田淵さん追悼・福島



「百万遍」時代の田淵さん



福島 勝彦


 田淵さんとは、二十代の頃から面識はあったが、現在「百万遍」同人の岩田強さんや、当時仏文科に在籍していた同級生らを通した「間接的」な関係でしかなかった。おそらく、私の存在は田淵さんには認識されていなかっただろう。

 それから半世紀後、同人誌「百万遍」を発刊するにあたって、かねてより田淵さんとは旧知だった高田英樹さんの提案で、田淵さんを同人に誘うことになった。そして、2018年5月4日。高田さんといっしょに、「百万遍・創刊号・試作CD-ROM」を持参して、大阪市住吉区にある田淵さんの「アトリエ(仕事部屋)」を訪問した。

 そこは瀟洒な、1LDKのマンションの一室で、両面の壁高くまで本棚が聳え立つ真ん中に、細長いテーブル兼仕事机が置かれていた。

 久しぶりにお目にかかった田淵さんは、すっかり白髪になっておられたが、昔の面影は十分に残っていた。少し耳が遠くなった、とおっしゃりながら、大きな、ハキハキとした歯切れのよい声が、部屋中にここちよく響きわたった。

 田淵さんと高田さんとの間で懐かしい昔話にひとしきり花が咲いたあと、本題に入った。すでに高田さんから話があって、田淵さんは同人誌に参加する決意を固めておられるようだった。

 「深沢七郎の『風流夢譚』とそれによって引き起こされた『中央公論社長宅襲撃事件』について、当時の状況も踏まえて書きたいと思っている。すでにA4で400枚分ほどの資料を集めてあり、本文はこれからだが、今回は、序章のようなものになると思う」

 そうおっしゃって、その構想を私たちに熱っぽく語ってくれた。そして、「例えば、こんなものがあります」と見せてくれたのは、1959年発行の文芸誌「群像」に掲載された、深沢七郎の短いエッセイのコピーだった。

 タイトルは忘れたが、その内容は、このたびの皇太子の婚約発表には失望した。なぜなら、これまで、長い間、営々と狭い範囲での近親結婚を続けてきた天皇家から、このあとどのような奇怪な人類が産まれるのか、秘かに楽しみにしていたのに、今回、民間の家庭から結婚相手が選ばれて、それが台無しになってしまったからだ」という、いま思えば驚くべきものだった。

 また、この時、たまたま私が読んでいた、事件当時、中央公論社の編集員だった女性の回想録のことを話すと、とうぜんその本のことはご存知だった。

 この原稿は、創刊号には間に合わなかったが、つぎの第2号には、72,000字の長編の原稿と、もう1本、22,000字の別の原稿も送られてきた。

 次に田淵さんにお会いしたのは、2019年3月11日、この第2号完成の打ち上げと懇親会を兼ねた食事会が、阪急・雲雀丘花屋敷の丘の上にある「明月記」という洒落たレストランで開かれたときである。参加者は、第2号執筆者のうちの有志6名だったが、窓から近隣の夜景が美しく見える小部屋で、気の利いたイタリア料理を食しながら、談論風発、とくに田淵さんはフランス留学の際にヨーロッパ各地の美術館を訪れ、とくにフェルメールらオランダ絵画の素晴らしさに驚嘆した、と言うような話を、例のよく響く声で熱弁、一同を感銘させたものだった。

 また3号に1度ぐらい、このような会を持ちましょう、と云いあって、散会したのだが、その後、コロナの蔓延があって実現することはなかった。この時、何枚か写真を撮ったが、残念ながら、田淵さんが正面向いたものはない。



 結局、「百万遍」時代に田淵さんにお会いしたのはその2回だけだった。しかし、私が編集を担当していたことで、作品の引き渡しなどのメールのやりとりはかなり頻繁にあった。いま数えてみると、いただいたメールは6年間で112通にもなる。ほとんどは、作品の送付や、その編集、校正に関する事務的なものだったが、なかには、お互いの作品について触れた内容のものもある。ふたりで、一対一で話す機会はほぼ皆無だったが、これらメールの文面には、それなりの「交流」が交わされており、私にとっては田淵さんとの貴重な「魂のキャッチボール」だった。そこで、私信ではあるが、そんなメールをいくらか紹介させてもらって、在りし日の、「百万遍」時代の田淵さんを偲びたいと思う。


 

2018.05.05

 福島勝彦さま

 昨日はわざわざふたりでおいでいただき恐縮いたします。わたしの仕事が遅れているようですが、鋭意頑張ってみます。(試作CD-ROMにあった...福島註)「わがデジタル創世記」を、まだ50ページぐらいまでですが、おもしろく、かつ、なつかしく拝読しました。文革にからまる「天にむかって歌う」も、少し拝見しました。みなさんの作品は、どれも、個人の思いのつまった、そして、時間のかかったものばかりですね。それに対して、わたしが考えているのは少し毛色が違うようでやや気がかりです。しかし、仲間にいれていただくことをありがたく思っています。

 ところで、ご指摘の中村智子の『「風流夢譚」事件以後』は、京谷秀夫の『1961年冬「風流夢譚」事件』と粕谷一希の『中央公論と私・言論といういとなみ』の2冊と並ぶ、第1級の証言録です。現場からの証言では、井出孫六や柳田邦夫のものもありますが、直接性では、先の3冊がまさるようです。しかし、面白いことに、彼らはいずれも三者三様に、昨日お話した、オイエタイセツの「忠臣蔵」風俗思想に染まっているようです。その辺りのことが、今回うまく書ければと願っているのですが、果たしてどうなりますことか! そのほかにも何か、「風流夢譚」にかかわって、思い出されることがあればお教えください。また、お話しできるのを楽しみにしております。

田淵晉也



2018.05.06

田淵晋也さま

 さっそくメールいただきまして、ありがとうございます。

 中村智子の本、第1級の資料とのこと。以前、紀伊国屋の電子書籍のサイトで偶然みつけて、おもしろそうなので買って、読んでみたのですが、そう言っていただけるとうれしい気がします。

 この本を読んだとき、すでにこの事件は私の記憶の中では風化していて、ずいぶん懐かしい気持ちがしたのですが、このたび、田淵さんが現役の問題意識で取り組んでいなさるを知り、思わず、背筋が伸びました。

