ダンテの「家」2


ダンテの作品における「家」の意味


2.  個人と家柄に関するダンテの意見



 ところで、一口にイタリア中世都市と言っても、勿論それぞれの都市によって事情は異なっており、ダンテが追放までの時期を生きたフィレンツェは、むしろそれらの中で、ヴェネツィアと並ぶ特異な存在であったことを忘れてはなるまい。すなわち、「ヴェネツィアと、トスカーナにおける一握りの都市を除いて、あらゆる主要なコムーネでは、権力が一個人もしくは一家族の手中に移ったということが、疑いなく、1250年から1350年に至る時期の最も重要な政治的発展であった」という一文にもみとめられる通り、ダンテの時代におけるイタリア中世都市の一般的動向は、コムーネから僭主もしくは領主体制へと向いつつあったのだが、フィレンツェではむしろそれとは逆に、「正義の法典」の制定にみとめられる通り、同業組合の指導層を主体とした、富裕な市民たちの集団支配体制が確立されつつあったからである。勿論貴族と一般市民との同居、コムーネによる領域支配、一族の出身地との深いつながり 等、フィレンツェといえどもイタリア中世都市の一般的性格を充分具備していたのであるが、それにも拘わらず他に類のない動きを示しつつあつたといえるであろう。こうしたフィレンツェ市の持つ独自な空気や、またG・ヴィッラーニによって「傲慢な(sdegnoso)」などと評された、おそらくその天与の才能にもとづくと思われるダンテ自身の気質が、彼の「家」に関する見解や、この題材を扱う時の手法に対して、イタリア中世都市の一般的性格と共に、必らず影響を及ぼしていた筈である。

①  Hyde, op. cit., p.141-2.

②  たとえば、ジョヴァンニ・モレッリの『家族の記録』の第Ⅰ部では、一族の出身地であるムジェッロのことがくわしく記され、一族の根拠地であることをうかがわせる。G. Morelli; Ricordi, a cura di Vittore Branca, Firenze, 1969, p.87-104.

③  G. Villani; Cronaca, cap. CXXXVI. 中の記述による。


 そこで先ず、ダンテが「家」に関する諸問題について如何なる見解を表明しているかを明らかにしておく必要があるだろう。私には、ダンテが人間の高貴さと家柄との関係について最も早くからふれ、しかも最もくわしく論じているように思われるので、先ずその問題から論じることにしたい。

 ダンテがこの問題について、最も早くふれた例は、おそらく『新生』第19章に収録された第一カンツォーネにおける「また立ち止まつて彼女を見ることができる人は / 高貴な者(nobil cosa)となるだろう、さもなくば死ぬだろう」とか、同書第20章の第十ソネット「愛と高貴な心(il core gentil)は一つである / あたかも智者がその詩に記したように 」などの詩句であると見なしてほぼ差支えあるまい。

④  Vita Nuova, cap. XIX, cazone I, 35-36.

⑤  ibid., cap. XX, Sonetto X, I.

  

 すでに池田廉氏の論文で明らかにされているように、ダンテは愛に昇華の作用をみとめないカヴァルカンティ的立場を棄てて、その内に人間を高める力をみとめるグィニツェッリ的立場を選んでおり、今あげた引用はいずれもそうした立場の表明であり、後の詩句中の智者とは、勿論グィド・グイニツェッリその人に他ならない。通常 “il core gentile”ということばは、「雅び心」と訳されており、詩の訳語としてはその方が適切かも知れないが、私はこのことばに含まれている本来の意味を強調するために、あえて「高貴な心」という無粋な訳語に直訳したのであった(むしろ「貴族の心」と訳せばいっそうはっきりするところであろう)。それというのも、ダンテが智者と呼ぶグイド・グイニツェッリは、「高貴な心(il core gentile) には常に愛がやどる」とか、「自然は高貴な心よりも先に愛を作らず / 愛よりも先に高貴な心を作らなかった」などというあの有名なカンツォーネの中で、「太陽は一日中泥を照らすが / 泥は卑しいままで止まり、太陽も熱を失わない / 思い上った男は、自分は生れのせいで高貴だ(gentile)などといったが / そいつは泥に似ており、真の高貴さ(gentil valore)は太陽に似ている / 何故なら徳性にもとづく高貴な心を持たないないくせに / 高貴さは精神力とは無関係で / 生れつきの地位できまつている(in dignità di rede)などというやつの言葉には / 人は信を置いてはならないからだ」という極めてはっきりした意見を述べているからである。この場合「高貴さ(gentilezza)ということばには、単なる上品さや風雅のたしなみよりももつと巾広い、全人格的な価値判断がこめられていると感じたために他ならない。

⑥ 池田廉「聖女ベアトリーチェ讃歌 ----- 新生試論」イタリア学会誌第6号 1957 京都。

⑦  Guido Guinizelli, Poeti del duecento T. II op. cit., IV. v.I (作品4の第1行)

⑧  ibid. v.3-4.

