性仮装の混乱 (La Confusion des Sexes) 『とりかへばや物語』と『アストレ』 高藤 冬武
Ⅰ はじめに
生まれてきた男の子と女の子の性別を「取り換え」て、衣装、趣味、躾け、立ち居振る舞い、教育などの面から、一人前に育て上げ、世人は一切その秘密を知らされぬまま世に出し結婚させる(仮装同性婚 / 異性婚)。その結果生ずる混乱(悲喜劇)の物語。
或いは、想う相手(異性)に近づく手段として相手の性に変身、同性としてのよしみを得つつ、時に同棲、日常をともにしながら恋情を慰める物語。前者、『とりかへばや物語』。後者、『アストレ』。
留意すべきは、両作品とも、この「性転換」は、男装、女装という外面的仮装によるもので、異性・同性倒錯、或いは〈トランスジェンダー〉による結合ではない。
Ⅱ 『とりかへばや物語』 作者不詳、成立12世紀後半
『とりかへばや』と『今とりかへばや』の両本があったが、もとの『とりかへばや』(古とりかへばやと称される)は散逸し、『今とりかへばや』が伝存し「とりかへばや」、「とりかへばや物語」と呼ばれている。題名は、異腹の兄妹のうち、兄は女性的、妹は男性的な性格、態度であるため、父が兄妹を「とりかへばや」と嘆いたことによる。 岩波日本古典文学大辞典より
Ⅲ 「性取り換へ譚」引例
権大納言兼大将が二人の北の方にそれぞれ子供を一人産ませた。一人は男、もう一人は女、外見、顔かたち、肌色、髪、背丈など寸分違うことなく、文字通りの瓜二つであった。だが心内は、若君は、何かにつけて女性的気性、姫君の気立ては男そのもの、二人の心と体の不調和は権大納言の悩みの種であった。
おほかたはただ同じものと見ゆる御容貌の、若君は、あてにかをり気高く、なまめかしき方添ひて見え給ふ。... 御帳の内にのみ埋もれ入りつつ、絵書き、雛遊び・貝覆ひ などし給ふを ...
姫君は、はなばなと誇りかに、見ても飽く世なく、あたりにもこぼれ散る愛敬など、今より似たるものなくものし給いひける ... 外にのみつとおはして、若き男ども・童などと鞠・小弓などをのみもてあそび給ふ。 1- 25~28(テキスト巻1 p. 25~28以下同様の列び)
父大納言、心機一転、「とりかへばや」の思いを決意、男君を女に、女君を男に、手塩にかけて仕込み育て上げ、世に二無き、美男(男装姫君)美女(女装若君)、それぞれ出世して、中納言から右大将へ、尚侍(ないしのかみ)(後宮司長官)から侍従に上り詰める。男装姫君は右大臣の娘、四の君(女)と結婚(実情は女性同性婚)、女装若君は侍従(尚侍)として宮中入り、女一宮(帝の一人娘)の後見役、家庭教師として出仕、日常起居を共にした。
以下は、この二人、男装姫君・女四の君の婚姻生活の秘事、肉体の契りなき、形のみの結婚の実情の仔細と、女装若君のセクシュアリティと相手(女一の宮)の反応の仔細とである。
夫、男装姫宮十六歳、妻、女四の君十九歳、
夜の衣も、人目にはうち交はしながら、互に一重の隔ては皆(しっかりの意)ありて、うちとくる(情を交わす)方なきも、深くはいかでか知る人あらむ。... ただ月毎に四、五日ぞ(月のもの)、あやしく所狭き病の、人に見えてつくろふべきにはあらぬを、「物怪に起くる折々の侍れば」とて、御乳母の里にはひ隠れ給ふをぞ、「いかなることぞ」と、心置かるる節にはありける。 1-72
このような不在の或る折、訪ねきた朋輩の宰相中将(王朝の物語の中に常に登場するドン・ジュアン型人物. 中村真一郎)、奥方四の君の琴の合間の独り語り、「春の夜も見る我からの月なれば心(物思い)尽くしの影となりけり」を、空閨の恨みと待ちとり寝屋に押し入り犯す、以下、その場面、
(四の君)「(うちの)人はただのどやかに恥かしう、うち語らふことよりほかにはなきもの」とのみおぼすに、(男の)いと押したち情なきもてなしなるに、(四の君の)絶え入りぬばかり泣き沈むけはひ・有様の、(宰相中将には)かぎりなくあはれにらうたげ(いじらしい)なるに、... 1-127
かくて、女房の手引きで逢瀬かさなるうちに、「うつし心もなきまで泣き惑ひ苛らるるさま、なまめかしうあはれげなる」(1-149)、宰相中将の恋にたけ狂う一途な男心の逢瀬も、たび重なれば、男をしった人妻の体はおのずから花ひらき匂いまさり、かつは恋の〈いと心憂〉の苦に悩みつつ、夫(女、男装)と密夫(男)と我(女)三者三つ巴の絡み合いに、
