語り手は(8)


語り手は信用できるか:ホーソンの射程 8 


第3章〈かのように〉の庭

   ―ホーソン「ラパチーニの娘」の場合

                 

 岩田 強




 ホーソンは「ラパチーニの娘」(1844年)のなかで〈かのように〉as if という表現を多用している。全体で37ページの作品中に23回、ならすと1.6ページに1度の割合になる この数字を、同じ時期に書かれ、主題的にも共通点のおおい「痣」(1843年)や「美の芸術家」(1844年)と比較してみると、前者は21ページ中7回で3.0ページに1度、後者は29ページ中に12回で 2.4ページに1度で、「ラパチーニの娘」では前者の1.9倍、後者の1.5倍の頻度で〈かのように〉が用いられている。


① テクストには The Centenary Edition of the Works of Nathaniel Hawthorn, Vol. X(Ohio State University Press, 1974)を使用した。本文中や引用文の後の括弧にいれた数字は同書のページ数を表す。また作品の部分の長さをしめすページ数も同書に拠る。

  

 ところで、いま挙げた数値は全編をひとしなみに扱った単純平均であって、作品をいくつかの部分にわけて各部分での〈かのように〉の使用頻度を調べてみると、さらに興味ぶかい事実がわかる。この作品には2ページからなる前書きがついていて、その前書きをのぞいた35ページが物語の本体をなしているが、その物語の本体を出来事の起こる場面ごとに分け、各場面に費やされているページ数、各場面での〈かのように〉の使用頻度を表にしてみるとつぎのようになる。表中のGはジョヴァンニ、Rはラパチーニ、Beはビアトリーチェ、Baはバッリョーニを表している。



 表を見れば、〈かのように〉の用いられている場面にはっきりした偏りがあることが分かる。〈かのように〉が使用されるのは、大学生ジョヴァンニ・ガスコンティが下宿屋の2階の自室から隣家ジャコモ・ラパチーニ博士 (植物毒の権威で毒の木の栽培者)の庭園を見下ろしている場面(1)、(3)か、下宿屋の女将からラパチーニ庭への秘密の入口を教えられる場面(5)か、ラパチーニ庭でビアトリーチェと会っている場面(6)か、いずれにせよ、ジョヴァンニがラパチーニ庭とかかわる場面に集中している。ジョヴァンニがピエトロ・バッリョーニ(ラパチーニの学敵 でパドゥア大学の医学教授)と会話をかわす場面は作中に3度(2)(4)(7)あるが、〈かのように〉は1度しか用いられていない。また、ラパチーニ庭とかかわりのある場面であっても大詰めの場面では、場面(8)の冒頭で1度用いられたあと、約8ページにわたって〈かのように〉は使用されていない。

 なぜ〈かのように〉はこのように際立って偏在しているのか、それは偶然そうなっただけなのか、それともその偏在にはなにか理由があるのだろうか。 

 この問いに答えるためには、 作中の〈かのように〉がどういう性格をもっているのかを確認する必要がある。引例して 検討してみよう。


 (引用1) 

かすかなコポコポという音が若者の窓に昇ってきて、あたかもその泉が、絶えることなく、またあたりの有為転変に気をとめることもなく、おのれの歌をうたっている不滅の霊魂であって、その傍らではとある世紀がその霊魂を大理石で象ったというのに、べつの世紀が壊れやすいその飾り部分を地面にまき散らしている〈かのように〉彼に感じさせた 。

(94-5  下線論者、以下同様) 


 これは主人公のジョヴァンニ・ガスコンティが下宿屋の2階の自室から隣家の庭をはじめて見下ろし、往時をしのばせる毀れかけの泉水盤に目をとめたときの印象を叙したもので、前書きの2例をのぞけば作中最初に〈かのように〉が出現する箇所であるが、作中のすべての〈かのように〉はつぎの2つの性質を共有していて、引用1にもそれが刻印されている。

 1つはジョヴァンニの空想性である。大方の読者は、「〈かのように〉彼に感じさせた」という言い回しのせいで、 下線部で語られていることはジョヴァンニの意識に属するものであるらしい、と解釈するであろう。すなわち、泉水を見て「不滅の霊魂」を連想したり、各世紀を彫刻家に喩えて泉水盤に刻まれた時間の経過を表現したりしている主体が語り手ではなく作中人物のジョヴァンニであると読むわけで、その場合、それらの連想や比喩に含まれている誇張や過剰さはとうぜんジョヴァンニのものということになる。しばらく後の場面(105)で語り手が解説しているように、彼は「活発な空想力」の持ち主なのだ。ジョヴァンニは物語の劈頭で「自国の偉大な詩[ダンテの『新曲』]に通じていなくもない青年」(93)と紹介されているし、ジョヴァンニの下宿した古い大邸宅はかつてダンテが『地獄篇』のなかで言及したことのある人物の旧邸という設定になっている。つまリホーソンはジョヴァンニを文学散歩などの好きなある種の文学青年を彷彿させるタイプの若者として登場させたわけで、彼の意識傾向にもそれに見合う質が与えられている。

  ところで、〈かのように〉という表現はそれ自体のなかに反実仮想をふくんでいる。「泉は不滅の霊魂であるかのようだ」という表現は「泉は不滅の霊魂ではない」という反措定を表現自体に内在させている。「泉は不滅の霊魂であるかのようだ」という表現を読んでも、泉にかんする直接的な情報はえられない。一般的にいって、「XはYである〈かのよう〉だ」という繋辞は、「XはYである」という繋辞とくらべて、主観性がつよく、事実にたいする無視ないし軽視を秘めているといえるだろう。

 このような性質をもった〈かのように〉がジョヴァンニの思考の特徴になっている。物語本体の21例の〈かのように〉を細見してみると、すべてがジョヴァンニの思考に関わって用いられているのが分かるが、つぎに引用するのはジョヴァンニの意識にとっての〈かのように〉の意味と作用をもっとも鮮明に示している例である。それはジョヴァンニがはじめてビアトリーチェと身近で話をする場面(6)にでてくる。すでにこのときまでにジョヴァンニは、灌木の樹液を浴びてトカゲが悶死したり、ビアトリーチェの息にあたって蝶や花束が死んだり萎れたりする不思議な現象を目撃しているが、それが事実なのか眼の錯覚なのか決めかねている。そこでジョヴァンニが遠回しにそのことに探りをいれると、ビアトリーチェは興奮し、 彼の眼で見たことよりもじぶんのいう言葉を信ぜよ、と要求する。 


(引用2)

彼女の表情ぜんたいが熱気で光り輝き、真実の光そのもののようにジョヴァンニの意識に射しこんできた。だが、彼女が話しているあいだ中、彼女のまわりの空気には、消えやすいけれども濃密で心地よい、それでいて名状しがたい嫌悪から若者が肺まで吸いこむ気になれないある芳香が漂っていた。それは花々の匂いかもしれなかった。ひょっとしたらそれがビアトリーチェの息で、その息が彼女の言葉に、あたかも彼女の心臓に浸した〈かのように〉、奇妙な豊かさを燻きこめたということはありえないことだろうか。眩暈が影のようにジョヴァンニを通りすぎて消えていった。彼には、その美少女の目をとおして彼女の透明な魂が覗き見られたように思われ、もうそれ以上疑いも恐 れも感じなくなった。                      (112 下線、ゴシック体論者)

 

