Avant 2-3-1


’60年代日本の芸術アヴァンギャルド

第2章「デモ・ゲバ」風俗のなかの「反芸術」


3)トリスタン・ツァラの『ダダ宣言 1918』とアンドレ・ブルトンの「反芸術」


Part 1



 チューリッヒで誕生したダダは、そのときなにを主張したのか、ダダ精神とはどのようなものであったかを、その命名者のひとりであり、まぎれもなくダダイストであったトリスタン・ツァラが書いた「ダダ宣言1918年」にみておこう。ダダ宣言としてはこれに先行して、バルのものがあるが、’60年代のフランスでは、シュルレアリスムに先駆したパリのダダと、これを主導したツァラをとおしてダダをみていたとおもわれるからである。そのことは、レスタニーのヌーヴォー・レアリスム宣言の文言からもよういに推測できる。

 ツァラのこの宣言は、たんなる宣言というより、ツァラの文学作品のようなものであって、かれの詩を読むように、読者の解釈のうえに成立する「宣言」である。したがって、後代あれほどまでに喧伝されたダダなるものを、そのような見方から、解釈的にみとどけておきたい。

 ダダは、ツァラ、ヒュルゼンベック、バルによって命名され、誕生したのであった。そのとき、さきのヌーヴォー・レアリスム発足時のような、深刻な芸術思想上の議論もなかった。かれらは、バル経営のキャバレー・ヴォルテールや、さまざまなところの「ダダの夕べ」でおこなった詩やさまざまな朗読、歌唱、ダンスのパフォーマンスにおいて、「ダダ」をさけんだだけだった。  

 そして、バルは『ダダ宣言』を「ダダの夕べ」で朗読し、ツァラは、まずその名を冠した文学・芸術小雑誌『ダダ 1』、『ダダ 2』、『ダダ 3』を刊行した。この宣言も最初は「ダダの夕べ」で朗読され、『ダダ 3』に掲載されたものである。この『ダダ宣言 1918年(manifeste dada 1918)』をパリで読んだピカビアやブルトンは、つよい感銘をうけたという。そして、かれらのまねきにより、ツァラがパリにあらわれるのは1920年である

(注. ツァラのパリ到着の年は1919年もあるが、ここでは、ミッシェル・サヌィユ『パリのダダ』に記載された1920年1月17日による.)


 レスタニーにとって、そして、おそらくは、日本のネオダダ・オルガナイザーズの吉村益信や篠原有司男にとっても、「完全否認(non)の神話」とされたダダの「反芸術」は、はたしてそのようなものであったのかどうか、まずこの宣言に確認してみよう。


 『ダダ宣言 1918年』は、「ひとつの宣言を公布するためには、A.B.C.を希求して、1,2,3 を雷で粉砕しなければならない。大小の a, b, c を征服、広めるために、苛立ち、翼を鋭くしなければならない・・・・」と、はじめられる。挑戦であり、断定であるのはたしかだが、わかるようでわからない、わからないようでわかる表現である。活字の大小と書体の組合せや配列、イラストや記号もいりまじったこうした表現で全文が構成されている。パフォーマンス型記述、あるいは、独演会記述とでもいうべきであろう。そしてまた、初出は「ダダの夕べ」で朗読されたものであることを、前提として読まねばならないだろう。ということは、視覚、聴覚を駆使して読解すべきものであろう。まず読みながし、あとで考える読み方である。

 引用した冒頭の3行を、そのような読みかたをすれば、こうなるであろう。この宣言は、数字のような現実的論理にもとずくのではなく、ことば表現によるということである。誇張したり、めちゃくちゃ表現をする文字をならべ、それによる伝達がこころみられている、というようなことである。そして、これは、「ダダの夕べ」の朗読としては、暗黙の事前了解がある聴衆にたいしては、それなりの意味をつたえるはじまりであろう。

 ところで、宣言全文で、視覚表現として、活字書体をかえポイントをあげて強調しているのは、「ダダはなにも意味しない」と「ダダイストの自発性」、「ダダイストの嫌悪」である。さいしょから「ダダはなにも意味しない」と説明し、「ダダイストの自発性」についてかたり、そして、「ダダイストの嫌悪」を、宣言のしめくくりとして、さいごに身振りゆたかにかたっている。

 というわけで、これら強調の三句は、〈ダダはなにも意味しない(DADA NE SIGNIFIE RIEN)〉の同語反復である。手をかえ品をかえおなじことを脈絡なくりかえすのは全文すべてである。真意はとらえがたい。そのくりかえす執念がどこにあるかが、この朗読宣言の核心であって、そこに注意をむけながら読解してみよう。

 まず、活字表現のうえから、もっとも趣向が凝らされ、宣言の結論のように、最終ページにおかれた、「ダダイストの嫌悪」を引用してみよう注1。ここだけで13回連呼される「ダダ」は、ひとつひとつの活字書体がことなり、またポイントにも異同がある。ダダにも、大声で叫ばれるダダや、小声でつぶやかれるダダのように、いろいろなダダがあるということであろう注2

(注1. トリスタン・ツァラ『ダダ宣言1918年』(小海永二・鈴村和成訳『七つのダダ宣言とその周辺』(土曜美術社)によるが、《Sept manifestes  DADA lampisterie (Jean-Jacques Pauvert)》を参照し、訳文は適宜修正した. 以下の引用はすべて同書から. 尚、『ダダ宣言1918』の邦訳は多種類刊行されているが、併録されている「ツァラとダダ」論をふくめて、塚原史訳の『ムッシュー・アンチピリンの宣言 ━ ダダ宣言集』(光文社古典新訳文庫)(2010年)がもっとも新しく、読みやすく、また、解説もゆきとどいているが、本論ではこれによっていない. 『百万遍』4号解説を参照.)

(注2. 引用訳文の活字規模と書体は、原文に対応したものではない.)


僕は、哲学思想の工場から産出される腐った太陽が垂れながす、あの淋疾膿漏にたいして、いっさいの宇宙的能力をあげて対抗することを宣言する。いっさいの ダダイストの嫌悪をぶつけた容赦せぬ戦いを宣言する。

すべて、家庭の否定をゆるす嫌悪から発したもの、それがダダである。破壊行為のなかに全存在をかけた拳の抗議:ダダ、 安易な妥協と上品さとで貞潔な性(セックス)が今日まで遺棄してきたいっさいの方法の承認:ダダ、 論理の廃棄(abolition)、創造不能者たちの舞踏ダダ、 僕らの下僕が、価値づけからたてた全階層と社会方程式の(廃棄注1: ダダ、 ひとつひとつのオブジェ(対象)、いっさいのオブジェ(対象)、感情(les sentiments)と不可解 (les obscurités)、 平行線の出現とまさにその衝突、これらが戦いのための手段だ:  ダダ、 記憶の廃棄:ダダ、 考古学の廃棄:ダダ、 予言者の廃棄:ダダ、 未来の廃棄:ダダ、 自発的に即座につくりだされる各神々への、絶対的な、異論の余地なき信仰:ダダ、 ひとつの天体音楽から他の天体音への、異論のない優美な飛翔。よく響くレコードのように発せられた言葉の放物線。瞬間の狂躁のなかでのいっさいの個性を尊重せよ。しかつめらしくおずおずとし、はにかんで熱っぽい、たくましく揺るぎない、熱中する狂気。空疎で鈍重なあらゆる装飾を、教会から剥ぎおとせ。ひかり輝く瀑布のように、不快な思想を吐きだしてしまえ。それとも、そいつをかかえていろ ━ どちらもおなじと満足しきって ━ 藪のなか、大天使の霊肉に輝く高貴な血潮にむかう、やぶ蚊の純真なはげしさをもって。自由よ、ダダ、ダダ、ダダ注2、 ひきつったくるしみの叫び。逆さまなこと、いっさいの矛盾すること、醜悪なもの、その場限りのでたらめのからみあい、つまり (人生、生活)

