妻を持つべきか



妻を持つべきか

~風雅な妻帯論~

デッラ・カーサ 

池田 廉 訳


目次


第1章 妻を持つべきか持たざるべきかについて、この論題を解き明かすのは何とも厄介なことである。


第2章 人類の保存のためには、結婚は必ずしも必要不可欠ではなく、また人口を殖やすのに役立つものでもない。


第3章 国家を維持していく上で結婚は必要であろうか、今後の論議の展開について。


第4章 よき友を選び、友情を保つ難しさ。


第5章 結婚生活という名の、一人の女性との永続的な交友関係は保ちがたいものだが、二度と解消ができない結婚の絆を、男はいかに軽々しく結ぶことか。


第6章 一人の同じ女性と生活習慣を共にするのがどれほど辛いことか。


第7章 立派な家柄の妻が見せる高慢ちきで厚かましい自惚れ。


第8章 美女といえども、妻となればたちまち煩わしい。


第9章 女性の美しさは、いかに長く続かず速やかに衰えゆくか。


第10章 妻は夫にむやみに反感を抱くもの。女たちの強情な性質(さが)について。


第11章 人生は暴風雨に見舞われる航海のごときもの。


第12章 女性のひ弱さ、役にたたぬこと。家庭内の心配事でいかに夫の魂(こころ)が砕かれ、重い任務に就くのを厭(いと)うようになるか。


第13章 女性の脆弱で華著な体質について、女に大事を任せるのは無理である。


第14章 はなはだずる賢く悪意のある女たち。森の獣神サテュロスと猟師たちをめぐる教訓。


第15章 妻は夫をつねに尻に敷き服従させ、ありとあらゆる手段で当たり散らし、夫をうんざりさせる。


第16章 女たちは夫を人前で笑いものにして興ずる。


第17章 ここでは女性の愛欲の話題に移る。男たちは考え違えをしていて、妻の不倫に遭遇していかに悲惨な目に会うか。


第18章 女性が自然に授かった容姿は、性(セックス)を与える勤めには相応しいが、ほかの義務を尽くすことには向いていない。


第19章 行き過ぎた愛欲に走る女性と、その罪。不倫に走る妻の策略や悪賢さについて。


第20章 女性を誘惑するために男が用いる策略。甘い言葉で遂げられなければ、お金を出しても成し遂げる。


第21章 疑惑や嫉妬に怯える暮らしをせぬように、留意すること。


第22章 妻を寝取られた男のひどい落ち込み方、筆舌に尽くしがたい苦しみ。


第23章 一家を構えれば、いかに貧困に陥りやすく数知れぬ心労を招くか。


第24章 この談論の結び。結婚の公的意義を否定するのではない。だが結婚を勧めるのは、それを望む他の大勢の人に任せよう。



ジョヴァンニ・デッラ・カーサ小伝


『妻帯論』"An uxor sit ducenda" (妻を持つべきか)覚書


 あとがき





第1章 妻を持つべきか持たざるべきかについて、この論題を解き明かすのは何とも厄介なことである


「さて諸君、君たちが提起された問題は理論的に考えて弁論の形で説くとなるとなかなか厄介なことで、しかも結論しだいでは、たいへん危ない重大な問題であります。つまり妻帯することが、はたして人生を楽しく快適に過ごすことに通じるのか、或いは人間の義務に関わることなのか、そのどちらかに決めるとなると、なまじ凡庸な頭や月並みな判断力でまとめることはできないのです。

 とはいえ、私たちの法律では、夫婦の絆が絶たれるのは、ただ一つ死ぬことでしか許されないのであって、この関係を始めるのは、誰しも重く危険極まりない決断を要することであって、このことは否定し難いのではないでしょうか?

 ですから、いつの日か、君たちの前に誰かが現れて、その方がこの課題に鋭く考えを巡らせ、思慮深い結論を導き出せると広言されるのでしたなら、ぜひその人からしっかりと教えて頂いて、少しも間違った考え方を持たぬようにして下さい。

 しかし、この際は私の立場から出来るかぎり君たちの要望に応えたいと思います。もっとも私は、このことで十分な才能を持ち合わせてはいないのですが、それにしても実際の経験はおそらく無駄ではないと思います。ご承知でしょうが、数年間、私は妻と暮らしてきましたし、妻との間には君たちと同じ年頃の息子が居りますし、友人や身内にもかなりたくさんの妻帯者が居られます。ですからこのことが、当面の論議と無関係ではなかろうと考えますので、妻と一緒に暮らしていた頃と、その後(1)に起きた状況と、どちらの生活が私にとって快適で愉しかったかをしっかりと君たちにお示ししましょう。もっとも何れの場合も偶然とか運命に過ぎないとも考えられますから、私の身の上話などを期待しないでもらいたいのです。たとえば私が、刺々した気難し屋の気質の女性と出会って、ひどく嫌われるとか、こちらもその妻を疎ましく憎く思ったとしても、それとは逆に温厚で淑やかな女性にめぐり会えたとしても、何れも本来の自然の掟(さが)がそうさせたわけではなく、ただ偶然がもたらしたものでしかないのであって、ここでは関係のないことなのです。

(1) 妻の没後に、の意


 かりにいま私たち同郷の者が、最近キプロス島へ航海の旅に出て、まことに順風な船旅を終えたと聞かされたとしても、それだからといって、同じ季節にひどく不愉快な危険な船旅に遭わないとは限らないのです。ですから君たちには、この問題についての私見を、できるだけ慎重に解説することとしましょう。で、私のことは触れずにおきましょう。」


 


第2章 人類の保存のためには、結婚は必ずしも必要不可欠ではなく、また人口を殖やすのに役立つものでもない


「それにしても、妻帯を必ずすべきことなどと、君たちに考えてもらいたくはないのです。よく耳にするのは、結婚制度が取り除かれてしまえば、やがて人類が消滅するという言葉です。それというのは、もしも私たちの祖先や両親が婚約なり結婚なりを思い止まってしまえば私たちは陽の目を見ず、誰一人として生きてはいなかったという話です。彼らの言い分は、どのような形にせよ、そうせざるを得ない事情であれば、それをわざわざ論じても仕方がないのであって、もし妻の存在がなければ、私たちはせいぜい一世代くらいしか存続し得ないわけで、結婚とか妻帯とかを論じ立てて何の意味があろうか? そもそも人類の破滅とか消滅を考えるのは、神への冒涜に他ならない。もし婚姻や結婚生活が廃止、ないしは否定されれば、当然そうしたことが起こるであろう、と。

 多くの方々には、この論旨の運びや結論が非の打ち処のないように思うかもしれませんが、この論旨には誤りがあり、それも間違わないで欲しいのですが、二重の思い違いがあります。

 事実、かりに法律で妻帯が厳重に禁止され、或いは差し止められてまったく許されなくなったとしても、それですぐさま生殖や繁殖の能力が失われたり、全面的に減じたりするでしょうか? 原始時代の人々が “妻” とか “法律上の結婚” とかの呼び名をご存じないことに、誰が疑いを差し挟むでしょうか? それでも彼らは親の代に較べて、生む子の数が減りはしなかったのです。

 たとえば特定の一人の男に、特定の一人の女を娶(めと)らせると定めれば、受胎や多産によりいっそう役立つとはっきり言い切れるのであれば、なぜ羊を飼育している人々などが、人間に有益と知れたこの手法を、羊や牛馬の飼育に導入しようと考えぬほど、彼らはそれほど愚かで世間知らずであったのでしょうか。言うなれば、結婚とか妻帯という慣習がもたらされて、その制度の後、私たち市民の人口は、増加や拡張を招くどころか減少を招いているのです。本当のところ、人は誰しも“変化”や“目新しさ”に心惹かれて、妻に対して飽きたり煩わしい思いを抱いたりしないでしょうか? これは生まれ付きの性質であって、とりわけ長びく慣習とか、有り余るものについては、それがどんなに上等なものであっても、飽きもしうんざりする感覚さえ生じるのです。そのことは食べ物や味覚についても見てとれます。実際、家で内輪の者だけで居ると私たちは、きまってほんの僅かなもので食べ飽きてしまいますが、外出して昼食を取るとか、招かれてさまざまな味付けの豪華な料理を頂くと、この上なく満足して食べ飽きることを知りません。同様の心境は目を楽しませる容姿についても言えます。同じことは歌にも言えます。どんなに素晴らしい歌でもつねに同じ歌を聴かされるくらいなら、多少は下手でも違う歌声がいいのです。要するに変化というものは、味覚を甦らせるのと同様に、他の眠れる五感についても刺激するのです。そこで、妻との長年の生活習慣なり、好き勝手が許されることが却ってその妨げとなるのです。

 さらに付け加えますと、女としての勤めを中断せざるを得なくなった未亡人がいますし、またかなり年嵩(かさ)の娘たちで、両親が貧しいとか親戚が無頓着であったりして婚期の遅れた娘もよくいるのです。かりにこうした女性が、世の仕来たりに妨げられなければ、都市の人口増(1) に役立つこともありうるわけです。

(1) 当時ヴェネツィア共和国の政治を担った貴族階級には、彼らの人口の減少がかなり危惧されていた。なお都市国家の市民意識において、周辺の郡部に暮らす農民への視点は省かれていた。


 かのプラトンは-------さてこの方ほど信頼のおける高邁な人物を、他に求めることが出来るでしょうか?-------、都市国家の創設に当たって、特定の妻を持つ慣行がなくても、国は立派に建てることもできるし、その後の維持や存続も可能だと考えております(2)

(2) 理想約国家の姿を論じて、プラトンは結婚や私的な家族制度を否定している(プラトン『国家』V. 457d)。


 ですから人々が言うように、結婚とか婚礼がなくては人類は滅びる、などの考えは間違っています。いや、私が説明した理由によって、今現在よりもはるかに殖え続けることでしよう。」





第3章 国家を維持していく上で結婚は必要であろうか、今後の論議の展開について


「さてそのようなわけで、結婚はその性貰上、必要でないばかりか役に立たないと言いましたが、その一方、法律や慣習があるわけで、世間の人の評判を-------誰しもそのことを願うでしょうが-------気に懸ければ、結婚もせずに息子が居ることを認めるのは恥ずかしく思うものです。そのため秩序の行き届いた何れの都市においても、結婚生活は尊重されるのが妥当だとも、然るべきとも言われ、また婚姻なくしては、いかなる共和国も存続や統治が成り立たなくなると考えるのです。となれば結果的には妻帯が生じるのではありませんか? 何(ど)の道、そうなるわけです。実際、国の樹立、存続、また発展に関わる事柄を、避けたり拒んだりすることが正しいなどと考えるべきではありません。したがって結婚の定めを快く受け入れ尊重すべきなのです。

 では諸君、これ以上、何か聞きたいことがなければ、この論議は一応の結論が付いたように思うのです(1)。」

(1) この論点については、最終章で改めて論じられるために、“一応 の“と結論が留保されている。


 こう話し終えると、若者たちはしばらくの間、何事か語り合っていましたが、そこで彼らは、どうやら論議の是非は、婚姻の神々タラッシオとヒュメナイオス(2) の側が有利なように考えますと、きっぱり言った。

(2) 古代ローマの男神。ローマ人のサビーニ族の略奪の折に、ローマ軍の兵士らが、敵の美女たちを嫁にしたとの故事に因み、その男神の名を唱えて結婚を祝したとされる。


 それに応えて、私はこう口を開いた。

「さてどうやら君たちのお陰で、私により慎重にしようという気持ちが募ってきた。自分の結婚観を好き勝手に言い触らさぬように、ぜひ自重せねばとの思いに駆られた。そこでこの際、神々をそのまま大切に引き留めておくとか、或いは逆に、この神々を追い払おうとするとかの印象を持たれぬように、よくよく心せねばと思っています。追い払うと言えば、アリストファネスが寓話で引用した、この聞きなれぬ異国の神々サバジオス(3)が、都市〔アテネ〕から追放された際の、あのやり方のことです。

(3) プリギャ・トラキア族の男神。動物の姿に変身して、小さなアジアの女祭司と交わって子を儲けたという。アリストファネスの喜劇『鳥』や『蜂』に登場して愚弄される。


 では、あなた方にはそれぞれの場合の功罪について、あれこれと話すこととしましょう。つまり妻と一緒に暮らして、必然的に夫の家に起きること、寝室や寝台(ベッド)で持ち上がること、妻と一緒に過ごせばどんなことになるかをご説明しましょう。そこで、双方の方針の中どちらに重きを置くかの判断や評価は、君らに任せましょう。

 ところで私の考えでは、どんな個々の問題にせよ、より真実に近いものを検証しようとすれば、それは一切の虚飾、宝飾や装飾の類を排除して、先ず物事をありのままに、生のままに、純粋に考察することが肝心です。というのは私たちの頭や才気の推察力は、とかくつまらぬ上辺の眩(まばゆ)さに幻惑され、確固とした実体に近づくことも深く掘り下げることもなく終わってしまうからです。

 しかし私が危惧するのは、“婚姻” とか “結婚”、“縁結び”、“新婚” などの言葉が、君らの頭を曇らせ、邪魔するのではないかという点です。ですからこうした美辞麗句はしばらくそっとしておいて、これから論ずるすべての事柄が、どのような性質のものか、どの程度のものかを、ただ言葉の上のこととしてではなく事実として判断して、結婚生活というものを評価し、推し量っていきましょう。しかも、この “婚姻” という重要な、厳かな言葉で称するものは、たんに全財産のみならず、心と身体の禍福の共有であり、しかも一生に亘って運命を共にする、男女の永遠の結び付き(4) に他ならないのです。

(4) 『ローマ法』に同様の表現がある(『ローマ法(学説集)』23、2、1)。


 では、諸者、こうした男女の、一緒の暮らしが、はたして私たちに都合のいいことなのか否か、また義務に関わることか否かを、諸君と一緒に探っていきましょう。」


 



第4章 よき友を選び、友情を保つ難しさ


「日ごろ私たちは何気なく暮らしていますが、いざ誰かと親しく付き合い始めようとする時は、そこで私たちが他人の人間関係の中に人るにしても、また他人を自分たちの身内や交友の輪に迎えるにしても、その場合に、じつに慎重に気を配り、好奇心にも似た思いで気遣うことでしょう! 交際しようと考える相手の、これまでの生活はもとより、財産や習慣を事細かに調べ、さらには世間の評判さえも聞こうとします。そこで芳しくない評判を耳にしたり、相応しくない国の人々とあれば、付き合うのを避けたり断ったりします。このようなことは何も不当なことではありません。というのは、むろん大勢の人の中からたった一人か二人の友人を、それも楽しく過ごせて、われとわが身をすべて打ち明けて安心して任せられる友を選ぶとなれば、まことに大切な、しかもリスクの多い務めとなります。で、こうまでして注意深く慎重に選んだとしても、それで幸せな結果をもたらすのはごく少数で、いやよくよく考えれば恐らく誰一人としてそうならないというわけで、何とも驚かされます。

 実際、人によっては何事につけ自分の都合ばかりを考え、自分の愉しみからだけ推し量るような、何ら良心も誠意も敬度な心も持ち合わせない、まことに心根の捩(ね)じ曲がった人がいますが、ここでは触れずにおきます。

 彼らの身勝手で邪(よこしま)な行いが原因で、友人の間で何かにつけて誤魔化されたとか、欺かれたとか、物を奪い取られたとか、裏切りを受けたなどの泣きごとを聞かされたり、そんな人を非難することがよく起きます。それも永年に亘って親しく付き合ってきて、こちらも大切に思い、相手からも深く慕われていると信じていた人たちがそうなのです。

 ですから、いろいろと記憶を辿ってみても、真に心の底から親友と呼べる人が、いかに少ないかを胸に刻んでおくことです。

 とはいえここで、友情について、“何事につけてもわが身よりも友を愛すること(1) ” とか “己にもまして友に良かれと願うこと” といった掟(ルール)を守るべきなどと論じようとは思いません。友情の論議は正義や信義に関わる重大なことであり、目下の処、黙って通り過ぎることとします。

(1) テレンティウス『アンドロス島の娘』(427行)の台詞に、“何人であれ他人のためより、わが身によかれと願う”の諺があり、それに示唆を得たのであろう。


 さて世の多くの人たちが、気難しく扱いにくく、野育ちで、わがまま放題な性質だとすれば、どう我慢し辛抱せよと言うのでしょう? 悪気のない者同士の交際でさえ、反りが合わないとか、いがみ合ったり、一緒になれないなどとしっくりいかぬものです。

 私は饒舌を弄するのが、堪らなく嫌いです。そうでなくて、とりわけ筋道立ってきちんとした議論を始めていくのがとても好きです。聡明な人、才気換発な人、機転のきく人が大好きです。そのせいでか、知ったか振り屋で鈍感な人を、私がつい追い詰めたり、からかって、いつしか自分の方が相手以上に知ったか振り屋になっているのに、はっとしたりします。そこで、この“悪癖”を---------この言葉でなく、他に言いようがあるでしょうか?---------見抜いた友人などは、わざとぼんくらの振りをして、長々と私をからかうのです。

