

   (レオニード)「愛は愛を以て得らるるもの、さなくば愛には非ず、 ... 一人が真の愛を二人に分けて捧ぐことはあり得ぬこと、されば、セラドンの君よ、愛とは言わぬ、われが望みは汝が心の残り物にあり、 ... 兄弟姉妹、はらからの友愛を(amitié アミチエ)われに与え給え」。

 しかし、この友愛も作者は叔父アダマスの眼を通して冷ややかに断罪する   

 部屋割りを見てアダマスは、アレクシス(女装セラドン)とレオニードをこの部屋に二人だけ残すは、恋は盲目、レオニードにはもともとセラドンは憎からぬ男、恋しさに なまめき迫れば、ドルイド尼僧(セラドン)、上は尼衣その下は男の生身、事に及ばずやと恐れる。 (Ⅲ-10-544


3. 禁を犯さずアストレに接近可能と諭すアダマスの理屈に従うセラドン。女装、別人に成りすましアストレと起居を共にする。

 イズール宮を脱出し自由の身となったセラドン、人里離れた洞窟に身を隠し泉のクレッソンを糧に命をつなぐ。隠れ処を知るのはレオニードとアダマスのみ。アストレの厳命を頑なに守り身を隠し抜くセラドンとその非を諭すアダマスの禪問答、

  

アダマス、「しかし、今でも相手は忘れず愛してくれているではないか、それを何とて、、、」。

セラドン、「何としても、あの人の、前に現れるな、との命令は破りたくないのです、私は」。

アダマス、「見たではないか、目の前に姿を見せたではないか、お前は(上記、Ⅱ-3梗概参照)」。

セラドン、「こちらから見るのはいいのです、見られても私だと判らなければいいのです」。

 

 「見られても判らなければ」の例、野宿するアストレの寝姿を窺う場面とその前後の状況は、以下、

 セラドン亡霊の跡を尋ねるアストレ一行、森の道に迷いそのまま野宿をして一夜を明かす。暁どき、散歩に出たセラドンその場に行き当たりアストレの寝姿を見かけ、驚き凝視しながら、思い至り、ねぐらの洞窟に戻り急ぎ一通の便りを認め、とって返しアストレの胸元にそれを差し入れ、さらに欲情に抗し得ず唇をうばう。思わずの相手の目覚め、間一髪、逃げ去る。逆光に後ろ姿の輪郭を認めて四五歩追うとき紙片が落ち、 ...  アストレ、セラドンの成仏を祈りつつ、アダマスに諮り仮の墓を設ける。本文引用、    

 

 目の上に手巾が掛けられ、顔の一部が隠れて見えず、腕の一方は腕枕に、他方は腰から腿に延び、裳がややしどけなくまくれて美しい脚の一部がはしなくも見えた。上衣(うわぎぬ)の締め付けがきつければそれを緩めたか、胸の上はレース編みの布が掛けられているだけで、乳房の白さがみごとに透けて見えた。手枕の腕は、袖が肘までまくれて、白くむっちりとかいなが露わに、青い血管が玉の肌を縫うように流れ…少し我に戻ったセラドンは、目につく物をじっと観察し始め、かつは愛しい顔を、かつは、それまでけっして目にできなかった乳房の宝の山を眺めやるが、目前の美の種々(くさぐさ)見るに見飽きず、新アルゴス(百眼巨人)の如く、身体これ眼だらけになりたいものだと思ったりもした。

  

   Elle avoit un mouchoir dessus les yeux qui luy cachoit une partie du visage, un bras sous la teste et l'autre estendu le long de la cuisse, et le cotillon, un peu retroussé par mesgarde, ne cachoit pas entierement la beauté de la jambe. Et d'autant que son corps de juppe la serroit un peu, elle s'estoit deslassée, et n'avoit rien sur le sein qu'un mouchoir de reseul au travers duquel la blancheur de sa gorge paroissoit merveilleusement. Du bras qu'elle avoit sous la teste, on voyoit la manche avallée jusques sous le coude, permettant ainsi la veue d'un bras blanc et  potelé, dont les veines, pour la delicatesse de la peau, par leur couleur bleue, descouvroient leurs divers passages ... ayant repris un peu plus de force, il[Celadon] commença de considerer ce qu'il voyoit, tantost regardoit ce visage aymé tantost le sein de qui les thresors ne luy avoit jamais esté descouvers, et sans se pouvoir saouler de considerer toutes ces beautez, il eust voulu, comme un nouvel Argus, avoir tout le corps couvert d'yeux ...  (Ⅱ-8-329

  

 かくて、それと見られず見る手立て、女装の勧め、セラドン、ドルイド尼僧に身を窶しアダマスの娘アレクシスに成りすましアストレの前に出る。この事実、知るは、本人とレオニードとアダマスの三人のみ。

 〈アストレ、この事実、知るらめや〉の疑義、私見については巻末に付記として添える。




Ⅴ 『アストレ』「官能愛的読書」の試み(本文)


1.セラドン、いよいよアレクシス(アダマス娘、尼僧修行中)に変装、男から女へ。

 翌朝レオニードと手をつなぎ散歩、これは近隣の目を慣らし誤魔化す偽装の散歩であった。

 レオニード、セラドンの耳に囁いて曰く、

 「この散歩のお相手がほかのお人(意中のアストレ)ならましかばいかばかり嬉しからましや、セラドンの君、いえ、お兄様」。


2.アレクシス、アストレ初の対面、

  

 同じように前に進み出た女装のアレクシス(セラドン)の顔を一目見たアストレの驚きぶり、かたや、アレクシス、挨拶の接吻をせんと歩み寄るアストレを見ての驚きぶりや、共にいかに。いや、ともかくも、愛の神よ、知るや、二人が接吻を交わししその後の果てを? アストレ、顔に火がついたか、直紅(ひたくれない)に、アレクシス、歓びに有頂天、まるで高熱に浮かされたごとくがたがた震えはじめて ... 。

 

  Astrée s'avança pour en faire de mesme à la deguisée Alexis ; mais quelle devint-elle, quand elle jetta les yeux sur son visage ? et quelle devint Alexis, quand elle vid venir Astrée vers elle pour la baiser ? Mais en fin, Ô Amour ! en quel estat les mis-tu toutes deux quand elles se bai serent ? La bergere devint rouge comme si elle eust eu du feu au visage, et Alexis, transportée de contentement, se mit à trembler comme si un grand accez de fievre l'eust saisie...(Ⅲ-2-66


3.セラドン、女装してドルイド僧長老アダマスの娘アレクシスに変身、アストレと起居を共にする。秘密を知るレオニード、傍らにいて仕える、

 