 そこで、まだ手もとに残っていた大江健三郎の『セブンティーン・性的人間』を、何十年ぶりかにひも解いてみたのですが、現在からみると、その「過激」な内容に驚きました。こんな本が堂々とベストセラーになっていた、そのころの時代の空気はどんなものだったのか、今や私自身忘れてしまっているのですが、いまあらためて検証してみるのもおもしろいことだと思いました。

 例えば、先日見せていただいた、深沢七郎の群像の「天皇家の近親結婚云々」の小文、今読めば驚愕の極みですが、あの頃、あるいは、あの頃までは、そもそも「庶民」にとって、皇室とは「雲の上の偉い存在」として、崇敬の対象だったかもしれませんが、ひと皮めくれば、自分たちとは別世界の「異星人」みたいな存在でしかなく、それを突き詰めると、あの深沢七郎の「醒めた諧謔」に至るので、あの文章や「風流夢譚」の破天荒な表現は、当時、案外、一般に受け入れられていたものだったのかもしれません。

 そんな「庶民感覚」に風穴を開けたのが、正田美智子氏の嫁入りだったといえます。それまで、皇族・華族の閉鎖的な社会のなかにとどまっていた「皇室」に「庶民」との通風口をつけたのが、あの結婚でした。あれ以来、皇室は「庶民」とは無関係の「異星人」の世界ではなくなり、われわれ庶民の遠い親戚の一部のようになって、他人事とは思えなくなってしまいました。「美智子さん、かわいそう!」というフレーズにはそんなニュアンスも含まれていたのかもしれません。敗戦後、権威を大きく失墜していた皇室にとって、「庶民」を味方に引き入れたということで、大ヒットだったでしょう。だとすれば、あの深沢七郎の小文は、まさに問題の本質をついていたものだったのかもしれません。

 以上、ふと思いついたことを書かせてもらいました。田淵さんの今後のご解明を楽しみにしています。

福島勝彦

 

 

2018.06.24

福島勝彦さま

 暑い日や寒い日や、雨が降るようなそうでもないような、建物は壊れないのに被害がおおきい地震があったりして、暮らしにくい奇妙な日がつづきます。

 そうした天の配剤でもないのでしょうが、お約束した仕事「’60年代日本のアヴァンギャルド(余話)━ 「風流夢譚」と中央公論事件」がとどこおっております。集めた資料をまとめれば、なんとかなるかとおもっておりましたが、やはりいちおう筋のとおったものにするには時間がかかります。それに、分量も4万字分ぐらい書いたのですが、なお3分の一にも満たず、予想より多くなりてこずっております。

 というようなわけで、やはり今回の6月末締め切り分は断念し、次回12月にまわしたいとおもいます。ご迷惑をかけたと申しわけなくおもいます。高田さんにはまたあらためてごれんらくしますが、どうかよろしくお伝えください。とりあえずお詫びのご連絡です。

 田淵晉也


2019.01.11

福島勝彦さま

 あけまして、おめでとうございます。本年もなにとぞ宜しくお願いもうしあげます。

 まだ、本論にもはいっていない未完なものですが、とりあえず、あるていどまで出来上がったものをお送りします。タイトルは前にお話ししたように、「’60年代日本の文芸アヴァンギャルド(余話)━ 『風流夢譚』と中央公論事件」です。また、その埋め合わせというわけではありませんが、別の目的で書いてたもので、部分的に発表しておきたいモノがあり、つけ加えました。前者は、400字詰原稿用紙換算分で約180枚、後者は50枚程度です。添付書類では「田淵晉也(1)」「田淵晉也(2)」としてあります。高田さんにもメールでお話ししましたが、ご意見お聞かせください。

 田淵晉也


2019.01.11

福島勝彦さま

 ご連絡ありがとうございます。色文字などいれましたが、これなど紙媒体では、制作費の関係から許されないことでしょうが、デジタル媒体の利点かと思い、いれてみました。しかし、厳密な区分があるわけでもなくいいかげんなものにもかかわらず、ご迷惑をおかけするようです。もうしわけありません。また、年表の重複引用も、デジタル媒体では容易に見返しができないことを慮り、あのようになったわけです。今回つくづく思いましたが、紙媒体とデジタル媒体では、表現にもいろいろちがうところがありますね。とりあえず。

  田淵晉也



2019.02.24

福島勝彦さま

 「百万遍」第2号を拝受しました。どうもありがとうございました。お手数ばかりかけ申しわけなくおもっています。まだ、ていねいに読んではいませんが、「図書館」をおもしろく拝見しています。インフェルトの「神々の愛でし人」は、わたしも高校一年で感銘を受けた本です。ガロアの専門校受験時の試験官との対数問答は今も覚えています。わたしのばあいは、かならずしもそれからだけの影響ではなかったのでしょうが、その後高校では、物理部に入り、アインシュタイン・インフェルト共著の「物理学はいかにつくられたか」の講読会をやったことなど、懐かしくおもいだしました。ホグベンの「百万人の数学」も思い出の書の一冊です。

      田淵晉也


2019.03.03

田淵晉也さま

 さっそく拙文を読んでいただいたそうで、ありがとうございます。『神々の愛でし人』や『百万人の数学』をご存知とは驚きました。これまでそういう人に出合ったのは初めてです。『物理学はいかにつくられたか』は知っていましたが、読むところまでは行きませんでした。物理学関係では、本文では採り上げませんでしたが、ジョージ・ガモフは何冊か読みました。



2019.03.13

福島勝彦さま

 昨日は不在にしており、お返事がおくれ、もうしわけありません。記念の写真をお送りいただきありがとうございました。あの場所はゆっくり話すことができよいところですね。一昨日も申しましたが、今回の企画はたいへんありがたく思っています。高田さんの実行力、エネルギーには感服し、福島さんの編集ご尽力には本当に感謝しています。おふたりがなければこのような企画は不可能かとおもいます。ある程度の水準をもった原稿をこれほど多量に(400字詰め原稿用紙でゆうに1000枚を超える、厚めの単行本一冊分)一回分でだせる同人誌は、そんじょそこらにはないとおもいます。似たようなものには、「日本の古本屋のメールマガジン」に古本愛好家(収集家側だけでなく、古書店側をふくむもの、むしろ後者の立場)の活動が掲載されています。これは、単行本発行したもののホームペー化の紹介を掲載したものです。内容的にはわれわれの立場とは異なりますが、無償の行為の情熱には似たようなものがあるようにおもいます。かならずしも『メールマガジン」の一回分だけではその良さが分かりませんが、もしご存知なければご検索ください。やり方において参考になるかもしれません。