 事実はこんな風にジョヴァンニの傍らを通りすぎてしまう。このとき彼はビアトリーチェの息が毒を帯びているという事実のすぐ間際まで接近していて、彼の本能(名状しがたい嫌悪)と彼の肉体(眩暈)はその事実を直覚しているのだが、それにもかかわらずジョヴァンニは正しい事実認識に到達できない。おそらくそれはジョヴァンニがもう一歩踏みこんで事実に肉薄すべきときに、ビアトリーチェの顔の紅潮を「真実の光」と比喩したり、〈心臓のなかに言葉を浸たす〉とか〈眼窩のおくに透明な魂を幻視する〉といった空想的修辞を紡ぎだすことに気をとられて、冷静な観察を放棄するためである。引用文中のゴシック体の直喩「のように」や主観的繋辞「と思われる」は文字どおりの〈かのように〉ではないが、彼の思考の空想性を強める点ではそれと同じ働きをしている。「ふたたび彼は、その美しい少女と、泉のうえに宝玉のような花を垂らしている豪奢な灌木との類似を、観察するというより想像したが、ビアトリーチェはその似よりを服の取り合せと色の選択との両方によって高めようと、気紛れな気分を恣にしているように思われた」(102)。「観察するというより想像する」、これほどジョヴァンニの意識傾向を簡潔に言いあらわす言葉はない。少女が灌木と似ていると思い込んだとたん、ジョヴァンニは根拠もなく少女もまた灌木とじぶんとの相似を自覚し、それを強調していると速断し、さらには彼女に「気紛れな気分」を勝手に押しつける。空想家の空想家たる所以は、どれだけ奔放な奇想が紡ぎだせるかというところにはなく、事実と空想の区別がつかない、あるいはつける習慣がないというところにあるが、ジョヴァンニはまさにその意味において空想家そのものである。物事についてそれが事実である〈かのように〉空想するだけで、ほんとうに事実であるかどうかは確認しないというのが彼の習性なので、その空想のなかにどれだけ事実が混ざっていても、それらは気づかれることなく見過ごされてしまう。

 さて、ジョヴァンニの空想性についてはこれで検証できたと考えてよいであろう。以上で考えてきたことを纏めれば、「ジョヴァンニの意識にはつよい空想性が含まれている。彼はしばしば直喩や暗喩や主観的繋辞をもふくめた〈かのように〉の類の表現を愛用するが、それらは彼の眼を事実から逸らせる作用をし、その兆候は引用1にも見てとれる」ということになるであろう。

 では、引用1から読みとるべきいま1つのこととはなんだろうか。それはこの作品の語り手の語り口の特質である。そこにも〈かのように〉が微妙なしかし決定的な影響をおよぼしているように思われる。 

 わたしたちはいままで引用1の下線部をジョヴァンニの発想として扱ってきたのだが、厳密に考えていくと、そこにはある種の曖味さがつきまとっている。そのことはこの部分が直接話法で書かれている場合を想定してみればよく分かる。もし下線部が直接話法の被伝達部であったとすれば、その場合にはジョヴァンニの発想と用語がそのまま伝達されていると受けとれるが、現行の表現にはそれほどの再現性はないといわなければならないだろう。それでは間接話法かといえば、そう断定するにはジョヴァンニの息遣いと覚しきものが混入しすぎている。では扮役話法 かと考えても 、伝達動詞的なものが介在しているから、純粋の扮役話法ともいいがたい。しいて言えば、扮役話法にちかい間接話法ということになるであろう。


② 「扮役話法」という名称は内村剛介『ソルジェニツィン・ノート』(河出書房新社、昭和46年) 184-189 から借用した。内村によると、この用語は関口存男が『独乙語学講話』(日光書院、昭和14年)ではじめて使ったものという。いわゆる描出話法、自由間接話法と同じものだが、「扮役」はこの話法の特質を言い得て妙である。関口は、直接話法は語り手と作中人物を人形使いと人形のような截然と分かれた関係におくので、語り手は作中人物をよそよそ しく他人行儀に扱うが 、扮役話法では「全責任を一身に背負う」と述べている。拙論全体の主意は、ホーソンの扮役話法が「全責任」を回避するためのものであることを論証することにある。この話法の全体については中川ゆきこ『自由間接話法』(あぽろん社、1983年)が参考になる。 


 このような形式上の曖味さは下線部の発想の主体を不分明にさせる。この部分は全面的にジョヴァンニの意識に帰属しているのか、それとも伝達者(語り手)の編集を経ているのか、もし編集を経ているとすればその程度はどのぐらいか、〈時という彫刻家が不滅の霊魂に泉水盤という形象をあたえる〉という着想だけがジョヴァンニのもので、用語の選択等は語り手のものなのか、それとも用語の選択等にまでジョヴァンニの意識が反映されているのか。わたしは引用1を読むたびに、上記のような割り切れなさに苛立たしい思いを強いられるが、これは おそらくわたしの読解不足という問題ではなくて 、語り手の語り口そのものに内在する割り切れなさのせいである。言ってみれば語り手は、下線部の発想や表現の主体がジョヴァンニなのかじぶんなのか明確にせずに、それがジョヴアンニのものである〈かのように〉語っているのである。

 語り手にとっての〈かのように〉とはなにか、この問題はさらにつきつめて考えてみたほうがよさそうである。語り手にとっての〈かのように〉は、作中人物ジョヴァンニにとってのそれとは、意味も役割もちがっているように思える。引例して検討してみよう。 


(引用3) 

この科学的園芸家が道すがらに生えている灌木のひとつひとつを調べていく熱心さに勝るものはなかった。それはあたかもそれらの内奥の性質を研究して、それらの生成の本質を観察し、なぜ1枚の葉がこの形になり、もう1枚があの形になるのか、そして、これこれの花はおなじ花々のうちでもなぜ色合いと香りが違うのかを探りだそうとしている〈かのように〉思われた。(中略) 

彼は庭のなかを歩いてきて、大理石の泉のかたわらで濃紫の宝玉[毒の花のこと]をつけているあの豪奢な植物のところまで来ると、まるでこの美しさのすべては猛烈な悪意を隠すものにすぎない〈かのように〉、マスクのようなもので口と鼻孔を掩った。                                                                                                                                                     (95-6)


(引用4)

彼女は生気と健康と精力に溢れていて、それらの特質のすべてが、溢れるままに、処女の帯によって、いわば縛りつけられ、おし籠められ、きつく締めあげられているように見えた。けれども庭を見下ろしているうちに、ジョヴァンニの空想は病的になっていたにちがいない。というのは、その見知らぬ美人が彼にあたえた印象は、あたかもここにもう一輪の花がある、あの花々とおなじように美しいが ----- それらのうちのもっとも美しいものよりさらに美しいが ----- それにもかかわらず、やはり手袋をつけずには触れられず、マスクをはめずには近づけない、あれら植物の、人間の姉妹がここにいるというものだった

                      (97)

                                                                                                                              

 大詰めの場面でビアトリーチェは、庭の中央の灌木はラパチーニ博士が有毒の植物を交配して創りだした猛毒の新種で、ビアトリーチェはじぶんの誕生と同時に発芽したその毒樹の芳香を吸って成長したため、彼女自身が有毒化してしまったことを告白している。したがって、この大詰めの種明かしを読んだあとで引用(3)、(4)を読みなおせば、それらの〈かのように〉の部分には相当の事実が含まれていたことが分かるのである。 

 だが、すでに見たように、ジョヴァンニにとっては、それらの事実は空想と綯いまぜられて気づかれることなく見逃されてしまう。言ってみれば彼にとっての〈かのように〉は事実を見えにくくさせる眼の鱗である 。 

 ここでわたしたちはつぎのような読者を想定してみよう。その読者はこの作品をはじめて読み、しかもまだ大詰めまでは読みすすんでいないと仮定しよう。そのような読者の目に引用(3)、(4)の下線部はどのように見えるだろうか。もちろんその読者にはその部分が事実を語っているか否かはまだ判断できない。その読者に分かることは、それが空想癖のつよいジョヴァンニによって語られているということで、したがってその読者は叙述をそのまま信用するわけにはいかないという気持ちを多少なりとも抱きながらこの部分を読むであろう。ということは、この読者にとっても〈かのように〉は眼の鱗として働いているということを意味する 。 