(夫の)いとめでたくすぐれながら、よそよそにて、人目ばかり情あるさまに、のどやかにさまよき目移しには(較べてみれば)、「かういといみじく、死ぬばかり思ひ苛らるる人(宰相)も、志あるにこそ」と思ひながら ... 人知れぬあはれの、見知らずしもあらずなりにけるも、我ながら、「いと心憂」と思ひ知らるる。 1-149
ついに、四の君懐妊、出産となる。
一方、帝の一の宮(女)の侍従、女装若君は、これまでの手弱女ぶりもなにせんに、思はぬ益荒猛男(ますらたけお)に「さし過ぎて」(欲情抑えきれず発情)文字通り男女の一線を越す、
(若君)尚侍(ないしのかみ)になりてぞ参り給ひける。東宮(女一の宮)は梨壺におはしませば、御局は宣耀殿にせられたり。しばしば夜々のぼりて、(夜伽に)一つ御帳に御殿籠るに、宮の御けはい・手あたり、いと若く、あてにおほどかにおはしますを、(若君の)さこそはいみじゆう物恥ぢし、つつましき御こころなれど、(一の宮の)何心なくうちとけたる御らうたげさ(いとおしく可愛らしい)には、いと忍びがたくて、夜々御宿直のほど、いささかさし過ぎ給ひけむ。
宮は、いとあさましう、思ひの外におぼさるれど、見る目・けはいは、いささか疎ましげもなく、世になくをかしげに、たをたをとある人ざま(女のようにしなやかな体つき)なれば、「さるやうこそは」(なるほどこんなことも)と、ひとへによき遊び(例えばお医者さんごっこの類いか)敵(相手)とおぼし惑はしたる(思いまぎらわして)。(それを若君は)二なくあはれにおぼえ給ひけり。
昼なども、やがて上の御局にさぶらひ給ひて、手習い、絵かき、琴弾きなど、起伏しもろともに見奉るに、よろづつつましきものと埋もれしほど(女らしくおとなしく引き籠もっていた頃)のつづれよりは、何事もまぎるる心地し給ふ。 1-94~5
さて、好色ドン・ジュアンこと宰相中将、足るを知らぬが好色の常、次は触手を女装若君、尚侍にのばす。相手が一の宮の色男とは最後まで知らず、禁中の物忌みにまぎれて帳に侵入、かき口説くが首尾にいたらず朝となる。人目はばかり室外に出られず、終日室内に閉じ込められる。事情を知る侍女がいるだけである、
かたき御物忌みにことづけて、帳の帷子(かたびら)おろしまはし、母屋の御簾も参りわたしなど下(下人)なる人上にもあげずなどして、心知りの二人(侍女)ばかりぞ。わりなく思ひ惑ふに。男は、名高くいはれ給ふ(女装若君の)御容貌を、「ゆかしくいみじく」と聞き思ふ御有様なれば、「見奉らむ」(見ル= 交接スル)と思ふに、ただ今はよろづ忘れたり(無我夢中)。
そびえ(胸のふくらみ)いと小さく、手あたりこそおはせねど、くせ(難)見ゆべくもあらず。御髪は、糸をよりかけたるやうにゆるるかにこちたうて(ふさふさと)、あながちにても(いやと言うを)見つる顔は、ただ中納言(妹の姫君)の今少しあてに薫り澄みたる気色添ひて、心にくくなまめきまされり。... (宰相中将、相手の抵抗に)心も肝も尽きはてて恨みわぶるに、 ... さらにたわみなびくべうもあらず。 2-39~40
男宰相中将の夜を徹し朝を迎え夕べにいたる執拗なまさぐり、「見奉らん」の淫視淫荒に対し、激しく抵抗する。かつて男の体の秘密を見せて一の宮相手に実事(じつじ)に及んだ女装若君、宰相中将には鉄の抵抗たわむべくもあらず。「そびえ」に始まるこの段落の仔細を巡る読者の眼光紙背、想像力かきたてられ行くところを知らず。
次の例は、男が、男装女性の姿態からほのかに匂い立ちのぼる色香に、欲情し、がばとかき抱き犯す場である。形は男、中身は女、淫行半ばまで、宰相中将、相手が女性とは思いも寄らず。
暑い日、宰相中将、徒然の物語りもがなと、朋輩の中納言(男装姫君)を訪ねる。二人は装束の紐も解き、
涼しき方に昼のお座(まし)敷きて、うち休みて、団扇せさせて物語などする。中納言の、紅の生絹(すずし)の袴に、白き生絹の単衣着て、うちとけたる容貌の、暑きにいとど色は匂いまさりて、常よりもはなばなとめでたきをはじめ、手つき・身なり、袴の腰ひき(きゅっと)結はれて、けざやかに透きたる腰つき、色の白きなど、雪をまろがしたらんやうに、白うめでたくをかしげなるさまの、似るものなくうつくしきを、「あないみじ。かか る女のまたあらむ時、わがいかばかり心を尽くし惑はむ」と見るに、いみじう物思はしうて、乱れ寄りて臥したるを、「暑きに」とうるさがれど、聞かず。 2-51