(注1.青文字は原文に欠落したとおもわれるもの. 注2 の下線は原文. その他の下線は筆者)

 

 戦いの宣言廃棄の宣言である。嫌悪と破壊をふりかざした過激な否定宣言のようにみえる。いっさいの社会規律や規範の否定、哲学思想・論理の否定、さらには、手あたりしだいに、記憶の廃棄、考古学の廃棄、予言者の廃棄、未来の廃棄と、過去と未来の廃棄をならべる。まるで「ダダはなにも意味しない」の対極にある、全否定の宣言であるかのようにきこえる。

 だが、この『ダダ宣言 1918年』は、はじめから言うべき明確なイデーがあって、それを広めるべくかかれたものではないであろう。ダダ宣言ということばだけがあり、そこから、つぎつぎにことばが紡ぎだされたものであろう。したがって、紡ぎだされることばのながれに、こちらの意識をゆだねてみると、いささかちがった心象(イメージ)が浮かびあがってくる。

 「論理の廃棄(abolition)」 から、ながれのリズムがいっそう定まるものになる。それまで、「嫌悪から発したもの」にせよ、「拳の抗議」にせよ、「遺棄してきたいっさいの方法の承認」にせよ、ことばのうえでは、反対とまじりあうきみょうな肯定がダダ行為であった。ところが、対立命題である「廃棄」へ、潮目がかわる。しかも、ながれがぶつかるところでは、「論理の廃棄:ダダ」ではなく、「論理の廃棄、創造不能者たちの舞踏:ダダ」である。

 このかわる潮目に注目しなければならない。「ひとつひとつのオブジェ(対象)、いっさいのオブジェ(対象)、感情不可解、平行線の出現とまさにその衝突、これらが戦いのための手段だ:ダダ」は、おもわずあかしてしまった肉声のようにきこえる。「これが戦いの手段だ」という、具体性ある目的が思わずもらされている。

 あたらしい抽象的「対立命題」にすんなりと移行するのなら、「・・論理の廃棄:ダダ、創造不能者たちの舞踏:ダダ、芸術の廃棄:ダダ」となり、 「記憶の廃棄:ダダ、 考古学の廃棄:ダダ、 予言者の廃棄:ダダ、 未来の廃棄:ダダ・・・」 とつづくはずである。

 ところが、潮目のかわりは、順当に移行するのではなく、渦巻いている。すんなりと「芸術の廃棄:ダダ」ではなく、「論理の廃棄、創造不能者たちの舞踏:ダダ、 僕らの下僕が、価値づけからたてた全階層と社会方程式の(廃棄):ダダ、 ひとつひとつのオブジェ、いっさいのオブジェ、感情と不可解、平行線の出現とまさにその衝突、これらが戦いのための手段だ:ダダ」と、渦巻く思考のながれがあらわれている。

 これらは、ダダの芸術であろう。戦いの手段となるのはダダの芸術ということであろう。個々の芸術作品、芸術の総体、芸術は感情をあらわし合理的説明を拒絶する不可解なものである。芸術の平行線は、交点をもつ平行線である。ダダの芸術は、「論理の廃棄、すなわち、創造不能者の舞踏」となる。そして、つづく 「僕らの下僕が、価値づけからたてた全階層と社会方程式の(廃棄)」に目をとどめなければならない。このフランス語の原文は 「(abolition) de toute hiérarchie et équation sociale instalée pour les valeurs par nos valets: DADA」であって、abolition(廃棄)は記されていない。前文の「abolition de la logique(論理の廃棄)」からの連携による、欠落であろう。とすると、「僕らの下僕が、価値づけからたてた全階層と社会方程式の(廃棄):ダダ」は、前年のロシア革命を連想させるだけでなく、画商や美術界、出版社や文学界のおこなう作品評価、格づけを喚起し、そうした芸術評価や芸術論理を廃棄した芸術をもって、社会規律や規範と「戦う手段」とするということであろう。

 そうしたダダ芸術とはいかなるものかにむかって、以下、さらに高揚していく。


 自発的に即座につくりだされる各神々への、絶対的な、異論の余地なき信仰:ダダ、 ひとつの天体音楽から他の天体音への、異論のない優美な飛翔。よく響くレコードのように発せられた言葉の放物線。瞬間の狂躁のなかでのいっさいの個性を尊重せよ。しかつめらしくおずおずとし、はにかんで熱っぽい、たくましく揺るぎない、熱中する狂気。空疎で鈍重なあらゆる装飾を、教会から剥ぎおとせ。ひかり輝く瀑布のように、不快な思想を吐きだしてしまえ。それとも、そいつをかかえていろ ━ どちらもおなじと満足しきって ━ 藪のなか、大天使の霊肉に輝く高貴な血潮にむかう、やぶ蚊の純真なはげしさをもって。


 ここにあるのは、かたる者と聴く者の想像力にはたらきかけることばの沸騰、驚異のイメージである。「ダダの夕べ」で演じられた詩と演劇のパフォーマンスである。

 この「ダダの夕べ」にどのような人が、どれだけの数集まっていたのかは、わからない。だが、これを聴くものにはそれなりの伝達がはたされ、かたるものと聴くもののあいだの共感の共振があったのであろう。いわばそれは、20世紀や21世紀の現代にもある政治集会の、熱狂的共感の共振である。「革命!」「民族の独立!」「アメリカ第一!」・・・・ をさまざまなことばで叫ぶパフォーマンスである。

 ただ、ここで注目するのは、熱狂のことばのパフォーマンスではない。  

 「ダダ芸術」をしめすためにちりばめられたことばである。「神々」「信仰」「天体音楽」「教会」「大天使」である。敬虔な宗教家からみると許しがたい背徳の表現かもしれない。だが、宗教精神と二重露出されたダダ精神があらわされていることにはかわりない。芸術を宗教的なものに帰結することである。もちろんそれは、既成宗教を否定したうえでのことであろうが、これについてはかれはいっさい語っていない。あるいは、当時の聞き手に、ダダを説明するための方便だったのかもしれない。しかし、いずれにしても、ダダ芸術は宗教精神のような、「目的」精神であることを、この高揚することばの沸騰はあらわしているようにみえる。

 そして、この昇りつめたことばが到達するのが、とき放たれたダダがほとばしる、さいごの二行である。宗教精神のような目的精神であるダダ芸術の、さししめす目的が掲げられているようにみえる。


 自由よ、ダダダダダダ、ひきつったくるしみの叫び。逆さまなこと、いっさいの矛盾すること、醜悪なもの、その場限りのでたらめのからみあい、つまり (人生、生活)[LA VIE]だ。(注. 下線は原文.)


 このようなダダ芸術が、めざし、そのさきに見つめているのは「自由」であり、「生」であるというのであろう。つまり、ダダの芸術は、「自由」と一体化した「生」と合同記号(≡)で結ばれている。ダダは、自由な「生」、「生」の自由を象徴する絶対芸術であるということであろう。

 そして、現実的には、絶対芸術とは存在しない芸術であるから、その主張は、「反芸術」の主張であるという見方もできるであろう。

 だが、ダダの「反芸術」を、このようなダダイストの嫌悪から発現した絶対芸術の精神であるとして、おわらせることはできない。

 すでにここにおいても、さいごにおかれた、「生」と訳された「LA VIE」にたくされたものをみきわめておかねばならない。フランス語 la vie は、英語 the life のように、「生命、人生、生活、生活費、世間、生気・・・」をあらわすことばである。このことばを記したツァラは、これらすべてをふくむことばとして、これを選んだのであろう。

 とはいうものの、かれのなかでは、なんらかの意味の濃淡があったはずである。絶対芸術、あるいは、ダダと等号関係にある LA VIE である。それが、「生命」「人生」「生活」のどれに力点があるかをたしかめることは、かれのダダ芸術を解明にするうえで必要であろう。芸術は自由であり人生であるとするか、芸術は自由であり生活であるとするかは、ダダと「反芸術」とのかかわりで考慮しておかねばならない区別である。