 このことを語り手の側から考えるならばどうなるか。語り手は事実をまるでジョヴァンニの空想である〈かのように〉語って、読者の目を晦ましたということになるであろう。つまり語り手にとって〈かのように〉は読者をジョヴァンニとおなじ欺かれやすい位置におくための有力な武器なのである 。 

 この語り手の叙述態度は〈かのように〉という字句と不即不離の関係にあるけれども、〈かのように〉と合同ではなく、この叙述態度が〈かのように〉という字句を用いずに表出されることもある。つぎに挙げるのはその好例 であろう 。 


(引用5)

庭を耕している人物 ----- 人間の労役のなかでもっとも素朴でもっとも汚れがなく、堕落以前の人類の始祖たちにとっても喜ばしい労働であったあの仕事をしている人物 ----- のなかにこうした不安気な様子を見ることは、若者の想像力にとって妙に怖気をそそらせることだった。するとこの庭は現代世界のエデンなのだろうか。そして、おのれの手で育てたものにあれほど危害を感じとっているあの男、彼はこの庭のアダムなのだろうか

                      (96)


 この引用文の末尾でラパチーニの庭をエデンの園に擬えているのは誰だろうか。庭仕事から人類の始祖たちの労働に想いを馳せるという空想の質は、これまで確認してきたジョヴァンニの空想の質と同質性を感じさせる。また「若者の想像力にとっては」という表現もあるから、末尾の問い掛けも語り手がジョヴァンニに扮役して語 っていると解釈するのがひとまず順当であろう。 

 けれども、この空想と問い掛けは直接話法によってはっきりジョヴァンニに帰属させられているわけではない。それは扮役話法らしき話法によって語られており、そのため扮役話法につきものの発話の主体の曖味化がおきている。つまり、どこからどこまでがジョヴァンニのもので、どこからが語り手のものか、究極的には決めがたいのだ。見方によれば語り手は、あたかもじぶんがジョヴァンニである〈かのように〉語ることによって、ラパチーニの庭を現代のエデンに擬えているかどうかについて、語り手自身の回答を示さずにすませている〈かのように〉見える。

 ところで、語り手にこのような語り口をとらせているのは言うまでもなく作者のホーソンである。したがってホーソン自身もまたこの問題について口を濁していると考えざるをえないであろう。従来数多くの評家たちがこの引用部の末尾に着目して、ホーソンがこの作品でエデン神話の焼直しを目論んでいると主張してきたが 、 そうした見解は作者ホーソンの〈かのように〉の態度を正当に理解していないように思われる。確立し流布している伝承は、作者にとって、自己同一化すべき信条体系ではなくて、使うべき武器である。作者ホーソンがやろうとしていることは、その武器を利用して伝承自体のもつ幅と陰影を作品に添えることであって、エデン神話についての彼自身の見解や感想を披瀝することではない。ホーソンの目的は倫理的というより実利的であって、したがって語り手にも倫理的潔癖さをあたえてはいない。この作品の語り手は客観的に事実のみを伝える語り手ではない。作中のラパチーニ博士もバッリョーニもいずれも架空の人物で、したがって2人のあいだの学問上の論争も現実には存在しないのだが、語り手は「もし読者がじぶんで判断したいと思うならば、パドゥア大学の医学部に保存されているブラック体の両氏の論文を調べることを勧めたい」(100)と語ったりする。 


③ たとえばワゴナーはわたしたちがいま論じている一節にもとづいて「パドゥアの一庭園から神話の庭園へと移動する」という。 Hyatt Wagonner, Nathaniel Hawthorne, revised ed. (Belknap Press, 1963) 115. また、フォーグルは、大詰めの場面でビアトリーチェとジョヴァンニに手を差し伸べるラパチーニの仕草に、創ったばかりのアダムとイヴを祝福する「神のパロディー」を読み、「この物語ではエデン主題がたえず暗示されている」と述べている。Richard Harter Fogle, Hawthorne’s Fiction: The Light & The Dark (Univ. of Oklahoma Press, 1975) 99.  これらの神話的解釈のなかでもっとも興味ぶかいのは、この物語の人物設定に「逆立ちした創世記物語」を読むエヴァンズの説である。つまり、善悪、性別のすべてを逆転させて、ラパチーニ=サタン、ビアトリーチェ=アダム、ジョヴァンニ=イヴ、バッリョーニ=善をすすめる蛇、と解釈するのだが、エヴァンス自身が認めているように、「頭の体操」めいた感じがしないでもない。Oliver Evans, “Allegory and Incest in ‘Rappaccini’s Daughter’”,  The Nineteenth-Century Fiction, Vol.19 (Sept. 1964) 185-95


 彼はいわゆる〈信用できない語り手〉の一人であって、積極的に読者の混乱や誤解を誘い出そうとすることもある。たとえば、ジョヴァンニが超自然の現象を目撃する場面を語り手はどう語っているか。トカゲが灌木の樹液をあびて痙攣死したように見えたとき、語り手はまず「ジョヴァンニの呷った葡萄酒が彼の感覚を狂わせていたのでなければ」(102)と前置きし、さらに、花柄から垂れたように見えた樹液について、「彼の見ているその距離からでは、それほど微細なものが見えるはずがなかったのだが」(102)と注釈を加え、そのあと、ビアトリーチェの息にあたって蝶が落ちたように見えると、「こんどばかりはジョヴァンニ・ガスコンティの眼の錯覚でないはずはなかった」(103)と駄目をおす。つまり語り手はそうした非現実的な現象がジョヴァンニの眼の錯覚かもしれないという常識的な解釈に読者を誘導しているのだが、じつをいえばラパチーニの庭では非現実が現実なのだから、語り手の上記の前置きや注釈や駄目おしは反事実なのである。この作品の語り手の語り口は発話の主体が語り手自身なのか作中人物なのかはっきりしないことがあるということはすでに指摘したが、この部分の語り手もそうした鵺のような語り口を利用して、ジョヴァンニとともに読者をも、常識的だが事実に反する誤解に誘きいれているのである。


④ 「信用できない語り手」はブースの創始した用語。Wayne C. Booth, “Henry James and the Unreliable Narrator,”  The Rhetoric of Fiction, 2nd ed.  (Univ. of Chicago Press, 1983) 339-74.

 

 もっともいま挙げた例は語り手の信頼できなさのうちではむしろ見易い部類に属していて、語り手がもっと隠微な二枚舌を弄しているようにみえる箇所もある。たとえばすでに引いた引用(4)はその好例であろう。語り手は引用の中程でジョヴァンニの空想が「病的」になっていたことを認め、そう判断する根拠として引用の後半部で語られているジョヴァンニの空想 ----- 少女と灌木は姉妹である ----- を挙げている。 