                     田淵晉也


2019.07.08

福島勝彦さま

 メールを頂戴し恐縮いたします。

 あれいらい、例の表題のものを書きつづけ、第1章の3)4)だけでも、『百万遍』第3号に掲載し、次号から、本論の「風流夢譚」の章にはいるべくつとめてきました。そして、「3)『デモ・ゲバ』風俗のなかの『反芸術』」は約84,500文字、「4)『デモ・ゲバ』風俗のなかの赤瀬川原平とその仲間たち」は114,300文字の下書きを、4月には完成しておりました。ところが、両節で、少し加筆の必要が出てきたうえに、実は私事になりますが、同居同然の義母が4月中旬に死去し、その前後の医事・祭事の雑事のため、5月から6月に予定していたわたしの白内障の手術が、7月に遅延しました。そして、この手術が今週と来週の、11日と18日に執刀されます。手術自体は両日とも日帰りですが、計4日間は、執筆等の作業には不向きな、不自由な生活を強いられます。

 そのようなことから、じつはすこしタカを括っていた締切日に間に合いそうにない事態にいたっています。なんとか間に合わせられないかと、あれこれ苦慮しましたが、いずれにせよ、今回の仕事は、わたしの最後に近いものになるでありましょうから、老残とはいえ、あまりツジツマ合わせの無様なものをのこしたくもありません。それに、今回は、内容から、かなりの量の図版を使わねば分かりにくくなっています。

 というわけで、他の方の原稿の集まり具合にもよりましょうが、第3号誌掲載は断念し、次号(12月締切になるでしょうか?)に少しでもましなものを投稿いたしたく願っています。そのような苦慮のため決断がおくれ、高田さんへのご連絡もおくれていました。今日同時に、高田さんへは、お手紙いたします。

 しかし、3号誌についても、未完原稿はあるわけですから、「空白」投稿ということでぜひ参加させていただきたくおもいます。勝手なお願いですが、なにとぞご海容ください。

                   田淵晉也



2019.08.04

福島勝彦 さま

 (単行本の...福島註)『わがデジタル創世記』をありがとうございました。インターネットで拝見した時から、別途記録にとどめるべきアーカイブ文献だと思っていました。それにしても、福島さんもふれておいでになりますが、昨今の情勢は、まさに18世紀末の産業革命とフランス革命の再現のようにみえます。今の世界と社会の、AIとポピュリスムにふりまわされる様相は、「エネルギー」価値と市民権力が結託して台頭したあの時代も、かくなるものであったのかと、さまざま意味で愕然とします。そのような見方からも、この記録はおもしろいものをふくんでいるようにおもわれます。たとえば、なぜ、どのようなところから、PCの使用がはじまったかなどのところです。また、お目にかかるのを楽しみにしています。どうもありがとうございました。

                     田淵晉也



2020.03.10

福島勝彦さま

 本日、早速、 DVDを受けとりました。お手数をかけました。もうしわけありません。コロナの所為による「集まり」の流会、残念におもいます。ひさしぶりのお目にかかれる機会でしたから。しかし、みなさん、比較的高齢者ですから、用心すぎることはないでありましょう。ことに京都のお二人は、1時間弱の電車密室空間がこわいとおもいます。

 ところで、4号誌掲載の「眼鏡」をチラリと拝読しました。福島さんの文章(文体および内容の不可分の融合体)は、独特の奇妙な雰囲気を発散しますね。身辺雑記でありながらそうでない、それは著者だけの世界にある「執念」の浄化でありましょうか。これぞ近代日本の文学のかおりかもしれません。ジャンルからいえば、良い時期の庄野潤三あたりでしょうか? 庄野には、「クサミ」がありますが、福島さんにはそれがありません。もういちどゆっくり読んでみます。なんてことのない感想でもうしわけありません。お読み捨てください。

 とにかくありがとうございました。

       田淵晉也


2020.03.11

田淵晉也さま

 拙文のご批評、ありがとうございます。小生だけの世界にある「執念」の浄化、とは、なかなか云いえて妙な評言で、どこか当たっているような気がします。

福島勝彦



2020.07.22

福島勝彦さま

 昨日退院してきましたので、とりあえず原稿と図版をおおくりします。

 実は、思いもつかぬ急な入院となり、アトリエに来ることが許されませんでした。ここにしかコンピューターをおいておらず、福島さんのアドレスが分からないので携帯から送信できず、やむをえず岩田さんに連絡をお願いしました。この歳になると、いつ何がおこるかわかりませんね。というわけで、送れるものははやく送っておかねばなりません。

 今回の原稿は約13万字で図版12枚(うち一枚はわたしの巻頭候補)です。図版リストは巻末につけています。原稿はこのメールに添付し、図版は分割してお送りします。私は夕方7時ぐらいまでここにいます。それ以後、なにかあればメールをいただいておけば、明日昼過ぎからまた来ますから、お返事いたします。        田淵晉也



2020,07.23

田淵晉也さま

 原稿、受け取りました。図版もすべて開くことができました。ありがとうございました。

 先日、岩田氏から電話をもらったときは驚きましたが、無事に退院され、こうして原稿も送っていただき、お元気そうで、安心いたしました。この長編はまだまだ続きそうなので、どうかご自愛されて、ぜひとも完結していただきますよう、お願いいたします。

 今号分の編集もたぶん前号と同じようなものになると思います。少し時間がかかるかもしれませんが、一応出来上がりましたら、お送りします。現在原稿は予定されていたものはほぼ集まりました。

 それと、今号も、急ぎませんが、短くて結構ですから「内容紹介」の文章をお願いします。

福島勝彦


2021.01.01

福島勝彦さま

 新年のお慶びをもうしあげます。

 さっそくのご挨拶、恐縮します。世の中の動きがいよいろおかしくなってきましたね。私のような年齢のものは、国民学校低学年時の敗戦時直前を思い出します。あの頃は、敵機に空から見られないようにと、家庭の電灯に覆いを被せ、窓には黒いカーテンを張るよう政府に強制されました。そして今は、マスクをつけて食事し、左手でマスクを外し一口食べたらまた付けろと、政府の要人に指導されます。また、その頃の東條英機首相は、夜中に町のゴミ箱をのぞいて歩き、まだまだ、人民はじゅうぶん食べているのがわかるから安心だと嘯いていたのをおもいだします。そうした戦争責任者たちは。その後絞首刑になりましたが、安倍や菅首相や西村大臣はそうはならず、またぞろ誰かの所為にして逃げ切るでしょうから、今回の方がさらに悪質かもしれません。