 芸術とダダについて、ツァラは、この宣言で、「ダダはなにも意味しない」でも、「ダダイストの自発性」でも、さまざまに語っている。ただし、かれの語り口は、すでに述べたように、とらえ難いものである。巨大な軟体生物のように、その実体をあらわすには、形態や要点よりむしろ、量でつたえねばならない。そこには、重複がある、言い換えがある、混乱がある、矛盾がある。できるだけそれらに接することによって、かれがこだわり、執着するものが、しぜんに察知できるであろう。これを確認するために、その他の記述をよんでみよう。

 「ダダはなにも意味しない」と強調したうえで、芸術について、具体性をもって語っているのはつぎのようなところである。


・・・・ 一芸術作品が、至上令によって、客観的に、万人にとって美しいということはけっしてない。批評はそれゆえ無用である。批評は、各人にとって、主観的にしか存在せず、いかなる普遍性もない。人びとは、あらゆる人間性に共通な心的基盤をみいだしたとでも思っているのだろうか? キリストの試みや、聖書が、その広大な博愛の翼のもとで庇護しているのは、糞だ、愚行だ、日々の勤めだ。人間、この無限で無形の変動をなす渾沌を、ひとは、どのようにして秩序だてようというのか? 「汝の隣人を愛せよ」という原則は偽善である。「汝自身を知れ」とはユートピアだ。しかし、このほうがまだしもまともである。というのは、このユートピアは、みずからのうちに、悪意をひそめているからだ。なさけは無用。殺戮のあとでわれわれに残されるのは、人間性が純化されるという希望である。」「僕はいつでも自分のことをかたる。というのは、僕は他人をときふせたくないし、僕の河のなかへ他人を曳きずりこむ権利もないからだ。誰にも僕についてくるよう強いはしない。誰もみな、各自の芸術を自己の流儀にしたがってつくるのだ。星々の層に向かって矢のように上昇する歓喜、あるいはまた、死骸とか肥沃な痙攣の咲きみだれる坑道のなかに下降していく歓喜を知りさえすれば。たれさがる鍾乳洞のつらら、いたるところにそれをもとめよ、苦悩によっておおきくなるイエス誕生の秣桶(注.クリスマスの飾りつけにある)のなか、天使の野兎のように白い目の中に。」「こうしてダダは、共同体への不信と独立することの必要から誕生した★。僕らに属する人びとも、自分たちの自由は、保ちつづけている。僕らはいかなる理論も認めない。キュビスムや未来派のアカデミィ、絶対的諸観念の実験室にはあきあきしている。金をかせいだり、甘ったるいブルジョアの気を惹くために、芸術をつくるというのか。韻は貨幣の半諧音を鳴らす。抑揚はプロフィールの腹部の線にそってうわ滑りする。あらゆる芸術家グループは、様々な彗星にのって騎行し、こうした銀行に到達した。扉をひらいて、クッションや美食に溺れることができるのだ。

ここにおいて僕らは、錨を脂肪太りの土地に投げおろす

ここにおいて僕らは、言明する権利をもつ。なんとなれば、僕らは戦慄と覚醒とを知ったのだから。力に酔うて立ち戻り、思い煩うことをしない肉体に三叉の戟をうちこむのだ。僕たちは、繁茂しほうだいの、眩暈をうむ熱帯性植物のようにふんだんに呪いを垂れ流す。僕らの汗はゴムと雨、僕らは血を流し、渇きを燃やす。僕らの血は煮えたぎる。

キュビスムは単なる対象の観察の仕方から誕生した。セザンヌはおのれの目より二十センチ下方に茶碗を描写した。あるキュビストたちはそれを上から眺める。他のキュビストたちは、垂直に切り、慎みぶかくかたわらに並べることで、外観を複雑にする。(僕は、創造者たちも、彼らが決定的にした素材の重要な存在理由も、忘れていない。)   ⁂ 未来派は同じ茶碗を運動のうちに見る。強い線で意地悪く飾られた対象は、つぎつぎとあらわれる。だからといって、よい絵にせよ、悪い絵にせよ、カンバスが知的資本の投入にゆだねられていることにはかわりがない。新しい画家は世界を創り、その諸要素はまた手段にほかならぬのだが、明確で簡素で議論の余地ない作品を創るのだ。新しい芸術家は抗議する。(象徴的、幻覚的複製の)油彩画などもはや描かず、石や木や鉄や錫から、直接に創造するのだ。すると、頑なな巌、運動する有機体は瞬時の感覚の澄み切った風にふかれて全方向に回転することができるのだ」「 ⁂ あらゆる絵画あるいは造形芸術はむなしいのだ。たとえそれが卑屈な精神を恐怖させる怪物であって、人間の衣服をまとった獣たちの食堂を飾るための、人間性のあのかなしい寓話の挿絵のように甘ったるいものではないにしても。 ━ 一枚の絵は、カンバスの上、目のまえに、新しい条件と可能性とにしたがって移転された一世界の現実のなかで、幾何学的には平行であると認められた二本の線を出会わせる芸術(技術)である。この世界は、作品では、明示されないし、定義もされない。それは無数に変化して鑑賞者にゆだねられる。その創造者にとって、この世界は、目的もなければ、理論もない。秩序=無秩序、自我=非自我、肯定=否定。つまり 絶対的芸術の至高の放射である。宇宙の混沌の純粋さのもつ絶対性、持続も、呼吸も、光も、制約もない第二の球体内の、秩序ある永遠の絶対性の芸術の放射である。⁂ 僕はその新しさゆえにふるい作品を愛する。僕らを過去にむすびつけるのは、コントラストだけだ。

(★ 「1916年、チューリッヒ、キャバレー・ヴォルテールで」とある.)(下線は筆者. 「  」は、いかの議論の展開する箇所を項目代わりにしめすものである.)


 「一芸術作品が、至上令によって客観的に万人にとって美しいということはけっしてない」と、過剰なまでの形容修飾句をつけた否定がおこなわれる。だが、ここで否定されるのは「一芸術作品」である。これに対抗するのは、結論でのべられた、至高の放射をする「秩序ある永遠の絶対性の芸術」であり、「ダダイストの嫌悪」でかたられた「創造不能者たちの舞踏」に通底するものであろう。

 そして、次につづくところでは、この美しくない芸術作品には、「汝の敵を愛せよ」とかかれたキリスト教の聖書や、デルポイのアポロン神殿に刻まれたソクラテスの銘文「汝自身を知れ」から察すると、宗教的、哲学的ないっさいの作品がふくまれているようにおもわれる。

 それは、表面的にあらわれている「個人」の芸術問題と同時に、かれが芸術を、宗教、哲学を視野にいれる角度からみていることをしめしている。さきの「至上令によって」は〈par décret〉である。〈décret〉は「教皇令」を意味することばだが、これはつぎの「聖書」を予告するものでもあろう。そして、〈décret〉の「教皇」とか「大統領」は、絶対的命令であって、たんなる「批評」ではない。「個人」についても「人間性が純化される希望」にひとつの帰結をみているが、やはり、ここにあるのは、宗教とダブルイメージをもつ至高の放射をする秩序ある永遠の絶対性の芸術を選別し明確化しているのであろう。

 ここから、軸足は現実の芸術活動へうつされていく。「僕はいつでも自分のことを語る。というのは、僕は他人をときふせたくないし、僕の河のなかへ他人を曳きずりこむ権利もないからだ。誰にも僕についてくるよう強いはしない誰もみな、各自の芸術を自己の流儀にしたがってつくるのだ」は、あきらかに、芸術運動、芸術グループのことである。だがここでも、キリスト誕生の馬小屋の秣桶は、ダダ誕生と連結しているようにみえる。そして、苦悩の生活のすえ磔刑によって生命を終え、再生したイエス・キリストに、意図せずして自身を投影するツァラをみるといったら、すこし言いすぎとなるであろうか。

 だが、つぎにくるのは「こうしてダダは、共同体への不信と独立することの必要から誕生した」である。原文「かくして、ダダは誕生せり(Ainsi naquit DADA)★・・・・」は、動詞〈naître(誕生する)〉の単純過去時制をつかった、文章体である。これには★注記がふされ、 「1916年、チューリッヒ、キャバレー・ヴォルテールで」とある。文章体ではあるが、「Ainsi parlait Zarathoustra (ツァラトゥストラかく語りき)」とか、「Ainsi soit-il (かくあれかし[アーメン])」のように、当時の知識人・聴衆には馴染みのある表現だから、おそらく朗読ではそのようにかたられたのであろう。そこで聴衆が、笑ったのかどうかはわからない。

 いずれにしても、ダダは「共同体への不信と独立することの必要から誕生した」ということであるが、ことばの流れからいえば、当時の芸術共同体(グループ)への不信と、ダダはそのような芸術グループではないという宣言であろう。

(注. この文頭が改行によらないのは引用した翻訳文にしたがった。ポヴェール版では判定困難な活字組みである.)