 ばか騒ぎ、ばか笑い、やかましいのも大嫌いで、吐き気を催して、たびたび私は個室に逃げ込まざるを得ません。そうでもしなければ、どうすればいいのでしょうか? 近所の家の犬が吠えるとか、さらに輪を掛けた騒音を耳にすれば、きまって家から飛び出します(2)。ところが、何としても私が気に障るこうしたことが、時に人によっては少しも気付かぬどころか、かえって楽しくて、逆にこちらの好きなことをひどく嫌がるのです。もっともそれは、あなた方がよく考えれば些細なことにしか過ぎず、予め見通して気持ちを抑えれば、さほど迷惑とも思わず、一度や二度の我慢もできましょう。ところが、家庭の日常生活の場で、このことが慣習化すれば、心の寛(くつろ)ぎや安らぎを得るどころか耐えられぬほど辛く重苦しいことになるのです。君たち、このことをよく考えて欲しいのです。

(2) 作者はラテン語『歌謡』の中で、近くの教会の鐘の音で睡眠を妨げられるのをひどく嘆いている。


 これまで私が見てきた人の中には、とても意地の悪い、裏表がある、心が捩(ね)じ曲がって、変わり身の早い、陰険で憎たらしい人が大勢居ました。しかも彼らは、こちらがどんなに心を開き、素直にして、何ら騙したり隠し立てをしなくても、そうなのです。こうした素直な性質など、彼らは評価しないのです。

 その一方では、悪賢くずるい人物を好む人もいて、彼らこそ賢く思慮深い人物だと称して、単純で何の下心を持たぬ人間を、能なしの木偶(でく)の坊とか愚か者と呼ぶのです。

 それにしても裏表のある友人であれば、ぜったい好きになれない、とまでは言わぬとしても、その友だち付き合いが暫くでも続くものでしょうか? また人によっては、ほんの些細な非礼に会ったというだけで、ひどくむかっ腹を立てる気の小さい神経質な人がいます。きまって何かに付けて友だちに怒るのです。そんな人物と付き合うと、憾みつらみや泣き言ばかり聞かされて、結局は不幸と悲しみに明け暮れて、友情が長続きすることなどありません。

 さて怒りっぽい人は、どうでしょう? 身近に居る人や友だちがいつまでも辛抱強く、自分に我慢してくれるものと分かると、彼らはかっと火が付くと途端に、やたら非難を浴びせてくるのではありませんか? しかも怒りのほとぼりが冷めると、“つい腹立ち紛れに口が滑って”、“いや本当はそこまで言う心算(つもり)がなかった”などと言葉を吐くのです。どんな些細なことにでも、自分はかっかと怒るくせに、その性急でわがままな、無礼で切れやすい性格については、友だちに我慢しろと頼んで、それが当たり前のように思うのです。こんな連中と平穏無事に暮らしていけるわけがありません。

 またよく出くわすのは、打ち明けた秘密をまったく守ろうとしない友人です。それも彼らが悪気があってのことでなく、ちょっとした虚栄心とか、何かにつけても軽々しく言いふらす習癖がそうさせるのです。この類(たぐい)の人物はきまってとても危険です。現に人には時として公然と知られたり、言いふらされたりしては都合の悪いことがあるのではないでしょうか?

 でもなぜこうまで私が、身近な人や友人たちの悪い性質や習癖のことをあれこれと話すのでしょうか?

 ところで私たちがまったく見知らぬ人でも、不愉快で憎らしい風貌の人物にしばしば御目にかかったりしますが、そのような時は当人が居るだけで気持ちが逃げ、毛嫌いしたくさえなります。こうした人との付き合いは無論のこと、出会って顔を見るのさえ、まるで有害物に触れでもするように怖気づきます。で、もしもこうした人物と一緒に暮らさざるを得なくなったとしたら、さあどれほど堪らない目に会うか考えてもみてください。

 ではなぜ私がこんな話をするのでしょうか? それは君たちに、次のことをよく理解してもらいたいからです。それは、どんなに気を配り努力して真剣に-------さらに一言付け加えさせてもらえば、思慮を働かせて-------ともかくしっかりと安定した持続的な、そのうえ楽しく快適な交友関係が得られればと願ったところで、現実は人それぞれの気持ちや気質、考え方に、千差万別の違いがあるのです。となると私としては、各自の思慮分別に頼るよりは、むしろ祈りを捧げる方が役立つとさえ思うわけで、このことをよく弁えて欲しいのです。

 それにしても友だち付き合いにおいては、まだ自由という利点(メリット)があります。ですから、友との絆であれば、付き合いが始まっても、いざカッカと熱くなり過ぎれば、互いの意思次第で別れるのは勝手です。一人の友との絆が離れても、また次の友へ、さらには他の友へと、君が交友の絆を結ぶことは許されるのです。」





第5章 結婚生活という名の、一人の女性との永続的な交友関係は保ちがたいもの。だが、二度と解消ができない結婚の絆を、男はいかに軽々しく結ぶことか。


「友だち付き合いはこうしたものですが、今からは男と女が緊密に永く結ばれる好誼(よしみ)について、それがどのようなものか見ていきましょう。こちらは、否が応でも生きているかぎり続けざるを得ない一人の女性との付き合いです。本来、あまり高尚ではない事柄であり、最初がきわめて軽率に取り決められてしまいます。事実、男が交友を結ぶ際のあれほどの慎重さが、結婚を始めるときにはさっばり生かされません。しかも残念なことに、どれほど望んでも出来ないのです。というのは、よく見かけることですが、結婚適齢期の処女(おとめ)は外出したり人目に付いたり、とくべつ誰かに見染められたりすることのないように、母親がそのことばかりに精一杯の気遺いをするからです。ですから多くの場合、ろくに顔も知らずに、俗に言う、娘の顔色が白いか黒いか分からぬままに(1) 結婚に踏み切ります。そこで、かりに従僕なり下女(メイド)から何か一こと二ことの言葉が聞ければ上出来と思いますが、それとても大方、姑から予め言い含められた口上なのです。

(1) 古典古代の作家キケロ、カトゥルスなどがよく用いた表現。とくに顔色を指すのではなく、“何も知らない”、“何の興味も持たぬ”の意。


 これほど大きな危険(リスク)を伴う事柄を、いい加減に乱暴に軽率に扱うとは、なんとも馬鹿げたことと言えましょう。

 かりに一軒の住宅を買うとしましょう。そのとき私たちはどれほど慎重に気を配り、どれほど注意深く、いわば口うるさくなるほど行動するでしょうか。つまり一度や二度の下調べでは飽き足らなくなるのです。幾度となく出向き、建築家(マエストロ)や大工に相談を持ちかけ、友人の意見を訊き、調査する時間的余裕が欲しいなどと求めます。それでもし住み心地が悪ければ出て行くことも可能ですが、妻となるとそうはいきません。しかも家屋の売却には、禁止する法律はありませんが、妻を追い払うのは違法です(2)。ああ、それがもし叶うことならば! 明らかに惨めな境遇から最大の煩わしさが取り除かれるのでしょうが。

(2) 同様の表現は、セルヴァンテスにも見られる(『ドン・キホーテ』2篇19章)。


 これに関連して-------私見を述べさせて頂ければ-------、法律はまことに些細な事柄に目を光らせるくせに、なぜ、かかる問題に法の慎重さが望めないのでしょうか!

 いま一人の奴隷を売り渡すとなれば(3)、その奴隷の欠陥を列挙し説明しておかねばなりません。もしその言及がなければ補償が必要となり、返却の権利(4) が生じます。それは小生が君を信じたがために君に騙され、或いは策略に引っかかるようなことが生じないがためです。もっとも奴隷に関することであれば、多少値下げして転売することもできましょう。また、そうまでしなくても、さしたる実害もなく済ませることができましょうが、妻ともなれば彼女を追い出す手段など何一つありません。否が応でも普段どおりに傍らに居続けるわけです。どれほど嫌がっても、どうしても身近に居続けることになるのです。私の目の前には、何らの例外も、いかなる無効条項も原状復帰法もないのです。ひとたび妻を娶(めと)れば、生涯、持ち続けなければならないのです。どんなに法の掟や裁判所に訴えても、また神々や世間の人の庇護を頼みにしても、どうにもならないのです。しかも、“若いもので思慮が足らず、つい騙されて” などと弁明しても無駄です。手の打ちようがないのです。“君のことだろう、奥さんとよろしくやれよ” と言われるのが落ちです。

(3) 当時のヴェネツィアでは、奴隷の売買が公的に認められていた。

(4) 「返却法 "actio redhibitoria" 」を指す。売却した商品に不備がある場合、買い手に返却の権利を認めるのは、ローマ法以来の伝統。


 ですから先ほど話したとおり、これほど騙されやすい危険な事柄であって、それが通常の慎重さを示さぬどころか、全くといっていいほど対処し得ないのです。そのうえ法律は、どんな些細な問題に対しても、そこに欺瞞が起きるのを恐れて、つねに極めて慎重に用心し予防措置を取るのに、この件では法律上の支援も救済も期待できないのです。

 たとえば男同士であってさえ、思考方法が近く、教養も習癖も似通う友人とめぐり会って、一生を楽しく過ごすことなど、めったにあり得ないといった実態があるのです。しかも長い付き合いの間では、時として互いに友情を破ったりぶち壊したくなることもあるのです。しかも私たち男は、手掛かりとして相手の気質がどのようなものかが簡単に推察できるので、-------男は何も屋内の壁の中で母親の膝に抱かれて過ごしたわけではなく、公共広場や宮廷で、要するに衆人環視の中で人生を送っているわけですから-------、様々の徴候や証拠からも互いに察しあえるのであって、それでさえ友を得ることが難しく稀だとすれば、女と一緒になって自ずから幸せが舞い込んでくると思うのは、よくよく考えての期待と言うよりは、ただ希望的観測に過ぎないのです。

 それゆえ諸君、この論旨をよく聴いて十分に追って頂ければ、私たちがどういう方向に進むのか、何を勧めようとしているのかお分かりになる筈です。本当に長らく注意を払い、人柄をしっかりと見定めてさえ、心の通い合う友を得ることの難しさを思えば、私たちが多くの面で気が合う妻とめぐり会えるなどと願うのは、思いの外のことなのです。





第6章 一人の同じ女性と生活習慣を共にするのがどれほど辛いことか


「それにしても諸君、好きでもなく愛するどころか憎しみさえ抱く妻であって、しかも妻の方も何かにつけて君が気に入らず、敵意さえ抱くと分かれば、こうした女と日夜共に暮らさねばならないとしたら、これほど迷惑で辛く惨めなことはないでしょう。

 そもそも男の居場所-------言うなればわが家の懐かしき暖炉の傍ら-------は、荒波にも喩えられる日常の煩わしさ、心配事からの避難先とも待避港とも言えるものであって、心身両面に亘る日々の欠くべからざる癒やし、安らぎを求める処であって、そこが憎しみや大騒ぎや、仲違い、不平、言い争いの飛び交う場所となっては、これほど男にとって始末に負えないことがあるでしょうか? しかも、この大変な災難を治め、救う手立てが、ただ一つ毒でも飲んで死を待つしかないというのは、何ともひどいことではありませんか?

 このことに思いを寄せ、また話をよく聴いて考えてもらえれば、当然深く考えもせずに無鉄砲に突っ走りはしないはずです。ところが、とかくわけの分からぬ怪しい物事に限ってありがちなことですが、よく騙されてしまうのです。というのは私たちは、見かけが役に立ちそうな、快く楽しげな物事に惹きつけられて関心を寄せ、感心してしまうからです。その反面、手ごわく危険で、懸念や困難を伴う厄介事となると、現実に体験するかのごとく怖じ気づくのです。それを想像しただけで、魂(こころ)が関わり合いを拒み、頭脳さえも逃げてゆきます。

 実際、戦場での、あの無残な怪我、血潮、手足の切断、或いは牢獄や奴隷、遂には死などを目の前で見たり、思いを巡らせば、いったい誰が、どれほどの人々が、戦(いくさ)の修羅場に身を置き、平素、多くの人に見かける、あの威勢の良さで飛び込んでいけるでしょうか?

 ところがわれわれの性質(さが)は、無性に欲しい物に対しては、見境もなく恐れ知らずに期待を抱いてしまうのです。そこで、勝ち戦、略奪、敵の戦利品、武器などが胸中にも頭にもちらついて、危険の大きさや深刻さを顧みず、万事に注意を怠るのです。

 さて妻を持とうとするとき、私たちは由緒ある家柄で、とりわけ容姿が美しく上品で、教育が立派に行きとどいて、躾も申し分のない処女(おとめ)をと願います。しかも私たちと気持ちが通じ合い、こちらの欲求を手振り一つで分かってくれる従順な娘をと望み、将来はそうなるかのように思い込みます。こうした錯覚こそが、とかく若い君たちが嵌まりやすい欺瞞の罠なのです。もし私たちが欲望に目が眩み、目隠しされたまま引き廻されるようなことがなく、あるがままに物事の本質を入念に見据えることができれば、誰しもこれが錯覚だと気づくでしょう。遅かれ早かれ妻との結婚を後悔-------これ以上ひどい言葉を使わないまでも-------しない人など、大方、いや恐らく誰一人としていないことが何れ分かるでしょう。ですから私たち(1)だけが、幸運の女神や神々のご贔屓(ひいき)に与ろうなどと期待するのは、何とも愚の骨頂というものです。

(1) 聴き手の、貴族階級の子弟を指して。


 そこで諸君、私たちが結婚と称する、二人の男女の共同の暮らしは、まことに人生の安らぎや魂(こころ)の平静と縁遠いものであって、危険極まりないことなのです。」





第7章 立派な家柄の妻が見せる高慢ちきで厚かましい自惚れ


「そこで結婚するに当たって、新妻の出自が夫と釣り合いの取れる貴族の家柄とか名家であるとか、それとも妻の方だけがとくにそうした身分であるかは、-------婚姻を取り決める際に、それが間違いや欺瞞の生じる余地がないという理由によって-------何をおいても先ず考慮に入れるのですが、さて妻の出自が夫を上回るとなると、夫は耐えられぬほどの迷惑に遭い、損害やら不運がその身に降りかかります。

 たとえば名家の娘が、名も知れぬ怪しげな家筋の男に嫁いだりすると、とりわけ妻は横柄な言葉遣いで接するばかりか金遣いも荒く、日々の付き合いや一緒の暮らしの中で扱いにくく、図々しくなるもので、まさかそんなことなどと君らは思わぬように用心が肝要です。実際、彼女の口からきまって持ち出されるのは、ご先祖の武勲の噂、彼らの誉れ、功績、偉大さのことで、その自慢話で話が尽きないのです。その一方で、夫には距離を置き、かかる家柄の妻にあなたごときが触れるのはおこがましいとさえ小馬鹿にするのです。そこでこれほど名の通った貴族の家柄のあたくしが、こうした庶民の家に嫁がざるを得なくなって、何とも我が身の不幸で惨めなことかと嘆くのです。主人の生きざまや習慣をみすぼらしい、けちくさい、いじましいと責めるのです。夫の親族のことなど何とも思わず、しぶしぶ近付いて、挨拶もそこそこにして、招きもしなければ敬意を払うことさえしません。

 かくして憐れな夫は、わが家の部屋の壁の中、高慢ちきな夫人の家僕となり果て、どんなに下手に出ても、どれほど我慢し、どれほど辛抱を重ねても、やがての果てに、いかに耐えがたい出費をしても、何の役にも立たないのです。こうなると家族全員、親戚一同が、他の一切の用事をほったらかして、彼女のご機嫌を取ろうと世話をやき、掛かりっきりになるのですが、そうしたすべての努力や気配りが、日常的に水の泡と思い知らされるのです。そうした気遣いの一切を夫人は傲慢に撥ね付け、それどころか、はっきりと言葉に出して軽蔑し、高慢な表情や目つきで蔑むのです。さあ、これほどの惨めなことがあってよいものでしょうか?