 そんなことをおもうにつけ、書きたいことはあふれ、おもいばかりつのります。資料確認の不自由と能力の減退もあり、今回も予定の三分の一しかすすみません。内容的に400字原稿用紙300枚弱ぐらいで区切れるかとおもうので、とりあえず今回はそうしたいと思います。今回は図面はほとんどないとおもいます。ほんとうは、あったほうがわかりよいのですが、とにかく書き進むことを優先しています。御海容ください。

      田淵晉也


 

2021.02.05

福島勝彦さま

 お手数をかけます。もうしわけありません。

 今回は、「③「読売アンデパンダン」展から「ハイレッド・センター」へ」の「③ー① 「読売アンデパンダン」展」になります。次回から③ー② 「ハイレッド・センター」がはじまります。とすると、③ー①「読売アンデパンダン」展 のどこかで分割しなければならないわけですが、容量のことがありますから、そちらで適当なところで分割してください。おなじCDに収容されているわけですから、どこで切ってもかまいません。分割箇所に「以下???」へつづく」ぐらいのことがはいっていたよいのではないでしょうか?

   田淵晉也


2021.02.12

田淵晉也さま

 第6号の原稿の編集がいちおう完了しました。10MBと容量が大きいので、別便のメールでお送りします。もし送れなかったら、CD-ROMに焼いて郵送します。

 私の家は子どもの頃、讀売新聞を購読していましたので、内容はともかく「アンデパンダン展」ということばはよく覚えていて、少し懐かしい気持ちになりました。

 今回は図版が少ないですが、アンデパンダン展の作品の図版などがもしあるのなら、掲載していただければ、と思いました。

福島勝彦


2021.03.15

福島勝彦さま

 『百万遍』6号をうけとりました。今回もすべてにお手数をかけもうしわけなく、また、ありがたく思っています。目次あとがきなどを一瞥しただけですが、みなさんの健筆ぶりというか、執念に感服します。質と量、内容からいって、「反時代」的な、真に時代にふさわしいものが実現しているようにおもいます。コピーについては、おついでのとき10部をまたお願いしたいとおもいます。けっして急ぐものではありません。とりあえずの到着のお礼です。   

田淵晉也



2021.03.27

福島勝彦さま

 コピーを今日うけとりました。お手数をかけ申しわけありません。来週中に銀行振込みいたします。

 原稿は、なかなか「風流夢譚」にはいれず閉口しています。しかし、私に遺された時間を考えると猶予ならず、すこしずつ混ぜこんでいます。それにしても、この『百万遍』方式ならばこそできること、つまり、何号参照をふんだんに使えることです。これは、1冊だけの普通出版ではできないことです。それに、これからは、現在の日本の出版界では決して許されぬ内容を忍びこませることができます。ありがたいことです。

 ところで、この『百万遍』形式では、検索機能ができないのでしょうか? たとえば、私の「論文小説?」で、深沢七郎と入力すれば何号のどこそこにこう書いているということがわかるようなものです。あれば、この刊行型式として便利かとおもいます。私は自分の原稿やため込んだ資料をよく検索して重宝しています。

 いずれにしても、『百万遍』には感謝しています。とりあえずのお礼です。

              田淵晉也



2021.04.13

福島勝彦さま

 メール、インターネットが一応回復しました。プロバイダーではなく、無線発信装置、あるいは、機器に問題があるようです。高齢で難聴の私にはわけがわからず、困ったものです。しかし、問題の在り処だけでもわかったので、助かりました。とりあえずは、騙し騙し使えるようで、コロナが少しおさまったら、アップルに相談するつもりです。

 それにしてもコロナは、今日の大阪は千人越えとか。昨今の安倍、菅政権や吉村知事の言うことを聞いていると、まえにも言ったかもしれませんが、第二次大戦末期の日本を思い出します。当時の日本人は、空襲の米軍飛行機から都市の在り処が見えないように、灯火管制と称して、部屋の電灯は黒いカバーで側面を隠し、窓は黒いカーテンで覆うことを強制されました。そして、やっていない家庭は、スパイ扱いをされ、密告されて憲兵がやってきました。すでに電波が普及していた時代ですよ。食事にマスクをし、食べる時は左手ではずし、一口食べたらまたすぐ戻せなどと、政府の医療専門部会の会長や知事が言い、やがて法令化されかねない状況です。それが科学補助を削り(これが日本のワクチン事情の遠因にあります)、医療現場の人員削減をやった当人たちが、自分たちの失策をごまかすためにいうのですか、まさに戦前軍事政権のやったこととおなじです。戦前の軍隊は、陸軍、海軍の勢力争いから飛行機の開発を怠りました。日本には空軍なるものはありませんでした。陸軍と海軍が勝手に飛行機をもっていただけです。海軍は、日露戦争の栄光(?)にしがみつき、ほとんどの金を軍艦建造につぎこみました。その結果が戦艦大和のあの顛末です。今の日本政府やトヨタなどのやっていること、研究費をけちり、目先の利益だけ追った結果がおなじようにここに出ているとおもいます。天皇はのうのうと生き残りましたが、東條英機たちは戦犯として死刑になりました。小泉、安倍、菅、橋下、松井、吉村らがそうなる日がくるでしょうか。第3次世界大戦(?)がおこれば、コンピュータ開発に劣る日本は、開戦後30分で負けるでしょうから、あるいはそうなるかもしれませんがね????

 ところで、わたしがいま、’60年代日本にこれほどこだわっているのも、こうしたことすべてが、原体験として遠因にあるのかもしれません。そうおもうと、なんとしても書き上げたいのですが・・・・・

 早々。コンピューター回復のご報告です。

                    田淵晉也



2021.04.13

田淵晉也さま

 インターネット回復、おめでとうございます。Wi-Fi機器の故障、私も経験がありますが、理由がよくわからず、なんとなくやっているうちに繋がったといった感じでした。

 コロナ対策について、日本の今の政府や、大阪の維新政府のやり方にたいする憤り、まったく同感です。わいわい騒いでいるだけで、ろくに検査もせず、まったく科学的な根拠もなしに、ひたすら飲食店の営業時間短縮とか、「マスク会食」とか、われわれの自粛を求めるばかりで、まさに戦時中の「竹槍精神論」ですね。いまだに日本がこんな状態でウロウロしているのはなぜか、是非とも、田淵さんに「60年代ニッポン」の分析とともに解明していただきたいと、原稿のつづきを心待ちにしております。

福島勝彦



2021.07.23

福島勝彦さま

 画像の件、こちらでは開けなくてもそちらでは可能とのこと、安心しました。

 7号誌の原稿を、不満はありますが、お送りします。今回の他の投稿者の様子はいかがですか?