やがて日も暮れ涼風に秋の気配も身近に、中納言(男装姫宮)は、風を手枕に微睡(まどろ)む。宰相中将、横に寄り臥したまま、四の君、尚侍(女装若君)との交渉を回想、逢瀬を繰り返し子までもうけさせた四の君、我が物にできなかった尚侍。前者、逢った後の恋の愁嘆、後者、逢えぬ恋の悵恨。四の君は中納言の北の方、尚侍は中納言の兄。両者は中納言の縁者なり。
〈哀れなる心の闇のゆかりとも見し夜の夢をたれかさだめん〉(新古今和歌集 1300)。
(「見し夜の夢」、恋歌では、一夜の夢のような儚き交接の意)「見し夜の夢」、逢った夢・逢えぬ夢は宰相中将自身の〈哀れなる心の因果〉なることを中納言を犯して詳らかにせんものと「左右の袖を(涙で)濡らしわびつつ、(四の君と尚侍)方々の形見と(思って)、中納言のいと見まくほしかりければ(何としても見たい.見ル、男女ガ契リヲカワス)」(2-50)とて逢いに来たことが、つと思い出され、
「あが君」つと捕らえて、わりなう乱るるを、「こは、いかに。現実(うつし)心はおはさぬか」とあはめ(たしなめる)いへど、聞きもいれず。さはいへど、けけしく(聞く耳もたず)もてなし、すくよかなる見るめこそ男なれ、取り籠めたてられては、せむ方なく心弱きに、「こは、いかにしつることぞ」と人わろく(みじめに)、涙さへ落つるに、(宰相中将、思いきや女体の隠し所をまさぐり見て)「さてもめづらかに、あさましく」とは思ひながら(実事におよぶ)。あはれに悲しきこと、方々の(尚侍や四の君に対する)思ひ、一つにかき合はせつる心地して、「あやし」など思ひ咎め(自省)られむも、事のよろしき(相手が普通の女の)時のことなりけり。「残る隈なく(女という女は)見尽くしつ」と思ふに、「かばかり心にしみて、おぼゆることのなかりつるかな」とおぼゆるぞ心まどひの一つなるにくらされて、「あさましかりける」なども思ひわかぬ気色なるを、中納言は、(相手は自分を)「いかに思ふらむ」と悲しう、「世にながらへて、つひにわが身の憂さを人に見え知られぬるよ」と、涙もとまらぬ気色の、うつくしうあはれなることぞ似るものなきや。 2-56~7
(以下、参考までに、上記テキスト本文引用、中村真一郎訳で)、
「ねえ。」
と、つと捕らえて、突然淫(みだ)らなふるまいに及ぶのを、
「何をするんです。気でも狂ったのか。」
とはずかしめてみても、聞き入れようとはしない。雄々しく端然としている外見は男だが、さてこうして宰相に手籠(てご)めにされては逃げようもなく、心弱くなって、どうしようと、恥ずかしく涙さえこぼれてくる。
手籠めにして中納言が女であることをしった宰相は、実に奇妙な意外なことと思った。しかし、尚侍や中納言の妻に対する思いが一緒になってしまって、怪しからぬ自分の行為を反省するような心のゆとりもない。女という女はすっかり知り尽くしたと思っていたのに、これほどの感動を覚えたことはかつてなかったことだと、それも混乱した気持の一部になって、あさましいことだとも思い分かぬ気色(けしき)であった。
女と知られた中納言のほうでは、宰相が自分をなんと思うだろうと悲しんでいる。世に長らえたために、遂に身の恥をも人に見知られてしまったと思うと、涙もとまらない。その様子が、くらべるものもないくらい美しくあわれである。 p. 80
逢瀬かさなりやがて中納言(男装姫君)も、妻の四の君に続いて懐妊、宇治に身を隠し、仮装を解いて本来の性、女に戻り男児出産。尋ね来た女装の兄君も男に、二人は姿を取り換えはれてもとの兄妹となる。
兄は吉野の宮の姫君を正妻に迎え。妹は帝の胤を宿しやがて中宮の座におさまった。
『とりかへばや物語』をどう読むか、以下、中村真一郎に借りて、
物語における「もし」の役割は、その幻想的空間の成立上、やむを得ず必要である、...
現実は比喩の相の下に眺められることで、さらに強い支配力を読者の想像力に対して持つ。ソフォクレスの「もし予言が存在するならば」は、我々の認識を超越した無数の圧倒的な働き掛け(宿命)を暗示し、ホフマンの「もし悪魔の霊液が存在するならば」は、我々の意志の及ばぬ精神の内部の深処に潜む、非合理的な衝動(原罪)を象徴し、問題の王朝末期小説の「もし他人には見分けのつかぬ兄妹があり、それが入れ替ったならば」は退廃的な時代における典型的な人間像の崩壊、それに伴う性的倒錯、そうした現象の不可避的な支配力の前に全く無力な人間存在、しかもそうした傾向は、スキャンダルを惹き起こさないためには、習俗的な世間の眼からは断じて匿しておかなければならず、その秘密はいっそう我々の行動を錯誤に富んだものにする、等々の事実への比喩とも受け取れよう。...