 だが「病的」なのはむしろ引用の前半部なのではないだろうか。この部分はビアトリーチェの姿をはじめて庭上にみかけた直後にジョヴァンニの脳裏をかすめた想念を叙している。ここでの「処女の帯」は、表面上の文脈では、少女のビアトリーチェが衣服のうえから締めている帯紐を指しているだろう。けれども、「処女の帯のゆるめかた」といった常套句をみても分かるように、「処女の帯」は純潔や少女の肉体をも暗示するのであって、そのような表面下の文脈で読めば、このときジョヴァンニの性に餓えた眼はビアトリーチェの衣服を透視して、「生気と健康と精力」にみちた彼女の肉体に注がれていたのではないだろうか。そのように考えなければ、「いわば縛りつけられ、おし籠められ、きつく締めつけられている」という加虐的な同義語がつみ重ねられていく心理的動機が理解できないし、また「いわば」という言い訳めいた意味深長な一句の存在理由も説明できないからだ 。他郷の大学へ遊学してきたばかりの男子学生、親の監視の眼をはなれ、行動の自由を得たばかりの大学一年生が異性にたいしてどんな夢想をはぐくみ、どれほど性的に過敏になっているかは洋の東西、古今の違いはないだろう。したがってジョヴァンニが女性に飢え、性的な妄想を恣にしたとしても、それだけで彼を「病的」とよぶことはできないが、ヴィクトリア朝人の従兄であるホーソンが性欲にたいして率直な態度がとれなかったのは当然であろう。ホーソンは語り手に、まるでここには性欲の問題などない〈かのように〉素知らぬ顔をさせ、「病的」の矛先をもっと無害な空想 ----- 少女と灌木は姉妹だ ----- に転位させたのではないだろうか 。

 このような語り手のくだす価値判断にはわたしたちはじゅうぶん用心して対応すべきだろう。たとえば語り手はジョヴァンニにたいして全体的に否定的な口吻をしめしている。ジョヴァンニは「ふかい心情」(105)を持っておらず、「感情のある種の浅薄さと性格の不誠実さの印」(121)の持ち主で、じぶんの美貌にたいしてナルシスティックな「虚栄心」(121)を抱いており、大詰めの場面では語り手によって「おお、弱々しい、利己的な、下劣な精神よ」と徹底的に断罪されている。 

 けれどもその一方で、ジョヴァンニがビアトリーチェに魅了され、有毒化された挙句、彼女に騙されたと感じて難詰する展開は、きわめて自然に、きわめて現実的に書きこまれている。いいかえれば、ジョヴァンニ個人の性格の欠陥よりも、青年期の人間一般の弱さをこそ思い浮べるべきだと読者に感じさせる要素が作中には充満している。たとえば、ジョヴァンニが下宿屋の女将の手引きでラパチーニ庭へ忍びこんでいくときの心理はどのように描かれているだろうか。彼はまず女将の誘いの背後にラパチーニ博士の差し金があるのではないかと疑うが、ビアトリーチェに会えるかもしれないという期待のために立ち止まって熟慮することができない。


(引用6)

彼女が天使なのか悪鬼なのかは問題ではなかった。彼は彼女の領域に後戻りできないほど深入りして、たえず輪を狭めてきりきり舞いさせながら、彼を予想もしなかった結末の方へおしやっていく定めに従わなければならなかったのだ。だが、奇妙な話だが、彼の心をとつぜんの疑いが過ぎることがなかったわけではない ----- じぶんのこの激しい関心は妄想なのではないか ----- 予測不能な立場に突き進もうとしているいまのじぶんを正当化できるほど、それは深く積極的な性質のものなのだろうか ----- たんにそれはじぶんの心とは全然あるいはかすかにしか結びつかない、若者の頭脳のつくりだす幻想にすぎないのではないか!                                       (109)


 ジョヴァンニはなにかの罠がまちうけているかもしれないことをうすうす察知しているし、じぶんの執着がほんものの愛情ではなく、性の吸引にすぎないかもしれないことにもなかば気づいている。それにもかかわらず彼が踏みとどまることができないのは、それが男と女の性という「定め」が然からしむるからなのだ。ここには、我にもあらず女性に魅きつけられていく若い男性の性のすがたが間然するところなく描出されているといってよい。 

 注目すべきことは、この一節には語り手の道徳的批判や価値判断がふくまれていないということである。つまり語り手は〈解説者〉と〈描写者〉を使い分け、〈解説者〉としてはジョヴァンニに酷評をくだすが、〈描写者〉としては、衝動につきうごかされる青年の自然なすがたを、批判や判断をはなれて、客観的に描出している〈かのよう〉だ。 わたしたちはここにも語り手の〈かのように〉の態度を感じざるをえない。つまり、語り手は〈解説〉ではジョヴァンニを断罪する〈かのように〉ふるまいながら、〈描写〉においては彼を青年一般に普遍化することによって相対的な救抜を試みているようにみえる。 

 ビアトリーチェの扱いにおいても、同じことが、ただし逆向きに起こっている。ジョヴァンニはビアトリーチェを「幼児」(112)のような「素朴で、自然で、このうえなく愛情ぶかく、術策のない人間」(120)であり、「彼女の性質にはやさしく女らしい特質がすべて備わって」(114)おり、その一方「愛の極致、愛の英雄的行為をなしうる力」(114)も秘めていると考えているが、語り手はこのようなジョヴァンニの手放しのビアトリーチェ賛美に留保をつけず、むしろ同調しているように見える 。

 このような語り手のビアトリーチェ肯定の態度がもっともあからさまになるのは大詰めの場面である。この場面で ジョヴァンニは、毒に耐性のある配偶者を手に入れるために意図的にじぶんを庭内におびきいれ、毒に感染させたのだろうとビアトリーチェを詰る。そしてその後で、彼女の体内の毒を除去したうえで結婚したいといい、バッリョーニからもらった解毒剤をビアトリーチェに手渡す。ビアトリーチェはジョヴァンニの言葉にふかく傷つけられるが、じぶんの体内の毒を中和したいという自己愛からではなく、愛するジョヴァンニのために解毒剤の毒見をすることを決意し、薬を服み、 毒化していたじぶんの肉体を薬によって破壊されて死んでいく。つまり語り手は、「弱々しく、利己的で、下劣な」ジョヴァンニと対照させて、ビアトリーチェの死をイエス・キリストのそれのごとき愛他的な死と〈解説〉しているのである 。 

 だが、〈描写〉のなかから現われるビアトリーチェのすがたはそれほど無邪気でも清純でもないように見える。大詰めの場面でジョヴァンニから難詰されたとき、ビアトリーチェは「わたしはただあなたを愛し、しばらくあなたと一緒にいて、それからあなたの面影だけをわたしの心に残して、立ち去ってもらおうと夢見ていたのよ」(125)とじぶんを弁護する。彼女が潔白であるかどうかはこのコトバが真実かどうかにかかっているが、作中の 〈描写〉のなかには彼女のこの自己弁護を疑わせるものが描かれているのではないだろうか。

 ビアトリーチェは灌木の毒がトカゲや蝶のような小動物ばかりでなく人間にとっても致命的であることを熟知している。さもなければジョヴァンニが灌木から花を一輪摘もうとしたとき、彼の手に翌朝まで指の痕が残るほどの力で彼をひき戻すはずはないからだ。ところが場面(6)で、知り合いになるきっかけにジョヴァンニが2階の自室から花束を投げ与えたとき、ビアトリーチェは「お返しにこの大切な濃紫の花をさしあげたいけれど、この花を空に投げても、あなたには届かないでしょう」(104)と答えている。たとえ近くにいてもその猛毒の花は与えられないことを熟知しているにもかかわらず、だ。ビアトリーチェは「ビアトリーチェ・ラパチーニの唇から出る言葉は心の奥底からあふれる真実です。それは信じてくださっていいわ!」(112)と力説するが、彼女の言葉に綾がないわけではないことはこの一例をみただけでも分かるであろう。 

 さらに彼女は、じぶんの息がジョヴァンニに有害であることにも気づいていたように見える。二人は ふかく愛しあうようになっていったにもかかわらず、接吻はおろか抱きあうことすらない。彼女はたえず「彼女の服がそよ風にあおられて彼に触れることすらない」距離(116)に彼を遠ざけている。そしてジョヴァンニがその距離を踏みこえようとすると「ビアトリーチェはひどく哀しげな、ひどくきびしい態度になり、さらには、じぶんでじぶんに身震いしたくなるような侘しい別離の表情をうかべた」(116)。 語り手は一言も〈解説〉していないが、ビアトリーチェがじぶんの息の毒性を自覚し、ジョヴァンニをじぶんの息の届かぬ距離に遠ざけようとしているのを〈描写〉している〈かのよう〉だろう。 