 たとえば自由な都市国家であれば、法の下で互いに平等な権利を持つべきものとされ、ある一人の人物が他の市民に思うがままに服従を強いるようなことは耐えられぬことであって、ましてや、わが家で、室内の壁の中、所縁(ゆかり)の暖炉の傍らで、わが妻に権力や支配権を奪われ、専制政治を布かれるとなれば、これほど男にとって過酷なことがあるでしょうか? そもそも自然は女性を男たちに従順であるべく創り、習慣がかく教え、法律もそのように要請しているのです。

 はたして、このような不都合な状況で、こうした混乱と煩わしさのただ中で、さて平穏無事な人生が送れるものか、よく私の言うことに耳を傾けて欲しいのです。したがって、結婚の契りを結ぶとき、たとえその際に欺瞞の入る余地がなき場合でも(1)、その先々がどうなっていくのか、よくよく考えて頂きたいのです。

(1) 家柄などの出自が、調べやすいこと(前段)を指して。





第8章 美女といえども、妻となればたちまち煩わしい


「美しい女性の容姿は君たちの胸に様々なことを思い描かせますし、若くて経験が乏しいので、こうした論題にあっては、じきに逆上(のぼ)せやすく、刺激に駆られて突き進みたいとは想像しますが、では君たちは、女性の容姿の美しさをどれほど重要なことと思っているのでしょうか? もっとも自分だけが美人と結婚するだろうなどと厚かましい思い上がった話は論外としましょう。そう望んだところで、何になりましょう。

 現実に自然は、不器量な女子の数をほぼ際限なく創っておき、美人の数を明らかに微々たるものと定めているので、よく耳にするのは、どこの都市に行っても折り紙付きの美女となるとせいぜい一人、名指しができるかといった具合なのだそうです。

 そこで今、何一つ努力もせず骨も折らず、思惑を十分に働かせたりもせず、ただ幸運に恵まれただけで、すらりとした、顔立ちが上品に整っていて、均整のとれた立派な肢体をした一人の妻を迎えたと想像してみましょう。それでいて、どうなるとお思いですか? きまって半年も経たぬうちに、飽きが来てうんざりしてしまうのです。

 さて私も若い時分は-------諸君ももう立派な大人ですから打ち明けようと思うのですが-------、実は女好きの性質で、どんな欲望にも輪を掛けて、このことが抑えがたかったのです。で率直に言いますと、あの頃ほど好きな女性に欲望を持ち、熱意を持って迫ったことはなく、またその別れ際の辛さを覚えています。よくあることですが、時折は夜更けに恋人の許に行くことが許されて、初めの幾度かの抱擁の後、やがて激しい情欲や熱情が消え失せてしまうと、その後は夜が白々と明けるのが何と待ち遠しい思いであったか、よく覚えています。

 かりにそんなことが幾夜も重なることが起きたら、どれほど辛い思いを味わったことでしょう。それでも、私は女に軽蔑しているなどと思われぬために、嫌々(いやいや)出掛けて行きました。でもあの頃の夜くらい寒々とした気の重い味気なさを覚えたことはありません。

 ですから君たち、何よりも女については、とくべつ “変化” がなければじきに飽きてしまうことを、よく記憶に留めて欲しいのです。本当に“目新しさ”こそが、確実に倦怠を妨げるものであって、一つ同じことを勝手放題に繰り返すのは、倦怠の母(もと)なのです。

 私の近所の人のことですが-------皆がよくご存じの話で-------、奥さんが美しい顔立ちで、身嗜みも服飾も上品な方でして、それがどうでしょう? 彼は、いつも気儘に長らく付きあってきた奥さんにうんざりして、今では同衾する気さえ起きないとか。つまりこの人は、どんな卑しい娼婦の後(しりえ)さえも追い廻しているとか。

 ですから-------間違って欲しくないのですが-------、たとえどんなに評判の美人の妻が傍にいても、世の夫どもが小娘の召使い女に気を走らせるといったことなどはあり得ぬなどと思い違いをせぬことです(1)

(1) 逆に女性たちが夫の愛撫に不満を述べる、同時代の話もある。「夫との愛撫や快楽では、まるで修道女たちが自分でする慰みよりも、味気ない」(A・ピッコロミニの対話編『ラッファエッラ』1539年)。


 要するに快楽というものは、満ち足りればあっという間に消え行くものであり、しかも、さして苦労をせずに他処(よそ)で大いに愉しめるものなのです。このような快楽を求めるあまり、筋道立った生き方のすべてを逸脱し台無しにしてしまうのが、いかに愚かなことか、誰でも分かることでしょう。」





第9章 女性の美しさは、いかに長く続かず速やかに衰えゆくか


「さらに付け加えれば、たとえ妻の美しい容姿に大いに憧れを持ち続け、少しも嫌にならず、倦怠を覚えずにいたとしても、それでも妻が長きにわたって私たちを喜ばすことは無理なのです。青春まっただ中の女たちのあの溌刺とした魅力はあっけなく萎んでいくのです。一度か二度、出産をすれば見る影もありません。実際、膨らんだ乳房は垂れさがり、かつてのぷりぷりとして柔らかい手足の、どこに触れても弛(たる)み干からびています。涼しげな眸(ひとみ)の色も、あの耀きも、どことなく闇夜の翳りを見せます。こうなると、やたらに頬紅やクリームを塗りたくり、しきりに笑いをふりまきますが、時にはむかっと吐き気がします。それに女ならではの病、じつに見ても嗅ぐも辛く堪らない、月の障りのことについては触れずにおきます。

 こんな話を-------何方(どなた)でしたか-------していました。 “家内の吐く息が臭くて堪らない” と。しかしどんなに口臭があったとしても、妻であれば、君は抱擁し口づけしなければならず、共に暮らし、同衾しなければなりません。いや、そこでうんざりして、きっと君は家を飛び出すかもしれません。

 ですから、どんなに容姿の素晴らしさに惹かれるといっても、それは憧れというよりは、むしろ抱いても仕方のない希望に惹かれているだけで、何にもならないのです。美しさは満たされれば飽きがきて、すぐさま離れてしまいます。すべての歓びは待ち望むうちが花で、満たされれば消えるもの-------、女性の美は衰えやすく束の間のもの-------なのです。男が花々しく男盛りを迎える頃、女たちはすでに老けていると映るのです。事実、女たちの弱々しく繊細で華奢な肢体は、数々の重い疾患に痛めつけられ、その上、分娩の苦しみなどを味わってがたがたになり、あっという間に老け顔になるのです。

 したがって諸君は、こうしてきわめて軽薄な、ありふれた一時(ひととき)の歓びに騙されて、万事に苦労を背負い込む罠に嵌まらぬように心掛けねばなりません。しかも今後の人生の続くかぎり、この罠から抜け出すことも解くことも、どうしても出来ないのです。」

 こう話し終えた後、私は自分が本来、望ましい論述の規範(ルール)や討論での節度のよさや穏やかさの則(のり)を越えて、やや熱っぽく論じ過ぎたとはっきりと気付いた。

 とはいえ、私の旧友クリトーネ(1) の願いごとを叶えなければならなかった。このクリトーネは、この場に居る若者たちの父方の叔父に当たり、彼らからとても愛され慕われていて、彼らの後見人でもあった。その彼が昨日、訪ねてきて、若い人たちの気持ちが結婚に走るのを何とか引きとめて欲しいと熱心に頼んだのである。で、旧友が言うには、こうすることが、どう考えても何れ彼らの為になるのだ、と。そのとき私は若者たちの関心がとても、高いのが分かっていたので、多少、内容を端折るとしても、雄弁の流れを緩めてはいけないと思って、ふたたび口を開いた。

(1) ソクラテスの愛(まな)弟子クリトンに因む仮名。


「さて女性の容姿の優しさ、美しさは、頼りなくもろく儚(はかな)いものなのです。まるで小さな花が一陣の風に吹かれて散りゆくようなもので、ほんの少し不調を覚えれば失われます。たとえばいつもより少し夜更かしをしたとか、少々早めに起きたとか、ただそれだけで魅力も優雅さも、譬えようもなく落ちてしまいます。頭痛がするといえばその顔は見られたものではありません。本当に頬が恐ろしく蒼ざめて、顔は苦痛で血の気を失い、これまでの綺麗さ、可愛いらしさが何処へやらです。しかも私たち男と較べて女の素質は、先にお話しした理由で、遥かに脆弱で病気に罹りやすく、そればかりでなく、大方の女性は喰い意地が張っていて、身体に悪い物に目がなく、しかも身体を鍛えようとしないのですから。

 そこで、申し分のない健康な女性であってさえ体臭が匂うのに、まして病める女であればどれほど堪らなくうんざりさせられるでしょうか?

 ところで諸君、黙って想像するだけでもむかつくようなことを、なぜ私はこうもあれこれ説明し、君らの胸に刻み込もうとするのでしょうか? しかも、誰一人として知らぬ筈のない、分かりきったことだというのに。

 で事実、私たちが日ごろ目にする女たちの中には、触れると何か汚れた不潔なものに汚染されたように思う女が大勢いるのではありませんか? もしこんな女と寝て共に、夜を過ごすよう求められるとしたら、さあどんな犠牲的条件を持ち出されても、そういう気持ちにはなれないのではないでしょうか?

 で君たち、こんな女の誰かがたまたま君の妻になることを、ちらっとでも想像してみて下さい。何分にも、こうした女性の数は多いので、君がこのような女と、いやひょっとするとそれに輪を掛けた不潔な女と出会わないなどと、なぜ考えてみないのでしょうか? しかも私たちの慣習によれば、もはや自分勝手に断り切れなくなった段階で、初めて妻をじっくりと見られるのです。

 ここで君たち、不滅の神々の名において(2)、よく考えて頂きたいのです。諸君が公共広場や仕事などから疲れ切って帰宅して、安らぎを求めようと思う矢先、玄関の扉口に出迎える妻の顔が死人のように痩せ細って、歯並びががたがた、吐息が臭く斜視の目が飛び出ていて、全身がぶざまであったならば、さあ君たち、どんな気持ちになるものか思ってもみてください。こうした何とも可愛い気持ちのよい女性で、それで君たち、すべての苦労や悩みを忘れ去ることができるでしょうか。しかもその上、同衾せざるを得ないとしたら、まるで刑場にでも引かれて行くような気分になりませんか? 彼女から抱擁され口づけをされるとなれば、君たちは泥濘か下水溝にでも浸けられ、ぐるぐる巻きにされるような思いになりませんか? 腋臭(わきが)はもとより身体のあちこちの部位が、視覚にも臭覚にもどうにも堪らぬとなれば、歓びを覚えるどころか、日々の夜をまんじりともせず過ごすことになりませんか?

(2) キケロなどに見られる古典古代の常套句。“誓って”“ぜひとも”の意。


 ですから先ず頭に入れておいて欲しいのは、有り余る数の不器量な女の中から、勝手な思い込みだけで、君一人が綺麗な女性にめぐり会えるなどと考えるのは無理なのです。またかりにそうした事態が起きたところで、欲望は充足されれば消滅し、また美はもろく滅びやすいものですから、その歓びは長く続くものではないのです。なお-------こちらの方が大いにあり得ることですが-------、かりに不器量な妻に出会えば、私たちは最高に惨めな苦しみの中で一生を送ることになります。最後に-------これは先ずあり得ぬことでしょうが-------妻がいつまでも私たちの気持ちに適い、こちらも期待や欲望、愛情をずっと熱く抱き続けたと仮定してみても、そうであってさえ、もともと自由に好きあって結ばれたわけでない夫婦生活では、不平やもめごとや不仲が付いて廻って長続きはしないのです。」






第10章 妻は夫にむやみに反感を抱くもの。女たちの強情な性質(さが)について


「ですから平穏で楽しい生活を送ろうとして、かりに好きな-------世間で、言うところの-------心底から好きでたまらない妻を娶ったとしても、妻の方から大切にされ、誰よりも貴方が好きといった思いが伝わらなければ、どうでもいいことになってしまいます。現実に二人が付き合い一緒に暮らして、片方が意に添わずいやいや付いてくるような形で、そこにどんな楽しみがあると言えましょうか? お互いに歓び合い、互いの愛情に応え合うのでなければ、夫婦関係にどんな歓びが待っているでしょうか?

 まさしく詩人たちは、私のうろ覚えの記憶に間違いがなければ、こうした状況を気付いていたのです。で、一人の詩人がこう詠んでいます。

 “君を抱擁しつつも女はうわの空、女が溜息を吐くのは他の愛人たちへの想い(1)” と。

(1) 『ティブッルス全集』1、6、35。


 もとより女が共に歓びを味わうのでなければ、いかに君が彼女を傍らに置き、いかに抱き寄せて、いかに歓びを味わおうとしても、君の心は十分に満たされはしないのです。そのとき彼は、自分が残酷なまでに憎まれていると思い、これで夫といえるのか、敵(かたき)なのかとさえ思うのではないでしょうか?

 この先の詩句はよく覚えていませんが、でも諸君は若いし、君たちの叔父上からたびたび勉強熱心と聞かされていますので、その詩句を当然覚えていられるでしょう。もっともこの詩人が、こうも詠んでもいるところから、当事者の彼は完全に憎まれていると思っていたでしょう。

 “気がのらずに肌着さえ脱がざる女(ひと)と臥す(2)

(2) 『ティブッルス全集』1、9、56。


 このような次第で、世の夫どもが妻や結婚そのものを非難し愚痴をこぼす世の中で、婚姻の神々(3)と仲良くして、その恩恵に与ろうなどと望むのは、何とも軽薄で馬鹿げたことでないでしょうか。まことにどの都市に行っても、妻と結婚したことを後悔しない人など、おおかた一人もお目にはかかれないのです。

(3) 結婚の神々(第3章、注2、参照)。


 それでもなお、妻が一生に亘って彼だけを望み、求め、誰よりも自分一人を熱愛しているなどと考えるのは、これほど愚かな思いあがり屋ということでしょう。女というもの、その性質(さが)は千差万別、移り気で、いたって気難しいのです。ほんの些細な失礼に出合っても、かっとしてご機嫌を損ねます。

 それにしても、母親の息子に寄せる愛情ほど篤(あつ)く、その寛容さほど優しい心は、ぜったいに考えられないでしょう(4)。ところがその義母(はは)に対してさえ妻は折り合いが付かず仲良く暮らすことが難しいのですから!

(4) この時代に遡るマザー・コンプレックスの表現。


 母と息子の間には猜疑心もなければ仲違いもなく、いや口喧嘩も、いや何の諍(いさか)いの種もないのです。しかし女同士となると、自然に苛立って怒りっぽくなり、どれほど彼女に気を遣っても、どんなに礼を尽くしてみても、どうにも気に入らないのです。」






第11章 人生は暴風雨に見舞われる航海のごときもの


「さて諸君、平穏で自由な独身生活を馬鹿にして、結婚生活に飛び込むことが、まるで波騒ぐ嵐の海に身を投ずるようなものと、よくお分かりになったのではないでしょうか?

 たとえば人々が航海を平穏無事に成し遂げるとか、また以前、誰かがそれをやり通したとかすれば、彼らは“フォルトゥーナ”〔運命の女神〕や“ネプトゥルヌス”〔海神〕に感謝すべきなのです。彼らが、そこで自分の思慮や操船の技術を誇ったところで-------はっきり言って-------、何ら筋道が通らないのです。

 ところで聞いて欲しいことがあります。ご承知とは思いますが、私の息子はここ数日の内に三擢(かい)仕立ての帆船で、ブリタアニアヘの航海に旅立ちます。君たちは、むろんあの子の親友であり、年嵩(かさ)も同じですから、彼から包み隠さずお聞きでしょうが、実は私の兄で、彼には伯父にあたる人から、かねがね息子に来て欲しいとしきりにせがまれているのです。

 で私もやはり親心が働いて、この度の長期に亘る面倒な船旅に、誰か仲間になる同行者がいないかと前から探しているのです。事実、一人息子がこのような危険な旅に出るのが、とても気懸かりでならないのです。かといって、これほど熱心な兄の頼みをむげに断ることもできませんし、それはとても相応しいことではないのです。

 というのは、これまで私たちの不如意な暮らし向きを、人のよい財産家の兄がずっと支えてきてくれたのです。で、現在あなた方もご存じのように、私たちは故国(1) にあって優雅に学問に耽って穏やかに暮らしているわけです。そして、何らかの法律上の、またやむを得ぬ義務は別にして、さしたる公私に亘る用事に関わらずに済んできたのです。その兄は、昨今、人伝に聞くところ、汗水たらして手に入れた有り余るほどの土地や財産の管埋を、愚息を呼び寄せて、学ばせようと思い、何れは莫大な財産を彼一人に相続させようと望んでいるそうです。とても弟思いの寛い心で動く兄の気持ちはよく分かっているのですが、半面、やがて小生の佗しい老後には、この一人息子がたった一人の友ともなり、心の慰めともなるわけで、最愛の愉しい息子と引き離されるのは、何とも納得のいかない気持ちがするのです。それにしても、私たちがたいへん世話になった兄の意を汲むのは礼儀であり、むげに断るわけにはいきません。で、先ほどの話に戻りますが、この度の航海に同行を願える友だちが一人か二人居られないかと、気を揉んでいるところです。私の胸にも、彼と一緒に喜んで船旅を引き受けて下さりそうな方が誰彼と浮かぶのですが、さて何方(どなた)にするかは、まだ決めかねています。

(1) ヴェネツィア共和国を指す。


 そこで諸君、ぜひこのことについてしばらく一緒に考えてみて頂きたいのです。

 あいにく小生は、こうした事柄に経験が乏しいのです。というのも滅多に家から出ませんし、この都市から一度も遠くに出たことがないのでして、そこで早速、思い付いたのか、私たちの親戚であり、年頃も息子と変わらぬ君たちの誰かに頼んでみてはということなのです。息子がこの地で過ごして以来、仲良く付き合ってきて、とりわけ気心の知れたあなた方の何方(どなた)かに、と思いまして。

 それというのも苦労の多い船旅で、しかも祖国や私たちへの懐かしさにも駆られるでしょうから、愉快な友との付き合いがあれば、気持ちが和らぎ癒やされると思うのです。で、諸君のご意見をぜひ聞かせて欲しいのです。」

 こう私が話し終えると、彼らは何やらひそひそ話し合っていましたが、それも耳元での内緒話とあって、何のことやら聞き取れませんでした。

 とその時、その中の年嵩(かさ)の若者がこう返事をしてくれました。

「僕らの年頃で、あなたのようにご年配で、思慮の深い方と意見を異にするのは、おこがましいのですが、僕らの考えを言いますと、ご子息の今度の困難な旅行の同行者には、互いに慰め楽しみを分ち合う友達よりも、むしろ危険に際して助言を授け、助けてくれる、そうした人が必要ではなかろうかと思案していたのです。ですから彼の同行者に加えるのは、僕らの誰か一人をということでなく、他の方に期待を掛ける方がよいと思います。というのも僕らは、この潟(2) から一度も外海に出たことがなく、旅行や航海の経験がないのです。ですからあなたに選んで欲しいのは、しっかりと自分を持ち、長い経験を通して、他国の民情や海岸、土地柄、また航海そのものに精通した指導者的人物こそを、まだ若年で経験の浅いご子息を守ってくれる方として選ばれてはと思うのです。