⑨  ibid. v.31-38.


 ここで興味深いのは、愛にそうした人を高める力をみとめようとしなかったグイド・カヴァルカンテイの場合である。私の知るかぎりでは、彼の作品中にこれに似た表現が4度ばかりあらわれるが、それらは常に、「低劣な心の持主に、そのようなことわりが理解できるなどと / 私は期待していないから」、「いやしい精神は / このような力をそなえた霊を感じえない」、「彼女の美しさやその容色は、いやしい人々には理解されぬ」、「愛が支配する宮廷には、いやしい人は仕えることができぬ (いずれも大意)といった言い回しであらわされているのである。グイニツェッリにおいては、高貴な精神のみが愛を理解しうるという、肯定的な表現で述べられていたのに対して、カヴァルカンティにおいては、私の調べた範囲では、卑賎な精神には愛が理解しえないという、否定的な表現に変わっている。すなわち、愛に人を高める力をみとめたグイニツェッリの表現には、愛がわかるということの内に、苦しみは伴っているものの誇らしさが感じられるのに対して、カヴァルカンティの表現では、そうした誇らしさは-----それと共に生れの差などは問題にならないという主張も-----消え失せていて、もっぱら俗衆には理解されないという、孤絶の感覚が強調されており、却って今更貴賎などを問題にする気にはならない、生粋の貴族らしい衿持がうかがえるように思われるのだが、如何なものであろうか。

⑩  Guido Cavalcanti, Poeti del duecento T. II op. cit. より、引用順に、XXVII, v.6-7. XXVIII, 5-6. XXV, 8-9. XXXIX, 9-10.


 もっとも、これらの詩の辞句の詮索に深入りすることは、却って誤解に陥りやすく、またこの問題に関しては左程その必要がない。何故ならダンテは、『饗宴』第4部をもっぱらこの問題にあてて、自分の考えを解りやすい散文でくわしく論じているからである。すなわち、彼はその箇所で、「甘美なる愛の詩」ということばで始まるカンツォーネの解説を加えていて、それがそのまま、「高貴さ」とは何かという問いに対する解答だったのである。そこで、以下でその説を紹介しておさたい。

⑪ Rime della maturità e dell'esilio, a cura di M. Barbi e V. Pernicone, Firenze, 1969 p.411-437 所収の Le dolci rime d'amor で始まるカンツォーネ。


 ダンテは先ず、フエデリーコ二世が「高貴さ」とは何かとたずねられた時、「古き富と美しい習慣(美しい立居振舞を伴った古来の財産所有)のことだと答えたことばを紹介する(G. Busnelli および、G. Vandelli の注釈を伴った Il Convivio, 1964, Firenze の Parte II の p.26の記述。以下本章に挙げたぺージ数は同書の出所を指す。なお以下では一々断わらずにダンテのことばを要約して紹介する)。ところがさらにその定義の後半の部分を省略して、「古き富」のみを以て「高貴さ」の要因とみなすいっそう浅薄な説が流布されており、そのためほとんど全ての人々は、ある一族(progénie)が長年にわたって富裕だったというだけの理由にもとづいて、その一員を高貴の人とみなしている(p.27)。この説が皇帝の説でもあり、広く普及している説でもある以上、当然検討に価すると思われる(p.28)

 勿論皇帝の権威は尊重すべきであるが(皇帝の権威に関する説はここでは省略する)、皇帝の任務とは法を制定することであり、しかもその権威が及び得るのは、婚姻、奴僕(の使用)、軍事、相続等に関する純粋(に人為的)な技術にのみ適用しうる法(律)に対してであって(p.108~9)、それ以外の、皇帝の力では如何ともし難い、自然に従わざるを得ない法(則)にまでは及ばない。だから我々は、そうした法(則)に関しては皇帝の判断に同意する必要はない(p.110)。たとえばネロ帝が行つた、「青春は肉体の美と強健なり」などという定義は、そうした越権行為の一例であって、我々がそれに従う必要はない(p.111)。フェデリーコ二世の「高貴さ」に関する定義もそれと軌を一にするものであって、「美しい習慣」と「古き富」の内で、前者は非難するには当らない(p.112)までも、部分的なものにすぎず、また本来結果からみるべき「高貴さ」を、原因の方から定義している点で、その方法を誤っている(p.113~115)