 このようなビアトリーチェ ----- 植物毒について父親譲りのふかい知識をもち、医学部教授に就けるだけの学殖があると噂されているビアトリーチェ ----- が毒樹の瘴気がたえず漂う庭でジョヴァンニと逢引きすることの危険にまったく気づかなかっ たと考えるのは不自然だろう。むしろ、その危険に気づきながらも、ジョヴァンニとの逢瀬の楽しさに、その危険を意識の外におしやっていたと考えるほうが自然であろう。最後の場面でジョヴァンニからじぶんを毒に感染させたと面罵されたとき、彼女は痛いところを衝かれ、「ええ、わたしを足蹴にしてちょうだい ----- 踏み躙ってちょうだい ----- 殺してちょうだい! ああ、あなたのそんな言葉を聞いたあとでは、死なんてなんでしょう? でもわたしがしたことじゃなかったのよ ----- 山ほどの幸福がもらえても、わたしならそんなことはしなかったでしょう!」(125)とさけぶ。この言葉のなかには、良心の悲鳴と女の手管の両方が縫れあっているのではないだろうか。「殺してくれ」と叫んでいるのはじぶんの責任を認める彼女の良心であろう。いっぽうじぶんの潔白さを疑われるぐらいならば死んだほうがましだと言い募るのは女の手管かもしれない。ジョヴァンニを毒化させた全責任はラパチーニ博士にあるのか、それともビアトリーチェにも責任の一班はあるのか、これはまことに微妙で、ビアトリーチェ自身にも答えの出しにくい難問だろう。だがビアトリーチェはじぶんの潔白を疑われるのならば死んだほうがましだと言い募ることで、その難問との対決をすり抜けているのではないか。すでに指摘したように、彼女のコトバには綾がないわけではないのである。


⑤ ジョヴァンニが「あなたは花々の効能をよくご存じだという噂だが」と尋ねたとき、ビアトリーチェは「わたしはこの花々のなかで育ちましたけれど、花については色合いや香のことしか知りませんの。それに時にはそのわずかな知識さえ無ければいいのにと思いますのよ」と答える(111)。だが、すでに指摘したように、彼女の言葉のすべてが信用できるとはかぎらない。もし知っているのが花の色と香りだけであれば、ことさらそれを無くしたいと願うのは不自然であろう。彼女のいう「そのわずかな知識」には花の毒性に関する知識が含まれていると考えるのが妥当だろう。バッリョーニは「美しく、学殖ゆたかなビアトリーチェ嬢」が患者に投薬していることを仄めかしている(118)。


  このように考えてくると、解毒剤をのむという彼女の行為も、彼女が主張し、語り手の〈解説〉が支持している自己犠牲や、裏切られた愛への絶望だけがその動機ではないようにも思われてくる。そこには罪滅ぼしや自己処罰という動機も加わっていたように思われるし、面当てという要素すら混ざっていたかもしれない。彼女の臨終の言葉は「おお、最初からあなたの性質のなかには、わたしの性質のなかより、もっと多くの毒があったのではなかったかしら?」(127)であって、わたしたちはその言葉にこもる怨みの調子を見逃すべきではない。ジョヴァンニにたいする糾弾のみをこの言葉に読むことは、多義的な表現の一面のみに光を当てるものだ。

 ホーソンはこの作品を書く数年前の1838年にメアリ・シルスビというコケットに翻弄され、しばしば寄稿していた『民主評論』の編集者ジョン・オサリヴァンに決闘をもうしこんだことがあった。この決闘事件の真相は伝わっていないけれども、オサリヴァンのなにかの言動に腹をたてたメアリが、それをホーソンに訴え、メアリに惚れていたホーソンが彼女の騎士役を買ってでて白手袋を投げたけれども、旧友のフランクリン・ピアースとジョナサン・シリーの説得で彼女の言い分のおかしさに気づき、決闘の申し込みをとりさげた、というのがそのあらましだったようだ。ホーソンとオサリヴァンの交遊はすぐに回復し、ホーソンは1838年の11月にこの事件について興味ぶかい手紙をオサリヴァンに出している。その手紙によると、事件後ホーソンはメアリと絶交していたが、メアリから招待がきて彼女の家を再訪したことがあったようである。前後の経緯から考えて、その会見ではじぶんのほうが彼女にたいして優位にたっていたと思うかもしれないが、事実はそうではなかった、とホーソンは書いている。「すべての栄光は彼女の側にありましたし、それも小さな栄光ではありません。だって、非道い目にあわされた男に、非道いことをやったのはじぶんのほうだという気にさせたんですからね ----- それも例の問題[決闘事件のこと]は口に出してはいけないような気持ちにさせておいて、ですよ ----- しかも、すごく威厳のある態度をとって僕をじぶんの望みどおりの距離に遠ざけ、それでいて、口論をしかけにくいような優しさをみせて、その威厳を中和させたのですからね」。こうした女性の手練手管に苦しんだことのあるホーソンが、「ラパチーニの娘」の語り手の歌いあげるビアトリーチェの無邪気さや自己犠牲を文字どおりに信じていたとは考えがたい 。ここでもホーソンはビアトリーチェが聖女である〈かのように〉言挙げしながら、その一方で、したたかと言えなくもない彼女の一面をさりげなく〈描写〉しているように見える。


⑥ The Centenary Edition, vol. XV, 278.  この作品の前書きにでてくるComte de Bearhaven O’Sullivan のことである。ホーソンはオサリヴァンのことを Count(comte)という仇名で呼んでいた。


⑦ メロウはビアトリーチェとラバチーニ博士の関係にメアリ・シルスビとその父親の関係が反映されていると考えている。メロウの意見は示唆的だ。James R. Mellow, Nathaniel Hawthorne in His Times (Houghton Mifflin, 1980) 99-126.


 さて、以上で見てきたように、〈かのように〉は単に作中人物ジョヴァンニが愛用する表現というにとどまらず、語り手の語り口の特性でもあり、またその語り手を操る作者ホーソンの叙述態度のそれにもなっている。ホーソンはジョヴァンニを否定する〈かのように〉断罪しながら、その人間的弱さを黙認する〈かのように〉描写している。ビアトリーチェは聖女である〈かのように〉称揚されているが、彼女のエゴイズムも見逃さず〈描写〉されている〈かのよう〉だ。ホーソンは作中のあらゆる要素にたいしていわば片脚の体重しかかけず、すべてにたいして〈かのように〉の態度で接していると言っていい。わたしたちは本論の冒頭で、この作品では〈かのように〉という表現が偏った使われ方をしていて、バッリョーニが登場する三つの場面(計9ページ弱)ではただ1度しか用いられていないことを確認し、その偏在の理由の究明を本論の課題の一つとしたのだったが、わたしの考えではこの問題もホーソンの〈かのように〉の態度とふかく係わっている。

 ピエトロ・バッリョーニは4つの場面でとびとびに点綴されるフラットな幅次的人物にすぎないが、それだけに作中での彼の役割は見やすく、それぞれの場面でのわずかな言動を繋ぎあわせれば、かれの本質はすぐに灸りだせる。