(2) ヴェネツィアの潟(ラグーナ)。


 たとえば、彼が戦場に赴くとなれば、彼の野営暮らしをするのに、わざわざ新兵に面倒をみてもらう気には、僕はなりません。すでに十分な経験を積み、訓練を重ねた老練の兵士にみてもらいたいと頼みたいところです。そうした方ならいざという時に判断力や腕力に物を言わせて、迅速に彼を救ってもくれましょうから。つまり、こんなことを考えていました。」

 と彼は口にした。そこで私はこんな話をした。

「しかし、別の場合を考えてみると、付き合いの上で誰か一人仲間を加えたいというような時に、必ずしも私たちは仕事上、ぜったい必要な人というのでなく、互いに助け合えるような人を加えたいと思いませんか?」

「ええ、確かにそうです。」

 と彼は答えた。

「でも、それはどういう意味(こと)なのですか? いま論じていることとどう関係するのですか?」

「いや、さし当たっては何の関係もないが、と-------私は頷いて-------だが、この人生の歩みというものは、いわば波瀾万丈の長い航海と似てはいませんか? 現に私たちは教師や親の庇護を離れて自立を始めますが、言ってみればそれは一艘の船に乗り込んで港から出帆するようなものです。一方に、順風に恵まれる人もいれば、他方では、強風に見舞われる人もいます。それでいて誰もが航海をすることには変わりがないのです。浪費して財産を使い果たして破産する人物は、船が転覆したかのようなものです。野心や栄光に熱中する人、或いは敵意や争いに巻き込まれて苦しむ人、彼らは荒波に遭遇して猛風を浴びるようなものでしょう。賭けごと、情事、色欲にうつつを抜かす人々、そんな彼らはまるで半人半魚の魔女〔セイレーン〕の歌声に魅せられて、一切の物音が耳に入らぬようなもので、つまりは暗礁にぶち当たって離れられないといった状況です。それにお人好しで単純な人となれば、邪(よこしま)で狡猾な悪人どもの策略の罠にやすやすと掛かってしまうでしょう。こうした人々は、軽率さや気の弱さが禍して全財産を剥ぎ取られるわけで、海賊に遭遇したとでも思わざるを得ません。或いはまた港を遠く離れて暗礁に乗り上げ、どう足掻いても脱出できずにいる人たち、彼らはあくなき吝薔に心が押し潰されて、もう浮かび上がることができず、浅瀬から脱出できずに、その先の航海が叶わぬようなもの。さらにまた、あらゆる犯罪や悪事に染まって、汚れたまま航海を急(せ)かされる連中、彼らのことをどう表現したらいいでしょうか? 舵棒を手から落として、航路を彷徨い、砂洲地帯(3) に流されて止まることさえできぬ奴らとでも言っておきましょうか? また、友人や親族を亡くした人々は、自分の荷物を投げ捨てた人とも、或いは航海の道連れや船頭を失くしたり仕事が取り上げられ、大切な道具類までも奪われた人、その同類と思わざるを得ません。さあ、これ以上、何をお聞きになりたいでしょうか? 現実に一度たりとも嵐に遭わず、荒れ狂う海を経験することも、逆風に押し流されることもなく、順風満帆に港に辿り着く人などは、まことに少なく、いや誰一人としていないのではないでしょうか。」

(3) 「砂洲地帯(シルティス)」アフリカ海岸にある二つの流砂地帯。


 そこで、くだんの青年が言った。

「確かに状況は、あなたの仰る通りかと思います。僕らは港に近い内陸部に住んでいて、まだ沖合いに向かったことがありません。それでもここから眺めていて、あの海を渡れば、どれほど危険な目を幾たびも通り抜けなくてはならないかの予想はつきます。ですから-------友だちを代弁してご返事すれば-------、実際貴方の仰った通り、人生と航海はよく似ています。ですが、この論議がどこに向かって行くのか、まったく見通しがつきません。」

 そこで私はこう言った。

「私の息子が航海に出るということで、私たちは同行する友だちや仲間がいないかと探しているわけですが、諸君のご意見では、質実剛健な気性の人で、しっかりした経験を積み、しかも他国の事情や港湾のこと、各地の海岸を知り尽くしている人物がよい、また、嵐の予兆が分かり、風向きや海の性質を心得た人物であって、そうすることで初めて、息子が慎重に安全に航海ができるという結論でした。

 もしそうであれば、もう一つの航路、われわれの人生航路においても、暗礁も多く港も乏しく、危険が満ちみちているわけで、当然ながらより一層、念には念を入れて自分らの伴侶を探し、一緒になるべきものではないでしょうか。つまり嵐に見舞われても、しっかりと私たちをリードすることができる人で、暗礁や海賊の待ち伏せを見抜き、地域の状況に詳しく、襲いくる嵐も察知できて、私たちと一緒になって、それを避けようとし、またそれが出来る人をこそ真剣に求めるべきなのです(4)。このような次第であれば、いま論じている本題に戻って、この旅の“伴侶”、つまり妻を持つことが、はたして私たちの人生の歩みを幸福に、まっすぐに過ごすうえで、どのような利点(メリット)があるものかをこれから見てゆきましょう。」

(4) セルバンテスに同様の記述が窺える。スペインの文豪は、この論文を読んでいたと推測される。「ある男が長旅に出ようとする。その男が慎重な人ならば、旅立ちの前に、しっかりとした穏やかな人物を道連れにするだろう。で、死に至る人生の旅を送る人間とても、同じことをしなければならないのではないか。まして、同伴者が妻であって、寝台でも食卓でも、何処にあっても夫と一緒ということならば、なおさらだ。」(『ドン・キホーテ』2篇19章)





第12章 女性のひ弱さ、役に立たぬこと。家庭内の心配事でいかに夫の魂(こころ)が砕かれ、思い任務に就くのを厭(いと)うようになるか


「先ず言えるのは、女性はもともと弱い存在であって、どのような仕事に取り掛かって達成しようとしても無力で、また緩慢であったりします。そのため、私たちがひどく急ぐ場合や危険な目に曝された時でさえ、こちらの行動そのものがのろのろして遅れてしまいます。

 その上、何事を行うにしても女性は経験が乏しく不慣れで-------こうした共同生活では、この点はとても具合が悪いのですが-------、しかも学習に素直でなく、大方、手助けや助言を必要とします。ですから夫が、わが家に戻ってくるのがまるで船に乗り込むようなもので、日常どこの家にも自然に付きまとう数々の厄介事に加えて、さらに数多(あまた)の重い負担が持ち込まれ、伸し掛かってきます。まして、これまで何不自由なく暮らしていた男がいきなり思いもかけぬ困窮に陥るとなれば、その惨めさは想像に難くないのです。しかも、この重荷を耐えていて、それに救いの手を差し伸べるといったことは、妻にはまるで他所事でしかないのです。こんな目をみるのであれば、せめてこうした不幸が、妻を持つ以前のことであれば、ずっとましであったとさえ思う始末です。実際妻の存在は、貧困をいっそう深刻なものにします。彼女が日夜、涙を流して悲嘆にくれているとなれば、暮らしが目に見えて切実で悲惨なものになります。男として私たちは、こうした災難を幾たびも我慢し耐えもするでしょうが、そこで現実にわが子の顔を見れば涙を禁じえない筈です。

 そこで起きるのは、妻子を持てば、多少とも勇気のいる仕事について、やる気を無くすことです。本当に両親の子供への慈愛や可愛さはまことに測り知れぬものがあります。子供に良かれと思い詰めて、父親として剛毅や正義、責任感、ひいては祖国愛さえも忘れ去ってしまうのです。

 むろん私たちの記憶の中にも、かつて同郷の市民で、ある時期までは気力が充実し勇気のあった人物が、妻を娶って子供ができた途端に、先に述べた子への執着や可愛さが昂じて気持ちが萎えてしまい、それからというもの、男として何か有意義な仕事を成し遂げようなどとは少しも考えなくなった人物があれこれと思い浮かぶわけです。これは衆知の事柄で、いちいち名前を挙げるまでもないでしょう。

 ここに、カエサルの惨殺に一役買った、かのマルクス・ブルートゥスの、ティトゥス・ポンポニウス・アッティクス宛の一通の手紙(1) がありますが、アッティクスが共和国の運命について自分に淡い期待を寄せているのを知って、ブルートゥスは現在(いま)の自分は齢(とし)を取り、息子たちもいて気が弱くなっているので、どうかわたしを責めないでくれと語っているのです。

(1) キケロ『書簡集』、「マルクス・ブルートゥス宛」1、17、3。


 諸君、本当にその通りであって、人間は自分や身内の者への愛情が深ければ深いほど、とりわけ他人事などはどうでもよくなるのです。誰しも子を持てば、実際に財産やお金に貪欲になってもやむを得ないと思い始めるのです。いかに物欲が昂じたとしても、それは自分の利害のためでなく、彼らのためを思ってしていると言い続けるのです。法律上の義務や軍務、旅行、使節、危険を伴う任務など、それを免れるために、きまって同様に子供を口実に使うのです。

  要するに結婚生活は、男たちの気力を削ぎ、彼らの魂(こころ)を軟弱にします。妻と長く暮らす内に、感染症に罹ったように気持ちが女々しく脆弱になります。まことに日々の生活の慣れほど、男の精神や習性を堕落させるものはありません。

 その一方で、もし追放の嵐がわが身に降りかかれば、当然妻子と離れ離れになり、何よりも大切にし幸あれと願う人々が、自分のせいで惨めで不幸な暮らしに落ちるのを見るわけで、追放生活はいっそう恐ろしく苛酷なものとなるのではないでしょうか? ところが、その困窮の際に、妻がどんな手助けをしてくれるでしょうか? 或いは追放の折に、妻はどんな労(いたわ)りの言葉を掛け、応援してくれるでしょうか? それどころか女たちは、ただ泣き濡れ、嘆き声を上げ、悲しみに溢れて、顔は蒼ざめ、気もそぞろで打ち拉(ひし)がれるばかりです。いやそれどころか、彼女の方こそ誰よりも助言や援助を必要とするといった破目になるのです。諸君、女どもに助言を求めたり期待を寄せるなどは、何とも馬鹿げたことです。何処にもありもしない物に期待を寄せる、つまりは無い物ねだりに過ぎません。」





第13章 女性の脆弱で華著な体質について、女に大事を任せるのは無理である


「ところで女性は、戦(いくさ)には向いていません。本来、自然は女性の身体をとりわけ平和や安逸に適すように創造し形作っているのであって、女同士であれば大いに発揮されるとしても、敵中に入って武器を交えては役に立たないのです。

 事実、女性のデリケートな顔形や、たおやかな項(うなじ)では、鉄兜とは言わぬまでも、土埃や陽射しにさえ耐えかねるのではありませんか? 乳房が張り出ていて、しかもお腹がでっぷり肥っていて、それでどんな鎧に収まると言えましょうか? それでは騎馬にすら跨れないでしょう-------よくアマゾン女軍のことが話に出ますが、あれは詩人が寓話で扱うのには好都合ですが、現実にありうる話ではないのです-------。前述のように腹が膨らんでいて、しかも全身が華著で脆弱な作りとあっては無理でしょう。それにもし、女性の肉体がどれほど頑健で忍耐力があったとしても、彼女たちの天性の魂(こころ)は優しく気弱で、およそやる気がなく作られているのです。多少でもいつもと違う怖ろしい光景を目にしたりすれば、脅え、ひとたび争乱にでも遭えば震え上がり失神してしまうでしょう。怪我や殺戮、流血などは、ほんの少しの間でも見てはいられないでしょう。ですから医者が刺絡(しらく)〔悪血の瀉血(しゃけつ)〕を始めれば、女どもはきまって雲隠れするか顔を背けます。

 そのため女たちは、戦(いくさ)に加わることはもちろん、戦略の論議からも遠ざけておかねばなりません。女性のこうした面について、多くの人(1) が異論をさし挟み、それも一理あることと私も知らぬわけではありません。しかしわが国の婦女たち(2) の習慣や気質が、一切の戦乱を忌み嫌うのは、ご存じの通りです。

(1) プラトンやクセノポンなどを指すのであろう。プラトンは、女性の体力の弱さを認めつつ、軍事への参加を否定していない(『国家』V、457a)。なお、好戦的なゲルマン民族の女性の好戦的性質については、タキトゥスの記述に基づくものであろう(『ゲルマニア』7)。

(2) おそらくヴェネツィア共和国の女性を指す。


 さて軍事のことはこれくらいで省くとして、女性が国家に役立つ主要な役職から除くことは容認しましょう。それでは国の公共の仕事で、女性の気質や働きがどう役に立つでしょうか?

 もし健全な知性を持ち、しっかりと自分を持った人であれば、裁判で女性弁護士を頼んだりするでしょうか? 元老院会議が開かれるとき、法は女性たちが議場に来ることも許さないのです。それは女性の頭が何ら思慮が働かず、しかも万事に秩序や合理性や論述力を欠くからです。

 実際女性の性質は、われわれ男性と獣との中間に置かれますが、その等距離にあるのではありません。申し分のない完壁な資質の男性と較べれば、はるかに野生の獣に近い処にあります(3)。また、そこらの仕事や卑しい手作業においても、女たちは何ら役に立ちません。男たちがさまざまなことで心身ともに活動している間、私たちが目にするのは室内でのんびりと暮らし、年老いてゆく女たちの様子です。で、結局、彼女たちが私たちに提供する特別な勤(つと)めはただ一つですが、これとても妻よりは他の夫人から提供される方が、はるかに不愉快でなく、愉しいものとなります。

(3) プラトンに男・女・獣の位置づけについて、より数学的記述が見られる(『ティマイオス』426d)。


 ここらでもう、諸君、人生の伴侶として一人の妻を娶ることが、どれほど賢い選択であるか、お分かりになったことでしょう。

 かりに沖合で波に揉まれ、また嵐に翻弄されれば、その人は何処(いずこ)に助けを求め祈ったところで叶えられもせず、そのとき初めて運命を呪ってもどうにもならないのです。わが身と己が愚かさを咎めるしか仕方ないのです。何しろ海が凄まじい時化に遭うのは何も偶然ではなく、自然のあり様(よう)なのです。そこでこの海を渡らざるを得ないとすれば、こうも危険極まりない苦労の多い海を渡るに当たって、旅の伴侶に、どうしてか弱い非力な女性を選ぶのでしょうか?」





第14章 はなはだずる賢く悪意のある女たち。森の獣神サテュロスと猟師たちをめぐる教訓


「それにしても妻の煩わしさが、せめてこの程度で済めばいいのですが。また、妻から持ちかけられる煩わしさ、厄介事、痛手、損害、破廉恥がかくも頻繁に堪らないものでなければ、何も妻の手助けなど何ら必要もなく、相談に与ってもらうこともなく、万事うまくいくのでしょうが。

 ところが女の気質は偽善に満ち、欺瞞、悪意に満ちみちているのです。徳性が少ないので、却ってその分、ずる賢さや邪(よこしま)な心が大きいのです。女性の振る舞いには、誠実さ、真実味、善良さが見られず、いわば誠心(まごころ)が感じられないのです。まことに巧みに誤魔化して、顔を美しく彩り、毛髪(かみ)を艶々させ、背を高く見せます。そうすることで、素直さを演じて、捻(ひね)くれた心根を蔽い隠します。どんなに予想外の出来事(ハプニング)が起きても、適当に嘘をついて誤魔化すくらいのことはできるのです。

 ところで鷲は、太陽神〔ユピテル〕の使者とされ、その眼力で太陽をまじまじと視るそうですが、それとよく似て、女性は真理の輝く光に立ち向かって少しもたじろぐことを知りません。幾度しくじろうが、現場を押さえられて手を掴まれようとも、厚かましく否定するのです。

 いったいなぜ女の涙はああも好き勝手に、激しくどっと流れるものでしょうか? なぜあれほどとっさに、ああも止めどなく涙が溢れ出るものでしょうか、私はさっぱり想像がつきません。かつて私は、涙や泣くことは気持ちが昂ぶった紛れもない兆候のように思っていました。つまり表情や言葉であれば、時々に粉飾し作りだすこともできるのでしょうが。では、もし涙が自然に流れ出るものでなければ、一体、その涙は何処から汲み取り、目もとへと運ばれたものか、当時も、いやはや、未だに知る術(すべ)がありません。で、経験に教えられて、あれこれと考え思い至ったのは、女にとっては涙を流すなどは、まるで掌(たなごころ)を返すがごとく、いついかなる処でも容易にできるのだということでした。本当に、女の涙は悲しくてこぼれ落ちるのではなく、人為的に生み出され、流れ落ちるものなのです。

 言ってみれば、自然は動物に角とか、牙とか蹄(ひづめ)といった武器を授けていますが、女性には女性に相応しい嘘と、まさしく涙という武器を授けたものと思います。それによって、またこの種の、いわば意地の悪い投げ槍を、時に自己防衛のために、また時には男を攻撃するために使うのです。とりわけ夫が相手であれば、他に用事がないだけにそれに夢中になって騙そうとするのです。

 ですから美しい女たちの甘い囁き、快楽の誘い、口づけそのものが、じつは毒矢なのです。もっともそれが、他人の女たちから投げられ、射られたとあれば、内臓にも心臓にもぶち当たるでしょうが、それがわが妻から投げつけられたとあっては、言ってみれば、まるで突き刺さりはしません。現実、多年一緒に暮らしていれば、母親でも妻の口づけであっても、その快びはさして代わり映えがしないのです。