 そして、以下、とうじ先端のアヴァンギャルドといわれた、イタリア未来派、キュビスム、そして、あたらしい芸術の寵児、セザンヌの造形芸術について、一転して具体的にかたられることになる。すでにデュシャンの『階段を降りる裸体(ヌード)』事件でのべておいたように、1910年代の西欧アヴァンギャルド界では、フュチュリスム(未来派)かキュビスムかの理論闘争がおこなわれ、たがいの流派の、よくいえば競争、わるくいえばいがみ合いが、アヴァンギャルディストたちの課題となっていた。そのようなものではないということである。このように読むなら、「僕は他人をときふせたくないし、僕の河のなかへ他人を曳きずりこむ権利もないからだ。誰にも僕についてくるよう強いはしない」が、いかにも説得性のある具体的主張であり、ダダ誕生の由来がわかる。

 だがそれだけでなく、宣言文では、「キュビスムや未来派のアカデミィ、絶対的諸観念の実験室にはあきあきしている」につづいてかたられる、あきあきしている根拠に注目しておかねばならない。

 「金をかせいだり、甘ったるいブルジョアの気を惹くために、芸術をつくるというのか。韻は貨幣の半諧音を鳴らす。抑揚はプロフィールの腹部の線にそってうわ滑りする。あらゆる芸術家グループは、様々な彗星にのって騎行し、こうした銀行に到達した。扉をひらいて、クッションや美食に溺れることができるのだ」がなぜでてくるのであろう。つかわれていることば「韻 (les rimes)」とか、「抑揚 (l’inflexion)」、「プロフィールの腹部の線(la ligne du ventre de profil)」から判断すると、造形芸術だけでなくツァラが携わる詩や音楽、芸術いっさいがかかわっている様態である。

 芸術作品は、金をかせいだり、あまったるいブルジョアの気を惹くためにつくるものではないという視点から、これらを否定するのである。技術とか美の理想とか理論とかとなえても、所詮それはお金とか評判のためにすぎないということである。だが、美食とクッションの安楽な生活をおくる太鼓腹のオエライ芸術家という、月並みな描写をならべたこの批判は、やや紋切り型の19世紀いらいのブルジョワ芸術家批判である。

 ところが、なんと、改行のうえつづいて突然でてくる文章は、「ここにおいて僕らは、錨を脂肪太りの土地に投げおろす」とある。「脂肪太りの土地(la terre grasse)」とは、直前にかたり非難したはずの現実の芸術界であり、「錨を下ろす」とは、ダダの活動領域をこうした芸術界に定めるということであろう。なぜなら、つづく文章は同文ではじまる二行の「ここにおいて僕らは、言明する権利を持つ」であり、以下、こうした芸術界へ容赦せぬ戦いを挑み、これに対抗する情熱の決意が叙情性ゆたかにかたられるからである。

 だが、そこに、堕落した芸術界を改革してやろうという通り一遍の主張があるにしても、前文といかなる思考の継続があるのかがわかりにくい。そこには省略された思考の空白がある。だが、わかりにくいところに、かれがこだわりをもつところがあらわれているようにおもわれる。問題になりながら未解決だからこそ、このような飛躍があってわかりにくいものになっている。

  それは、芸術作品と、金銭とのかかわりである。芸術家はそれなりに稼がねばならない。芸術家がどのように暮らしていくかの問題が、そぶりにもだされていないけれど、ふかくひそんでいるようにおもわれる。

 そのこだわりが、「キュビスムや未来派のアカデミィ、絶対的諸観念の実験室にはあきあきしている。金をかせいだり、甘ったるいブルジョアの気を惹くために、芸術をつくるというのか」の、不連続の連続にあらわれている。

 たしかに当時イタリア未来派は、マリネッティが「未来派宣言」(1909年)をだしていらい、かれの掲げる未来派総合芸術運動のもとで、華麗な活動をしていた。造形芸術では、ジャコモ・バッラが「レーシング・カー」シリーズ(1913年)(図版1)、ウンベルト・ボッチョーニが『都市は立ち上がる』(1911年)などの絵画や立体作品の『空間の中の連続する形』(1913年)(図版2)、そして、ジェーコブ・エプスタインも『ロック・ドリル』(図版3)を発表し、ヨーロッパ芸術界でおおきな評判となっていた。一方、フランスのキュビスムも、ピカソの『アヴィニヨンの娘たち』(1907年)にはじまり、かれやブラックらがあたらしい芸術スタイルをつくりだし、あたらしい風景画や肖像画を発表していた。ピカソは、キュビスムによる、画商の肖像画、『カンワイラーの肖像』(図版4)、『アンブロワーズ・ヴォラールの肖像』(いずれも1910年)を制作している。



図版1:バッラ 「レーシングカー」




図版2: ボッチョーニ 「空間の中の連続する形」




図版3: エプスタイン「ロック・ドリル」





図版4:ピカソ 「カーンワイラーの肖像」




 しかし、1918年のこの時、未来派やキュビスムの芸術グループが「様々な彗星にのって騎行し、こうした銀行に到達した。扉をひらいて、クッションや美食に溺れること」ができていたとはおもえない。

 現実の状況を、ピカソのキュビスムの作品『カーンワイラーの肖像』にみておこう。1910年に制作されたこの絵画は、当然のことながら、この画商に所持されたが、第一次世界大戦時に略奪・押収された。そして、戦後競売にかけられ、スエーデンの画家、グリュネヴァルトに2000フランで落札されたという記録がある(注. ピエール・アスリーヌ[天野恒雄訳]『カーンワイラー』)

 この頃、ピカソとカーンワイラーとのあいだでかわされた契約書(1912年12月2日から三年間有効)によると、デッサンは1点.100フラン(2005年の日本円換算では、40,149円.(   )は以下同じ)、6号までの絵画、250フラン(約10万円)、60号以上の絵画3,000フラン(約120万円)となっている

(注. 『ダニエル=ヘンリー・カンワイラー、フランシス・クレミューとの対話:わたしの画廊  わたしの画家』[瀬木慎一、松尾国彦訳])による. なお為替換算は筆者による概算である.)


 数年の異同はあるが、ピカソは『カーンワイラーの肖像』によって、80~100万円を得たことになるだろう。当時のフランの生活価値については、引用した同書に、カーンワイラーは「50フランといえば、当時、彼ら(若い画家)なら、50回、食事ができました」と語っている。その頃、モンマルトルの「洗濯船」からモンパルナスへ転居する貧乏画家ピカソにとって、現代ならコンビニ弁当一食分プラス・アルファーとなる、1フラン=約400円のこの貨幣価値は現実的であり、また作品価格も、当時、現代をとわず画商レベルでは、信憑性あるものとなろう。

 そして、「青の時代」をみずから廃棄し、あえて『アヴィニヨンの娘たち』を秘密裏にアトリエで試行錯誤し、キュビスムに到達したピカソのアヴァンギャルド精神とこの作品、そこからえられた生活報酬は、さきにツァラが非難した芸術家像とはかけ離れたものである。

(注. デッサン試行をふくめこの作品制作は、のちのデュシャンの制作のように。だれにも知られることなくおこなわれたという.)