  衣服の下に何があるか人に悟られぬようしっかりと、寝間着の胸元を合わせ袖口を締め直してから、アレクシス(女装セラドン)はアストレが着替えをしている側の帳をあけ ... アレクシスは、寝台の上でやや起き上がりぎみに、アストレの世話をやき、蝶結びリボンやピンを外したりした。ときどき、手が口元近くに来るや、アストレはその手をとらえ接吻をした。アレクシスは、この愛の印を迷惑がる振りをしながら、すかさず、唇の触れた箇所に自らの唇を当てた。その喜びの感極まる様を眺めて、レオニードは、過度の幸福に浸るアレクシスの姿をこの上なく嬉しいものに思った ... アレクシスを思いとどまらせ、アストレが行くのを引き留めないようにさせるのにレオニード(付き添い助手役)は苦労した。アストレ、寝台のすそで着替えをほぼ済ませ、髪をとかそうと無頓着に腕を上げると袖が肘までずり落ち、そのつど、白大理石とも見紛う、白くすべすべとした腕が見えて、美しきドルイド尼僧の眼は物珍しそうに釘付けとなり、何か自分の所有物をそこに見つけたかの様子であった。さらに、アストレが鈎ホックを外し胸をはだけると胸飾りが片側に半分ほどずれ、隙間から胸乳が一部じかに見えた。... 雪の白き、未だかつてこの乳房の白きに及ばざりき、林檎の、未だかつて、愛の果樹園において、これに勝る美しさあらざりき、愛は、未だかつて、セラドンの心に、今はたアレクシスの心に、かくばかり色香の深手を負わせしことあらざりき。仮装の尼僧、女の 身を脱ぎ捨て男羊飼いに復ち返り、男の性(さが)をむき出さんとあわや思いしは、二三度のことならず。


  Ayant donc bien rejoint sa chemise sur son estomac, et les manches de la chemise, de peur qu'on s'aperceust de ce qu'elle portoit au bas, elle ouvrit les rideaux du costé où se deshabilloit Astrée. ... Quant à Alexis, s'etant un peu relevée sur le lict, elle aidoit à Astrée, luy ostant tantost un nœud, et tantost une espingle, et si quelquefois sa main passoit pres de la bouche d'Astrée, elle la luy baisoit, et Alexis, feignant de ne vouloir qu'elle luy fist ceste faveur, rebaisoit incontinent le lieu où sa bouche avoit touché, si ravie de contentement que Leonide prenoit un plaisir extreme de la voir en cet excès de bon-heur. ... 

  Encore fust-ce avec une grande peine que Leonide fit resourdre Alexis de laisser aller Astrée qui, estant presque toute deshabillée sur le pied de son lict, laissoit quelquefois nonchalamment tomber sa chemise jusques sous le coude, quand elle relevoit le bras pour se descoiffer. Et lors, elle laissoit voir un bras blanc et poly commme de l'albastre, sur lequel ceste belle druide portoit si curieusement les yeux qu'il sembloit qu'il y avoit bien quelque chose qui luy appartinst. Mais lors que se décrochant, elle ouvroit son sein, et que son collet à moitié glissé d'un costé laissoit en partie à nud sa gorge, ... Jamais la neige n'esgala la blancheur du tetin, jamais pomme ne se vid plus belle dans les vergers d'amour, et jamais amour ne fit de si profondes blesseures dans le cœur de Celadon qu'a ceste fois dans celuy d'Alexis ! Combien de fois faillit-elle, cette feinte druide, de laisser le personnage de fille pour reprendre celuy de berger et combien de fois se reprit-elle de ceste outrecuidance. ...  (Ⅲ-5-548                   

 

4.大部屋、隣の寝台にアストレの寝姿を盗み見する女装のセラドン、


 アストレが寝入っているらしいのを見て、アレクシス(女装セラドン)、ふとその床に目を遣ると、頃は七月初旬、暑ければ寝台の帳は開けたまま、直接ガラス窓からさんさんと入る陽光に部屋の隅々明るく照らされて、この仮装ドルイド尼僧、好奇の眼をはばかることなく遊目できた。当のアストレたまたま寝台の手前に伏して寝ていれば、...  いや その寝姿と言ったら! 床から腕がしどけなくだらりと垂れて袖がまくれて、のぞく肌が共寝の敷布と白さを競っていた。他方の腕は頭の上に、顔が半ば枕上に傾き胸元が開(はだ)けて丸見えの乳房の片割れ、その上を朝日が揺らぎ、まるで恋人たちが戯れの口づけとも見まがうばかり。嗚呼! 愛の女神よ、汝のあとを慕いゆく者を、ともすれば、時と場により苦しめては悦に入る。この羊飼いのお仕置きざまやいかに? 暗い洞窟に孤身幽閉、相手の羊飼乙女(アストレ)に逢うを逢わせず、つゆも夢にも見えぬを悔しがらさせ、逢いたさ見たさに昼夜別なく泣かせては、今度は、皮肉にも光の目くるめき、情け容赦のあらばこそ、隠る隈なく見ゆるを嘆かする。

  

  Et lors qu'il y avoit apparence qu'elle [Astrée] s'endormiroit, elle[Alexis=Celadon] jetta de for tune les yeux sur le lict où estoit Astrée, et parce qu'il faisoit chaud comme estant au commencement de juillet, ces belles filles avoient laissé leurs rideaux ouverts, et le soleildonnant dans les fenestres, dont les vitres estoient seulement fermées, rendoit une si grande clarté par toute la chambre, que l'œil curieux de cette feinte druide peut aisément voir Astrée, qui par hazard estoit couchée au devant du lict, ... Jugez donc, quelle veue fut celle qu'Alexis eut alors d'Astrée ! Elle avoit un bras paresseusement estendu hors du lict, duquel la chemise retroussée debattoit la  blancheur contre le linge mesme sur lequel il restoit. L'autre estoit relevé sur la teste qui, à moitié penchée le long du chevet, laissoit à nud le costé de son sein, sur lequel quelques reyons du soleil sembloient, comme amoureux, se jouer en le baisant. O Amour ! que tu te plais quelquefois à tourmenter ceux qui te suivent, de differente façon ! Comment as-tu traicté ce berger dans la caverne solitaire où tu le renfermas, lors que privé de la veue de sa bergere, tu luy faisois sans cesse regretter la presence de cette belle ? Et maintenant, qu'est-ce que tu ne luy fais pas souffrir, l'esblouissant, pour ainsi dire, de trop de clarté, et le faisant souspirer pour voir trop ce qu'autrefois il regrettoit de voir trop peu ?  (Ⅲ-10-548~9                  


5.セラドン、欲情を自制


 アストレを自分の寝台に座らせ手を握ったまま離さず、愛しさの余り接吻をせんと矢も盾もたまらぬ気持になった。だが、アレクシス(セラドン)、正体がばれるのを恐れ両腕に優しく抱きしめながら自制した。