  バッリョーニは、最初に登場する場面(2)で、ジョヴァンニと酒をのみながら「わしはビアトリーチェ嬢についてはほとんど知らんがね、ラバチーニはじぶんの学問をふかく彼女に教えこんだということで、噂では彼女は若くて美しいそうだが、すでにもう教授の椅子を占めるだけの資格を備えているということだ。たぶん、あの父親は彼女をわしの椅子に座らせるつもりなのさ!」(101)ともらす。この物語の時代設定はおそらく16世紀か17世紀であり、その時代に女性が大学教授になることはありえなかった 。したがって、バリョーニの言葉の終わりの部分は、彼がビアトリーチェを教授職のじっさいの競争相手として警戒しているということではなく、たんなる冗談とうけとめるべきだろう。だが、 酔余の冗談がかえって心底を暴露することはよくあることだ。学問上の競争で後れをとっているのではないかという不安、専門知識をもつ女性にたいする男尊女卑的な反感、それらが絡まりあって上記のような冗談となって顕れたということはありうるだろう


⑧ バッリョーニがジョヴァンニに与えた薬瓶は16世紀中葉のイタリア人金工家 Benvenuto Cellini(1500-71)の作ということになっている。また、レトルトのかわりにalembicの語が使われ、empiricがまだ悪口であった時代を考えると16世紀末から17世紀という推定がでてくる。ラウラ・バッシが女性として始めて大学教授に就任するのは1731年、18世紀になってからである。


⑨ バッリョーニの男尊女卑性については、Carol Marie Bensick, A Nouvelle Beatrice(Rutgers Uni. Press, 1985) 131-37に指摘がある。 


 つぎにバッリョーニが登場するのは、かれがジョヴァンニと路上で立ち話をしているところヘラパチーニが来合せ、ジョヴァンニをじっと見詰める場面(4)においてである。この場面でバリョーニはラパチーニがジョヴァンニを「ひとつの実験材料」と見ていることを確信し、「まことに学殖ゆたかなラパチーニよ、たぶんわたしは、おまえの夢にも思わぬところで、おまえの裏をかいてやるぞ!」(108)と独白する。バリョーニがラパチーニにたいする復讐の妙手を思いついたのはこのときで、前後を読み併せれば、ラパチーニからうけた学問上の屈辱をかれの娘に危害を加えるというねじ曲がった形で報復することが「おまえの裏をかく」の含意であったことは明らかだ。

 さて、このような伏線を考慮すれば、場面(7)でバッリョーニがジョヴァンニに手渡す解毒剤が善意だけによって調合されたとは考えがたくなる。その解毒剤をビアトリーチェに服ませるように勧めるときのバッリョーニの表向きの理由は、「この不幸な子どもを、父親の狂気が離反させてしまった尋常な自然の枠内に連れもどすことも、ひょっとしたら可能かもしれない」(119)だが、その解毒剤がただの解毒剤でないことは、それを置いてジョヴァンニの部屋を出たとたんに「いずれラパチーニの鼻をあかしてやるぞ!」(119)とバッリョーニがほくそ笑むのをみれば明らかだ。彼が薬瓶に文字どおりの毒薬をいれておいたと解釈するのは行きすぎだとしても、解毒剤がビアトリーチェには毒として作用することをバッリョーニが見越していなかったと考えるのも、逆様の行きすぎであろう。バッリョーニにとっては、解毒剤が効いてビアトリーチェの毒性がきえても、解毒剤の逆作用で彼女が死んでも、どちらでもよかったのであろう。前者の場合でも、宿敵のラパチーニが長年かけて築きあげた科学上の成果 ----- 毒の娘 ----- を潰えさせることができるからだ。したがって、物語の大詰めでのビアトリーチェの死はバッリョーニの未必の故意によるものと見倣されるべきで、だからこそ物語の最後でバッリョーニが急に窓から顔をだして「ラパチーニ! ラパチーニー! すると、これがあんたの実験の結論なんだな!」(128)と叫ぶとき、その声が「恐怖のまじった勝ち誇った口調」(128)になっているのである。この物語の閉じ方は、物語全体の展開からみると、ややとってつけたような不自然さを感じさせるけれども、バッリョーニという副主題の起承転結としては、理にかなった、欠くべ かざる帰結になっている。

 さて、このように考えてくると、ピエトロ・バッリョーニの本質が利己的な復讐者にあり、出世欲、保身、じぶんの手を汚さない教唆扇動、証拠をのこさぬ間接殺人といった、きわめて現世的で生臭い人間の暗部を体現していることが納得されるであろう。

 注目すべきことは、このバッリョーニの世俗性がジョヴァンニからそれまでの彼とはちがう一面を抽きだしていることである。ジョヴァンニは、じぶんの大学の教授であり、父親の旧知であるバッリョーニにたいして、「尊敬す べき教授」(100)、「もっとも学識ある教授」(100)、「教授先生」(107)というように、つねに敬称で 呼びかけることを忘れない。いっぱう、ラパチーニのことは初めのうち「ラパチーニ博士」と呼んでいるが、バッリョーニがラパチーニに敵意をいだいているのが明らかになったとたん、ただの「この医者」(101)に呼び方をかえている。ここから浮かんでくるのは、その場の空気を機敏に察知する世故にたけた青年の姿であって、ラパチーニ庭を見下ろしているときの空想的な文学青年とは一味ちがっている。

 わたしの考えでは、このジョヴァンニの変貌がバッリョーニにかかわる場面で〈かのように〉がほとんど使われていない根本の理由である。これまでの検討ですでに明らかであろうが、〈かのように〉の淵源は、了解不能なラパチーニ父娘に直面してジョヴァンニが苦しまぎれに繰りだす臆測や空想にあるのだから、徹底して現実的なバッリョーニの言葉のなかはもちろん、バッリョーニに応接しているときの現世的なジョヴァンニの言葉や意識のなかにも、〈かのように〉がはいりこむ余地はないのである。バッリョーニの登場場面で唯一用いられる〈かのように〉が、ちょうどそのとき通りかかったラパチーニ博士の不可解な表情を説明する文「にもかかわらず、その表情には、あたかもその若者に人間的な興味ではなく、思弁的な興味しかいだいていない〈かのよう〉な、独特な静けさがあった」(107)のなかに出てくるのは示唆的だ。ホーソンの〈かのように〉の使用はかくのごとく意識的で、それはラパチーニの謎に当惑している夢見がちなジョヴァンニ(あるいはそのようなジョヴァンニに扮役した語り手)によってのみ用いられ、現実主義者バッリョーニによっても、またバッリョーニの相手をしているときの抜目のないジョヴァンニによっても使われることがない。また、ジョヴァンニがラパチーニ庭にいるときでも、すべての謎が解きあかされたあとの大詰めの場面では、もはや〈かのように〉を生みだす培養基 ----- 臆測 ----- が失われているのだから、〈かのように〉が発生する謂れはないのである。

 おなじように厳格な整合性が場面の構成にも見られる。本論冒頭の表をみれば分かるように、場面(5)と(6)を一つながりの1場面と見れば、この作品はラパチーニにかかわる場面と、バッリョーニにかかわる場面とを交互に3度ずつ繰り返し、そのあとに大詰めの場面をおく形で構成されている。ホーソンの意図は透けて見えるようだ。 

 ホーソンがラパチーニにかかわる場面で扱おうとしている題材は、交配によって人工的に創られた毒の木やその毒で育てられた毒の人間であって、それらは言うまでもなく非現実の存在である。この題材の非現実性は作中でおこる事件にもとうぜん影響し、トカゲが毒の木の樹液をあびて悶死したり、蝶や花束がビアトリーチェの息にあたって死んだり萎れたりするといった事件も非現実に属している。

 だが、題材や事件の非現実性を強調してこの作品を興味本位の空想怪奇物語(ゴシック・ロマンス)にしたてるつもりはホーソンにはなかった。彼にとって「人間の心の真実」からはずれることは「許しがたい罪」 だったのであって、そのことは題材が非現実のものであっても変わりはなかった。非現実の題材をつかってホーソンが描こうとしたのは、非現実に直面したときの人間の現実だった。非現実と現実の融合、これがこの作品でホーソンがやろうとしていることである。そのため彼は、非現実の場面と現実の場面を規則ただしく反復して読者の意識を両者のあいだで往復させ、この作品を空想怪奇物語(ゴシック・ロマンス)でもあり人間実態のリアルな剔抉でもあるかのようなコングロマリットに作り上げたのである。


⑩ 『七破風の家』の序文のなかの言葉。The Centenary Edition, vol.II, 1.