 しかし、こうした芸術作品を、当時の画商の投資対象からみると、つぎのような資料もある。1920年代にシュルレアリストのブルトンやアラゴンが美術顧問をつとめていたジャック・ドウーセは、1875~1880年ごろ、コレクターとして、2,500フランではじめて購入したヴァトーのデッサンを、1912年に71,000フラン(約2,840万円)で売却している(注. François Chapon 《C’était Jacques Doucet》)  物価上昇を勘案しても趣味と実益をかねた好ましい投資対象であった。ここで好ましいというのは、その裏面には、ツァラの戯画が、透かし絵に描かれているかもしれないということである。ヴァトーは18世紀の画家であるから、価格高騰はなんの関係もなく、画商やコレクターが関係するところである。

 ピカソのアヴァンギャルド芸術の正統性も、このような画商組織やコレクター・グループと不可分の関係にあってはじめて成立するものである。アヴァンギャルド芸術作品と画商、ミュージアムとの関係は、たとえば、シュルレアリストのアンドレ・ブルトンが、はやくも1920年代からその後の生涯、画商でありつづけたわけだが、なお明確なありかたの解法を示しえなかった課題である。ブルトンはドウーセに『アヴィニヨンの娘たち』の購入をすすめ、これは実現しなかったという、エピソードもある。

 これらのことは、1960年代のレスタニーのヌーヴォー・レリアリスム論では、不可触問題として空白になっている。

 このようなアヴァンギャルド芸術と画商・コレクター集団とのじっさいの関係をツァラがどこまで承知していたのかはわからない。それらの実情のうえに、なおさきの誇張した言説がなぜあったのかわからない。ただ、かれの芸術論には芸術の経済的、物質的環境論が視野の片隅にあったことはじゅうぶん察知できる。芸術は社会と経済的に不可分な関係にあるということである。

 そうした環境「脂肪太りの土地」にある芸術にダダは参入するというのである。かれらがこうした芸術界でおこなおうとすること、いや、決意がかたられているのがつづく数行である。


 ここにおいて僕らは、言明する権利をもつ。なんとなれば、僕らは戦慄と覚醒とを知ったのだから。力に酔うて立ち戻り、思い煩うことをしない肉体に三叉の戟をうちこむのだ。僕たちは、繁茂しほうだいの、眩暈をうむ熱帯性植物のようにふんだんに呪いを垂れ流す。僕らの汗はゴムと雨、僕らは血を流し、渇きを燃やす。僕らの血は煮えたぎる。


 煌びやかなことばがならぶこの三行半で、言明されているのは、さきに指摘したようなことを思い煩わぬ(肉体)にたいして「三叉の戟をうちこむ」ことと、それらに「呪いを垂れ流す」ことである。「肉体」は芸術である。それが芸術家か芸術作品かはあいまいである。「思い煩うことをしない」、つまり、無邪気にお金儲けに精をだす「肉体」なら、芸術家であろうが、コンテキストから判断すると、やはり芸術作品が呪いの対象であろう。あるいは、「思い煩うことをしない肉体」はじぶんの肉体かもしれない。それならば、「三叉の戟をうちこむ」とは、あたらしい芸術家に再生することである。

 こうした言明は、この宣言のさいごでかたられた、いっさいの宇宙的能力をあげた対抗の宣言ダダイストの嫌悪をぶつけた容赦せぬ戦いの宣言とおなじ、呪いの宣言でもある。これらは、ダダは芸術的戦いであることを、さまざまな角度からしめしているようにみえる。ここで気にとめておくべきは、戦いの成否ではなく、戦いの場である。

 さらにここでは、その脂肪太りの芸術の土地でなにたいして対抗し、戦い、そして、ダダは、ダダの芸術観は、どのようなものであるかがのべられることになる。

 しかし、ここには、かれの意識のなかにある芸術のすがたの葛藤があるようにおもわれる。芸術を言語思想、言語芸術から見るか、造形芸術から見るかの、かれの意識の動揺(ゆれ)である。それが、20世紀初頭の芸術(アート)の状況であった。ブルトンでも芸術(art)と詩を、区別したり、一体化したりすることがある。上下関係でみることもある。われわれは、ことの是非はべつにして、そのことを前提にしてツァラの芸術論を読まねばならなない。すでにみてきたようにツァラは詩人でありパフォーマー・アーティストではあったが、造形芸術についてはほとんど無縁の芸術家であった。新旧の造形芸術について、かれがどれほどまで関心があり、馴染んでいたのか、よくわからない。むしろ、一般的知識人のていどではなかたのかと、疑わせるものがある。

 そのようなかれが、しかも、信条として、「つねに自分のことを語る」ことを掲げるかれが、ここではキュビスムや未来派の造形芸術からかれの芸術論を、つぎのようにかたっているのである。

 あたらしい造形芸術であるキュビスムや未来派は、それなりにあたらしい観察仕方をはじめたが、ただそれだけにととどまっている。とどまっているばかりか、かれらのあたらしい芸術は、作品となり、その「カンバスが知的資本の投入にゆだねられていることにはかわりない」と、指摘する一方、キュビスムの創造者たちは、カンバスなどでない素材の重要性を決定的にしているのではないか。そして、「新しい画家は世界を創り、その諸要素はまた手段にほかならぬのだが、明確で簡素で議論の余地ない作品を創るのだ。新しい芸術家は抗議する。(象徴的、幻覚的複製の)油彩画などもはや描かず、石や木や鉄や錫から、直接に創造するのだ。すると、頑なな巌、運動する有機体は瞬時の感覚の澄み切った風にふかれて全方向に回転することができるのだ。」と、ありうべき芸術を、口ごもりながらかれはかたっている。

 ここにあらわれている、かれの思考のながれを追うことはひかくてき容易である。

 キュビスムの作家たち、ことにピカソやブラックは、画商があつかわぬ、新聞紙、針金、砂などをコラージュした作品を多数制作している。宣言の(    )注 内の記述「僕は、創造者たちも、彼らが決定的にした素材の重要な比率も、忘れていない」である。

(注. 宣言を活字化するにあたり加筆されたのか、朗読されたものなのかはわからない.) 


 ここから連想される「新しい画家」のイメージは、おそらくツァラのなかでは、当初からチューリッヒ・ダダに参加していたハンス(ジャン)アルプ、ゾフィー・トイバーやマルセル・ヤンコであり、かれらの作品であろう。(図版5: ヤンコ(仮面). 図版6:アルプ 「小鳥の墓」) 

 

図版5:ヤンコ 「仮面」




図版6: アルプ 「小鳥の墓」




 それにしても、かれのいう「新しい画家は世界を創り、その諸要素はまた手段にほかならぬのだが、明確で簡素で議論の余地ない作品を創るのだ」が、具体的になにを指しているのかはわからない。だだ、ツァラのなかでは、そのころ、ドイツ表現主義のヘアヴァルト・ヴァルデンがかたった「生活の芸術は存在しない。しかし生活の造形はありうるだろう。国家の芸術は存在しないが、国家の造形はありうる。」(『芸術と生活』1919年)といった政治的芸術思想は、まったく念頭にはないようにおもわれる。あるいはまた、「明確で簡素で議論の余地ない作品」にしても、当時ロシア構成主義のウラジミール・タトリンが提案した「第3インターナショナル記念塔」(1919−1920)のような建築物の具体的イメージをもったうえでの発言ではなかったであろう。(図版7:タトリン「第三インターナショナル記念塔」) だが、かれのこの発言は、「ダダ宣言 1918」が、ツァラ自身はまったくそのつもりはなくとも、かれの発言は、当時の芸術アヴァンギャルドのなかで、ドイツ表現主義やロシア構成主義と相互性をもつことを示し、そのことが、この宣言を聴き、あるいは、読む者たちの共感にまじりあっていたとおもわれる。つまり、この宣言には、当時のアヴァンギャルドのコラージュの側面があるということである。