  

  Alexis faisant asseoir Astrée sur son lict, et la tenant tousjours par la main, fut presque transportée de l'extreme affection de la luy baiser. En fin craignant de luy donner cognaoissance de ce qu'elle vouloit cacher, elle se retint et se contenta de la luy serrer et presser doucement entre les siennes deux. (Ⅲ-5-250   


6.ローマ皇帝、臣下の妻を強姦の場、

  

 家来の宦官ヘラクレス、女(臣下マクシムの妻、イシドール)の体に手を掛けんとするや、強烈な平手打ちを顔に受けさっと鼻血が流れ出た。こんな挨拶は、宦官には慣れっこ、皇帝(ヴァレンティニアヌス)の黙認を見て、二の腕を掴み寝台の上に仰向けに倒し両腕を縛り自由を奪った。叫び声を上げ抵抗の限りを尽くしたがいずれも詮なく、宦官の介添えあって帝は己の欲望を余すところなく充たした。


  Et lors voulant mettre la main sur elle, elle luy donna de la main sur la joue un si grand coup que le sang luy en sortit incontinent du nez. Mais l'eunuque qui estoit accoustumé à semblables rencontres, voyant que l'empereur n'en disoit mot, la print par le haut des manches, et la tirant à la renverse sur lict, luy lia de sorte les bras qu'elle ne s'en pouvoit servir. Elle se mit bien à crier, et à faire toute la deffene qu'elle peust, mais tout luy fut inutile et l'empereur en eut, par l'aide d'Heracle, tout ce qu'il en voulut. ... (Ⅱ-12-520  


7.歓喜愛悦の最中、なお欲情を抑える、


 その夜は、エウドクシア(強姦の復讐で暗殺された故ヴァレンティニアヌスの皇妃)にとって困苦痛毒、驚愕消魂の夜ではあったが、余(臣下ユルサース、皇妃に永遠のプラトニックラヴを貫き通す)はまさにこれに勝る愛の熱夜を知らず。胸乳に手を滑りこませ唇を重ね合わせて夜もすがら。愛の神ぞ知る、余の歓喜興奮、幾そたび一線を超えかかり、二人の娘が寝ついた気配をみて、妃の着衣の隙間をまさぐり手を入れんとするのを見てとるや、妃は諭すように優しく余の手を押さえながら耳元に口をつけて囁くのであった、(過去の皇妃の身の柵みが解けたら誰を措いても先ず君を夫とすると)... 。    

 

   Quoy que ceste nuict fut penible et pleine d'alarmes pour la belle Eudoxe, si advouay-je n'avoir jamais passé une plus douce nuict, car j'eus continuellement la main dans son sein, et la bouche jointe à la sienne. Amour sçait quels furent mes transports, et combien de fois je faillis de perdre tout respect. Elle le recogneut, lors que sentant ses deux filles endormies, je voulus couler une main par la fente de sa robbe, car me prenant doucement la main, elle joignit sa bouche contre   mon oreille, et me dit ...  (Ⅱ-12-539


8.アストレ、アレクシスの服(女装セラドンの尼衣)を取り替えて着ることを思いつく、

  

 アストレ、... 寝台から降りて服に袖を通しはじめた。物忘れせぬアレクシス、今日は尼僧の衣装を着る約束だったとアストレを引きとめ念を押しながら、「よし、約束上、今日はドルイド教娘になってもらう。僕の服を着る君の姿が見られるとは似無き果報者」... するとアストレ、恥ずかしそうに、... セラドン、着替えに手をかしながら、美しい乳房も、体のほかの部分もほぼ隅々までその目に晒され、得も言えぬ色香に心を奪われ、全身これ別人に、巨人アルゴスの百眼にあやかり、世に無き造化の妙を余すところなく熟視したいものと思った。  

 

 ...  se jettant hors du lict, elle se mit sa robe sur les espaules ; mais Alexis, qui avoit bonne memoire qu'elle luy avoit promis de s'habiller ce jour-là des habits de druide, l'en empescha en la sommant de sa parole : Ma belle fille, luy dit-elle, vous sçavez bien que vostre promesse vous oblige à faire aujourd'huy le personnage de fille druide. Ce me sera un extréme contentement de vous voir vestue de mes habits. ...  La bergere alors, toute honteuse, ...  et luy aydant vestir, il n'y eust ny beauté du sein, ny presque de tout le reste du corps, qui ne fust permise à ses yeux qui, ravis de tant de perfections, desiroient que tout Celadon fust comme un autre, Argus, couvert de divers yeux, pour mieux pouvoir contempler tant de parfaites raretez.  (Ⅳ-1-37    

  


9.上記のつづき、

  

 同室の二人が部屋から出て行くや、アストレ、着替えも忘れて、アレクシスに心を遣りて艶めき交情細やかに心(しん)に迫りたれば、偽者ドルイド尼僧(セラドン)もこれほどの愛撫にはほとんど抗しかねた。確かに、未だかつて恋する男にして、触れなば落ちん愛の歓喜を目前にしてしかも触れかねた者は、女装の正体を明かせぬセラドンを措いて他にいなかった。

 

    Car dès que ses deux compagnes furent sorties de la chambre, au lieu de s'habiller, elle s'amusa à entretenir et caresser Alexis, avec tant de preuves de bonne volonté, que la feinte druide n'avoit presque la force de resister à tant de faveurs : et à la verité, jamais amant ne fut plus avant dans toute sorte de delices sans les gouster, qu'estoit Celadon soubs les habits de fille qu'il n'osoit démentir. (Ⅳ-5-262


10.愛撫交歓なおやまず,

  

 そこで、アレクシス両腕をアストレの首に回しながら抱きしめ乳房に口を重ねて ...  かたみに唇を重ね合い、アレクシス喜悦きわまり、アストレ歓喜に夢うつつ、二人を引き離すことはできなかった。

 

   Alexis alors, la liant de semblable façon avec ses bras, et posant sa bouche sur son sein,  ...   se baisant avec un contentement extreme d'Alexis, et une satisfaction incroyable d'Astrée, elles ne se pouvoient separer. (Ⅳ-5-266

 

11.衣服交換、アストレの着替えを手伝う、


 そこで、手を取り袖に腕を通させ、それから床の上でアストレの上体をしっかりと起こし、もう一方の腕に手を差しのべ着替えを助けたが、当のアレクシス、嬉しさの余り、いやむしろ、興奮の余り自分が何をしているのか上の空であった。というのも、この新ドルイド尼僧(アストレ)、アレクシスを女と信じ切っていたので、体のどこであろうと隠そうとする気もしなかったのである。

 アレクシス、気を取り直し、両腕にかかえながら情に駆られ胸を押し当て強く抱き締めて床に下ろしたが、この時アストレ少しでも違和感(相手の平らな胸)に気づいたならば相手の偽装(いつわり)を見抜いたはずだったが。アレクシス、同室に居残っている羊飼い乙女等によろしからぬ噂を立てらるるを恐れ、更なる行為は控えた。部屋に居るのがアストレだけなら、アレクシスはもっと淫らな行為に及んだはずだ、 自分のアストレに寄せる同性の友愛の情がこういうものだと相手の頭の中にすでに折り込み仕向けていたので、恨まれることはないと踏んでいた。.