人が童話に魅了される時、彼は現実から引き離される。童話を手放すとき彼は旅から帰った人が故郷を全く新しく見直すように現実の日常性(以前には習慣として無意識的に承認されていたもの)を吟味し直してみることが要請される。それゆえ、童話の出現は、最もしばしば一つの時代の終焉を意味する。すなわちあらゆる既成の危機を。
中村真一郎 p. 258~9
Ⅳ 『アストレ』( L'Astrée ) における「とりかえ」物
この大長編恋物語にただ一例、「とりかへばや」がある、しかも、それは、『とりかへばや物語』と同じ組合せ、姉弟(きょうだい)(前者は兄妹)のとりかえ物である。
人間不信、男女の恋に不感症の或る女ディアンヌに甲斐なく恋慕する男が、姉に扮して近づき情けを乞うる変身譚。
以下は主人公ディアンヌの問わず語りである。
長い間、訴訟事件を機に反目、仲違いしていた両家、セリオンとフォルミヨン、和解の手打ち、その条件として、将来生まれてくる子供を結婚させ、両家固めの礎(いしずえ)とせんと神にかけて誓い合った。
セリオン、早く結婚して二子をもうける。兄、幼少時、蛮族に誘拐され行方不明、妹ディアンヌ、父セリオンその出生を待たず他界。ディアンヌ、約に従い、フォルミヨンの第一子に嫁ぐが、両者幼少なれば、許婚の仮祝言を挙げての同居、起居を共にする。信心深き母、娘を他家に取られて世をはかなみ出家、遠国、ヴェスタ(ローマ神話、竈の神)の巫女となる。
実はこの祝言、フォルミヨンの第一子フィリダは女、妻、高齢なれば以後のお産は不可能、男児の希望たたれたフォルミヨン、孤児ディアンヌの相続遺産の欲にくらみ、女児フィリダを世に男として育て上げる(フィリダは男子名)。
以上が物語りの発端。この幼児の仮祝言、先行き不確かなれば、さらに狡猾なフォルミヨン、甥アミドールを言い含めこの結婚相手の本命として待機させた。
他方、ディアンヌの親友にカリレという既婚婦人あり、カリレに弟のフィランドルあり。姉カリレの結婚は、式当日初めて夫の顔を見たという愛なき嫁入り、夜な夜なの共寝を厭い弟相手にに愚痴をこぼす。実はこの弟、ディアンヌにぞっこん、心そこにあらずの恋の奴(やっこ)、姉の縁にかこつけ、稀々、折りを伺い近づくが、相手は男嫌い、許婚の男装フィリダの眼もありて、物思う心のたけ、想いの一端をうち掠むることのあらばこそ、そのつど、つれなし顔にあしなわれ、帰りては姉に泣き面を晒す。
ここに姉の一興、弟に持ちかけて、
(姉カルレ)私たち二人、顔立ち、背丈、声、口調もそっくり、違いは衣装だけ、取り替えたら普段一緒にいる人もどちらがどちらか見まちがえるほどだから、ディアンヌのそばに、怪しまれず、いつも居たいというお前の思いを簡単に隠し事もなく叶えるには、二人が着せ替えごっこするだけ、許婚のフィリダも、お前を女と見ればディアンヌのそばに長居しようと文句は言えぬはず。..... L'Astrée p. 373 仏語原文(1)巻末
姉が長い髪を男装に合わせて切ることに、弟がそこまではと躊躇するのを、
姉として願うのは、なんと言っても、お前が喜んでくれること、それにつきる、信じておくれ。それに、お前が代わって私の衣装を着てくれてる間は、夫のジェレスタンと寝なくていいし、ほんとにしつこくて、それがなくて済むんだから。私の髪のみならず肌もとあらば、身の皮剥ぐもいとわぬものを。
p. 375 (2)
かくて姉カルレと弟フィランドルの「とりかへばや」成立。髪が姉の長さに伸びる期間を措き男フィランドル、女装して姉カルレに、女カルレ男装して弟フィランドルに成りすます。以下、ディアンヌの問わず語り、
女三人(語り手ディアンヌ、その親友ダフニス、カリレ実は女装フィランドル)、退出して寝屋に寛ぐ。
女同士、気心知れた仲良し、水入らず、遠慮気兼ねせぬ、「お休みなさい」、の濃厚な愛撫(抱き合い、頬ずり・接吻)の交換、フィランドル、その受け応え応酬に欲情発情の大興奮、「心そこにあらず有頂天だった」とは、後日、本人の述懐するところ。 私も、もう少しませた子だったら、相手の振る舞いから正体見破れたはず。ダフニスときたら何も気がつかなかったですって。上手く化けたものね。 p. 377 (3)
男装のフィリダ、女の本性、抑えがたく、仮装以前の本物のフィランドル(男)に恋慕、求愛、そのフィランドルが男装カリレ演ずるところのフィランドルに取って変えられても正体気づかず想いはさらに募り、遂に自分が女であることの証拠をみせて結婚を迫る、語るは同じくディアンヌ、