図版7: タトリン 「第三インターナショナル記念塔」




 しかし、かれがここで、芸術についてかたりたいのは、うえのような作品主義的芸術論ではなく、芸術の方法論であるようにおもわれる。しかも、それは、作家主義的芸術論でかたられる「方法」である。

 そのことが、つぎの ⁂マークで仕切られ、とうとつにはじまる 「あらゆる絵画あるいは造形作品はむなしいのだ」という結論めいた断定を、われわれは聴かされることになる。「むなしい(inutile)」とは、役に立たない無駄なものということである。

 とはいうものの、まったく無益というわけでもないらしい。かれのおもわず露呈された本心を推測してみよう。つづくことばはつぎのように綴られている。


たとえそれが卑屈な精神を恐怖させる怪物であって、人間の衣服をまとった獣たちの食堂を飾るための、人間性のあのかなしい寓話の挿絵のように甘ったるいものではないにしても。/ ━ 一枚の絵は、カンバスの上、目のまえに、新しい条件と可能性とにしたがって移転された一世界の現実のなかで、幾何学的には平行であると認められた二本の線を出会わせる芸術(技術)である。/この世界は、作品では、明示されないし、定義もされない。この世界は無数に変化して鑑賞者にゆだねられる。その創造者にとって、この世界は、目的もなければ、理論もない。


 〈/〉で区切った3節について考えてみよう。

 第1節の、思わせぶりに否定されている絵画は、キュビスムや未来派、セザンヌの作品ではなく、とつぜん時代をさかのぼる。それは、15世紀にレオナルド・ダヴィンチによって、ミラノのカトリック修道院の食堂壁画として制作された、ユダをふくむ12使徒とキリストを描く「最後の晩餐」をおもわせるものがある。思わせぶりというのは、揶揄にせよこの絵画へのつよい想いいれが示されているからだ。キリスト教修道僧を「人間の衣服をまとった獣たち」といい、かれらの卑屈な精神を恐怖させるために描かれた、「人間性のかなしい寓話」だという。これは、キュビスムの観察の仕方、未来派の運動の描写、そして、素材についてかたった造形芸術の思考の流れから逸脱するものである。あるいは、むしろ、かれのダダ芸術論は文学的にならざるをえないことをあらわしているのかもしれない。もっとも、未来派、キュビスムからの逸脱については、かれにも自覚があったのか、それらをかたりきった最後(引用文の最後)に ⁂マークをいれた「僕はその新しさゆえにふるい作品を愛する。僕らを過去にむすびつけるのは、コントラストだけだ」の一文が挿入されている。コントラストいう辻褄合わせはあるが、やはり弁明じみた一節である。

 しかしそのまえに、かれは、ダッシュ記号以下の説明的第2節 「 ━ 一枚の絵は、カンバスの上、目のまえに、新しい条件と可能性とにしたがって移転された一世界の現実のなかで、幾何学的には平行であると認められた二本の線を出会わせる芸術(技術)である」で、一応のキュビスムなどとの一貫性を回復する。

 これは、単なる説明ではなくダブルイメージをあらわす表現である。ひとつは、イタリアルネッサンス絵画が完成させたあたらしい技法、遠近法である。レオナルドはこの積極的実践者であった。「最後の晩餐」は現代でも遠近法の代表的教材である。しかし、また、この一節はつぎの一節「この世界は、作品では、明示されないし、定義もされない。この世界は無数に変化して鑑賞者にゆだねられる。その創造者にとって、この世界は、目的もなければ、理論もない」 へつづくものである。たとえば、遠近法の消失点である「平行線の出会い」は、「ダダイストの嫌悪」であらわれたあのダダ芸術をあらわす「ひとつひとつの対象(オブジェ)、いっさいの対象(オブジェ)、感情と不可解(韜晦)、平行線の出現とまさにその衝突、これらが戦いのための手段だ:ダダ」とおなじ平行線とはおもえない。ここではむしろ、非ユークッリド幾何学の平行線があるようにおもわれる。

 チューリッヒ到着以前のツァラは、一年足らずとはいえ、母国ルーマニアのブカレスト大学で直前まで数学と哲学を専攻していた。18歳の若者には、隣国ハンガリーの数学者が確立に貢献した非ユークリッド幾何学、すなわち、ギリシャいらいの幾何学体系を革命的に変更させた「平行線の衝突」は魅力的であったにちがいない。

 ただし、ここで指摘するのは、平行線のメタファーの由来が、非ユークリッド幾何学の無意識的記憶にあるのではないかということであって、2箇所にあるツァラの真意は、現実と想像力の問題であろう。遠近法を創造したような想像力、非ユークリッド幾何学を組みあげたような想像力、現実にこのように立ちむかう想像力が芸術であるということである。

 その立ちむかい方とダダの芸術についてかたられるのがこれにつづく結論である。

 遠近法によって描かれた絵画、それは非ユークリッド幾何学による作品でも、それはサイバー芸術かもしれないが、もしそれがあったにしても、そのような作品では、この世界を明示できない。なぜなら、「この世界は無数に変化して、鑑賞者にゆだねられる」からだ。ここにもまた、二重写しがあらわれる。ひとが生活している現実の世界と、芸術が創造している世界が玉虫色に重なってみえる。「明示できない世界」には、ひとが知覚し対応している現実の世界、暮らしている世界が色濃くあらわされている。「無数に変化して、鑑賞者にゆだねられる世界」は、ひとではなく「鑑賞者」とあるがゆえに芸術が創造する世界のイメージに誘導される。

 レトリックのからくりで表現されているのは、芸術はこうしたものでなければならないということであろう。遠近法もひとつの見方である。非ユークリッド幾何学もひとつの見方である。たいせつなのは見方である。現実の世界は無数の見方で成立しているというのであろう。この項の直前で、かれは「新しい画家は世界を創り、その要素はまた手段にほかならぬのだが」といっているが、そうしたことを、そこでは、チューリッヒ・ダダの仲間たちの芸術創造にたくしていたのであろう。そして、そのことが、ふたたび繰りかえし引用するが、「ひとつひとつの対象(オブジェ)、いっさいの対象(オブジェ)、感情と不可解、平行線の出現とまさにその衝突、これらが戦いのための手段だ:ダダ」というダダ芸術になるのであろう。

 「感情(sentiment)と不可解(obscurité)」は、芸術家の創造するこころ、想像力の発露である。〈sentiment〉は、気持ちおもい印象直感意識感覚 を意味することばである。〈obscurité〉 は、暗さ暗闇難解韜晦 をふくむことばである。芸術的想像力は、感情を動機として暗闇を探知する力である。このような想像力を、ひとによっては妄想とか幻想、夢想とよぶこともある。

 そうした想像力の世界に、目的や、理論があろうはずがない。

 だが、いかにつづく数行は、それいじょうに踏みこんでいる。


その創造者にとって、この世界は、目的もなければ、理論もない。秩序=無秩序、自我=非自我、肯定=否定。/つまり 絶対的芸術の至高の放射である。宇宙の混沌の純粋さのもつ絶対性、持続も、呼吸も、光も、制約もない第二の球体内の、秩序ある永遠の絶対性の芸術の放射である

(注. 「/」マークは改行を示すのではなく、議論上の区分である.)

