田淵さんへ
武村 次郎
田淵さん、テールスープを行きつけの焼き肉屋さんで美味しそうに食べている姿が印象に残っています。田淵さんと初めてお会いしたのは私が医学部の三年生の時でした。長谷川家の下宿にいる人の中で長老の様な別格の存在でした。あのよく通る澄んだ声で多くの話題を提供していただきました。そればかりでなく一つの出来事や社会現象を異なる視点で解説して下さいました。良き意味で斜に構えて物事を見る複数の考え方を学びました。
カナダのバンクーバーのUBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)で2年間インスリン分泌の研究に従事した後帰国して宮崎医科大学へ、更に小倉記念病院、松江市民病院を経て大阪の済生会野江病院で7年ほど勤務した後京都へ戻ってきました。この間かなりのブランクがありましたがそのことを一切感じさせないほどその後ずっと親しくお付き合いさせて貰いました。栗林さんの下宿で色んな話題に花を咲かせたものです。大文字山にもよく一緒に登りましたね。
田淵さんはスポーツはあまり得意ではないと勝手に思い込んでいたのですが、謹んでお詑びと訂正させていただきます。あるバッテイングセンターでの出来事です。多分最速のピッチングマシーンの速球を何の苦もなく鋭い打球で打ち返していましたね。私にはとてもできないパフォーマンスでした。
田淵さんをはじめ銀閣寺派の人たちと若い時代に出会えたことは私の人生の最大の財産です。ここに12個のりんごの話があります。一つだけ重さが異なるりんごを三回のつり合い天秤で探し出す論理学の難問です。一晩考えられたのでしょうか。翌日意気揚々として解を披露してくださいました。知的好奇心の塊だったのでしょう。あの得意そうな笑顔が今も忘れられません。
ただ一つ残念なことがあります。私の下宿へは一度も訪ねてくれることはありませんでした。何か田淵さんなりのこだわりがあったのでしょうか。そのことをお聞きしたい気持ちでいっぱいです。