 他方「古き富」という定義は「高貴さ」とは全然性質を異にしたものであるため、非難に値する(p.112)。「古き富」ということばは、「時間(古さ)」および「富」という二つの要素に分解できる(p.113)ので、その各々について検討する。

 先ず「富」は、次にあげる三つの理由によつて不完全であるが故に、「高貴」どころかむしろ「卑賎」である(p.123)。

「富」が不完全である理由とは、

 一、「富」の配分が不公平であること

 二、「富」の所有が危険であること

   三、  更に「富」の所有が有害であること

の三つである(p.124)

 それでは何故「富」の配分が不公平であるか。それは、富の出現が不公平であるという事実にもとづく。そもそも富を得るには、一、幸運、二、策略、のいずれかによらざるを得ないのだが、策略は、イ、正当なもの、ロ、不正なもの、の二つに分類することができる。だがそれらいずれの方法によっても富は悪人の手に落ち易い(p.126~128)。たとえば、埋蔵金の発見などという幸運な事態すら、悪人の身の上に起り勝ちなのだ。(事実ダンテ自身の目撃した経験によると)トスカーナのファルテローナ山腹で、2000年以上も発見者を待つていた、1スタイオ以上の純正サンテレーナ銀貨も、そこを鍬で掘り返したその地方で最も賎しい男の手に落ちたのであった(p.129~130)。また悪人の方が、善人よりもしばしぱ相続財産にめぐまれ勝ちなものである(p.130)。一方正当な策略(つまり努力)によつて手に入る財産も、悪人の方が手に入れやすく(p.131)、しかも善人が不当な策略によつて財産を手に入れたりする筈がない(p.131)。大体善人はより大きなことを気にしているために、「富」には無頓着であり(p.132~3)、だから主も、「富」を不正なものと呼んでおられるのだ(p.133)。おまけに善人は気前がよい(p.134)。こうしたわけで「富」の配分は不公平たらざるを得ないのである。

 次に、何故「富」の所有が危険なのであろうか。それは、「富」はふえればふえる程、所有者を貪欲にするからである(p.139)。それでは知識欲の場合にも同じことが言えるのではないだろうか(p.144)。そのような疑問に対しては次のように答えよう。大体万物は起源に戻りたがるもので、我々の霊魂は、その起源であり創造者である神に戻りたがっている。つまり人間は巡礼のように至高善に向うものである(p.146)。ところが無経験な魂は、小さな善を過大評価して、先ずそれから欲しがるものだ。だから子供はりんごを欲しがる。次に小鳥を欲しがる。すなわち人間は、りんご→小鳥→着物→馬→女→余り大きくない「富」→大きな「富」→さらに大きな「富」といった順序で求めるものなのだ(p.146)。そしてこのように「富」に執着することによって道に迷ってしまうのだ(p.147)。一方知識欲の場合は、対象は一つずつ完結しており、一つのことが判ると次が知りたくなるのであって、不完全の原因どころか、よりすぐれた完成への原因である(p.149~153)。

 第三に、「富」の所有が何故有害であるかといえば、一、悪の原因となると同時に、二、善の妨げとなるからである(p.159)。悪の原因となる理由は、「富」が人を臆病にしたり、人を憎ませたりする(p.159)からで、大金を所持して旅する商人は心配が多く(p.160)、金持の伜はしばしぱ親父の成仏を望むからである(p.162)。他方「富」は人の気前の良さをうばうことによって善を妨げる(p.162)。かくして、以上三つの理由にもとづき、「富」が真の「高貴さ」から遠いものだということが証明された(p.166)。

 他方「時間(古さ)」が「高貴さ」の原因たりうるであろうか。誤った人々は、最初(その出身が)卑賎だった人間は、決して「高貴(この場合、貴族ということばを川いた方がはるかにはっきりするが、統一のためこのことばを用いる)」だとは呼ばれ得ず、また「卑賎」な人間の子供が、「高貴」ではありえないと主張するが、こうした説には矛盾がある。何故なら、一、ある「卑賎」な(出身の)人間が決して「高貴」にはなれず、二、その子も「高貴」にはなれないとすると、永久に同じことが繰返されて、どこにも時間の作用する余地などはないことになるからである(p.167)。