ずいぶんと立派なことを色々聞かされたが、それが嘘でないことをなにか言葉いがいのことで示してもらえないと信じる気にはとてもなれないと、彼フィランドル(男装カリレ)が応じると、フィリダ、やおら釦を外しながら胸をはだけて見せて、「これ以上お見せするのは礼節にもとり憚られる、これで十分では」、と言うのよ。 p. 396 (4)
以上、『アストレ』における唯一「とりかえ」物の例の紹介である。
いやまさに、愛は異なもの、なにを暇にまかせて! かつは女のフィリダに女を愛させ、かつは男のアミドールに男を愛させ、かつは募る想いのたけを。 p. 378
Voyez combien Amour est folastre , & à quoi il passe son temps ! à Filidas qui est fille, il fait aimer une fille, & à Amidor un homme, & avec tant de passion. p. 378
いずれもフィクション、同時代の人間世界、世態人情においては実情はいかがなりしか、類種の文献の一つから、参考までに、仮装、性別変身 le travestissement につき三例拾いこの稿擱筆。
Ⅴ 『ルネッサンスからフランス革命における性仮装の混乱』
La confusion des sexes. Le travestissement da la Renaissance à la Révolution
①ブノージュ(ジロンド県ボルドー近隣の村)在の或る娘さんの例。1570年、性別を偽り仮装、数年間、百姓家で働いた後、その家の娘と結婚、半年ばかり暮らした。 p. 20 (5)
②なぜ娼婦は男物衣装を利用するのか。仮装して修道院、学校など、男性の施設に紛れ込む娼婦も見られる。 p. 28 (6)
③歴史家( R. Trexler ) の推測によれば、ここフィレンツェでは売春よりも男性同性愛の方が世間の眼は厳しかったからではないか、売春婦も男装して同性愛者間で交わされるのと同じ行為 (services) を提供することもあったであろう。同性愛者間に共通の性行為、或いは反自然的行為、特に、肛門性交、刺激物による性行為、口淫、 ... p. 34 (7)
テキスト
『とりかへばや物語』全訳注 全四巻 編訳註 桑原博史 講談社学術文庫 1979年
『とりかへばや物語』 中村真一郎訳 筑摩書房 1995年
L'Astrée, Première partie, Édition critique établie sous la direction de Delphine Denis, Honoré Champion, Paris, 2011
参考文献
STEINBERG Sylvie, La Confusion des Sexes, le travestissement de la Renaissance à la Révolution, Fayard, 2001
日本古典文学大事典 岩波書店 1984年
引用仏語原文、数字は各引用文末の( )内数字による。
(1)姉 Callirée 弟 Filandre に変装して入れ代わろうと持ちかける:Et puis elle continua, vous sçavez la ressemblance de nos visages, de nostre hauteur, & de nostre parole, & que si ce n'estoit l'habit, ceux mesmes qui sont d'ordinaire avec nous, nous prendroient l'un pour l'autre : Puis que vous croyez que le seul moyen de parvenir à vostre dessein, est de pouvoir demeurer sans soupçon aupres de Diane, en pouvons nous trouver un plus aisé ny plus secret, que de changer d'habits vous & moy? car vous estant pris pour fille, Filidas n'entrera jamais en mauvaise opinion, quelque sejour que vous fassiez pres de Diane ..... p.373