 ほんとうは、本誌の特権、著作権など蟲師しても良いなど、を考えると、現物所持の日本側の図版を入れると良いのはわかっていますが、PCのあわせた機器やソフトの購入、それになによりも、自分に残された時間からみて、その余裕がありません。書きたいことの核心にまだ至れぬのがもどかしいかぎりです。

 私の年齢になると、1が月後のことがわからぬというのが実感です。現に、昨年なども、かかりつけのクリニックに行き、そのまま家に帰れず、病院入院になったようなことがあるのですから。

 福島さんは私より一周回お若いですか、まだ、安全とはいえくれぐれもご自愛ください。コロナワクチンも、いろいろ言われているのは承知していますが、アナフラキシスの既往症や基礎疾患がなければ、被患しても重症化しないということ(現在までの、イギリス、イスラエルなど、ある程度までデーターの信用できる国の例などから)の理由からもおすすめします。

 原稿は添付します。

                    田淵晉也



2021.08.22 

田淵晉也さま

 第7号原稿の編集が終わりましたので、ご点検、お願いします。訂正の際は、送付したPDFファイルの「何ページ・何行目」とご指摘の上、ご指示ください。

 なお、容量が大きくなりましたので(17.5MB)、念のため、別メールでお送りします。もし、受信できない場合は、CD-ROMに焼いて郵送しますので、ただちにお知らせください。

 とても長い原稿だったので、編集する(読み通す)のに時間がかかりましたが、内容の時代がだんだんと近づいてきているので、とてもおもしろく読ませていただきました。例えば、学生時代、名前だけ知っていた「犯罪者同盟」の末裔のようなグループが京都にもあって、「梁山泊」という冊子を出していて、その中にあった、平岡正明の『座頭市・ア・ゴー・ゴー」という、映画・座頭市の「剣法論」がとてもおもしろかったのを思い出したりしました。

 また、いつものように、簡単でいいですから、「執筆者による内容説明」もお願いいたします。

福島勝彦



2021.08.27

福島勝彦さま

 遅くなりましたが、「内容説明」を添付します。「内容説明」とはとても言えぬものですが、どうかお許しください。これは校正の必要はありません。変なところがあれば、適当に直してください。

 前々回のメールにあった「梁山泊」は、出町柳の北西角の今出川通りに同名の喫茶店がなかったでしょうか。私の時代とは少し遅れてたので、私は通ってはいません。それでも、1、2回は行ったような記憶があり、店内風景もかすかにおぼえています。東京のアヴァンギャルディストが講演会などで出没していたようです。

      田淵晉也


2021.08.28

田淵晉也さま

 「梁山泊」という冊子は知り合いから売りつけられて買ったのですが、喫茶店のことはどこかで聴いた憶えがあるような気もしますが、行ったことはありません。東京のアヴァンギャルディストが出ていたとなると、やはり何か関係があったのかも知れませんね。その冊子はずっと昔に処分してしまいましたが、今となっては残念な気がします。

福島勝彦


2021.09.06

福島勝彦さま

 7号誌受け取りました。みなさんご健在のようですね。これだけの年齢の人が、これだけの数あつまり、これだけ各自独自の内容のものを、この時期に、ここまで出し続けられただけでも、『百万遍』の企画は大成功でしたね。ましてや、このようすではまだまだ継続しそうですから、案外、日本的にも稀有なことになるかもしれません。お義理や見栄だけの執筆者をあつめたものではけっしてこうはいきません。発起人、編集者に感謝します。

 ところで、またお願いしたいのですが、10部だけコピーをつくっていただけませんか。お手数をかけ申しわけありません。けっして急ぐものでななく、いつでもかまいません。

 到着のお礼がおくれました。とり急ぎのお礼です。

                  田淵晉也


2021.10.28

福島勝彦さま

 お知らせ恐縮します。私こそ、送金が後れ、そのうえご連絡をおもいながら怠っていました。高齢になると、家族も含め、予想もしなかったことがおこり、いろいろおもいしらされています。

 次回の『百万遍』はあまり進めそうにありませんが、いろいろな意味でありがたく思っています。まず、考えて書くことが、なによりも救いになります。また、こうして、制約、義務なく考え書きつづけていると、いままで見えていなかったものが見えくるようなことがあります。

 福島さんのほうはいかがですか? まとまった感想をもうしあげていませんが、お書きになったものは一読しております。徹底的に自分にこだわったものおもしろいですね。こだわりは、内容にもありますが分量にあらわれるかとおもいます。長く書くとどうしても書く人の裸形があらわれるのではないでしょうか。そういう視点からいえば、『百万遍』同人のみなさんは皆んな本物ですね。このような機会をあたえてくださった、福島さんと高田さんに感謝しています。「百万遍」のありがたさなどでしょうか?

                   田淵晉也



2022.01.01

謹んで新春のお喜びをもうしあげます。

   本年もなにとぞ宜しくお願い申しあげます。

 8号誌にむけて四苦八苦努めております。90ページ近く書き、今回はあと20ページぐらいで区切ろうと思っています。

 しかし、1月末の締め切りは若干遅れる可能性もあります。どの程度まで待っていただけるでしょうか。内容的にはあまり自信はありませんが、今回は海賊版も出ていない深沢七郎関係の資料を用い、遺しておきたいと思っています。なにとぞ、よろしくご配慮いただきたく願っています。

                   田淵晉也


2022.02.21

田淵晉也さま

 第8号原稿の「番外編」の編集が一応完了しましたので、ご点検ください。

 訂正がある場合は、PDFファイルのページ数・行数でご指摘ください。私のほうで修正いたします。

 今回のご作品では、前半の「エクイプメント・プラン」のところが難解で、正直なところ、やや読みづらかったのですが、後半の「中央公論事件」「風流夢譚」に入るとがぜんおもしろくなり、編集の仕事も一気に捗りました。