 

  Alexis alors, la prenant par une main luy vestit un bras et puis, la levant du tout sur le lict luy aida à mettre l'autre, mais avec tant de contentement ou plustotst de transport qu'elle ne sçavoit ce qu'elle fasoit, car cette nouvelle druide la croyoit de sorte fille, qu'elle ne se cachoit en chose quelconque d'elle.

 Enfin la prenant en ses bras la mit en terre, la pressant avec tant d'affection contre son sein, que, pour peu qu'Astrée en eust soupçon, elle eust bien recognu la tromperie qu'elle luy faisoit. Et toutesfois la crainte qu'Alexis avoit de faire penser à ces belles bergeres quelque chose qui luy fust desavantageuse, la retint en diverses actions, ausquelles elle eust esté sans doute plus licentieuse, s'il n'y eust eu qu'Astrée dans la chambre, d'autant qu'elle avoit desja de sorte preparé l'esprit de cette fille à l'affection qu'elle luy portoit, qu'elle ne craignoit guiere qu'elle prist aucune mauvaise opinion d'elle. (Ⅳ-5-270

 

 

12.  Astrée estoit lors de la moitié du corps tournée du costé de ses compagnes ; et parce qu'il faisoit grand chaud, elle avoit une partie du sein descouvert, et un bras hors du lict non-chalamment estendu sur Diane. Alexis, l'ayant quelque temps considérée : Helas! disoit-elle, mais d'une voix assez basse pour n'estre ouye, helas ! pourquoy Alexix, n'es-tu changée en Diane, ou Diane en Alexis ? Mais, disoit-elle un peu apres, à quoy te serviroit-il, miserable, si parmy ce changement Celadon n'avoit point de part ? Car quelles grandes faveurs, ô Alexis ! pourrois-tu desirer que celles que tu reçois, et qui te sont inutiles, parce que tu n'y appelles point Celadon ? Et semble que tu luy envies la part qu'il y pourroit avoir ?

     Et à ce mot, s'estant teue quelque temps : ah ! ce n'est point envie, disoit-elle, car Alexis, peux-tu avoir quelque bon-heur sans luy, ou quelque felicité sans toy ? Non certes se repondit-elle, mais il est vrai que sa presence m'est bien aussi redoutable que desirable : desirable, puis que sans Celadon, je n'auray jamais un contentement parfait, et redoutable, puis qu'il n'y a que luy qui me puisse faire perdre toutes mes esperances ? Mais quand je veux rentrer en moy-mesme, qui suis-je, qui redoute et qui desire ? Suis-je Alexis ? Non, car que peut davatage desirer Alexis ? Suis-je Celadon ? Non, car que peut craindre celuy qui est parvenu au comble de tous les mal-heurs? Qui suis-je donc, qui desire et qui crains ? Car il est certain que je ressens ces deux passions. Je suis sans doute un meslange, et d'Alexis et de Celadon ; et aussi comme Celadon je desire recouvrer le bon-heur qui m'a esté tant injustement ravy, et, comme Alexis, je crains de perdre celuy que je possede. Je suis donc et Alexis et Celadon meslez ensemble ; mais maintenant que je sçais qui je suis, que ne cherchons-nous un moyen de contenter Celadon, et d'assurer Alexis?   (Ⅳ-5-252


 アストレ、雑魚寝仲間に半ば体を横に向けた寝相で、ひどい暑さで胸も一部はだけて、腕も片方しどけなくディアンヌの体の上に乗っていた。アレクシス、しばらく眺めながら、聞こえないように声を潜め独り問答、「もったいない、お前、アレクシスよ、ディアンヌの身代わりになれないものかね、あるいは、ディアンヌがアレクシスに」、と独りごち暫くして、「この身代わりにセラドンが蚊帳の外なら、可哀想にお前には何の得も無しかな? セラドンを誘い込まなければ、せっかくのどんな寵愛も、お前には、何の役にも立つ物でなし。それとも、お前、セラドンの分け前を独り占めする気かい」と言った。

 この問いに暫時沈黙後、「何! 独り占めなんて。アレクシスよ、セラドンなしの幸せ、あり得るかい? 或いはアレクシスお前なしの幸福は?」と問えば、答えて、「もちろん、なし。本当に、セラドンという男の存在は、私アレクシスにとっては恐ろしくもあり、また望ましくもある。望ましいと言うのは、セラドンなしでは、完璧な喜びは得られないから(女アストレの愛撫を男の欲情を以て受け入れ反応すること)。他方、恐ろしいと言うのは、セラドンこそまさに私の希望をすべて奪いかねないから(偽装の正体発覚すればアストレから永遠の追放となる)。私自身元の身に戻るとすれば、一体、私は何者に、セラドンを恐れセラドンを望む私は。私はアレクシス? 否。これ以上アレクシスは何を望めようか。私はセラドン? 否。有りとある不幸の絶頂を極めた私は何を恐れようか(アレクシス希望の絶頂を極め、セラドン不幸のどん底に落ち、両者、見るべきものは見つ。アレクシス、セラドン、両者、在り続ける意味を失う)

 一体、私は何者か、恐れかつ望む私は。恐れと望み二つの感情に揺れ動く、確かに。私は、アレクシス・セラドン二者一体ではあるまいか。セラドンとしては、不当にも奪われた幸福を奪い返したく、アレクシスとしては、今手にある幸福が奪われんことを恐れる。故に、私はアレクシス・セラドンの二者渾然一体なり。まさに、自分が何者かを知った今、セラドンを満足させ、アレクシスを安心さすべき策を、二者渾然一体となって、求むるになにか憚るべき。

 

 上の本文引用は、この変装(女装)譚の三つ巴、アストレ⇄ アレクシス【セラドン】三者間における愛情行為の相互伝達の異様な位相に関する論述で難解、論点が明確に絞れず読み解くに難儀する。

 作品『アストレ』に見られるところの、アストレ・アレクシス[女装セラドン]愛情行為を四例に限定して考えてみると、

 ① 挨拶の軽い触れあい、② 状況、友情の度合いにより軽重ことなる触れあい、③ 擬似同性(女)愛的愛撫(アストレと虚像のアレクシス)、④異性愛的愛撫(アストレと女装の下に隠れた男セラドン)。ここで問題となるのは、③と④である。