 さて、ここらで話題が逸れないように本題に戻りましょう。女性の素質がいかに欺瞞的で、詐(いつわ)りの術(わざ)に長けているか、いかにその好意が偽善的でわざとらしく、まやかしに満ちているか、また愛情表現がどんなに見せかけのものか、という話であって、女心の裏表を知れば、かの寓話(1) に出てくる粗暴な森のサテュロスでさえ我慢がならないと言い出すかもしれません。」

(1) 『イソップ物語』の「サテュロスと農夫」の話を作者が適当に作り直したもの。


《森の獣神サテュロスと猟師の話》

 とある欝蒼とした森の洞窟にサテュロスが住んでいたのですが、そこへ近くに住む数人の農夫が狩りをしようと入り込んできたそうです。サテュロスは男たちが近づくのを棲処(すみか)から見つけて、最初は見慣れぬ事態にびっくりして逃げ出そうとしたというのです。が、やがて人間の姿形や風貌に惹きつけられ、彼らの狩猟や罠を仕掛ける様子に興味を覚え、勇気を振るって近づいてきて、そのうえ快く招いたそうです。狩人たちはサテュロスの傍らで一夜を明かし、まさしく翌朝は早々に、夜の白む頃に起き出し、サテュロスを連れて猟に取り掛かりました。

 真冬のこととて、むろん狩人たちは震え、指先が凍(い)てついていました。そこで、いつもの癖で、彼らは両手を口に当てて息をはあっと吐いて、その温もりで、かじかんだ指先を温めようとしました。狩人がしきりにこの動作を繰り返すのを見たサテュロスは、その訳を訊ねたそうです。すると狩人は、こうして凍えた手を癒やしているのさと教えましたので、サテュロスは狩人たらの賢さに感心したのです。

 さて朝方の狩りを終えて、農夫たちは横になり休みました。やがて取った獲物の、焼いたばかりの火照った肉片で、舌も口蓋もひりひりしてしまいました。そこで田舎者の習癖で、肉片にふうっと息を吐いて冷まそうとし始めました。サテュロスがびっくりして驚く様子を見て、狩人は冷たい息を吹きかけて熱くなり過ぎた肉片を冷ましているのだと答えたのです。

 そこでサテュロスは、ほんの数日前にいたく喜び感心して付き合い始めた狩人との交際を断りたくなり、その友情に疑問を持ち始めたというのです。つまり、サテュロスは、狩人が一つの口許から熱さと冷たさの両方の吐息を洩らすのを怪しんだというのです。





第15章 妻は夫をつねに尻に敷き服従させ、ありとあらゆる手段で当たり散らし、夫をうんざりさせる


「それにしても男は、数々の重大な気苦労に悩まされ、つねに職務や用事に巻き込まれているわけで、取り立てて何もすることのない妻から見れば、そんな夫を騙すのはたやすいことです。長らく緊密に起居を共にしている内に、妻は私たちの性格や特徴、癖、さらには気持ち、感情の動き、衝動などすべてを見抜いているのです。ですから大方、私たちは女たちの掌に乗せられ、意のままになって、いつしかその事態に何ら気づかぬままに尻に敷かれているのです。

 ところで妻が欲しいものを、迂闊な私たちの手の内からそっと抜きさるとか、或いは私たちが拒み嫌ってみても無理やりもぎ取って持ち去ってしまうのと、そこにどんな違いがあるといえるでしょうか?

 妻が、諸君、いったん夫から何かをせしめよう思い立ったが最後、彼女は何としてもそれを奪い取るのであって、これほど不条理なことはありません。

 実際女どもは、何よりも日々の生活の習慣で、最高の詩人と謂われるかの人が詠んだ、 “歩み寄りて、語らいが叶う最良の時機(タイミング)(1)  を熟知しているのです。かりにそれが功を奏せず、さらに媚びや閨(ねや)の睦言を試みてもしくじり、またいつもの涙の手管を使ってさえも何ら効き目がないとなれば、さらに次なる密かな悪巧みへと向かいます。家僕を唆(そそのか)し、召使い女とぐるになり、何としても望みの物を手に人れようと悶々として、決して諦めようとはしません。終(しま)いに大声で喚き、嘆き、反抗し、憎しみを露わにして攻め立て、結局、私たちはうんざりして降参せざるを得ないのです。たとえばこちらが愛欲で腑抜けになり、それとも争いや反発を怖がって逃げ腰になっていると知るや、途端に、いやはや、どれほど私たちを小馬鹿にし愚弄し、嘲笑うことでしょうか!

(1) ウェルギリウス『アエネーイス』Ⅳ、293~294行。


 実際長く一緒に暮らしているために、こちらの習性に気付き、知り尽くしていて、こちらの好みに逆らい、こちらの願いにはわざわざ逆撫でして嬉しがる始末です。しかも君が息子なり家僕なりの誰かをかくべつ贔屓にしていれば、その彼を最高に苛(いじ)めて、憎み、顔を合わせようとさえしません。

 “君よ、憎まれる女でいたいのか? ああソストラータよ、この人生で、わしが望んだことで、君が逆らわずにいることなど、一度だって無かったではないか?(2)

(2) テレンティウス『われとわが身を苛む男』lOO6~1007行。


 テレンティウスは、じつに見事に言い当てています。というのは、この台詞が女性の実生活から掴み取り、女性の習性から引き出されたものだからです。

 私が子供の頃からたいへん親しく付き合っている御仁で、われら市民の中で誰よりも学識のある好人物が居られます。この方がよく私を訪ねて来て、夫人の憎しみや口煩さがもとで、家を追い出されまして、とこぼすのです。とかく文学や科学の研究に打ち込む人にはありがちですが、ご自分がおし黙って思索に耽っている時に限って邪魔が入るのが、どうにも我慢ができないと言うのです。そんなとき夫人はここぞとばかりに、この憐れな夫を、やたら質問攻めをして邪魔するのです。

 “あなた、どうして浮かぬ顔をなさっているの?” とか、“なぜいつもの習慣と違って、食が進まないの?”、“どうして黙っていらっしゃるの” とか、“何か変わったことでもありまして?”、“昨日の料理、お味で何かお嫌なことでもありまして?” と。

 こうして彼が書斎にこもり、はなはだ緻密な難しい問題に没頭している折に、やたら取るに足らぬ質問で横槍を人れて邪魔するのです。

 “さて君よ、その場を離れ、妙なる詩歌にこそ思いを致せよ!(3)”」

(3) ホラティウス『書簡』Ⅱ、2、76。





第16章 女たちは夫を人前で笑いものにして興ずる


「それにしても女どもは、どうして君の会話の端端に、こうもしつこく口出しするのでしょうか! それも私たちが、真面目に大切な事柄を論じて、指示したり助言したりするときに限って、話に異議を差し挟み、冷やかしたり茶化したりするのでしょうか。それもその場に他人が大勢いればいるほど、私たちの言葉を持ち出して、私たちをからかう材料にするのです。こうして女たちはすっかり私たちを尻に敷くのを見せつけたと思い込むのです。君が物笑いの種にされ、いびられているのを目の前の人々に目くばせや動作で、それとなく伝えようとするのです。かくて妻は陽気にはしゃぎ、有頂天になるわけです。

 たとえば君にしても、何かへまをしたり間違いを犯したりして、ひどく恥ずかしい思いをしたりして-------誰しもたまには何かしくじったり、間違って赤面したり悔やんだりもするでしょう?----すると女どもは、それを見て取るや、ここぞとばかりに真っ先に誰彼となく話し、大はしゃぎしてそれを皆に披露し、公然と君を咎めてそしるのです。しかもその場に、明らかに君が尊敬し、また尊敬されたいと願う人物でも居ればなおさらのことです。

 “あらご存じかしら” と口を挟みます。 “この人が武勇伝を挙げましたこと? 宅の農場の管理人の奥さん、ご存じでしょう? こちらが、あのご婦人に乱暴を働こうとしましたの。この人、ご立派な一家の家長でしょう? 都市(まち)の最高の行政に与ったり、何やら顧間や調停役も仰せつかったりしていましたの。それに従者もいますし、息子たちもおります。わたくし、実はこの人の妻ですの。でも、前々からうすうす察していましたし、十分に気遣いをしておりました。で、あの奥さん、烈しく主人をはね付けて、小指一本、触れさせなかったんですって”  と。

 このような経験をされたら、諸君、何とも憂鬱で深刻で、とてものほほんと我慢しているわけにはいかないでしょう。ですが、この先の残りの話をお聞きになれば、ますます不愉快で我慢がならないかもしれません。」





第17章 ここでは女性の愛欲の話題に移る。男たちは考え違えをしていて、妻の不倫に遭遇していかに悲惨な目に会うか


「さて、まだ残っている妻たちの不倫の話に、これから触れなければなりません。もっとも、このことについて、そのすべてを、或いは大凡(おおよそ)のことと言ってみても-------どのみち話は尽きないわけで-------ごく手短に、当面の論議に相応しい事柄だけを君たちに説明しましょう。

 しかしその前に、私たちの都市(まち)の風俗について一言触れておかねばなりません。さて諸君、われわれの都市では-------いや、どこの都市でも同じでしょうが-------、婦女子の純潔と貞操は、そのまま両親や夫の評判や名誉にも関わる、きわめて大切なことと理解されています。こうした考え方は人々の心に深く根付き定着していて、妻に悪い噂が拡がれば、その主人まで貪欲、好色、冷酷などの過ちの風評が立ち、それどころか何とも不運な奴と人々から見られるのです。で、この都市の誰もが顔を合わすのを避けます。皆がみな毛嫌いし憎むのです。たとえ、その人物がいかに節度のある、立派な有為の方であったとしても、それで帳消しになるなどと見てくれないのです。世間の人は、たった一つの蹟(つまず)きが、彼のこれまでのすべての徳性を、まるで夜の闇のように蔽い隠してしまったと考えるのです。

 こんなとき、誰かと言い争いでもしようものなら、これ以上の手厳しい侮蔑や悪口はあるまいとばかりに、面と向かって相手の女房の不貞を、どんなにいい加減な話に過ぎなくても言い立てるのです。

 それにしても、妻一人の過ちにすぎないというのに、それも言ってみれば、女性の本性がもたらした罪でしかないものを、私たちがその屈辱を背負い込み、しかもそれを拭い去り、晴らす手立てがこんなことしか考えられないとは、ただただ呆れるばかりです。

 事実、ある風紀〔違反〕条令の一つに、こんな規定があります。“不貞にして破廉恥な行為を犯せる妻を持つ夫は、その妻を始末せざれば恥辱を蒙り、憎まれるもやむなし” と。

 世の人々が勧める妻の抹殺を図る手段には、二つの類(たぐい)があります。その一つは短剣を用いるもので、これは俗衆に与える効果が覿面(てきめん)で、世間で広く行われています。もう一つは毒を使うもので、こちらの方は慎重で思慮深いとされ、お褒めに与ったりします。これではまるで、妻の醜聞を鋭く見破って、それに気付きつつも、じっと我慢をしているのと、このように家庭内で妻を殺戮して血塗(ちまみ)れになり、或いは残忍きわまりない毒殺の犯罪に手を染めるのを較べて、後者の方がさほど忌まわしくないなどと考えるようなものです。

 一人の女(つま)の心の弱さや過ちが原因で、なぜ私たちまで同じような辱(はずかし)めを受けるのか、諸君、なぜだと思いますか?

 そもそも女性の素質は、“貞節”に逆らい、それを嫌うものとするならば、君らに訊ねたいのは、なぜ私たちが彼女らの貞節の保証人をしなければならないのでしょうか? 私たち男性にしても、日ごろ己の情欲をたやすく抑えられるものではなく、いや断じて誰一人として精一杯の努力を払ってはいないのです。他人の奥さんに色目を使い、機会があればお金をちらつかせても誘惑しようと思う人間が、どれほどいることでしょうか。或いはまた、どんなに危険を賭しても、また相手の夫の監督、警戒、気遣い、用心のすべてを乗り越えて、その裏をかく輩(やから)がどれほど居ることでしょうか?

 それでいて私たち男は、とりわけ一定の節度を心得て振る舞い、また年齢的に不適当でもなければ、誰に対してもこの点で、きつく非難を浴びせたりはしないのです。

 ですから、諸君、君たちが何の処罰にも該当しないと考える過ちに対して、本来弱い性である女性に対して、ことさら厳しい、はなはだ残酷非道な報復をするなどが、どれほど非人間的で、未開の人のやり方であるか、よくお分かりになったはずです。

 もっとも、だからといって、諸君、すべての徳性の中でもっとも大切な “節制” を守らずともよい、受け継がなくてもいい、褒めそやさなくてもいいなどと考えてもらっては困ります。もし “節度” が失われれば、すべての人間社会は、また共同生活というものは必然的に消滅するでしょう。現実に、もし私たちが思いのままに愛欲に走り、野獣のように欲望の衝動の赴くままに突き進めば、人間社会はことごとく闘争の渦に巻き込まれ、必然的に崩壊していくことでしょう。

 したがって “節度” という掟が、神聖不可侵なものであって欲しいのです。その掟が誰にとっても平等で分け隔てのないものであって欲しいのです。他人の好色がもとで、何ら罪なき者に、もし私の見方が間違っていなければ、最も重い処罰に相当する破廉恥という罰を科すようなことが起きないように、そうあって欲しいのです。

 とはいえ私たちがこうした考えを非難することはできても、その見方をはっきりと変えることは難しいのです。つまり、この判断が大方の意見としてすでに定着し、世の人の胸に根付いてしまっている以上、いくらそれを引き剥がし、抜き取ろうとしても出来ないし、揺るがすことも無理なのです。

 で諸君、いま述べたように、事態を変える能力を私たちが持ち合わせていなければ、それがどのようなものであれ、私たちは同郷の市民の判断や意見に合わせなければならないのです。もしも市民が不倫を重大な犯罪と見ているとすれば、市民のその判断が正しいか間違っているかなどは、実際にどうでもいいことではないでしょうか?

 かりに事実無根であって、しかも最高に惨めな破廉恥や不貞が原因で、同郷の市民から後ろ指を差されれば、男にとってこれほど惨めなことはないと思います。かりにこの一事だけで誰かに悪評が立てば、その人物がいかに他の徳性を残らず具えていたとしても、市民感情や好感は離れてゆくのです。

 こうして、よくやり始めるのがいろいろな勤めで、夜警とか危ない任務や公共の世話を引き受けたりして同郷の市民の口の端に上り、目に留まりたいとひたすら願います。さらには自発的に私財を投げ出し、重大な損失を蒙ったり、大変な危険に見舞われるなどして、同郷の人々の尊敬や好意に甘え、人情に縋(すが)ろうとするのですが、それでもなお人々に嫌われ反感を買います。これほどむごく惨めな仕打ちなど、他に考えられません。

 こういった状況ですが、ではこれから後は、結婚したが最後、妻の不貞を疑われ、世間の人の噂に上り、憎しみさえ買う、そうした現実がいかに起きやすいか見ていきましょう。」 





第18章 女性が自然に授かった容姿は、性(セックス)を与える勤めには相応しいが、ほかの義務を尽くすことには向いていない


「さて私は、この論題を常々あれこれと考えている内に、そもそも自然は他の生物においては、雄も雌も心身ともに同じ力を具え、肢体の逞しさ、働きに何ら遜色がないように授かっているのに、なぜひとり女性について、このような不平等な扱いをしたかに驚かされるのです。実際犬を例に取ってみても(1)、多くの場合、雄犬よりも雌犬の敏捷さ、気性の激しさを私たちは称賛します。また馬やライオン、狐などの動物の雄についても同様のことが起きています。それに、ある種の動物は雌に較べて雄の方が遥かに弱く、役に立たないと考えられています。それなのに、諸君、女性のみが私たち男より劣り、脆弱で無力とされていることを常日頃、不思議に思うのです。

(1) プラトンにも、犬の例えが用いられている。しかし男女の体力差は考慮しても、等しく仕事に当たるべきと述べる(『国家』V、451d、e)。


 第一に女性の身体は柔軟で華著であり、非力、かつ虚弱でもあって、言ってみれば部屋の壁に守られて、寝台(ベッド)で寛(くつろ)ぎ、娯しみごとや安逸をむさぼって過ごすようにできているのです。で、概して顔形や横顔には人の心持ちが表れると言いますが、女性の顔付きから窺えるのは、艶めかしさと色気です。まことに煌めく眼差し、身のこなし、軽やかで魅力的で危なげな歩き方など、どこを見ても女性が何のために生まれたものか、そのただ一つの役割が何であるかを物語っています。女性の華奢な肢体、甲走った廿い声、ソフトな優しい口ぶり、美しい物腰、優美な着こなしなど、その辺(あた)りに、女性本来の主たる仕事が何であるかが、何となく見えてきはしないでしょうか?