 

 2区分にわけられた文章の整合性は過剰であり極端である。創造者の世界は、目的もなく、理論もない。そこでは、つまり、芸術では、「秩序=無秩序、自我=非自我、肯定=否定」である。そして、それが、絶対的芸術の至高の放射だという。宇宙の混沌の純粋さだという。むしろ、順序は逆で、「宇宙の混沌」だから「絶対芸術」である、ということなのだろう。そして、芸術だから第二の球体(la globule seconde)なのだろう。なぜなら、この現実世界を第一の球体とするのが、中世末期、初期ルネッサンス以来の西欧アヴァンギャルド美術の常識だからである。(参考としては、ヒエロニムス・ボスの『悦楽の園』をあげることができるかもしれない。) そして、芸術は、この第二の球体内の「秩序ある永遠の絶対性の芸術の放射」ということになる。

 それは、そしてこれは、視点をかえれば、芸術は「なんの意味もない」ことによって、絶対的芸術の至高の放射となるということになる。

 だが、これを読むわれわれは、ここにあるふたたびあらわれることばの沸騰のかげにあるものを見極めておかねばならない。「つまり 絶対的芸術の至高の放射である」をさらに言いつのる表現、「宇宙の混沌の純粋さのもつ絶対性、持続も、呼吸も、光も、制約もない第二の球体内の、秩序ある永遠の絶対性の芸術の放射である」は、極端なことばの氾濫である。「秩序ある永遠の絶対の芸術」とは、いったいなんだろう?  ましてや、「秩序ある」とは? 1918年のヨーロッパのいかなる伝統的大学の美学や美術の教授たちでさえ、みずから提唱する美術を「秩序ある永遠の絶対の芸術」だと、いいきれるものはひとりもいなかったであろう。むしろ熱狂的宗教家の言辞である。

 そのようにみるとき、すでにこの一文のはじまる〈Pour son créateur〉を、「その造物主にとって、この世界は・・・・」と訳したほうが、ツァラの感情によりそうのかもしれない。とするなら、ここにあるのは、ふたたび宗教と二重露出された芸術論である。

 そして、芸術にダブルイメージした宗教で、芸術家と二重写しされたのは、神に反抗した堕天使サタンであろう。

 ダダ芸術は、反抗する堕天使の所業である。反抗する堕天使なら、よき意志と光に反抗して感情と暗闇をかかげ、よきものへの服従に反抗して「自発性」を主張し、啓示に対抗して想像力に期待するのはとうぜんである。いや、むしろ、ツァラの意識の底にひそんでいるこの堕天使が目覚めたとき、かれの意識にこうしたことばをふきこんだのであろう。

 そして、かれの意識はこうしたことばからひとつの芸術思想を組みたて発信していく。たとえば、〈ダダイストの自発性(la spontanéité dadaïste)〉によくあらわれているとおもわれる。「自発性」は、「ダダはなにも意味しない」、「ダダイストの嫌悪」とならんで、書体をかえ強調されたキーワードである。にもかかわらず文中ではその説明らしい表現はいっさいない。むしろ文中のことばと結びつくことによって、化学反応のように、このことばのいみが、通常とは異なる意味の輝きをおびてくるようにおもわれる。それにこの「自発性」は、’60年代アヴァンギャルドの政治や芸術では、〈spontanéisme[自発(性信奉)主義]〉になるほど重いことばとなるから、1918年のツァラのいうところを、すこしていねいにきいておこう。

 関係する箇所には、解釈としてわかりにくいものが多い。だが、それらも全体を構成する一部であるから、すべてを引用する。そして、そのなかから、議論をすすめるうえで必要な筋道だけをあつかってみよう。関係箇所全文である。


⁂ 僕は体系を拒否する。まだしも容認しうるものは、原則としていかなる体系も持たない体系だ。 ⁂ みずからの卑小さのなかでみずからを完成し、完璧化して、自我の器を満たすこと、思想にくみするために、そして、思想にさからうために、戦う勇気、パンの聖体秘儀、まるで、安上がりの百合のかたちの地獄のプロペラが、ふいに留め金をはずされて回りだすようだ、すなわち、

 ダダイストの自発性 だ。

僕が 無関心主義(jem’enfoutisme(ママ))と名づけるのは、ある生活(人生)の状態であって、そこでは、自衛するとは言わないまでも、他の個性を尊重するすべを知りつつ、各々がその本来の状態を保つ。二拍子のポルカ(le two-step)が、国歌や古道具屋の店になる、T.S.F.(無線電信) 無線電話がバッハのフーガやネオン広告、淫売屋のためのポスターを伝える、パイプ・オルガンは神に捧げられたカーネーションをまきちらす、こうしたことすべてが、現実に、写真とか一方的な教理問答とかに代わりつつある。

 行動する単純性。

 ひかりの濃淡を識別することは不可能である。ということは、薄闇を舐め、蜜と排泄物でみたされたおおきな口のなかを浮遊することになる。「永遠」の尺度で測られたとき、いっさいの行為はむなしい ━ (思考をおもむくままに走らせたら、その結果はとてつもなく醜悪になろう ━ 人間の無力を知るための重要な与件だ)。しかし、生活(人生、生)がもし、目的もなく、初めの出産というものもない粗末な笑劇(ファルス)であるにしても、また、雨に濡れた菊のように爽やかに、厄介事から身を救いださねばならぬと信じるから、了解のための唯一の基礎を宣言した。すなわち、芸術である。僕ら、精神の荒くれ騎兵らが、数世紀来、やたらに箔をつけてきた権威など、芸術はもっていない。芸術によって悲しむものはだれもいない。そして、芸術に愛着をもつことができる者たちは、国中を対話で満たすすばらしい機会や抱擁を享受することになるだろう。芸術は、わたくしごとである芸術家はじぶんのためにそれをする。わかりやすい作品などジャーナリストのやることだ。それというのも今この瞬間、僕は好んでこの怪物を油絵具とまぜあわせるのだから。紙の管は金属を模倣して、圧縮され、憎悪や卑劣や吝嗇を自動的に吐き出しているのだから。芸術家、詩人は、こうした産業の売り場主任のなかに凝縮された大衆の毒をたのしむ。彼は誹謗されるので幸福だ。そのことこそ彼の不易性を証するものだ。新聞の賞賛を博する作家、芸術家は自分の作品が理解されているのをたしかめる。彼の作品は、公益がまとうマントの惨めな裏地だ。凶暴性を蔽いかくす襤褸だ。卑しい本能を孵す獣の体温に協力する尿だ。脆弱で気の抜けた肉体は、活字の黴菌の助けをかりて増殖する。

 僕らは自分のうちに空涙を流す性向を抹殺した。いっさいのこうした性質の浸透は、砂糖漬けにした下痢なのだ。このような芸術を励ますということはそれを消化することを意味する。僕らに必要なのは、強靭で、一直線の、的確で永久に理解されない作品だ。 論理は錯綜である。論理はいつでも贋である。それは概念や言葉の脈絡を、形骸化させ、断片の方へ、むなしい中心へ、牽引する。論理の鎖はひとを殺す。それはまるで、自立性を窒息させるおおきな百足のようだ。論理と婚姻した芸術は、近親相姦しながら生き、たえず自分の躰、自分の尾を貪り嚥下し、自分自身と姦淫するだろう。


 ここで提出されているのも、さきほどから述べられていることの反復、繰り返しのようにみえる。だが、まえにもことわったように、この宣言の初出は「ダダの夕べ」で演じられた朗読パフォーマンスである。ハプニングをふくむ朗読である。論理をくみたて、結論をみちびく論文ではない。選挙演説や講演会のように、聴き手を説得しようというのでもない。自分が自分にむかってかたり、自分が自分に反問し、そして、こたえるというところがある。

 だから、反復、繰り返しにも濃淡があらわれ、あたらしい影となり、はじめてのことばが出現する。「ダダイストの自発性」は、とつぜんあらわれる、はじめてのことばである。

 それまでの数ページは、論理、哲学、精神分析、科学を憎悪し、非難し、その欺瞞性をあばくことばの羅列である。そのことが、「僕は体系を拒否する・・・・」となり、さらに区分記号をふされて、


⁂ みずからの卑小さのなかでみずからを完成し、完璧化して、自我の器を満たすこと、思想にくみするために、そして、思想にさからうために、戦う勇気、パンの聖体秘儀、まるで、安上がりの百合のかたちの地獄のプロペラが、ふいに留め金をはずされて回りだすようだ、すなわち、ダダイストの自発性 だ。