 訳文引用冒頭7行のにおいて、

「ディアンヌに代わりたいアレクシス」 ③→ アストレ(女)に抱かれたいアレクシス(女)

「セラドンを誘い込まなければ ... 」  ④ → アストレ(女)とセラドン(男)の交歓

 つまり、これまで長々と見てきた「官能愛的読書」本文引用における濃密愛行為の直接的行為は、アストレと女装アレクシス間 ③、欲情の受容はアストレとセラドン間 ④である。同性・異性両愛を二人が演じているわけである。

 

 ここで、もう一つの問題、アストレは、相手がセラドンであることを本当に知らなっかたか、という疑問が浮上する。

 これを考える上に、一つの重要な鍵がある。それは、上記のⅣ-1、「パリスの審判」について、後日アストレが仲間相手にする問わず語りの中にある。勝者返礼として審判パリスと交わす接吻において、アストレ、次のように明かす、

 

 「 ... 賞品の林檎を受けた者は返礼として審判と接吻を交わすことになっていたのです。 ... その時まで、相手がセラドンと気がついていなかったとしても(審査中セラドン、アストレに密かに正体を明かしていた)、男だとすぐ感づいたはず、女の子がするような接吻ではなかったですもの」。


 ... celle qui recevoit la pomme, baisoit le juge pour remerciement, ...  mais je vous assure, que quand jusques alors je ne l'eusse point recogneu, j'eusse bien découvert que c'estoit point un baiser de fille.  ( Ⅰ-4-117   

 

 女装アレクシスの、つまり男セラドンの接吻もこうではなかったか?

 今回、本稿執筆にさいし初めて気がついたこのくだり、作家の記憶の手違いか、多分そうだろうが、もしかして、アストレが、回を重ねるにつれ相手はセラドンと気づいた、そのことをそれとなく注意深い読者なら見逃さぬ〈メッセージ〉がテキストに織り込まれてはいないか?読者の裏をかく作家の〈遊び〉として。 




Ⅵ 『源氏物語』をどう読むか

 

1.「濡れる身体の宇治」

 三田村雅子氏の〈官能愛的分析と読み〉を『源氏物語』エロティシスムの導前として先ず掲げる、


 匂宮の二度目の宇治訪問は、二月中旬のことであるが、時ならぬ春の雪に閉ざされた宇治をわざわざ訪れ、浮舟を宇治川対岸の別荘に連れ出し、愛欲の限りを尽くした二日間を過ごして帰る場面では、浮舟は匂宮に心移りして互いに別れがたい思いを抱くまでになっていた。雪の深さのために、馬ではなく、徒歩でやってきた匂宮、再び「汀の水」を踏みわける歌を浮舟に歌いかけている。


峰の雪みぎはのこほり踏みわけて君にぞまどふ道はまどはず  (匂宮)

「木幡の里に馬はあれど」など、あやしき硯召し出でて、手習いひたまふ。

降りみだれみぎはにこほる雪よりも中空にてぞわれは消ぬべき  (浮舟)

と書き消ちたり。

 

 閉ざされた「汀の氷」と、それを「踏みしだき」「踏みならし」「踏みわく」馬や人の足音は、性的な隠喩を思わせるように、宇治の姫君たちの心のとざしを打ち破る暴力的な男たちの侵入・介入を語っている。馬に踏みわられ、踏みしだかれて、張り詰めた氷に亀裂が入り、そこから伏流する水が脈打ち溢れてくるような感覚がここには繰り返し歌われているのである。和歌的な修辞の中に、女たちの、隠され、秘められた欲望も示唆されている。男の侵入を迎え入れ、思いもかけない豊かな潤いを以て応えていく女の姿態が、これらの駒「踏みしだく」足音には幻視されているのである。

 対する浮舟の歌は氷によって閉ざされた「汀の氷」でなく、中空で融けて消えてしまう「雪」に我が身を準えている。消える雪の喩えは、無論「はかないわが身」を喩えるものであるが、同時に氷のように心と体を閉ざすことに耐えられず、不覚にも匂宮の熱意にほだされてしまう、浮舟の心と身体の「ゆるみ」と「ほどけ」を表すものとなっているに違いない。       三田村雅子「濡れる身体の宇治」源氏研究(2号)p.127 

引歌 山科の木幡の里に馬はあれどかちよりぞ来る君を思へば 拾遺和歌集、人麿 (ゴチと註は筆者)


2.『源氏物語』作中和歌に見られる語彙のエロティシスム

 和歌に使用されるエロティシスムのキーワード(語とその縁語の例、草 ⇄ 根(寝)

   若草、花(娘、処女、乙女) 根 寝 見(交合) 枝 折ル(犯ス) 下葉 茂み(下半身)  紐(下袴、下穿き、下着の紐) 結ブ 解ク(脱グ) etc. 

    

1.若草のね見むものとは思はねどむすぼほれたる心地するかな  総角

  若草のように美しい君と、姉弟ゆえ、共寝出来ぬが悩まし 

 

2.つてに見し宿の桜をこの春は霞へだてず折りてかざさむ    椎本

     この春は直接逢い花を折って翳す(犯す)

 

3.その駒もすさめぬ草と名にたてる汀のあやめ今日や引きつる  蛍

    馬も食わぬ草のような私を今日は相手に(菖蒲の根、男茎に似る)

 歌の前詞、「今はただ大方の御睦びにて御ましなども別々にて大殿ごもる」。源氏と花散里の夫婦関係

 

4.をみなへししほれぞまさる朝露のいかにおきける名残なるらむ   宿木

 娘の今朝の萎れようときたら、夜の夫婦生活の如何ならん   

5.泣く泣くも今日は我が結ふ下紐をいづれの世にか解けて見るべき  夕顔

     貞操の印しに下紐を結び合い他人には解かせぬ契り、源氏、亡き夕顔の四十九日に

 

6.あやなくもへだてけるかな夜を重ねさすがになれし夜の衣を  葵

  夜ごと共寝を重ねながらなぜ体は重ねなかったのか、妻となる少女紫の上を相手に     

 

7.しなてるや鳰(にほ)の湖にこぐ舟のまほならねども逢ひ見しものを   早蕨

  こぐ舟の、までが序詞、真帆・真秀(完全に)、寝屋に押し入り一夜共にしたが交合はなかった 

 

8.また人になれける袖の移り香を我が身にしみてうらみつるかな    宿木   

 別の男と狎れ逢ってきたお前と睦びその男の移り香が我が身に染みて

 

9.旅寝してなほこころみよ女郎花さかりの色に移り移らず  蜻蛉   

  一晩泊まって試して見よ、女盛りの私相手に気(精液)を遣ることができるか否か

 