 それにしても、朝日の「天声人語」がそもそもの事件の火付け役になっていたとか、江藤淳が「風流夢譚」を評価していたらしいとかは、意外でした。

 朝日の戦前の論調などにも触れておられましたが、その「揺れ」の激しさが一種の胡散臭さを産み出し、そんなところを右翼陣営につけ込まれて、攻撃の的になりやすい体質となっているのかな、とも思いました。

 また、江藤淳もその大江健三郎評価が、途中で180度逆転したのが有名ですが、60年安保のあと、急速に「保守」的な論調に変わっていきました。この揺れの激しさにも何か無理なものがあったのではないでしょうか。その幸福とはいえない「最期」がそれを象徴しているのではないか、といえば云いすぎでしょうか。

 前号のご作品について、云い忘れていたことがあります。

 博覧会の会場で、斧で自分の小指を切断するというパフォーマンスを行ったピエール・ピノチェリーというアーティストがいたそうですが、三島由紀夫の例の「割腹自殺」もこの延長上にある「芸術パフォーマンス」の極北的行為として、赤瀬川原平らアヴァンギャルディストたちを震撼させた、とありました。なるほど「三島事件」をそういうように見ることもできるのか、と感心しました。

 今号でも、私にとっていろいろと「新発見」があり、楽しく読ませていただきました。つづく「第3章」では、さらに深く掘り進んだ内容となるようで、大いに楽しみにしています。

福島勝彦


2022.03.16

福島勝彦さま

 『百万遍』8号を拝受しました。ご苦労を感謝します。ホームページも拝見しました。これまでの全目次の掲載は今回がはじめてですか。

 皆さんご健筆のようですね。「北海道」を少し読みました。今まで読んだところでは、色々あるとはいえ、古き良き時代の修学旅行ですね。これは、福島さん独特の息の長さの文体と関係しているのかもしれません。それに、いま私が、高校時代の先生の追悼集にのせるものを書いているので、いっそうそのように思うのかもしれません。

 これは、関連した別件ですが、「同人誌百万遍」で検索した場合、奇妙な「百万遍」が他にあるようですね。今のところ先頭に出てきますから、差し支えありませんが・・・・

                    田淵晉也



2022.03.27

福島勝彦さま

 CD-ROM、火曜日に到着しました。ありがとうございました。お手数をかけもうしわけありません。やむをえず家にばかりいて仕事場に来ず、お礼を申し上げるのがおくれもうしわけありません。歳をとると、自分のことだけでなく周辺にもいろいろあるものですね。

 それにまた、次回分書いているのですが、これまた暗礁に乗りあげ苦慮しています。というのは、昔やった仕事に関係する部分(シュルレアリスムの事)に触れざるをえなくなり、重大な後始末にならざるをえなくなったからです。これまたこの歳になると、こうした後始末もしなければなりません。しかもこれは、とうぜん’60年代日本に関係するとおもいますから、衰退する知力、体力のなかで四苦八苦しています。

 しかし、次回はもし書けたとしても、あまりオモシロイものにはなりそうにありません。ご海容いただきたいとおもいます。

 取り急ぎ、とりあえずのお礼です。

            田淵晉也


2022.05.06

福島勝彦さま

 送金が遅れもうしわけありません。にもかかわらず、ご丁寧なメールをちょうだいし恐縮するばかりです。昨今、往時ならさほどのことではないのですが、やむをえぬ俗事がかさなり、自宅暮らしをしておりました。それにしても、85歳をすぎると体力の衰えはすごいですね。秋の陽のつるべ落としとかいいますが、それどころではありません。周囲の同年の者たちを見ていると、15、6歳からやっていることは出来るが、やっていなかったことから出来なくなるようです。わたしの場合、身体を動かしていなかった因果の報いなのでしょう。

 因果といえば、いま書いているものにも出てきました。というのは、40年前に書いたシュルレアリスムの論文に係る事項がまた’60年代日本に重なってきて、どうしても過去の不備をはっきりさせないと進めない事態におちいりました。

 というわけで、次回は、自分だけにわかるようなものになりそうです。高田さんのマルコポーロ実在懐疑論のように、学位論文では通らないが、自分では論証したいというようなことです。とはいえ、高田さんとはちがい、わたしの場合は、これもまた老いの妄想かもしれませんが、がんばっています。深沢七郎をふくめ、こうしたものを考える時だけは、生きていたいような気になります。

 以上書いたことは、遅延のお詫びと、『百万遍』への感謝のつもりです。なにとぞご海容ください。

                    田淵晉也


追伸.こうしたシュルレアリスムを見直すにつけ、深沢の凄みを感じますし、また、どうしてもそれを書き留めておきたくおもいます。



2022.07.21

福島勝彦さま

 第9号誌投稿を残念ながら今回は断念します。100ページちかくは書いているので、なんとか区切りをつけたかったのですが、諸般の事情が重なり、次回にむけて頑張りたいと決断しました。

 諸般の事情とは、直接的には、今春ぐらいから腰の痛みが嵩じ、6月下旬に脊柱管狭窄症と診断を受け、歩行困難のため、雨の日はステッキが使用できないので、仕事場に来られないための遅延が第1の理由です。しかし、最大のものは、書いている内容にあるでしょう。関連して書いているうちに、ふたたびシュルレアリスムにつきあたりました。そして、いぜんの仕事の未決着部分に遭遇し、これを自分なりに片付けることを絡めているからです。おそらく、誰も問題にしていないこと、自分だけのことですが、’60年代日本の問題もふくめ、なんとか目処が付きそうになっています。なにとぞご海容ください。

 昨今の世相はまさに末世ですね。

 それにつけても、安倍殺害事件と統一教会の件、新聞報道以上に「客観的偶然」を感じます。

 あれは、おそらく、1960年6月15日におこった国会デモへの右翼集団の殴り込みが岸信介とのかかわりのはじまりではありませんか? 報道の端々から推測できます。事件自体の詳細は、わたしが『百万遍』3号誌か5号誌に書いた、新劇、芸術家集団に殴り込んだ謎の組織的右翼集団の正体です。(戦前、鬼畜米英を唱えた正統右翼が、なぜアメリカに隷属する安保に反対するデモ隊を、集団で襲撃する意味がわからなかったのです.)とすると、その年7月末、岸信介が日本の右翼に刺された意味も、そのときはわけがわからなかったのですが、朝鮮戦争がらみの勝共連合もふくめて、なんとなくわかります。私が掲載した年表をご参照ください。安保改定という安保の定着をした岸の孫がアメリカに媚び諂い、犯人は意図しなくても、客観的にはその所為で殺されるとは、やはり、客観的偶然でありましょう。