(2)老いた夫との同衾を厭う Callirée :Mon frere, luy repliqua-t'elle, ne croyez point que j'aye rien de plus cher que vostre contentement, outre que j'éviteray tant d'importunitez, cependant que vous porterez mes habits, ne couchant point aupres de Gerestant, que s'il falloit avoir mon poil, ma peau encores, je ne ferois point de difficulté de la couper. p.375
(3)ませた子... si je n'eusse esté bien enfant peut-estre que ses actions me l'eussent fait reconnoistre : & toutefois Daphnis ne s'en douta point, tant il se sçavoit bien contrefaire. p.377
(4)男装の Filidas、女の証拠を見せ男装の Callirée に結婚を迫る: & luy respondre, que sans mentir elle luy avoit raconté de grandes choses, & telles que mal-aisément les pourroit-elle croire, si elle ne les asseuroit d'autre façon que par paroles. Elle alors se desboutonnant se descouvrit le sein : L'honnesteté luy dit-elle, me deffend de vous en monstrer davantage : mais cela ce me semble vous doit suffire. p.396
(5)... le cas d'une jeune fille de Benauges qui en 1570, ≪ déguisant son sexe et ses habits, après avoir servi un laboureur pendant quelques années épousa la fille de ce laboureur, avec laquelle elle demeura pendant six mois ≫. p.20
(6)Pourquoi les prostituées usent-elles de l'habit d'homme? Certaines pénètrent ainsi vêtues dans des maisons d'hommes, couvents ou écoles. p.28
(7)Parceque la prostitution y ( à Florence ) passait pour moins blâmable que les relations entre hommes, il( l'historien R. Trexler ) présume que les prostituées travesties auraient pu offrir des services identiques à ceux des homosexuels : ≪ Le transvestisme féminin pouvait inviter à des types de relations sexuelles communes parmi ceux qui pratiquent l'homosexualité ou d'autres conduites "contre nature", en particulier le coït anal et la stimulation ou le coït buccaux.... p.34