10.うちとけてねも見ぬものを若草のことあり顔にむすぼほるらむ    胡蝶  

  許し合い共寝をした仲でもなし、事(実事じつじ、交合)あり顔に悩むとは、乙女子よ

 参考歌 うら若みねよげ(根/寝良 / 好げ)に見ゆる若草を人の結ばんことをしぞ思ふ 伊勢物語49段





Ⅶ.『源氏物語』「官能愛的読書」の試み〈本文〉      



1.  六条御息所と源氏の一夜の逢瀬と後朝

 

 六条御息所みやす(ん)どころ(本義は天皇の寝所に侍る女の意から、皇太子の生母、さらに時代が下がって皇太子、親王の妃の意にもなった。ここは前東宮の妃)、源氏が若くから熱心に求愛した愛人だったが、人柄、教養が立派すぎ、嫉妬深く、執着心が強く、やがて仲は疎遠となっていった。以下は、長き夜離れ後の一夜の逢瀬、後朝の場である、


 霧のいと深き朝、いたくそそのかされたまひて、ねぶたげなる気色にうち嘆きつつ出でたまふを、中将のおもと女房、御格子一間上げて、(六条御息所に源氏を)見たてまつり送りたまへとおぼしく、御几帳ひきやりたれば、御頭もたげて見出したまへり。前栽の色々乱れたるを、(源氏)過ぎがてにやすらひ佇みたまへるさま、げにたぐひなし。廊中門の方へおはするに、中将の君、御供に参る。紫苑色のをり時節にあひたる、羅うすものの裳あざやかにひき結いたる腰つき、たをやか嫋やかになまめき色めきたり。(中将を)見返りたまひて、隅の間の高欄にしばしひき据えたまへり。うちとけたらぬ慎にして狎ならぬもてなし、髪の下がり端かかり具合めざましく目も覚めるばかりもと見たまふ。


 「咲く花中将にうつるてふ名浮気はつつめども折らで過ぎうきけさの朝中将の顔

いかがすべき」とて、手をとらへたまへれば、いと馴れて、とく、


  朝霧の晴れ間も待たぬけしきにて花主人御息所に心をとめぬとぞみる

と公事に主人に寄そえてぞ聞こえなす。


大野 ... 光源氏は眠たそうな顔で六条御息所のところから帰ろうとしました。この先のところ、「中将のおもと御格子一間上げて、『見たてまつり送り給へ』とおぼしく御几帳ひきやりたれば」。そこどうですか。

丸谷 どうですかって ...  。

大野 中将の御許は、六条御息所に向かって御格子を一間上げて。

丸谷 見送りなさいと言って、几帳を横にずらしたんでしょう?

大野 なのに?

丸谷 「御髪もたげて見出だし給へり」というのは、起き上がっただけだと。

大野 そう。まだ寝ているんですよ。これ、どういう意味ですか。

丸谷 ?

大野 つまり、六条御息所の愛執が深いというのはこういうことでしょう。朝、おきられないんですよ。

(中 略)

大野 「御髪もたげて見出だし給へり」、これだけで作者はその一晩を全部表現した。こういうところが時々あるんですね。                                

上巻 p. 92




2.源氏、寝所に侵入、空蝉(地方長官の後妻)を犯す


 いよいようちとけてきこえんことわびしければ、すくよかに心づきなしとは見えたてまつるとも、さる方の言ふかひなきにて過ぐしてむと思ひてつれなくのみもてなしたり。 人がらのたをやぎたるに、強き心をしひて加えたれば、なよ竹の心地して、さすがに折るべくもあらず、...  泣くさまなどいとあはれなり。心苦しくはあれど、「見ざらましかば口惜しからましと思す。...  いとかう仮なるうき寝のほどを思ひはべるに、たぐひなく思う給へまどはるるなり。「よし、今は見きとなかけそ」とて、思ふさまいとことわりなり。 

 空蝉、いよいよすべてを許すも情けなく、強情でつまらぬ女と見られても、男女の仲は通じぬ女と思われてもよし、つれなくのみあしらったり。柔らかな体つきながら、突っ張れば、たわみしなるなよ竹のごとく、源氏も折るに折られず、空蝉、哀願、ねをのみ泣く、いとあわれなり。源氏、心苦しいが、見るべきもの見ねば、後々後悔すべし(ここで実事あり) ... 。〈事後〉空蝉、仮初めの一夜の憂き(浮き)寝、今は身も心も思い乱れて、どうしていいか分からず、「とにかく、私を見たとは人に言わないで」、との思い、むべなるかな。  抄訳 「空蝉」p.101  

                                         


3.多くの源氏読み手が挙げる指折りの〈巻〉は「若菜」と「浮舟」、魅力的な女性は、朧月夜と浮舟と言われる。

 源氏、相手をそれと知らぬまま、朧月夜(桐壺帝女御の六の君、東宮に嫁ぐ身)と相対し、ほぼ合意の上交合、 


  人は皆寝たるべし。いと若うをかしげなる声の、なべての人とは聞こえぬ、「朧月夜に似るものぞなき」(引歌 照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき 大江千里)とうち誦じて、こなたざまには来るものか。いとうれしくて、ふと袖をとらへたまふ。女、恐ろしと思へる気色にて、「あな、むくつけ。こは誰そ」とのたまへど、「何かうとましき」とて、...  やをら抱き降ろして、戸は押し立てつ。... 「ここに人」とのたまへど、「まろは、皆人にゆるされたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらん。ただ忍びて(静かに)こそ」とのたまふ声に、この君(源氏)なりけりと聞き定めて、いささか慰めけり。わびし(当惑)と思へるものから、情なくこはごはしうは見えじ(堅い女とは見られまい)と思へり。(源氏の)酔ひ心地や例ならざりけん、ゆるさむことは口惜しきに、女も若うたをやぎ(妖艶)て、強き心も知らぬべし、らうたし(いとしい)と見(源氏、事に及び)たまふに、ほどなく明けゆけば、心あわたたし。 「花宴」p.357



4.朧月夜との逢瀬を重ねるうちに密会発覚して須磨流転、帰京後も忍んで逢う仲、以下は、その逢瀬の一つ、

 このくだり、大野晋・丸谷才一『光る源氏の物語』(下)、〈官能愛的〉読み、〈好色〉の実に見事な一例として引用する、


 「ただここもとに。物越しにても。さらに昔のあるまじき心などは、残らずなりにけるを」とわりなく聞こえたまえば、いたく嘆く嘆くゐざり出でたまへり。さればよ、なほけ近さは、とかつ思さる。かたみにおぼろげならぬ御みじろきなれば、あはれも少なからず。... いにしへを思し出づるも、誰により多うはさるいみじきこともありし世騒ぎぞはと思ひ出でたまふに、げにいま一たびの対面はありもすべかりけりと思し弱るも、もとよりしづやかなるところはおはせざりし人の、年ごろはさまざまに世の中を思ひ知り、来し方をくやしく、公私のことにふれつつ、数もなく思しあつめて、いといたく過ぐしたまひにたれど、昔おぼえたる御対面に、その世のことも遠からぬ心地して、え強くももてなしたまはず。なほらうらうじく、若う、なつかしくて、ひとかたならぬ世 のつつましさをもあはれをも、思ひ乱れて、嘆きがちにてものしたまふ気色など、今はじめたらむよりもめづらしくあはれにて、明けゆくもいと口惜しくて、出でたまはむ空もなし。    「若菜上」p. 82 