 そしてまた、1960年の戦後の処理がその後の日本を決したという私の主張がなんとなくあたっているようにもおもいますが、深沢事件もなにかからんでくるかもしれませんね。やはり、どうしても、今書いているものを考えながら書かねばならぬというおもいをつよくします。

                   田淵晉也



2022.07.22

田淵晉也さま

 今号は休載される、とのこと、了承いたしました。「脊柱管狭窄症」というのは、私も何人かの友人から聞いたことがあります。とても痛いけれども、かならず治るそうですから、無理なさらずにご養生ください。できますれば、短くて結構ですから、「休載の弁」のような文章を頂ければうれしいです。

 「安倍事件」、驚きましたが、正直なところ、自業自得ではないかと思いました。細かい真相はよくわかりませんが、「明治」以来、日本を間違った方向に導いてきた連中の「膿み」が一挙に吹き出した感がします。

 「鬼畜米英」を唱えていた「右翼」がなぜ戦後「親米反共」になったのか、私も不思議に思っていましたが、どうも「反米」というのは、もともと彼らの思想信条ではなくて、彼らが信奉していたのは昔から「天皇制権力に対する忠誠」だけだったのではないでしょうか。当時アメリカと戦争していたので、「意匠」として「反米」を叫んでいただけで、戦後、天皇制権力がアメリカと和解(あるいは服属)すると、それに忠誠して、易々と「親米」になったのだと考えると、筋が通るようになりました。

 そんなドロドロとした近代史の深層について、今後の田淵さんの原稿がいくらかでも解明の光を当てていただくのを、こころから楽しみにしています。

福島勝彦



2022.08.23

福島勝彦さま

 遅れて、ご迷惑をかけているにもかかわらず、丁寧な編集をしていただき、感謝します。

 本当に書きたかったのは、統一教会の国際勝共産連合と笹川良一の勝共連合、60年安保の国会デモ殴り込みの「維新行動隊」(この隊長は勝共連合の隊長です.)・・・・「統一教会の国際勝共産連合」については、マスコミはタブー視とおもわれるほど、最近ふれなくなりました。そして、高度経済成長と「電通」の一人勝ちと右翼との関係などだったのですが、考証できませんでした。書いた本文にも怪しいところがあります。ですから、これはやはり、「休載の辯」にしてください。そうしないと、今100ページほど書いている10号用原稿につながらなくなります。せっかくのご提案、申しわけありませんがよろしくお願いします。

               田淵晉也



2022.09.03

福島勝彦さま

 昨日、ファイルをうけとりました。丁寧なお気遣いをいただき、ありがとうございます。次回は、かならず今100ページぐらい書いているものを完成させます。

 福島さん作品「北海道2」を少し読みました。福島さんのお書きのものは、文体があり、それと関係があるのでしょうが、強靭な記憶力(というより、強靭な文学表現への関心なのでしょうが)にいつも感銘を受けます。

 相変わらずの腰痛のため、すこしおくれますが会費をお送りします。

                    田淵晉也



2023.01.05

福島勝彦さま

 新年おめでとうございます。本年もなにとぞよろしくお願いもうしあげます。

 ご挨拶がおくれたのは理由があります。大晦日の夕方、仕事場からの帰宅中、転倒し、かるく頭を打ちました。若干の出血だけでたいしたことはなく、元旦を迎えました。しかし、脚のふらつきがあり(これは、昨今の常態で転倒とは関係ないようですが)、外出を控えていたところ、午後から震えと熱発がおこり、大阪急性期総合医療センターの救急外来の診察をうけました。コロナの抗体検査をはじめ、血液検査、脳のCT、尿の検査(感染症の疑い)・・・の結果、なにも顕著な病根は見つからなかったのですが、CRP(炎症反応)と白血球の数値が異常に高く様子見で帰ってきました。しかし、昨今の脊柱管狭窄症のため、仕事場に来ることができませんでした。皆さんへのメールのご挨拶のため、今日はタクシーで来ておりおります。というようなわけで、年頭のご挨拶が遅れ申し訳ありません。なにとぞお許しください。

 『百万遍』10号の件、今回は絶対に投稿するつもりです。

 昨今の身体の不自由と、なによりも脳力の衰退のため、まとまるどころか拡散する一方ですが、今年87歳になる身としては、いつ絶筆になっても不思議ではありません。前回休載分から書き続けているものだけでも、この世に留めておきたく願っています。投稿できる分量だけは、140枚を越えるものがあります(一貫性を欠きますが、内容の細部はこれまで私が考えつづけ、資料をもっているので何らかの意味はあるとおもっていますが)。なんとか区切りをつけたくおもいますが、締め切りが1月とのことでしたが、いつまで待っていただけるでしょうか? 今回は図版が多く編集にお手数がかかります。出来たところからだけでもお送りすることもできます。まことに理不尽なお願いですがなにとぞご検討ください。

 ご挨拶のお詫びとお願いです。なにとぞご海容ください。

田淵晉也


2023.01.26

福島勝彦さま

 10号誌の原稿と図版の送付をいたします。小見出しの「戦後日本のレジスタンス文学」(pp.29)、「シュルレアリスムの政治と芸術」(pp.39)、「シュルレアリスムにおける芸術家の立場 ─ ダリの場合」(pp.96)は、分割掲載の場合の目安です。量がアンバランスですが適当のご判断ください。

 図版は適宜送ってみます。送れないものは検討しなければなりません。なお、図版1と図版6は、先日のテスト送付の際、送れていたようですから今回ははぶきます。

                田淵晉也


2023.03.07

田淵晉也さま

 田淵さんの原稿の編集が完了しました。容量が大きくて、メールでは無理かもしれませんので、お預かりしていたUSBメモリに入れて、本日郵送しました。ご確認ください。

 中学生の頃、図工の教科書で、ダリの、時計がぐんにゃり曲がった絵の写真を見た覚えがあります。それが「超現実主義(シュルレアリスム)」という言葉に接した最初でした。だから、ダリにはとても親しみがあり、後半の部分、楽しく読ませていただきました。ガラとの関係も初耳で、思っていたのと逆だったのに驚きました。