となる。

 前文に 「まだしも容認できるのは、原則としていかなる体系も持たない体系だ」とあるから、この「自発性」は、ダダイストの「体系」なのだろう。

 それにしても、 「みずからの卑小さのなかでみずからを完成し、完璧化して、自我の器を満たすこと、思想にくみするために、そして、思想にさからうために、戦う勇気、パンの聖体秘儀、まるで、安上がりの百合のかたちの地獄のプロペラが、ふいに留め金をはずされて回りだすようだ」という、ダダイストの自発性 の前提がわからない。なかでも、「パンの聖体秘儀、まるで、安上がりの百合のかたちの地獄のプロペラが、ふいに留め金をはずされて回りだすようだ」は、字句も意味不明、解釈も不能、誤訳かどうかもわからない。じじつ、この箇所の邦訳は多種多様である。

 しかし、誤訳であろうとなかろうと、原文とそこに使われているフランス語をながめながら、くりかえし読んでいると、「読書百遍義自ら見(あらわ)る」である。

 ここにひろがる思想は、さきの「その創造者にとって、この世界は、根拠・立場もなければ、理論もない・・・・・ 絶対的芸術の至高の放射・・・・・・ 持続も、呼吸も、光も、制約もない第二の球体内の、秩序ある永遠の絶対性の芸術の放射である」が源泉であり、そこからながれでるものを別の角度から展開させているようにおもえる。第二の球体内の至高の放射をする絶対芸術を芸術創造者の側からみる思考である。あるいは、その逆方向の思考のながれかもしれない。   

 「みずからの卑小さのなかでみずからを完成し、完璧化して、自我の器を満たすこと、思想にくみするために、そして、思想にさからうために、戦う勇気」とかたられているが、すでに「ダダイストの嫌悪」にあったように、かれらが容赦せぬ戦いをするのは、ダダ芸術によってであった。(参考.ひとつひとつの対象(オブジェ)、いっさいの対象(オブジェ)、感情と韜晦、平行線の出現とまさにその衝突、これらが戦いのための手段だ:ダダ)

 つまり、「ダダイストの自発性」は「ダダ芸術」と同義である。「ダダはなにも意味しない」と「ダダイストの嫌悪」とならぶ、ダダの芸術論である。

 とするなら、「パンの聖体秘儀、まるで、安上がりの百合のかたちの地獄のプロペラが、ふいに留め金をはずされて回りだすようだ」も、それなりの意味をもつものとなる。最後の晩餐以来、どこにでもある一片のパンは、キリストの聖体となった。 安上がりな「石や木や鉄や錫」もまた、聖体拝領のように、芸術家の「瞬時の感覚の澄み切った風にふかれて全方向に回転することができるのだ」ということであろう。そしてその作品制作は、芸術家の自発的行為でなければならない。むしろ、自発行為が芸術作品と化さねばならないのだ。さきにいわれたのは、絶対芸術の至高の放射であったが、ここでかたられるのは、ダダ芸術家の「作品」についてである。むろんこのときたがいに知ることはなかったのだが、デュシャンが〝自転車の車輪〟や〝瓶乾燥機〟に レディーメイドを発見した芸術観にちかいものを考えていたのかもしれない。

 そして、また、このツァラの「ダダイストの自発性」は、無関心主義行動する単純性と緊密にむすびつく 「自発性」であることが強調される。

 〈LA SPONTANÉITÉ DADAÏSTE(ダダイストの自発性)〉が、すべて大文字で記されているのは、独自の意味をもつ固有名詞であることを示すのであろう。すでに指摘したように、この語は宣言のなかでここでしか用いられていない。また、〈spontanéité〉も、派生語〈spontané〉も、単語として一度も使われていない。これは、通常の〈spontanéité〉の意味とは異質の「自発性」なのであろう。

 〈spontanéité〉が派生した〈spontané〉は、「① 自発的な、自然に発露する   ② 本能的な、衝動的な、素直な、③ (人為性がかかわらない)自然発生的な」といった意味をもつフランス語である。

 「ダダの自発性」とするか、それとも「ダダの自然発生性」とするかは、おおきな相違がある。ツァラの〈SPONTANÉITÉ〉では、〈自然現象(phénomène spontané)〉のようにつかわれる「③ 自然発生的な」の意は、「ヌーヴォー・レアリスム」第一宣言のレスタニーとはちがい、期待されていないであろう。

 かれは、すでに、「こうしてダダは、共同体への不信と独立することの必要から誕生した。僕らに属する人びとも、自分たちの自由は、保ちつづけている」と語っているのだから、「① 自発的な」 に力点がおかれ、また、直後の言によると、「② 衝動的な」にも傾くニュアンスがあると解すべきであろう。

 1918年のこの時期、「自発性」をこのように特別に掲げたのは、この後の「ファシズム」やクレムリン体制にはじまる、20世紀の「体制の世紀」を予兆し、これにたいして「思想にくみするために、そして、思想にさからうために、戦う勇気」を強調して警告したという、予言的評価ができるが、さらに、この「自発性」をみきわめておかねばならない。

 かれは、「ダダイストの自発性」を、「無関心主義」と「行動する単純性」を不可分とする自発性であるとする。ダダ芸術は、「ダダイストの自発性」の表現であり、「無関心主義」と「行動する単純性」に支えられているというのである。これらは、「自発性」と近親関係にある欲望、ことに世俗的欲望に対抗させるものである。この「無関心主義」には、注意をはらっておかねばならない。かれは、この「無関心主義」を、〈indifférentisme←(indifférence)〉でなく、卑語にちかい〈je-m’en-foutisme〉で表現する。〈indifférence〉なら、「どれも相違はない。どっちをとってもよい。 べつにどうでもよい!」という、無感動中性的無関心であるが、この「無関心(je-m’en-foutisme)」 は、積極的に無視することで、「それは問題にしない! かってにしゃあがれ!」 の無関心である。虚無的無関心ではなく攻撃的無関心である。「ダダはなにも意味しない」とおなじ自発的戦いの無関心であり、「ダダはなにも意味しない」を言いかえたものである。すくなくとも、この無関心の芸術は、レスタニーのいうような「0(ゼロ)度の芸術」ではない。なんでもやってやろという「行動する単純性」にむすびつく。

 だから、「無関心主義」による自発的行為は、「ある生活(人生)の状態であって、そこでは、自衛するとは言わないまでも、他の個性を尊重するすべを知りつつ、各々がその本来の状態を保ち」ながら、「二拍子のポルカ(le two-step)が、国歌や古道具屋の店になる、T.S.F.(無線電信) 無線電話がバッハのフーガやネオン広告、淫売屋のためのポスターを伝える、パイプ・オルガンは神に捧げられたカーネーションをまきちらす、こうしたことすべてが、現実に、写真とか一方的な教理問答とかに代わりつつある」となり、いかにつづく核心の本論をリードする。 

 この箇所はダダのアヴァンギャルド的関心を垣間見せているとおもわれるから、すこし解釈をこころみておく。引用の前段は、「ダダはなにも意味しない」で芸術について具体的にかたった「僕はいつでも自分のことを語る。というのは、僕は他人をときふせたくないし、僕の河のなかへ他人を曳きずりこむ権利もないからだ。誰にも僕についてくるよう強いはしない。誰もみな、各自の芸術を自己の流儀にしたがってつくるのだ」を一般化し、実践対応化する言いかえであろう。とすると、かなり難解な後段三行も、ひとつの解釈が可能となる。

 フランス語の文法上の構成も、つかわれている特殊なことばの、当時もっていた生活上の背景もよくわからない。

 しかしここにあるのは、その時代のあたらしい社会環境の状況であろう。芸術の母体である文化生活のありさま、しかも芸術家にとって、大衆との関係をつなぐ、垂涎の元である新奇の状況である。


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