                                

 「ほんのここまで。物越し(襖越し)でも結構ですから。若いころの怪しからぬ心など、すっかり失せましたから」とどうにもお断りできないやうに申し上げたので、尚侍の君は深く吐息をつき、膝をすべらせてお進みになった。「やはり思った通り。相変わらずの軽々しさ」と一方ではお思ひになる。互ひによく知る同士身じろぎの気配ゆゑ、情趣も浅からぬものがある。... かつてのことを思ひ浮かべ、あんな大変なことになつたのもみんなあたしとこの方の縁のせいだつたと回想なさると、なるほどもう一度はお目にかかつていいとお心が弱る。もともと重々しくはいらつしゃらない方が、あれ以後ずつと男女の仲のことをさまざまにわきまえ、過去の事件を悔やみ、公私ともども多くの体験をなさつて、もの悲しく暮らしていらしたのに昔がしのばれるこの御対面に、青 春の出来事がつい先程のことのやうに思はれて、気丈な態度はおとりになれない。今もなほ閨中のことに巧みで、若々しく優しく、一方ならぬ慎みと恋の情熱の激しさとに思ひ乱れ、吐息をついてお嘆きになるご様子など、今はじめての逢瀬よりも新鮮な趣で、情愛が深まる。夜の明けるのも惜しい心地で、お帰りになる気にもならない。丸谷才一訳 下巻 p. 29 

 

大野:紫式部はこういうときに、どっちだとちゃんと解釈をつけないで事柄だけ書いていって、読み手の読みたいように読ませる、きわめて幅が広く書いてあるんです。ものごとのとらえようが実に深い。

丸谷:「らうらうじく」のぼくの訳(閨中のことに巧みで)は正しいんでしょうか。

大野:いいと思います。つまり「らうらうじい」というのは、いろいろなことを知っていて行き届いているということですからね。実事についていえば「気品がある」で   はないんです。朧月夜は床の中でいい女だったと書いているんですね。同 p.34 

   

 以下は、〈らうらうじく〉、現代語訳3例、参考までに、

   

最も艶な貴女としてなお若やかな (与謝野晶子訳 p. 313)

如才なく、若々しく、やさしくて (谷崎潤一郎訳 p. 54)

冴々と若くものやさしい御様子で (円地文子訳 p. 301)



5.この密会後、朝まだき、妻紫の上待つ宅に帰る。原文省き丸谷才一の訳文を以て代える、


 まことにひつそりとお帰りになつた源氏の君の、憔悴したお姿を待ち受けて、紫の上は、大体のところ見当がついていつらしゃるが、気づかないふりで対応なさつた。源氏の君にはそれが嫉妬の言葉よりもつと辛くて、「どうしてこんなにお見限りなのか」とお思ひになり、これよりももつと深い契りを、来世にかけてお約束なさる。   

 

大野 ...  そうしてこのあと、実事ありだと思うんですが。

丸谷 あ、そうですね。なるほど。ついうっかりしていました。            下巻 p. 36




Ⅷ.浮 舟

 

 まめ男、情深く実はあるが事に臨んで消極的な薫の隠し愛人、浮舟の在処ありかを突き止めた匂宮、こちらは女には積極的、薫不在のある夜、人目を忍び京から宇治へ、声作りして薫になりすまし寝所に侵入、浮舟を犯す。浮舟、行為の半ばそれと気づく。性愛の巧みに惹かれずるずると逢瀬が重なり、女の性に目覚める。此方、性愛の巧者、其方、情ある忠実まめ男、二人の男の愛と忠の板挟み、浮舟、宇治川に身を投げる。以下、2例本文より引く、


1.匂宮、浮舟強姦未遂の場

 中将の君(浮舟母)と入れ違いに帰邸した匂宮は、偶然、邸内に思いがけぬ美女(浮舟)を見つけて、中の君(匂宮妻)の妹とも知らず言い寄る(新編「日本古典文学全集、『東屋』梗概より)。この場面、大野・丸谷対談より引く、


丸谷 ここの場面は ... 『源氏物語』全巻のなかでいちばん面白いところかもしれません。     

(中 略)

大野 非常に印象深くて ... 女の人が夕方、寝そべって外を見ていた。そこへ行って自分の顔を見せないようにして女の裾を押さえて、手を押さえて。 (中 略)

丸谷 なぜ、実事ができなかったというと、第一に、浮舟が必死に抵抗している。第二に、乳母が横で睨んでいる ... 

大野 ... 二時間は絶対押さえている(笑)。しかも燭台を持ってきた女が、「どうもまだ実事(交合)には及んでいないらしい」なんて言っている。  

 丸谷 ... (小説の中の強姦や獣姦八犬伝などのシーンを大変嫌悪している正宗白鳥は、英訳本『源氏物語」を絶賛しているが)白鳥はこの部分が強姦だとわからなかったんじゃないか。



2.匂宮、薫に成りすまし寝所に押し入り浮舟と契る、


 いと細やかになよなよと装束きて、香のかうばしきことも(薫に)劣らず。近う寄りて、御衣ども脱ぎ、馴れ顔にうち臥したまへれば、... 女君は、あらぬ人なりけりと思ふ、あさましういみじけれど、声をだにせさせたまはず(声を出させない)、いとつつましかりし所にてだに、わりなかりし御心なれば(二条院で袖を押さえられ犯されそうになったこと)、ひたぶるに(暴力的に)あさまし。はじめよりあらぬ人と知りたらば、いかが言うかひもあるべきを、夢の心地するに、やうやう、(二条院での)そのをりのつらかりし、年月ごろ思ひわたるさまのたまふに、この宮と知りぬ。いよいよ恥づかしくかの上 (匂宮の妻、浮舟の姉である中の君の事)の御事など思ふに、またたけきことなければ限りなう泣く。宮も、なかなかにて(逢った今はかえって)、たはやすく逢い見ざらむことなどを思すに泣きたまふ。「浮舟」p.124