 

 このどちらつかずの〈かのように〉の態度は作品の末尾まで堅持されている。大詰めの場面でビアトリーチェが天使のごとく自己犠牲の死をとげた〈かのように〉みえた直後に、人間の利己心を体現するかのようなバッリョーニが悪魔のごとき声を響かせる。人間を性善とみるか性悪とみるか、ホーソンは言明することなく〈かのように〉の態度を貫 徹させたといってよい。

 ホーソンの息子ジュリアンによると、ホーソンは「ラパチーニの娘」を結末ちかくまで書きおえた段階になっても、大詰めをどうするか決めていなかった、という。ホーソンが妻のソファイアに書きかけの原稿を読んできかせたところ、彼女から「でもそれはどういうふうに終わるのかしら。ビアトリーチェは悪魔になるんですか、それとも天使になるんですか」と尋ねられ、「ホーソンはいささか感情を露にして『分からんね!』と答えた」とジュリアンは書いている


⑪ この挿話はジュリアンの生まれる前の話で、おそらく母親ソファイアからの伝聞だろうが、じぶんの意見で名作の末尾が変えられたと考えることはソファイアの自尊心をくすぐることであったろう。彼女の証言は割り引いて考えるべきである。Cf. Julian Hawthorne, Nathaniel Hawthorne and His Wife: A Biography, 2 vols. (Archon Books, 1968)  I  360.

 

 ジュリアンはホーソンの「分からんね!」を文字どおりにとって、結末がまだ決まってはいなかったと解釈したようだが、わたしは「分からんね!」に先立つ「いささか感情を露にして」のほうに興味をそそられる。というのも、 ビアトリーチェは「悪魔」なのか「天使」なのかというソファイアの言葉は、おそらく、すでに引用(6)で触れた「彼女[ビアトリーチェ]が天使なのか悪魔なのかは問題ではなかった」(109)を踏まえているのであって、この言葉が示唆しているように、ビアトリーチェを「天使」と「悪魔」のどちらでもあり、またどちらでもない〈かのように〉描くことがホーソンの狙いだったとすれば、妻の言葉はあまりにも教条主義的で、じぶんの意図をまるで理解していないものに聞こえたであろう。ホーソンは憤懣のあまり返事をする気も失せて、「分からんね!」と突き放したのではなかったか。物語の末尾をどっちつかずの形にすることは、じゅうぶんに考えぬかれた決定ずみの腹案であったようにわたしには思われる。 

 この作品の構成について考えるとき想起されるのは、エドガー・ポーが「構成の原理」(1846年)のなかで述べている言葉である。じぶんの創作過程を意識によって隅々まで統括したいという狂熱にポーが捉えられていたことはよく知られている。彼の考えでは、物語のプロットは、書きはじめる以前に、結末の大団円まで決定されていなくてはならない、さもないとプロットに不可欠な因果関係が失なわれてしまう、という。そしてポーはつぎのような彼自身の作品構成法を披瀝している。「わたしならば〈効果〉を考えることから始めたい。独創性をつねに念頭におきながら ----- これほど明白でこれほど容易に得られる読者の関心の源泉を無視するのは作者としてじぶんを偽るものだ ----- わたしはまず第一に『感情や知性、あるいはもっと広く、心が受け容れられる無数の効果や印象のうち、現在の場合どれを選ぶべきだろうか』と自問する。第一に新奇で、第二に生き生きした効果を選んだら、それがいちばんよく生かされるのは事件によってか調子によってか ----- 尋常な事件と異常な調子によってか、その逆か、それとも事件も調子もともに異常にすることによってかを考え、そのあとでその効果の達成にもっとも役立つような事件や調子の取り合わせをわたしの周囲に(というか、わたしの内部に)探し求めるのである」。 つまり、読者の感情を刺 激するにせよ、理知を刺激するにせよ、とにかく読者に強烈な印象をあたえるような「効果」をひとつ決めるのが先決だ、とポーは主張する。そしてその「効果」が決まったら、それをもっともよく生かす「事件」と「調子」の組合せを選び、あとは「数学の問題を解くような正確さと厳密な因果関係」 をもって細部を構築せよ、とポ ーは奨めている。


⑫ Edgar Allan Poe, “The Philosophy of Composition” Poe: Essays and Reviews (The Library of America, 1984) 13


⑬ Poe, “Philosophy,” 15.


 もちろんホーソンはポーとはタイプの異なる作家だから、ここで言われているとおりの方法をホーソンが採ったかどうかは分からない。ポーの言うようにすべてが執筆前に計画され決定されていたのではなく、書いているうちに試行錯誤したかもしれない。だが、そうした違いがあったにしても、現在わたしたちのまえに置かれている「ラパチーニの娘」がポーの方法に合致してみえることはたしかである。つまり、あるひとつの「効果」を生かすように「事件」と「調子」が配合され、各部分が数学的な精密さで組み立てられていることは間違いない。

 では、この作品の核になる「効果」とはなんだろうか。わたしの考えでは、それはヒロインのビアトリーチェが読者の情緒に訴えかける哀切さである。ビアトリーチェは生まれたときから父親のラパチーニ博士によって毒で育てられ肉体を毒化されてしまうが、そうした悲運のなかでも幼児のような純真さを失わない 。たとえ語り手によって彼女のエゴイズムや手練手管が隠微に暴露されているにしても、邸内に閉じこめられ、世間との付き合いも許されず、父親に弄くりまわされて奇形者にされてしまった娘の本質的な哀れさは圧倒的に読者の胸をうつ。しかも、じぶんを父親から救いだしてくれるはずの恋人によってさらに裏切られるという設定は、彼女の哀切さを倍加させるから、それがこの作品の核になる「効果」だとみてよいだろう。