 たとえば雄牛について、かりにこの動物がわれわれ人間のためにどんな役割を担うかを全く知らなくても、雄牛の頸の長さ、遅しい肩幅を見れば、この動物が荷車を引き、畑の耕作や様々な厳しい労働に適していることは容易に推察できましょう。これと同じことで、女性の顔付きや容姿を目にすれば、彼女たちの本来の役割、なすべき仕事が何であり、何に発揮されるものか、たちどころに分かるはずです。

 しかも、このような優しくひ弱な肢体(からだ)に、もし自然が、それにそぐわぬ魂(こころ)を授けたとすれば、それは理不尽というものです。ですから女性の心根は、他には考えられぬほど、やさしく、もろく、なびきやすく出来ているのです。遊びや娯しみごとに向かい、溺れやすいのです。

 先程から触れている愛の快楽についても、何にもまして女性は、その本来の素質によって夢中になりやすいのです。むろんわれわれ男性がこの色欲の衝動が弱いわけではありません。われわれにしても、その衝動を自制して、理性に服することができる者など、ごく少数です。

 ところで諸君もきっと、かの独裁執政官カエサルや三頭政治の一人のマルクス・アントニウスなど数多くの英雄が醜態を演じたことを伝え聞いたことでしょう。彼らは大事業を成すべく生まれつき、そのことをよく知っていて、その後、陸や海での大きな戦(いくさ)に明け暮れ、数々の公務や国の政治や防衛に尽くし、また公私に亘る反目や抗争に振りまわされ、数々の心労を重ねて来たのです。でも、こうした任務と危険の渦中にあって、その彼らにしても自制心が利かなかったのです。

 ここで言うように、われわれはつねに情欲の焔に身を焼きます。だが男であれば、仕事や用事や苦労に紛れ、疲れ果て、或いはまた理性の働きで落ち着いたり、飽きがきて消滅したりもします。ところが女性の愛欲の焔は、どこまでも燃え拡がるのです。それは女性の魂(こころ)の中の理性を失った部分が、力を振い勢い付いて、思慮や決意に際して理性の働きが鈍く、そのため愛欲の抑制や拒否について、まるで微睡(まどろ)むがごとくに無気力なのです。しかも女性は、日々、自由で暇な時間をもてあましているのです。

 さらに付け加えて言いますと、女性の肉体や魂は、人生の他の仕事にはおよそ役立ちませんが、ただこの一つの役割には向くように創られているのであって、女性自身がこのことをよく心得ています。誰しも自分が好きなことや職務と思う物事には一生懸命に打ち込むもので、女性もまた、この快楽のために用意し、気を配り、念を入れるのです。その努力に、それなりの意義があり、他のことをすべて無視しても、この一事で大切にされることを十分に心得ているのです。

 ですから女性の本来の気質の上に、意欲と強い思惑が加わります。そして女性には、つねに有り余る暇がありますから、欲望が大いに育まれ、熱を帯び、その激しさはもはやどうにもならぬほど強くなります。

 しかも愛欲が熱く燃えたぎると、女たちは差恥心で抑えるどころか、大切に敬うべき人さえ気にも留めず、さらには危険極まりなくても、死の恐れがあろうとも、それを抑えることも鈍らすこともできないのです。ですから気を付けて欲しいのは、女性の胸に官能の火が燃え盛るとき、おそらくエトナ火山でさえ、これほど激しく燃え盛りはしない程です。しかも、その猛火を消し止め鎮めるのに、夫がいさえすれば十分だろうと考えるのはあまりにも軽はずみです。亭主が努力すればするほど、まるで少量の水を注いで猛炎がかえって勢い付くようなものです。ですから、そうした試みに無駄骨を折っても小馬鹿にされるのが落ちです。つまらぬ仕事に汗水たらすものではありません。なぜなら、どんなに腰骨を折るほど懸命になっても、どのみち無駄なのです。

 それというのも、妻は燃えて熱い欲望に駆り立てられていて、日夜そのことだけを思いつめている訳ですから。」





第19章 行き過ぎた愛欲に走る女性と、その罪。不倫に走る妻の策略や悪賢さについて


「それにしても、この種の婦人たちの破廉恥な過ちに因んだ古(いにしえ)の実例を思い返せば、一日あっても足りないでしょう。でも昔のことや異邦の国々の出来事のことを、なぜ追いかけまわすのでしょう? ああそれにしても、かかる事例が、近来のわが国にあって、日常茶飯事のごとく数多(あまた)、出現などしませぬように!

 実際、貴族のご夫人方やそれほど素姓も知れぬご夫人方にいたるまで、女たちの情事や犯罪の噂は、どれほど仕事に追われている人であっても頻繁にその耳に入ってくるのです。

 とかく、ある人は女は総じてこうした犯罪に塗(まみ)れるものと思い、非難するのですが、それでいて、さて自分の女房のこととなると話は別で、庇い立てるどころか、無罪放免にしてしまいますから、何とも可笑しな愚かなことです。こんなご夫人方は、さぞうまく騙しおおせたと思っているに違いありません。事実、妻たちが真っ先に心掛けるのは、自分たちの貞操の堅さや慎み深さで、夫に敬意を払わせようとすることです。そのために、先述の持ち前の狡さや悪賢さを働かせて、たとえば気が進まないのに身体を許す素振りを見せたり、われわれが欲望に燃えているときに拒んだり、また健康に障るなどと戒めたりします。さらには財産も乏しいくせに、子供ばかりたくさん出来てとか、また時にはその行為自体を汚ないとか淫らとかと言って毛嫌いしてみせたり、そのことに何の歓びも覚えないなどと口にして拒む始末です。とどのつまり、こんな言葉を聞かされたりします。

 “ねえあなた、まだ十分に満足していないの。かなり時間が経っているのでは?” とか “頼むから、もうおとなしくして、邪魔しないで寝かせてよ” とか。

 こうしたまやかしに掛かって、単純で騙されやすい世の夫どもは、度々目隠し状態で、見えるものが見えなくなり、憐れにも何も気付かずにいるわけです。挙句に、ご夫人の悪賢さや色欲、姦淫、破廉恥な行いが街中に知れ渡り、誰もが口々に噂しているというのに、主人一人が「家内はまことに誠実で貞淑な女で、つまりかのトリキピティーヌスの娘ルクレティアそっくりだと思い込んでしまうのです。こうして憐れな男は、女房自慢を得々と触れ廻り、あれほど心の優しい操の堅い女を娶ることができたことを、神々に深く感謝しなければなどと口にするのです。

 しかも女たちの奸計がただこの程度で済めばよろしいのですが、女の才知はこの辺のことについて実に豊かで多方面に及び、その騙し方も千差万別なのです。

 彼女たちの中には、迷信を鵜のみにし宗教儀式にのめり込み、敬虔な信仰を装って自分たちの欲望を叶えてしまう道を開くのです。そして、不滅の神々を愛欲の仲人にも、共謀者にも仕立てます。で、神殿で跪き、床にひれ伏す女性を見れば君は、これほどふしだらを嫌がる女性など先ずあるまいと言ってしまうでしょう。こうして、夫の口から度々咎められるのは、“そう夜が更けるまで眠らずにお祈りに没頭してはいけない” とか、“そうまで節食や絶食をしては死んでしまう” とか “もっと身体を労(いた)わるよう” とかのお叱りです。

 さて、この言葉を聞くと女たちは、やれやれ罠に嵌まって掴まったと知り、すっかり信じきったと見て取って、それからは、諸君、夫などあって無きがものと思います。かくして人目を忍ぶこともなく、待ちに待った機会を捉えて、白昼堂々と不倫に走ります。恋人を自宅に連れ込むどころか、寝室に、言うなればダブルベッドに誘います。その上、主人には丸薬や飲み薬を飲ませ、睡眠を取る癖を付けさせ、時折、薬が効き過ぎて、そのまま眼醒めずに無残、あの世へ行ってしまいます。

 さらに彼女たちのもう一つの策略は、とても効果的です。夫にぞっこん惚れこむ様子を見せ、あれこれと世話を焼き、自分の用事はさっさと片づけ、やたらと気遣い、優しい言葉を掛け、甘えてみせ、涙を零(こぼ)し、その挙句、主人がほんの少しでも離れていれば、とても耐えられないと言わんばかりの熱愛ぶりを見せ付けるのです。やたらに頚(くび)に抱きつき、やたらと胸元にしがみつき、そして膝の上に乗ります。そこで夫が、他の女に色目を使ったなどと小耳に挟めば、たちどころに泣き言や口喧嘩を始め、泣きわめきます。食事も取らず睡眠もせず、もう死にたいとばかりの素振りを見せます。で、こうした様々の手立てで、いつの間にかわれわれの疑惑の芽を毟(むし)りとり、抹消してしまうのです。よもや、これほどまでに愛し、献身的に尽くしてくれる妻に対して、目を光らせる男は一人もいないでしょう。

 ここに至って女は、最高に浮気心を募らせ、思いのままに振る舞います。愛欲の虜となり、そこで自分や家族や一族が汚名を着るわけです。でもこうまで論じて、私があまりに女性のことを手厳しく誹謗しているなどと思われては困るので、先程からの論議の続きに、女性のこの種の欲望がどれほど強いものかを、諸君、よく考え納得してもらいたいのです。

 本来、女性は移り気な弱い性質であって、この情欲に思いを掻き立てられると、すぐに手を差し伸べなければ、その衝動のままに、上の空で思慮分別を失います。ですから、重い病気に罹って死を招くこともしばしばです。時にはまた愛欲(セックス)の焔に身を焼かれて、その熱で溶けてしまうこともままあります。医者は、こうした状況にすぐ気付くと、この類(たぐい)の病の唯一の特効薬である、傭兵まがいの手助けといった処方を指示します。かくして激しい情欲に駆られたが最後、女たちは、われわれがどんなに惧(おそ)れ、気遣い、警戒し、監視の目を光らせても、それを無効にし、乗り越えて行くのです。というのも、女には欺瞞的気質があり、意地悪な習癖があって、このことにかけては独特の能力があるのです。それに、自分の行動を夫に隠す策を学んでいるのです。」





第20章 女性を誘惑するために男が用いる策略。甘い言葉で遂げられなければ、お金を出しても成し遂げる


「それに付け加え、若者たちの誰もが、ひたすら努力と熱意を傾けて、日夜そのことに関心を持ち没頭するわけです。その努力は、言ってみれば、世の人が公職や高い名誉に浴したいと骨を折るのなどとは及びも付きません。また、言いかえれば敵の都市の攻略に向かうとか、己の名声、財産、生活そのものが脅かされるなどで、真剣に心を配り、巧妙に振る舞おうと努力する場合と較べても、若い年頃の君らが女に言い寄る熱意には敵わないのです。いかに身分が高かろうと低かろうと、つねに人妻の貞操を奪い取ろうと懸命に攻めるわけですから。

 実際諸君は、この都市(まち)の一流の貴族の子弟であり、容姿もすばらしく、しかも花の青春時代を迎えて頭髪(かみ)は香油で輝き、ぴったりとした高級な服を着て、身体のすみずみまで清潔で手入れが行き届き輝いています。そんな君たちが、本心では心待ちしている女たちを誘惑しようとするのです。不滅の神々よ、どんなお手並みで、どれほどの策略で口説くのでしょうか! お目当ての女性と話す機会にめぐまれて、どれほど愛想よく甘く慎みのある台詞(せりふ)を口にするのでしょうか!

 ときには、“貴女の前では何もかもがみすぼらしく見える” とか、女のその容姿や美しさを天まで届けとばかりにしきりに褒めそやし、ときには、“僕も僕の生命も貴女の思いのまま、お指図のまま” とか “深い恋心からこうするしか仕方がなかったのです。ぜったい約束を違えたりしません” と誓いもするのではないでしょうか!

 しかもその後、相手の家の召使い女を唆(そそのか)し、下僕(しもべ)を手なずけ、家中の誰彼をも買収してしまうのです。そこで、当のご夫人がどちらを振り向き、どこを見ても、どんな事を耳にしても、そこに君がいて、君の褒め言葉が待っていて、君の限りない愛情や献身的な思いの証(あかし)や兆候を目にするのです。夫人の住む館(やかた)の広場の辺りに、豪華な飾りの垂れ布の付いた駿馬に跨っている貴君(きみ)の姿が何百回となく行き来します。夜ともなれば、館の扉口の傍で、溜息混じりにセレナーデを奏でて、しきりに歌声が聞こえ、まんじりともせずに一夜を明かす君の姿が目に留まることでしょう。そんな時も当のご主人は、夫人の傍らで、早くも満ち足りて、ぐっすりと鼾をかき、妻のことなど目もくれません。翌朝、夫人が起き出すと早速、侍女がやってきて、“昨夜のあのお気の毒な若者の声、お聴きになりませんでしたか”、“あの歌声や調べがお気に召しませんでしたか” と訊ねられます。そのうえ侍女は、“あの方の歌声やメロディーが気に入りましたか” とか、“あの歌声は素晴らしかったのではありませんか? 曲目がお気に召したでしょう?” と、やたらに訊きます。さらには、貴君(あなた)のことを褒めちぎり、君の愛情、一途な思い、かくべつ熱い胸の内をあれこれと付け加えるのです。そこで侍女は、いかにも恋人らしい気の利いた文句を鏤(ちりば)めたラブレターを引っぱり出します。で、夫人が文面を読み終える頃、奥さまは間もなく陥落するわと見抜きます。

 こうなっては、主人が用事に追われたり不在であったり、病気に罹ったり、夫婦間に険悪な空気が流れるのを知ると、すでによろめきたい女主人の気持ちをタイミングよく一(ひと)押しします。そして万事恙なく密かに事が運ぶように、そのやり方をお教えしますし、お手伝いもしますと約束するのです。かくもたっぷりとお世辞や甘言を吹き込まれては、まるで攻城砲に囲まれ、投石機で攻め立てられるごときもので、さてそれでもなお、夫人の徳性をもって、また夫の監視の眼や防衛力に守られて攻め落とされずに身を守る魂の女性となると、まことに少なく、おそらくは誰一人いないのではないでしょうか。かりに、その誘惑を撥ね付けたところで、諸君、お金という手段で籠絡してしまうご夫人も珍しくないのです。とりわけ女の胸には、お金への執着心が根強いのです。つまり心が狭量なだけに、概してその分、金銭欲が強いのです。

 したがって、性欲(セックス)そのものに駆り立てられつつも結婚の掟を破らずに過ごす女性や、或いはまた愛人の甘い囁きに魅せられて、それでもなお貞操を捨てないでいる女性も-------- その数は極めて少ないとは思いますが-------居るでしょうが、その女性でさえお金で買収されて、一家の名誉を傷つけ恥をさらしたりするわけです。というのも男はみな他のことではとてもけちで始末屋のくせに、なぜか分かりませんが、性欲や熱愛に身を焦がすと、途端に大の浪費家になるのです。他方、女性にしても大したことと思わぬことに、無償どころか大層な高値でどうしても手に入れたいと望む男たちがいて、女はそれを不思議に思いつつ、これほどの儲け、かかる獲物をみすみす掌中から見逃すのは悧巧ではないと考えるのです。」





第21章 疑惑や嫉妬に怯える暮らしをせぬように、留意すること


「ところで諸君、ふつうこの種の論議には、結びの形で高名な夫人たちの犯した誰もが知る過ちの数々を拾い上げて、説明を付け加えたりするのですが、私はそれはしません。実際私は夫人たちのことを悪しざまに言うつもりはないのです。というのは、記憶に甦る女性が、そうした放埒な行いをしたからといって、それは、その人それぞれの過ちであって、女性本来の資質とは言えないからです。そこで、何もわれわれがクリュタイメストラ(1) のような女を娶りはしないかと危惧することはないのです。もとより私たちの伴侶がペネロペイアであればなどと、高望みはいけませんが。

(1) ペネロペイアは、オデュセウスの妻で、貞節な女性の代名詞。クリュタイメストラは、夫(イーピゲネイアとも、ディオスクロイとも言われる)を殺したとされる女性。なお、誠実な妻についても、ラブレーは登場人物パンタグリュエルの口から、“真面目な妻は気難しい” との思いを語らせている(『第三の書パンタグリュエル』9章)。


 ここで、しっかり胸に収めて欲しいのは、総じて女の性質(さが)は、色恋に耽り燃えやすいことです。そうなると、そのためにはきまって知恵を絞り、思慮を働かせるものなのです。努力もし用心もし策略も立て、また様々な経験を積んで、いとも簡単に思いを遂げる手立てを見つけるのです。

 しかも、女性の側がわれわれに与えてもよいと願っていても、かりに誰も引き受け手がなければ、誰にでも押しつけようとさえ思っているので、それを懸命に口説いたり、ねだられるがままのお金を払ってさえ求める輩(やから)が後を絶たないのです。

 で、こうした現実を見据えれば、誰しも己の評判や名声というものが、どれほど危ういか容易にお分かりになるでしょう。当然、夫の中には、心配や猜疑心の虜となって悶々として悩みつづけ、遂には妻はもちろん、すべての家族に、僕(しもべ)にさえも辛く当たり、誰彼なしに様子を窺い、妻の外出を、いや玄関口に出るのさえ認めようとしない者がいます。自由な身分の僕(しもべ)にせよ、奴隷にせよ、家に入るのを誰にも許しません。妻が隣人や知人の誰彼と口を利くことも、窓辺で広場を眺めることも自由にさせません。さあここまで事態が悪化すると、家中の誰もが不安になり、怯え、悲しみと不満に包まれます。それどころか、人生の歩みそのものが、時化に見舞われるごとくどうにもならなくなります。

 現にこのような恐怖が胸に忍び込み、不信感を抱き始めれば誰しも男は、のほほんと気楽に過ごすわけにはいきません。かくして、足の不自由な靴屋のように、終日、家で腰を下ろしているか、また家を離れていても心ここにあらずなのです。そのうえ愛人でもいようものなら、私たちは恋敵のことがどうにも我慢ができなくなって、それが因(もと)で、しばしば追い詰められて、睡眠もままならず、まるで一大事に見舞われたかのように悲しみに打ちひしがれて泣き暮らす始末です。これほど過酷で、やむなき不安に見舞われて、さあどうしたらいいのでしょうか?