大野 ... 別の人だったということに女は気がついた。ところが、匂宮は浮舟に声を立たせなかった。お邸でたいへん人目につくところでさえ、あんな乱暴をなさったお心であるからと。ここに「ひたぶるにあさまし」とある。この「ひたぶる」という言葉が、私は非常に大事だと思う。「ひたぶる」というのは、普通、「ひたすら」とほとんど区別なしに理解されています。「一筋に」とか。ところが「ひたぶる」は「乱暴に」ということです。...そのことを知って読むと、ここは意味深長なんです。... もう一つは、「またたけきことなければ限りなう泣く」の「たけき」という言葉。...  実はむずかしい言葉なんです。... 「たけきことなし」というのは面目が立たない、「たけし」というのは面目が立つんです。... こんなあたりもわかってくると、この単語の使い方が実に正確です。 下巻 p. 329 

 


3.二人して春の日を恋に酔い痴れ、匂宮、偃息図(おそくづ)(春画)を墨書し浮舟に手渡す、


 硯ひき寄せて手習などし給ふ。いとおかしげに書きすさび、絵などを見どころ多く描き給へれば、若き心地には思ひも移りぬべし。「心よりほかに、え見ざらむほどは、これを見給へよ」とて、いとをかしげなる男女をとこをむなもろともに添ひ臥したる絵かた描き給ひて、「常にかくてあらばや」などのたまふも、涙落ちぬ。


「長き世を頼めてもなほかなしきはただ明日知らぬ命」なりけり

(中略)女、濡らし給へる筆をとりて、

 心をばなげかざらまし命のみさだめなき世とおもはましかば

 とあるを、変らむをば恨めしう思ふべかりけりと見給ふにも、いとらうたし。「いかなる人の心変りを見ならひて」などほほ笑みて、大将のここに渡しはじめ給ひけむほどをかへすがへすゆかしがり給ひて、問ひ給ふを、苦しがりて、「え言はぬことを、かうのたまふこそ」と、うち怨(ゑ)じたるさまも若びたり。おのづからそれは聞き出でてむ、と思すものから、言はせまほしきぞわりなきや。 

 

 宮は硯を引寄せてあれこれと心に浮ぶ歌をざれ書きなされる。おもしろく書きすさび、絵なども上手にお描きになるので、年若い女のことゆゑ気持も移つたらしい。「思ふに任せずお逢ひできぬときは、これを御覧になつて」とおつしゃつて、美男美女交合の図をお描きになり、「いつもかうしてゐられたら」とおつしゃると、はらはらと泪がこぼれた。

 末永い縁を約束してもやはり悲しいのは明日のことさへわからぬ人間の命だから

 (中略)女が、宮の濡らした筆をとって、


 定めないのは 命だけの世 と思ひさへすれば 定めない心なんか嘆かなくてすむけれど 

 と書きつけたのを見て、心変りしたら怨めしいといふのだな、とお取りになると、哀憐の思ひがいよいよ増す。「どんな人の心変りを経験してこんなことを言ふの?」などと微笑して、大将(薫)が最初にここにお連れしたときの様子を知りたがり、何度もお尋ねになるが、女は苦しさうにして、「とてもお話できないことなのに、そんなふうにおつしゃるなんて」と怨み言を言ふ様子も、いかにも若い女らしい。「いづれ聞き出せるさ」とはお思ひになるけれど、今ここで言はせたい男ごころは本当に困つたものである。

丸谷才一訳下巻p. 334-336


大野 この引用に、(中略)薫大将をきよげな人だと感じ、匂宮をきよらだと言っている。薫の方が「きよげ」という二等の美で表現され、匂宮は「きよら」という第一等の美で扱われている。このことから、彼女の心はもう匂宮に傾いてしまったということを読みとらなきゃいけないと思うんです。

(中 略)

丸谷 匂宮が浮舟に、薫が最初、宇治へ連れてきたときの様子を知りたがって何度もお尋ねになるが、というのは、男女の仲の実際のことを訊いたわけですね。

大野 そうでしょう。女として訊かれたらとってもいやなことでしょう。

(中 略)

丸谷 ...匂宮は再び宇治へ行く。雪の中の訪れなので、浮舟はたいへん感動する。... 二人でまた色恋沙汰に二日間、耽る。匂宮は、帰京したのち身体の調子が悪くなる。これは房事過度でこうなるんですね。

大野 「青み痩せ給ふ」と書いてあります。...

   

 二人の男、薫(源氏正妻と柏木との不義の子、真相は知られず。今上帝の女二宮が降嫁)と匂宮(今上帝の第三皇子、源氏嫡子夕霧の六の君と結婚)、浮舟がどちらを選ぶか、宮様(匂宮)ならば正妻付き女房、召人(貴人のお手付き女房)がせいぜい、薫ならばよりましな地位に。浮舟の取り巻きは大方、匂宮に傾く。その身分、経済力、それに、「... 閨房のときに女房たちはすぐそばで聞いている。 ...  匂宮のときのほうが寝室でずっと嬉しがっていることは、女房たちはわかっている。」(丸谷)

 時を同じゅうして薫と匂宮両者から京に迎える旨が知らされ、さらに匂宮との秘密が薫に察知され、進退窮まった浮舟、宮と母にのみ文をしたため宇治川に身を投げる。

 

匂宮宛辞世  からをだにうき世の中にとどめずはいづこをはかと君もうらみむ 

母宛辞世      鐘の音の絶ゆるひびきに音をそへてわが世つきぬと君(母)に伝へよ


 『源氏物語』好色の読み、大野晋・丸谷才一『光る源氏の物語』にのみ憑依、依りかかる結果になってしまい、内心忸怩たるものあるが、『源氏物語』にこのように〈好色〉の光をあてて読む可能性を教えてくれたのは、後にも先にもこれが初めてであり、まことに驚きであった。源氏読書、目から鱗の体験であった。




テキスト、参考文献


L'Astrée, Nouvelle Édition, publiée sous les auspices de la 《DINA》par Hugues VAGANAY, Slatkine Reprints, Genève, 1966

GENETTE, Gérard, 《Le Serpent dana la bergerie》dans Figures , Édition du Seuil, 1966

O. C. REURE  La Vie et les Œuvres de Honoré d'URFÉ,  Librairie Plon, 1910  

新編 日本古典文学全集(全六巻)  小学館

与謝野晶子訳『源氏物語』(中巻) 角川文庫

谷崎潤一郎全集第27巻『新々訳源氏物語』(巻三) 中央公論社

円地文子訳『源氏物語』(巻三)  新潮社文庫

大野晋・丸谷才一『光る源氏の物語』(上下巻)中央公論社

倉田信子 フランスバロック小説事典  近代文芸社

    オノレ・デュルフェ:『アストレ』─ その構成 アカデミア(第34号) 南山大学

三田村雅子 濡れる身体の宇治  「源氏研究」(2)    翰林書



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