⑭ 毒の女が父親によって作られるという着想をホーソンはどこから得たのであろうか。毒の女そのものは、彼が Sir Thomas Browne, Pseudoxia Epidemica で読んで、1839年1月の「ノートブックス」に書き写した一挿話(The Centenary Edition, vol.VIII, 184)から着想をえたのだが、ブラウンの伝える毒の女はアレキサンダー大王を殺害するためにインドの王候が作ったことにな っていて、父親がじぶんの娘を毒女にするという一捻りはどうやらホーソンの独創である。この一捻りの出所について確かなことは不明だが、ホーソンの「周囲(というか、彼の内部)」を探ってみると、その背景めいたものが 推測できないわけではない。それは、この時期のホーソンが長女をもうけたばかりの成りたての父親だった、ということである。ホーソンは1843年1月に ----- ということは、新婚後半年しか経っていなかった時期に ----- 新婚の夫が新妻の肉体の小さな痣が気に懸ってたまらず、その痣をとろうとして妻を殺してしまう無惨な話「痣」を書いている。ホーソンは血族にたいするじぶんの関心や感情が濃密になることに過敏に反応するタイプの人間だっ たから、生後半年の娘のおむつをとり替えながら、娘への情愛が父娘相姦的であるかどうか考え込んでいるホーソンを想像してみるのはよいことだ。ホーソンが作中の親と子の関係にある種の歪つさをあたえようとしたことは確かだとおもわれる。ビアトリーチェはまるで父親だけの子どもである〈かのように〉、彼女の母親は作中に登場することはおろか、言及されることもない。いっぽうビアトリーチェがジョヴァンニの故郷のことを尋ねるとき、彼女は「彼の母親と彼の姉妹たち」(112)についてだけ質問し、彼の父親や兄弟については触れていない。まるで二つの家族が父親と娘、母親と娘だけでできている〈かのよう〉だ。オイディプス・コンプレクスやエレクトラ・コンプレクスといった、ホーソンが知っていたはずのないフロイトの用語を連想させる奇妙な親子関係である。もっとも、だからといって、ラバチーニとビアトリーチェとジョヴァンニのあいだにあからさまな三角関係が生じているというわけではない。そのような直接的な意味合いではこの作品は近親相姦を扱っていない。ラバチーニにとってジョヴァンニは、性的敵対者ではなく、いわば第二の毒の木である。彼は幼児のビアトリーチェに毒の木という玩具をあたえ、それを偏愛するようにしむけた。ジョヴァンニは結婚適齢期にたっしたビアトリーチェにラバチーニがあたえようとする第二の玩具、第二の毒の木なのである。最後の場面でもラバチーニはビアトリーチェが似合いの配偶者を得たことを嘉するのみで、父親が娘婿に感ずる類の嫉妬を示していない。だが、ラパチーニは娘がじぶんの与えた玩具以外のものに興味をもつことが許せないタイプの父親であって、そのように娘を独占的に支配しようとする父親の関心や感情を近親相姦的と考えるとすれば、この作品はまさに近親相姦を扱っている。前記のエヴァンズは「ラパチーニの娘」が「アリス・ドーンの訴え」、『大理石の牧神』と同様に近親相姦の要素を秘めていること、またホーソンの母方の祖先ニコラス・マニングの近親相姦裁判にも言及していて興味ぶかい。前掲のエヴァンズ論文参照。         


  それでは、この「効果」 ----- 肉体は毒化されたが精神は無垢なままの哀れな少女という「効果」 ----- をいかすためにどのような「事件」と「調子」の組合せが選ばれているだろうか。それは「異常な事件」と「尋常な調子」の組合わせである。「事件」が異常なものにならざるえないことは、選ばれた「効果」の性質によって強いられている。問題は「調子」の選択だが、すでに論じたように、ホーソンは「異常な事件」を「異常な調子」で語って作品を荒唐無稽な空想怪奇物語(ゴシック・ロマンス)にしたてあげるつもりはなかった。彼がやろうとしたことは一種の思考実験のようなものだ。まずはじめに、毒の灌木が繁り、毒の女が徘徊する非現実の庭を純粋思考によって想定し、そこに平均的な常識人をなげ入れて、その反応を論理的かつ現実的に観察しよう、としたのである。選ばれる「調子」が「尋常」なものになるのは必然であろう。このように、ポーの方法や用語をもちいると「ラパチーニの娘」の基本構造がむりなく説明できるのは驚くほどだ。

 「構成の原理」には、「ラパチーニの娘」と比較して興味ぶかい点がほかにも含まれている。ポーは、「大鳩」の分析を始めるのに先立って、「そもそも大衆と批評家の両者の趣味を同時に満たすような一篇の詩を書こうという気持ちを起こさせた事情 ----- というか必要 ----- については、詩そのものとは関係ないものとして、ここでは省くことにしよう」と書いていて、作詩の背後に経済的理由があったことを仄めかしている ⑮。 


⑮ Poe, ”Philosophy,”  15.


 ポーのこの仄めかしはホーソンが「ラパチーニの娘」の前書きのなかで試みている自己戯画化を想起させる。ホーソンは作家としてのじぶんが「いろいろな呼称のもとで世界の現代文学に参画している〈超絶主義者たち〉と、大衆の知性や共感に語りかける大勢の文筆家との中間に、不幸な位置をしめている」(91)と書いて、じぶんが流行作家でないことを自認している。この時代、ホーソンにもポーと同じように売れる作品を書かねばならない事情があったようで、前書きの自己戯画化はそのことを反映しているようにみえる。 

 ホーソンはこの前書きのなかで、 以下に掲載する作品がオーベピーヌ(山査子【ホーソン】の仏名)というフランス人作家の翻訳であるという体裁をとり、オーベピーヌの近作としてホーソンの実作六篇の作品名をほぼ逐語的に仏訳し、ただそれぞれの作品の分量を実際よりはるかに多く膨らませている。たとえば、29ページの短篇「美の芸術家」が四つ折り版の5巻本にされているという具合で、オーベピーヌは当時の流行作家ユージェニー・シューに比肩する多産な作家ということになっている。

 この作品量のインフレーションには、ユーモラスな口振りで糊塗されてはいるが、ホーソンの苦い思いが籠められているはずである。ホーソンがこの作品を書いたのは1844年の10月から11月にかけてで、1842年7月に結婚し、1844年3月に長女が生まれた半年後という時期にあたっている。結婚後ホーソンは生まれて初めてといってよいほど定期的に短篇を執筆し、ほとんど毎月のように雑誌に投稿し掲載されていたが、原稿料の支払いは滞りがちだったし、「たとえ支払われるべき金額が完全に迅速に支払われたとしても、その全部をあわせても生活費に達しなかっただろう」。1844年の秋には売文による生活が不可能なことはあきらかになっていて、のこされた手段は 友人たちのつてで政府の役職に就職することしかなかった。この作品を書きあげた直後の11月末にホーソンは妻子をともなってコンコードからセイラムまで出かけている。おりからの大統領選挙で民主党が勝ったため猟官制度の余沢にあずかろうと就職活動をするためだった。


 ⑯ Randall Stewart, Nathaniel Hawthorne: A Biography (Archon Books, 1970) 67.  就職活動については1844年11月29日付の友人 Bridge 宛ての手紙が残っていて、そのなかでホーソンは他の人間に決まりかけていた郵便局長の職を横どりしようと画策している。けっきょくホーソンは1846年にセイラム税関に職をえた。 


 このような生活状況は「ラパチーニの娘」という作品の性格を考えるとき考慮にいれるべきことだと思われる。読者の喜びそうな、編集者の買ってくれそうな作品を書くことが当時のホーソンには必要だったのである。そうした売文家の悲哀に駆られて、ポーは前に引いた引用のなかで、読者を魅きつけるためにはけばけばしい「独創性」も遠慮なく使うべきで、そうすることに眉を顰めるような高踏的な作者や批評家たちは「じぶんを偽る」偽善者だ、と腹立ちまぎれに決めつけていたが、じぶんは「超絶主義者」と「大衆作家」の中間に位置していると書いたときのホーソンの気持ちもポーのそれとそうかけ隔たってはいなかっただろう。というのも、「ラパチーニの娘」は言うまでもなく、当時のホーソンの他の作品も、その核をなしているアイディアは、赤ん坊に握りつぶされる機械仕掛けの蝶(「美の芸術家」)にせよ、 妻の痣を切除しようとして妻を殺してしまう医師(「痣」)にせよ、けばけばしいまでに「新奇」で「独創的」なものだからだ。〈かのように〉の態度がよく示していたように、ホーソンは「ラバチーニの娘」のなかで自己の心情や思想をむきだしに吐露しようとはしていない。ホーソンの狙いは、無垢な心をもった毒の娘の哀切さという読者受けのする「効果」を核にして、出来栄えあざやかな「ウェル・メイド」な物語をつくりあげ、編集者からできるだけ多額の原稿料をとることだったのではないだろうか。それにもかかわらず、ホーソンの内なる小説家は、「彼の周囲(というか、彼の内部)」の即自的な問題を作品に刻みこまずにいなかったのであって、小説家の自己表現とは本来そういう性質のものであろう。

                  (了)            


目次へ




©  百万遍 2019