 こうなれば君たちは、妻の気持ちや、互いの愛情、信頼のことごとくに疑問が生じ、ひいては君の評価や名望も危うくなり、息子さえも巻き添えを喰うのではと考えるでしょう。そこで、友人たちまで自由気儘な出入りが許されぬなどといった話は省略しましょう。それというのも、夫との親密ぶりを装って、他人(ひと)の家に裏切りと堕落を招く通路ができたなどの話を、よく耳にするからです。となっては諸君も、身辺に同様のことが起きないかとびくびくし警戒したりもするでしょう。さらには、様々な破廉恥な実例を耳にして、たとえ君の花嫁と両家の親族との間柄でさえも油断できないことを学ぶでしょう。

 これに関して、一部の男どもがはなはだ無節制で、愛欲に駆られるや、何方(どなた)に対しても何らの敬意も慎みも持たないほど堕落しているのを知れば、諸君が兄弟にさえ疑惑の目を向けるのもやむを得ないでしょう。

 要するに、妻が醜聞に塗(まみ)れぬようにするのには、君たちが精いっぱいの努力で予防するしかないと覚悟することです。とはいえ現実は、彼女たちに浮気を望まぬように防止することなど、とうてい無理と、何れ分かるでしょう。

 こうなると、諸君はすべての親類縁者や近隣の人、同じ界隈の人から妻を遠ざけることになり、誰彼なしに若者が、いや街中が怖くなることになります。そのうえ下女や乳母に眼を配り、すべての家僕に目を光らせ、挙句に彼らを度々、罰したりするのです。さて、こうした噂が外に拡まり、主人のひどい怖がりようが評判沙汰となり、警戒心がますます募れば-------実際長く包み隠して口封じなどできませんので-------、家名を傷つけることになります。挙句に世間の人が思うのは、それほどまで奥さんに気を遣い、躍起になって監視するところを見ると、どうやら君の奥さんは何か破廉恥なことをしでかしたのだ。きっとこれからは、ますます用心して、抜け目なく奥さんを見張るものと胸中を忖度するわけです。」





第22章 妻を寝取られた男のひどい落ち込み方、筆舌に尽くしがたい苦しみ


「そこで君たち、考えてもご覧なさい。もしどこかの男が妻の不倫を嗅ぎつけたり、その証拠をはっきりと掴んだとしたら、彼がどれほど不幸な目に会うか、どれほど深く厳しい痛手を負うことでしょうか。

 当然ながら、男が何よりも大切に幸せに思うこと、息子のことや世間の評判や声望を-------さらに付け加えたい人がいれば-------その妻さえも、一瞬に奪い取られるわけです。これほど辛く惨めなことがありましょうか?  

 たとえば諸君の願いが叶って子供が生まれ、子らを育てて勉強させ、わが身と同様に、この上なく大事に慈しんできたとしましょう。その時までただ一つの喜びとして子らとの団欒をずっと心の安らぎとしていたとしましょう。ところが突然その子供らが、実は他人の子で、父親の分からぬ子という疑惑が生じたとすれば、さあ君たち、これほど悲しく、身を苛むことがあるでしょうか? その日まで、貞淑で温和な妻と信じ込み、君自身も慕われ愛されているのを微塵も疑わずにやってきて、幸・不幸を共に分かち合える伴侶と思い、長らく暮らして気持ちも意思も通い合うと信じた妻が、この上なく淫らな破廉恥行為で、妻との絆がスキャンダラスに、はなはだ惨めな形で破れたと気付いたとき、ああどれほど心が痛むことでしょうか。しかも、それまでは二人の絆を誠実で完壁なもの、永遠に続くものと願ってきたのです。で、気力が削がれ、日を追う毎に悲しみが深く心の底に沁み入ります。ときには現実と置き換えて、過去の憶い出に耽り、ときには眼前の禍を思い悩み、或いは今後の不安に怯えます。このとき初めて、眼前の闇がふと消え去って濃霧が遠ざかっていくように、遅まきながら妻の犯した様々な過去のスキャンダルに関心を持つのです。そこで初めて、愛する妻がふと口にした言葉を振り返り、そこにどんな動機や手法が潜んでいて、そう言ったのかを、苦渋を噛みしめて読み解けるのです。その時やっと、女の恐ろしいまでの怖さを知るのです。

 それにしても、とりわけ辛いことは、私たちに隠された妻の過去の行いが、実は世間の人々に知れ渡っていたと考えることです。かくて私たちの屈辱や不名誉が衆人の眼に留まっていたわけで、あまりの惨めさにうちひしがれて、もはや外出する気にもなれずに、辛い人生を送る羽目になります。」





第23章 一家を構えれば、いかに貧困に陥りやすく数知れぬ心労を招くか


「諸君、何れにしてもここで話しておきたかったのは女性の気質や習慣のことです。小生の考え方に間違いなくば、つねづね生きていく上で、精神面での “平静さ” がとりわけ望ましいと考えますが、この私の考え方が誤っていなければ、妻帯はこれとは全く相いれないと思うのです。そのくせ私たちは、いわば世の慣習に引きずられて、その後の成り行きや、こうした論議の大切さも十分に分からぬまま、青二才で結婚に踏み切ってしまうのです。大方は、両親の意向や言い付けを守って、親に従順さを示そうと、そうするわけであって、自分の “心の安らぎ” をまるで意に介さないのです。

 しかも前述の迷惑のほかにも、結婚生活ほど男を惨めな目に追いやることはありません。妻を養うのは勿論のこと、妻の衣服や装身具に相当な出費が掛かります。他にも、子供の教育のこと、さらに娘の結婚費用で、どれほど有り余る財産があろうとも蕩尽してしまうのを世間ではざらに目にするのです。その上、子供たちの間で分配するとなれば、どれほど豊かな財産があっても、誰しも零細なものになってしまうのです。そこである種の家庭争議が起き、息子たちの父への反乱が生じ、けちな老人が貧乏を恐れて若者の願いを頑として聞き入れなくなります。挙句に、本来ならば慕われてしかるべき子供たちから憎まれ嫌われてしまったと、はっと気付いたりします。

 テレンティウスの、あのミキオ(1) は、こうした破目に陥らぬよう、ぜひ用心するようにと、こう言うのです。

(1) テレンティウスの喜劇『兄弟』の主人公。けちで頑固な兄デメアから養子としてもらった息子に対して、弟ミキオは甘く育てる。なお、『ガラテーオ』第19章、参照。


 “お金はやろう。大目に見る。何かにつけて父の権威を振りまわすなど、どうでもいいことさ(2)

(2)『兄弟』51~52行。


 子供たちから彼は愛されたいのです。しかもその彼は、妻帯しなくて幸せだったとも言うのです。実際一人息子〔養子〕だったので、そうして思い通りに振る舞えたのでしょう。もしもミキオがたくさんの子供をもうけていたら、けちで頑固者の兄〔デメア〕と何ら変わりがなかったはずです。そしてミキオは、兄の言葉に窺えるような心配事を自分も同様に抱えこんでいたでしょう。

 “いつの日か、あいつ〔ミキオの息子〕が一文なしになって、傭兵にでもなって、ここから逃げ出してしまうのが目に浮かぶ(3) ”、と。

(3)『兄弟』384~386行。


 この台詞で明らかなように、諸君、私たちが長年に亘る人生の旅路を終えようとして、疲れ果てて、しばしの安息を望む頃、まさにその時に最大の障害に出合うのです。そこからさらに苦労に追われる道を歩き続けることになるのです。それまで人生の様々な苦労や危険な目を乗り越えてきたと思う矢先、出発点に逆戻りさせられるわけです。しかも移り気な訳の分からぬ年頃の、生意気盛り、血気盛んな若者と付き合っていかざるを得ないのです。青春時代はまるで酔いしれたように、そのまま熱に浮かされて、ばか騒ぎをし羽目を外すものです。もっとも君たちは控えめで折り目正しく、まことに穏やかで居られるが、それは若者の通性というより、君たちの資質によるものであって、ここでは一般論で述べているのです。

 さて、話が逸れぬように元に戻して、当のミキオにしても、いわば明らかに大ピンチに陥ったとき、気が動転してこう言います。

 “ああ、息子が戻って来ないなんて、わしはなんということを考えるのだ! こんな心配事に頭を悩ますとは!(4)

(4)『兄弟』35~36行。


 さてこの辺で、ひどく怖がり屋の癖に、息子にはたいへん甘い老人の話は切り上げることにしましょう。で、もう一人の、けちで気難し屋の兄の方はどうなったでしょうか? こちらも意気消沈して、弟を探し回るのではないでしょうか。怒りのあまり気がおかしくなるのではないでしょうか?

 “あの息子が扉をぶち壊して、他人の家に乱入したって?(5) "と。だが、こうしたことは取るに足らない日常茶飯事のようなもの、“若者が娼婦の処に出入りしたとか、扉一枚ぶっ壊したからといって、まあ言ってみれば、それほどの罪じゃないさ(6) ” であります。つまりは、若者の自然な怒りの吐け口がそうさせたことも、もっともと言えます。でも、ミキオの言葉を引用しただけで、老人がみな一様にそう論じたり考えたりするわけではありません。

(5)『兄弟』88~89行。

(6)『兄弟』101-103行。


 もしこのような状況で収まれば大したことではないと言えましょうが、それがたとえば、老いさらばえた不幸な父親が、いきなりご子息が殺人事件に加担したとか、惨殺されたとか、監獄にぶち込まれたなどと聞かされるとすれば、さあどんな思いがするでしょうか。それとも息子が莫大な借金で首が回らなくなって、常日頃、けちで金に細かい父親が、その肩代わりをして釈放させなければ、息子が追放される破目になったら、さあどうでしょう? 或いはまた父親となって娘の身を案じ、また妻についても他処(よそ)の夫のことが気になったり、警戒心を抱くとなれば、どうすればいいのでしょうか?

 諸君、これまでの私の話でこの論議が十分に語り尽くせたとはとても思いませんが、世の男たちがいそいそと迎える女との絆、つまり結婚というものは、このような種々の不都合を抱え込むものなのです。もっとも人によっては、これまでの話で、もううんざりと思う方も居られましょうが、もし実際に経験されれば、おそらく話に聞くよりも、はるかに深刻な辛い経験をされることでしょう。」





第24章 この談論の結び。結婚の公的意義を否定するのではない。だが結婚を勧めるのは、それを望む他の大勢の人に任せよう


 話し終えて、残りの話題に移ろうとした矢先、サン・マルコ〔聖堂〕に近い宮殿で、元老院会議が開かれるとの知らせが入った。何分、私たちの居場所はサン・マルコ〔広場〕からやや離れていたので、若者と一緒にゴンドラに乗り込んだ。漕ぎ手の巧みな櫂捌(かいさば)きで舟は勢いよく進み、その間に、先ほど質問を寄せた青年がしっかりした口調でこう話し掛けた。

「たいへんお急ぎのこととは存じますが、お差し支えなければ、まだ少しお訊きしたいことが残っています。実はこの度の談論の中で、一つの論議については、十分に納得がいきました-------要するに結婚は、必ずしも人生に快適さや安らぎをもたらすものではなく、それどころか大きく矛盾し、差し障りが生じる-------と、ご説明をそうお聞きしました。ところでもう一方の論点は、先程からずっと待たされている気がします。それというのは、男にとって妻を持つことが本当に必要であるか、それが義務に関わることかの論点のはずでした。これまでの論議ではたくさん例を引いて、あなたが論じて下さいましたので、もはや裁判沙汰に及ぶまでもなく、妻帯は廃止すべきものと思います。でも、もう一つの論議で、僕らへの約束がまだ果たされていないことをご賢察と思います。」

 そこで私はこう答えた。

「ああ、よくご指摘くださった。このゴンドラに乗っている内に、なるべく早くお約束を済ませてしまいましょう。かの大哲学者で都市国家〔アテナイ〕の最良の市民であるソクラテス(1) とは意見を異にするのですが、私はしっかりした法律上の婚姻制度なくしては、国の結束などできないと考えます。それにしても大工とか、そういった下層の職人が居なくなって、国は成り立っていくでしょうか? そこで、成立が危ぶまれるからといって、由緒ある身分に生まれた君たち青年に、パン職人になれとか、街で靴屋(2) を開けなどと、私はそう助言するつもりはありません。かりに畑仕事をする者がいなくなるとしても、そのために数ヵ月の内に、国が必然的に崩壊しようなどと考えて、さて誰が急に自らの手で畑を耕し、種を撒き、土を掘り返すなどするでしょうか? であれば、結婚しなければ国が存立し得ないという理由で、私たちが妻を娶るべきだなどと考える必要はないのです。それでは、小麦粉を挽くパン職人か、靴職人になるのもやむなしとの考え方の、さらに上を行くようなものです。何もすべての人が国に関わる仕事をすべきであるとか、皆が皆、軍事や貿易に-------その何れも国の存続や防衛にとって大切なことには違いありませんが-------携わるべきといった考え方は、問題ではありませんか?

(1) ソクラテスは、私的な家族制度の意義を疑問視している(『国家』V、457d)。

(2) 靴屋の比喩はプラトンの著作にも表れる(『国家』V、456d)。


 したがって諸君、君たちは最も重要な職務に関わって、共和国〔ヴェネツィア〕にとって有意義な声望を高めるような、そうした行動に出て欲しいのです。その一方、妻帯については、他人に任せておきましょう。というのは、これ以外のことでは、国の公共任務に向かない無用の人が大勢いますから、なんら心配がないわけです。彼らはこのことで唯一、公共の役割を担うことができますし、それどころかそれを待ち望んでいるのです。」






ジョヴァンニ・デッラ・カーサ小伝

-------落日のルネサンスを生きる聖職者・文人-------



生い立ち

 フィレンツェから数キロ北に山里の村落ムジェッロがある。凌ぎやすい気候とあって富裕な市民層の別荘地帯となっている。ルネサンスの時代、ここは多くの有名人の出身地であった。画家ジョットや名門メディチ家と共に、作者デッラ・カーサの出自である。デッラ・カーサ(或いはカーサ)の苗字はこの村落に由来する。

 16世紀初頭、父祖がフィレンツェ共和国の “プリオーレ(行政長官)” の職を二度務めた貴族である。家紋は、銀色の地に一本の緑色のオリーブ樹が立つ絵柄である。

 1503年6月28日、ジョヴァンニ・デッラ・カーサは、父パンドルフォの長男として、ここで生まれた。ただフィレンツェ生まれとする一説もある。父は早くにローマに赴いて銀行業で財をなしている。母エリザベッタは、ジョヴァンニが7歳の折に他界した。この時代、フィレンツェの上流階級の子弟は、ボローニャやパドヴァの大学でローマ法を学び古典古代の教養を身につけて、その後、北・中伊の都市国家の政庁や諸宮廷に仕えるのが慣習であった。

 1524~27年頃、デッラ・カーサも、ボローニャとパドヴァの両大学に学んで聖職者の道を歩む。遊学時代、竹馬の友ルドヴィーコ・ベッカデッリや甥のアンニバーレ・ルチェッラーイが一緒であった。前者は後年、枢機卿ガスパレ・コンタリーニの秘書官となり、後者は作者の代表作『ガラテーオ』の作中のモデルとされ、礼儀作法を学ぶ若者役で登場する。彼は、ジョヴァンニの晩年の相談相手でもあった。作者は、大学での勉学の傍ら、一流のラテン語学者で司教のウバルディーノ・バンデイネッリに師事した。パドヴァ大学では、ピエトロ・ベンボからギリシア語の手ほどきを受けたとされる。ところで、彼の周囲にはたえず著名な文人や政治家が集い、その幅広い人脈は彼の創作や政治活動に様々な影響を与えた。



青春のローマ時代

 作者が青年期を迎える頃、イタリア半島は政治的危機に襲われる。それまで北・中部のイタリアは小さな都市国家が群立して、力の均衡を保って、比較的安定していた。だが、1527年、神聖ローマ皇帝カール5世麾下(きか)のスペイン兵による、“ローマの劫掠(ごうりゃく)” が勃発し、この事件を発端として、イタリアは動乱の嵐に見舞われた。近隣の絶対王政の強国フランス、スペインの脅威に曝され、ナポリ王国とミラノ公国はスペインの支配下に置かれ、長らく自由な共和政を誇った都市国家フィレンツェも、スペインの圧力に屈して、メディチ大公による専制政治へと移らざるを得なくなった。僅かに残った政治勢力は、ローマ教皇領とヴェネツィア共和国のみとなった。

 デッラ・カーサがローマに移り住んだのは、父の没後(1533年)のことである。しかし、永遠の都ローマの当時の世情は、ひどく荒廃していたらしい。1527年の記録によれば、ローマは5万3000人の市民数であったが、これに対して各地から集まった娼婦の数が1555人に及んだとされる。彼女たちは、うら若い聖職者を目当てにヴァチカン宮殿のお膝元ともいうべきサンタアンジェロ橋周辺の住居に屯していたとか。

 ローマ時代の作者は、トスカーナ同郷の若い文学者たち、ベルニ、モルツァ、フィレンツォーラ、ピッコロミニらと遊び興じていた。本書『妻帯論』は、この青春期に創作された。表向きラテン語の習作を目指したものであったが、ここにはこの頃の自由奔放な生活の一端が描かれている(第8章)。またこの頃、友人で調刺詩人のベルニの影響で卑猥な『かまどの唄」 “Capitoli del Fomo” (3行詩)を書き綴っている。

