田淵さん追悼・顧


恩師を追憶して 

 

顧  錚 

 

 1995年に博士後期課程に入るにつれて、これからの博士論文の範囲は自然と拡大にしなければならないことになるのです。ある日、指導教授の花岡永子先生は田淵晋也先生の指導に教わったらどうと言われました。戦々恐々先生の研究室に尋ねて、先生からいろいろ問われた憶えがありました。具体的になにを聞かれたのがいまはもうはっきり憶えていないですが、その契機によって、先生の授業に入りました。あれは先生の修士の課程ですが全く新しい世界がわたしの前で開かれたのです。先生が使った材料はフランス語の原著で、わたしがもちろん読めるはずはない。ただし、いまから思いますと、先生は多分あの人言葉がわからなくてもアバンギャルドのものを目でたっぷり「浸潤」していいと言うことが先生の苦心ですかなと思いました。授業の展開につれて、『パリとベルリン』、『パリとモスクワ』などの本が次々と現れました。そこで、ある日『ミノトル』とかシュルレアリスムのものを先生は車でもってきて、わたしたちの前で見せました。わたしのテーマ禅芸術論との全く違う世界、または思想を初めて知りました。そして、いつのまにか、その両者の一致するところが何ですかと言うことを論文に取り組もうとします。もちろんその過程で、先生からいろいろ指導がくださいました。あの授業が終わる時に、生徒の一人がアンドレ・ブルトンの肖像を印刷されたTシャツを注文しました。授業最後の一コマにみんなTシャツにサインして大事に持ち帰りました。先生のこの授業で徹底的にわたしたちの固定観念をリセットした。三年の時間はあっという間に過ぎて、いよいよわたしの博士論文の口頭試問の時がきました。その口頭試問の日、試問を始まる直前に、先生がわたしのネクタイを直したのを、いまも昨日のことのようにはっきり覚えています。わたしはその日にスーツを着ましたけれども、ネクタイの付け方はうまくできないでした。先生のこの行為は無言の励みです! 先生がたのお陰様で、審査試問は無事通りました。人生の中の最も重要な時刻で、先生がされたことはわたしの助け船のようなことです。わたしの人生の一番の幸福です。先生は本当に慈父のような存在です! 田淵先生、本当にありがとうございました!

 

 2006年、わたしの勤める復旦大学が早稲田大学との協議で、両校が年に交換教授一名の派遣することで、わたしは幸運にも選ばれた。早大の受け入れ先の教授の紹介が必要で、先生の労を煩わしまして、法学部の塚原史先生を紹介されることになりました。先生のご紹介のお陰で、早大で暖かくわたしを迎えた塚原先生のもとで、新しい天地が開いて来ました。わたしはどれぐらいの幸運で、日本で多くの学問と人格の両方が素晴らしい先生がたに邂逅しています。わたしが2006年10月から2007年4月まで東京に滞在する半年間のあいだ、先生に三回お目にかかった。10月31日に、先生が早大の教員会館で塚原先生と会食するを機にわたしが両先生と一緒にお供することができました。翌日の11月1日、先生と竹橋の国立近代美術館に行って、展覧会を見ました。近美を出てから、先生に連れられて鰻の旨い店「伊勢定」でご馳走になりました。そのあと、またご一緒にNadifと言う書店にも行きました。そこで、先生が7万円ぐらいの本を買いました。そのあとで、また森美術館に行ってビデオアーチストBill Violaの展覧会を見ました。美術館出てから森ビルでイタリア料理をまた先生からご馳走になりました。その一日は本当に楽しかったけど、先生はきっとお疲れになったと思います。その時すでにデジタルカメラを使っていますから、その日近美で先生の後ろ姿を撮りました。いま一番後悔するのがもっと多くの先生の写真を撮っていないことです。12月27日、年末の師走の忙しい時期に、先生は東京に来られました。渋谷で先生と合流して、横浜に行って横浜美術館で展覧会を見た後には中華街の華勝楼で先生にご馳走しました。帰国の直前に、塚原先生とご一緒に大阪へ恩師に会いに行ったことをも思い出しました。

 わたしが1999年帰国後に、先生が奥様と一緒に上海に来られました。先生が上海のバンドから見た揚子江対岸のピンク色のオリエントパールタワー(東方明珠タワー)の時にきっぱりと言いました。「あれはヒエロニムス・ボスが描いた欲望と地獄の傑作《快楽の園》を彷彿とさせるものだ」

 わたしも帰国後に、一度大阪に来ることができて、先生と再会しました。その時先生のアートリエに一夜泊まったことはあります。本棚にはルイ・アラゴンの『パリの農夫』が二冊があるから、大胆にも、先生、これいただきたいと言った。先生は快諾くださいました。幸いなことですが、先生の著書『現代芸術は難しくない:豊かさの芸術から「場」の芸術へ』は、わたしの紹介で、2014年に中国の重慶大学出版社から『缝纫机、蝙蝠伞邂逅于手术台:现代艺术新解』と言う中国語訳が出版でき、先生からこの中国語版のために書かれた長い序文をいただきました。そして出版してから多くの人々はいまもこの本の新しい見解を注目して深遠な影響を受けています。

 

 田淵先生はわたしの人生を完全に変えました恩人です。先生の学問への情熱と人格の高潔さはわたしに学問するあるべき姿を見せられました。そして、先生は学問以外に人間の生き方をもわたしに多大な影響を与えました。田淵先生、ありがとうございます! そして余計なことではないかと思いますが、日本に留学していた時にまだ知らないファミリーのことですが、わたしの祖父は1926年にその当時の江蘇省南京市日本教育視察団の一員として、日本を訪問した。そして1937年、彼はもう一度日本の市政管理を視察しました。思えば、わたしの日本との縁がそんなに深いものとは、思いもよらないことです。





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