福島勝彦


2023.03.10

福島勝彦さま

 校正版USBを拝読しました。

 それにしても著作権に無関係な図版使用はありがたいですね。ダリの電子版図版は、あの大きさになると、画集以上の効果が出て、文章説明の説得性が増大するようで嬉しいかぎりです。ダリの図版はガラの介入だったのか、著作権がうるさく、商業本掲載では苦労した記憶があります。本文にも書きましたが、ダリ財団なるもの意味が分かったような気になったことがあります。

 いろいろご迷惑を今回もかけました。感謝しています。心身ともに半分呆けかかっている者にとっては、このような機会を与えてくださったことをふくめて感謝以外にありません。本論「夢譚」はもちろん、それにいたるまでに書きたいことはまだあり、いまやそれに至れるかどうかも危ぶまれますが、とにかくこれが生きがいのひとつになっています。

             田淵晉也



2023.03.29

福島勝彦さま

 福島さんの「北海道」は読みました。記憶という想像(創造)力を駆使した、ドキュメンタリーを装った新形式の小説(散文文学といったほうが正確かもしれません)ですね。それに、内容においても、プライヴァシーとか分量とか、読者の受容関心とかなんとかに託けた最近「文学」の堕落を防水できる同人誌文学のお手本ですね。どのようなところそうなのかについては、できることなら、いちどゆっくりお話ししたいですが・・・・ いずれにせよ、福島さんが書くものには文体がありますね。文体というのは、想像(創造)力の沸騰するマグマに正比例すると私はおもっていますが、いかがでしょうか?

                 田淵晉也



2023.07.28

福島勝彦さま

 最大限いつまで待っていただけるでしょうか? 分量はおおくて、30~40ページていどです。

 6月末から身体不調に陥り、昨日病院の結果が出てなんとか入院は逃れました。覚悟はしていますが、この年齢(八十七歳)になるといつフィナーレになるかわかりませんね。

 あと数ページで、なんとか体裁上は、区切りをつけられる段階にはあります。昨今仕事場へは、歩行困難のためタクシーで来るのですが、明日から8月1日まで、住吉大社夏祭りの雑踏と交通規制のため、来ることが不可能になりました。コンピュータをはじめ資料がないとなんともなりません。2日には再開し、8月10日までにはお送りできるとおもいます。

 しかし、編集上けっして無理はしないでください。中途半端なものですから次回にまわしてもかまわないものです。

 なおお返事は、携帯へお願いします。アドレス確認のため、携帯からもメッセージをお送りしておきます。

 取り急ぎ。     

              田淵晉也



2023.08.17

福島勝彦さま

 きわめて不満足なものですが、明後日にはお送りできそうです。間に合うでしょうか?次回分にしていただいてもかまいません。いつ絶筆になるやもしれませんからとにかくお送りします。お返事は携帯宛にお願いします。

 取り急ぎ。

田淵晉也


2023.08.18

福島勝彦さま

 原稿が一応まとまったのでお送りします。ワードに変換したので乱れていますが、お許しください。表紙の図版もなにか探してみます。遅れに遅れ、本当に申しわけありません。都合によっては、掲載は次号でもかまいません。私にとっては提出できただけで、十分ありがたいのですから。

田淵晉也



2023.09.17

福島勝彦さま

 受け取りました。お返事遅れもうしわけありません。

 「青群」は、家内のパソコンを借用しCD版で読みました。私より一世代後のことですが、感無量のおもいでよみました。「光芒」も、茂木さん経由か、亀井さん経由かで、一二冊購入させられた記憶があります。それにまた、私の関心も、福島さんとはやや異なる角度、究明の角度からですが、この時代にありますから、いっそう興味深く読みました。あの初稿は1970年代ですか? そして、どこかに発表されたものですか?

 いろいろお話ししたいこともありますが、かなえられそうにありません。しかし、『百万遍』の原稿だけは、つづけたいと願っています。

 アトリエに来るチャンスを利用しとりあえずお礼をもうしあげます。取り急ぎ。

                   田淵晉也



2023.10.03

福島勝彦さま

 振り込みがいつも遅くなり、申し訳ありません。実は昨今、家内ともども(私は老化、家内は疾病が原因ですが)、タクシーでしか外出できない仕儀となり銀行へいく機会が限られております。というわけでいつも不義理となっています。ご容赦ください。

 というわけで、「百万遍」だけが最後の生きがいになっています。(それとて、内容は、悔いと不満の堆積の地獄にすぎませんが)、老化というのはこうゆうものでしょうか? なにとぞご海容ください。

               田淵晉也



2024.01.30

福島勝彦さま

 昨今体調が思わしくなく、百万遍12号誌掲載を断念します。A4換算20枚位書いたのですが、不完全なので、次回にまわします。この歳になると、何事も思うに任せられません。

田淵晉也


2024.01.31

田淵晉也さま

 今回パスされるとのこと、了解しました。楽しみにしていたので、残念ですが、このあと、締め切りに関係なく、体調とご相談のうえ、ご執筆ください。速報版に随時掲載という手もありますから。  

福島勝彦



2024.07.15

田淵晉也さま

 ご無沙汰しています。お元気ですか。百万遍13号の締め切りは7月末ですが、8月中旬まで食い込んでも結構です。原稿、お待ちしております。  

福島勝彦


2024.07.15

福島勝彦さま

 ご連絡ありがとうございます。実は昨年末から、私の体調もさりながら、妻が不調となり、先月少し大きな手術を受けたところです。先に書いたものから、一行も書いていません。最後に書いたものが、私の絶筆になるかもしれません。とりあえず、お詫びまで。   

田淵晉也





 2024年7月15日付けの、このメールが田淵さんからの最後のメールとなった。パソコンが置いてある「アトリエ」へ行くことが不自由になって、終わりの方は携帯からのものだった。

 それにしても、田淵さんは1936年生まれだから、「百万遍」に最初に投稿されたときはすでに82歳を超えていた。現在の私よりも2つ年上である。それから4年半、「百万遍」に書き続けた原稿の総量は、文字数にして、115万5000字にのぼる。

 田淵さんの著書『現代芸術は難しくない』(2005年・世界思想社刊)は、小さい文字がぎっしりと詰まった本だが、総文字数が約22万字。すなわち、田淵さんが82歳から87歳までの間に「百万遍」に書いた文章は、その本の、5冊分以上に当たることになる。まさに驚嘆の極み、というほかはない。



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