 さて、彼がヴァチカンで聖職者の道を歩み始めた、その端緒というのは、父パンドルフォの一人息子の将来を思う親心から出たことであった。父は、ジョヴァンニが7、8歳になる頃、フィレンツェの聖ニコロ教会の “参事会会員” の聖職禄を息子のために買い求めていたのである。当時、聖職の売買は慣習化した風俗であった。なお付け加えれば、後年のヴェネツィア時代、彼の枢機卿への選挙費用として金貨1万スクーディが必要と、在ローマの私設秘書から伝えられた時に、カーサは従兄弟で銀行家ルイージ・ルチェッライと相談している。ただこの折は、従兄弟がそれほどの値打ちがあるまいと助言して、それきりで終わっていたが。

 彼は聖職のキャリアを異例の速さで駆け抜けた。1537年、教皇庁の財政を司る内局の地位に就き、早くから教皇庁フランス大使の呼び声が上がった。このように、彼が次々と教皇庁の要職に就いた背景には、ジョヴァンニの温厚で緻密な人柄に拠るところはもとより、カーサ家の財力と幅広い人脈に負うところが大きい。中でも彼が重要な役割を担うのは、ローマの名門ファルネーゼ家との親交に起因している。彼は、人文学者モルツァの紹介で、ファルネーゼ家のアレッサンドロ(1520年生)と知己を得た。この若者は、作者より遙かに年少であったが、教皇パウルス3世の甥で、すでに枢機卿の地位にあった。そこで、デッラ・カーサの教皇庁での役割は、アレッサンドロの片腕として、財政・外交の両面で手腕を発揮することにあった。

 1540年、彼はトスカーナ徴税官となった。この折は多数の随行員に、騎馬18頭を引き連れてのフィレンツェ帰郷であった。通常であれば枢機卿にのみ用いる “モンシニョーレ(猊下)” の尊称で呼ばれていた。彼はこの地区の徴税に当たるほか、教皇庁とコジモ1世との外交的な調停役を担った。こうした教皇庁の任務に当たるほか、この地で “アカデミア・フィレンティーナ” という集いに加盟(1543年)した。当時、“アカデミア” という名の文人仲間の会合は各地で開かれ、しばしば洒落っ気たっぷりな名称を付けるのが流行していた。作者はローマ時代に、“ワイン造りアカデミア” を友人らと結成している。流行の話題を面白おかしく論じ合うのが通例だったが、このフィレンツェでの集いは、トスカーナ母国語の価値を高めることを目標に掲げた本格的な学会であった。この当時、彼はラテン語論文『上司と下僚との間の交際術』“De officiis inter potentiores et tenuiores amicos”(1540年)を著(あらわ)している。これまでの宮廷生活の体験に基づく論文で、好評を博し、後年、作者自身が俗語訳を試みた。



反宗教改革運動を担ってヴェネツィア大使へ

 1544年4月ベネヴェント大司教に選ばれ、任地にも赴かぬ内に、その夏、教皇庁ヴェネツィア駐在大使に任じられた。当時ヴェネト地方の聖職者の間で、ルターの改革思想に同調する動きがあり、彼は、教皇パウルス3世の提唱する反宗教改革運動の方針に沿って、その気運を阻止する役割を担ったのである。この折も、彼の人脈の広さが役立った。かつての恩師で、共和国の重鎮ピエトロ・ベンボが支援を惜しまなかったからである。

 ところで、デッラ・カーサが反宗教改革運動の実務的リーダーとして成し遂げた業績として、次の事柄が挙げられる。

 先ず、教皇パウルス3世の教書(1536年)に基づくトリエント公会議の開催の裏方を務めた。当初、参加者は約30人の高位聖職者が予定され、彼はその旅費や宿舎の準備に当たった。ただし第1回(1546年)の参加者は、老齢などの原因で15名に留まったし、カーサ自身は出席することもなかった。第二に、既存の組織 “異端審問”(1289年発足)を具体化し始めた。中でも司教ピエール・パオロ・ヴェルジェリオに対する審問は、この司教が新教運動の積極的な支持者と目されていただけに、反宗教改革の象徴的な出来事となった。彼はトリエステに近いカーポ・ディ・イストリア〔現コペル〕の司教であった。1545年の秋、枢機卿アレッサンドロはヴェルジェリオヘの審問の開始をデッラ・カーサに命じたのである。彼は当初さほど熱心でなかったと言われるが、この問題に5年間、関わった。当時の論文『司教ヴェルジェリオ弾劾の論考』“Dissertatio adversus Paulum Vergerium”(1550年)は、16世紀の格調高いラテン語論文の典型と評価されている。その一方、この機会に論敵ヴェルジェリオから激しい反論を浴びた。作者の青春期の卑猥な作品が指弾されたのである。また同時に、教皇庁周辺の聖職者の不行跡が批判の対象となった。

 第三に、1547年以後、“禁書目録” の制定に取り掛かった。目録は2年後に一応の完成を見たものの、必ずしも順調に進んだわけではなかった。何分にも出版業が隆盛を極めていたこの都市では、元老院議会を初め、かなりの抵抗があったのである。

 とはいえ、この時期、ローマとヴェネツィアとの同盟関係は改善された。それは彼の外交手腕に負うところが大きいと言われる。事実、彼が任地を離れローマに帰るとき、ヴェネツィア共和国の最高諮問機関 “十人委員会” は、ローマ教皇庁宛に次のような報告書を送った。“何事につけてもカーサ卿は、最高の思慮を働かせた” と。つまり最高の賛辞である。

 さて、デッラ・カーサは、このように若くして聖職者の任に就き、高位の聖職者へと進んだが、実際に彼の信仰心がどのようなものであったかと振り返ると、必ずしも敬虔な人物とは言い難い面がある。幾つかのエピソードが、それを物語る。

 ベネヴェント大司教に任じられた折、その任地に実際に赴き、叙任式を挙げたのは3年後のことであった。また、ムラーノのサン・マルコ教会の司祭に任じられた折(1547年夏)、彼の書庫には、旧師バンデッリの遺贈とされる宗教書のほか、殆ど関係の書物はなかったと言われる。しかも、その頃、ヴェネツィア女性との間に一人の子息をもうけている。因みに、この一人息子は作者の没後の青年期に殺傷事件を起こして処刑された。

 一般的にルターの宗教改革の嵐が吹き荒ぶなか、旧教の聖職者の間には依然として自由なルネサンスの風潮が色濃く残っていたようである。

 なおヴェネツィア時代、鬼才アレティーノ(『ラジョナメンティ』の作者)や画家ティツィアーノとも知己を得たが、ティツィァーノ制作の小さな銅板画に『デッラ・カーサ像』(表紙:参照)があり、ここでは彼の細面の顔立ちや、口髭と顎鬚をたくわえて眼差しを右下に落とした、やや寂しげな風貌が描かれている。他方、ヤコポ・ポントルモの『ジョヴァンニ・デッラ・カーサの肖像画』(アメリカ国立美術館、Kress Coll.所蔵)がよく知られているが、鋭い視線を正面に見据えている。しかし後者は、今日、別人の聖職者の顔と見なされている。



緋色の僧帽への宿望

 1551年、後ろ盾のアレッサンドロ・ファルネーゼが他界する。その頃のカーサの胸中は、多年の公務から身を引き、思索と創作の静かな余生を送りたいとの願望があったらしい。教皇庁内局の聖職禄を、友人の聖職者に1万9000金スクーディで譲って、ヴェネツィアに私邸を構えている。さらに2年後、トレヴィーゾに近いネルヴェーサの大修道院に引きこもって、創作活動に励んだ。代表作『ガラテーオ』、ペトラルカ詩風の流れを汲む名詩集『リーメ』(“Rime”)、ラテン語論文『枢機卿ピエトロ・ベンボの生涯』(“Vita Petri Cardinalis Bembi” )、  『ガスパレ・コンタリーニの生涯』 (“Vita Gasparis Contareni” 〈未完〉) はこの時期の作品である。

 だが、その閑居は、長くは続かなかった。新教皇パウルス4世(1555年、就任)から再びローマに戻るように懇願されたのである。外交顧問といった教皇側近の任務で、“職責の友” という称号が与えられた。すでに彼は病弱の身であったが、それにもかかわらずローマに赴く気持ちが動いたのは、なぜであろうか。それは、彼が多年、枢機卿への選任を宿願としていて、その夢に駆られたのではと考えられる。だが、その夢は、おそらくは当時の政治情勢が原因で、実現されることはなかった。彼は、フランス国王の推薦状さえ受けていたのだが、同年暮れの新枢機卿7人の選出名簿の中に、彼の名は見られなかった。新たに枢機卿に選出されたのは、ナポリの名門カラッファ家の大司教ジャン・ピエトロであった。親仏派と目されたデッラ・カーサには、強国スペインの勢力の抵抗が働いたのであろう。また、ファルネーゼ家の内紛に妨げられたとも言われる。

 それにしても、約十年間、なぜそれほど枢機卿の地位に、その象徴の緋色の僧帽に望みを抱いたのであろうか。もとより貴族の出自の家門の繁栄を願う気持ちが動いたのかもしれない。だがそれまでの彼の生きざまを振り返ると、彼がその晩年に、もう一度、国際政治の檜舞台に立って外交手腕を発揮したいとの願いがあったのではと考えられる。それまでの、ローマやヴェネツィアの彼の館(やかた)には、故国フィレンツェをメディチ大公に追われた同郷の政治家や文人がたえず招かれ、顔を見せていた。ロレンツォ・ストロッツィやジーノ・カッポーニらの追放者である。

 とすれば、宗教改革の嵐の渦中、旧教の代表的な聖職者の彼も、ほぼ同時代のフィレンツェの政治家・文学者マキアヴェッリやグィチャルディーニのように、自由闘達な共和政フィレンツェを懐かしみ、その復活を夢見た一人だったのかもしれない。シャルル8世の半島への進出(1494年)以前の平穏なイタリア半島への郷愁があったのではなかろうか。本書や名作『ガラテーオ』に窺える滑稽好きで、洒脱な文筆は、黄昏れるルネサンスを生きた最後の、生粋のフィレンツェの文人の趣を残している。

 1556年11月14日、ジョヴァンニ・デッラ・カーサは、枢機卿ジョヴァンニ・デ・リッチのローマの邸宅で病没した。





『妻帯諭』“An uxor sit ducenda”(妻を持つべきか)覚書


    作品の標題には、“まことに愉快なる問題(Quaestio lepidissima)”  の添え書きがある。この言葉からも、本論文が妻帯の是非を本格的に説くのではなく、たぶんに洒脱のめして論じようとする作者の意図が汲み取れる。創作は、ローマ時代の青春期であろうが、創作過程については詳らかでない。作中に、ヴェネツィァ貴族らしい若者の騎馬姿が現れ(第20章)、また語り手の元老院議員がゴンドラでサン・マルコ広場へ向かう様子の記述(最終章)がある処から、後年のヴェネツィア時代に手直ししたものと推測される。

 さて、こうした結婚の是非の論議は、古代ギリシアに遡る。今日もよく見かけるような、婚姻の席の祝辞として論じられたとされる。つまり、友人が祝辞で、いわば無条件に花嫁の美しい容姿をほめそやし、二人の将来の幸せを祝う讃辞の形であったらしい。ところが、古代ギリシアからローマヘ時代が移るにつれて、結婚の是非の論議は、主に修辞学を学習するための恰好の主題とされた。他方、この頃から、論議が男女双方の立場からのものでなく、もっぱら男性本位の目線で、“妻を持つべきか、持つべからざるか(An uxor sit ducenda)” の “妻帯論” に変わってくる。しかも、後期ラテン文学には、ユウェナーリスのような辛辣な諷刺詩人(『風刺詩』Ⅵ 28)が現れたこともあって、その影響下で、“女嫌い(ミソジズム)” のテーマが流行し始め、アンティ・フェミニズムの論調が一般的になる。これに対して、中世末期には聖母マリア崇拝の風潮が拡がり、盛期ルネサンスには、人文主義者の間でネオ・プラトニズムの思潮が流行するが、それは主に恋愛詩や哲学の領域であって、中世末期からルネサンス期の都市国家の、市民層にあっては、むしろ女性蔑視のテーマの説話や諷刺詩が持て囃された。ボッカッチョの『デカメロン』や『コルバッチョ(どすカラス)』には、そうした傾向が顕著に表れている。後者の小品は、一人の未亡人と結婚を願う男の前に、未亡人の夫が亡霊となって現れて、かつての悪妻の言動をあれこれと語って、男に翻意を勧める筋立てである。

 デッラ・カーサの『妻帯論』は、こうした説話文学の諧謔的なアンティ・フェミニズムの系譜を引き継いでいる。一方、この時代の、まともな結婚論となると、先ず人文主義者ペトラルカの論述が思い起こされる。彼は若いパルマの領主パンドルフォ・マラテスタ宛の書簡の中で次のように語っている。

「独身で暮す方がよいか、妻帯して暮らす方がよいか……とのお訊ねだが、ソクラテスは同じ質問にこう答えた。“二つのどちらを選んでみても、どのみち後悔するものである。人生の歩みには、何事につけても苦労や面倒、危険が満ち溢れている” (『近親書簡集』22、1)。

 また、妻帯に肯定的な立場から、一部のモラリストが、妻帯の意義を論じて、一家の長たる夫にとって、いかに妻の存在が大切かを述べた良識的な論文があることも見落してはならない。レオン・バッティスタ・アルベルティの『家族論』はその典型であり、貞潔で信仰深い妻の存在がいかに夫の心の安らぎとなり、ひいては一家の耀きとなるかと、語っている。

 それでも、16世紀の宮廷社会の論議の多くは、もっぱら上流社会の貴婦人を対象として、女性の美徳や金髪や容姿の美しさをあげつらうものであった。或いはまた、プラトン(『国家』)の説に倣って、女性へのよき教育の大切さを訴えている。

 デッラ・カーサの女性論は、女性軽視の諧謔文学の系譜を引き継いでいるが、処処にその豊かな人文主義の教養が窺える。彼の女性の気質に関する基本的な考えは、プラトン(『ティマイオス』)に根差している。プラトンは、女性の気質は、自然の定めるところ男性よりも劣るとする。しかし、デッラ・カーサの視点は観念的でなく、きわめて具体的なところに特徴があり、日常生活に即しての論議である。女性、中でも妻の底意地の悪さ、偽善、虚栄、色欲などを槍玉に挙げる。おしゃべり好き、口さがなきこと、食物に眼のないことなど、止まることを知らない。とはいえ作者は、若者があまりにも軽率に結婚に走ることを面白可笑しく窘(たしな)めながらも、何れ国家の命運を担うべき若者の重要な役割について、結びではっきりと言及している。

 それは、『ガラテーオ』の中で、個人の身嗜みの大切さを軽妙洒脱に語りながらも、冒頭で、“正義” や “剛毅” の徳目がいかに危急の際に大切かを論じたのと同様の、良識的な見解である。ヴェネツィア共和国は一千年もの長きにわたって寡頭制貴族政治、いわゆる「セッラータ(閉鎖階級制)」を布いてきた。この作品の聴き手は、名門の若い貴族である。それゆえ語り手の老元老院議員は、彼らエリートたちが若さのあまり軽率な行動に出ることなく、よく熟慮して、やがて国の存立と繁栄に関わる責任を担うことを願うのである。アドリア海の女王ヴェネツィア共和国は、ルネサンス最後のイタリアの独立国として1866年までその存立を守った。

 本書のテキストについて付言すれば、作品の自筆稿は失われた。この原典を最初に発見したのは、18世紀の文献学者マリーアベッキで、現在、テキストはフィレンツェ国立図書館に所蔵されている。

 本文のラテン語の構文は類語が多く用いられるなど、青年期の習作の感がある。俗語の初訳はアントニオ・チェッキが試み、子息の名で出版(1733年、ナポリ)されたが、すぐに禁書扱いとなった。翻訳に当たって、初出の原典 “Opere di Monsignor Giovanni Della Casa,” Tomo sesto, Napoli, 1733 を底本とした。また現代のテキスト Utet, Torino, 1991 と、俗語訳 U. E. Paoli, Firenze, 1943; A. Di Benedetto, 1991 を参照した。

 なお各章ごとの大意を示す前書きは、近代の監修者 U. E. Paoli が読者の便宜上作成したもので、訳文はその版に基づく。





あとがき


 デッラ・カーサの代表作『ガラテーオ』の翻訳に初めて取り組んだのは大学の研究室に勤めていた頃のことである。幸い機会に恵まれてその旧稿を改めることができた(初訳、春秋社1961年、新訳『イタリア・ルネッサンス人文主義』に所収、名古屋大学出版会 2010年)。他方、同じ作者の、『妻帯論』という作品は、あまり広く知られていないが、かつてその一部を紹介したことがあった(大阪日伊協会『イタリアーナ』1962~65年)。この作品の初版本のコピーが、たまたま知人のマッラ・トシエさん(UCLA図書館司書)のご好意で手に人ったこともあって、訳文を改めて刊行することを思い立った。

 何分ルネサンス期のイタリア文学には、皮肉で滑稽な物語や風刺詩が少なくない。この小論文の趣も、どこか江戸後期の戯作を連想させる。恐らく大方の女性の読者人が眉を顰(ひそ)めるのではないかと気に掛かる。そこで、ふと思い浮かぶのはダンテの詩の一行である。

 「あの人々のことは語るまい。ただ眺めて、通り過ぎよ!」

(“Non ragioniam di lor, ma guarda e passa” 『神曲』、地獄篇、第3歌51行)。


訳者  


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