 それに対して相手は、先祖の「卑賎」な状態が忘れられた時に、初めてその一族は「高貴」になりうるのだと反論するかも知れない(p.167)。つまり、「卑賎」な出身が忘却されたその瞬間が、「卑賎」から「高貴」への転換点だというわけである(p.168)。だがそれには四通りの不都合がある。第一に、記憶が悪ければ悪い程、よりすぐれた状態である筈の「高貴」に変りやすいということは不都合である(p.169)。第二に、「高貴」とは、事物においてはより完全であることを意味するが、人間の場合だけは先祖の「卑賎」な状態を記憶していないことだという(ことばの定義のすり変えによる)反論が出るとしたら、そんな相手には、言葉よりも短剣で返事をしてやりたい(とダンテはいう p.173)。第三に、現実には、ゲラルド・ダ・カンミーノのように、極めて「卑賎」な人の孫であり、その先祖が忘れられていない人がいるが、一体誰が彼を「卑賎」だなどと呼ぶか(p.174~5)。第四に、生きていた当時「卑賎」だった人が、その先祖が忘れられた結果、死後「高貴」になる場合があるだろう(p.175~6)。だから、以上の不都合によって、「時間」は「高貴さ」の形成には全く干与しないことが明らかである(p.177)。

 ところで、もし(生れの)「卑賎」な人間が「高貴」な人間に変ったり、「卑賎」な父親から「高貴」な人間が生れ得ないとすると、二つの不都合が生じる。その場合、一、「高貴さ」は全く存在せぬか、二、人類は単一の先祖から出発していない、ということを認めざるを得ないだろう(p.177)。つまり、もし変化をみとめなければ、アダムが「高貴」なら、人類全休が「高貴」であり、アダムが「卑賎」であれば、人類全体が「卑賎」だということになる。つまりとりたててよぶべき差異はないことになる(p.178)。だがそれでもなお「高貴さ」をみとめようとすると、人類の祖先は、アダムではなくて、複数だったということになる(p.179)。しかし、アリストテレス、プラトン、キリスト教、異教のいずれによっても、人類の祖は一人とされている(p.179~80)。だから「高貴さ」という概念をみとめ、しかも人類の起源が単一だとみとめるならぱ、「卑賎」から「高貴」への変化が起ることをみとめねばなるまい。

 それでは、「高貴さ」とは何か。それは、それぞれの事物の固有の本性の完成を意味している(p.198)。したがつて人間にも事物にも共に用いることのできる概念だが、人間の場合には、実はそれがもたらす果実、つまり「道徳的な美徳」(vertu morale)によって分るものであり、(p.204)「高貴さ」こそあらゆる徳の源である(p.226)。「高貴さ」とは有名のことだと解釈する愚か者は、「高貴な(nobile)ということばが nosco に由来すると考えているがそれは誤りであって(p.200)、non vile から来ている(p.201)。

 人間の「高貴さ」は多くの異った果実(徳)を結ぶもので、それは年齢によつて異なる(p.234~5)。徳は適度さ(中庸)によって成立ち(p.214)、よき選択に由来し(p.215)、それらは「高貴さ」に由来する。この徳という果実を持たないかぎり、何人も、「自分はある(高貴な)家柄の者だ」などとは言えない(p.238)。「高貴さ」という恩寵を与えることができるのは神のみで、人間には選べない(p.239~40)。したがって、たとえフィレンツェのウベルティ家やミラノのヴィスコンティ家の人々といえども、「かくかくの家柄ゆえに、自分は高貴(貴族)だ」などとはいえない(p.241)。何故なら、神聖な種子は一族の上に降るのではなくて、個人の上に降るからであり、また一族が個人を高貴にするのではなくて、個人が一族を高貴にするからである(p.242)。

 「高貴さ」とは、人間の「幸福」の種子そのものであり、「徳」がその果実であって、「幸福」はその甘味であるとする定義は、質料、形相、動力、目的の四原因をふくんだ定義である(p.248)。

 それでは、一体その「高貴さ」はどのようにして生じるか。人間の種子がその受容器官つまり子宮に落ちた時、それは産み出す霊と天の力と結合した諸要素つまり体質の力とを伴っていて、その種子は素材を成熟させ、(産出する者つまり父親が与える)形成力の下におく。するとその形成力が諸器官を準備して天上の力を受けさせる。天上の力は、種子の力によって生命霊を作り出し、その霊は、生産されると同時に、天体を動かす者の力から可能智を受けとり、その可能智が生産者の内の状態、つまり第一の知性からのへだたりの程度に応じて、あらゆる普遍的形相を自己の内にとり入れる(p.251~252)。その場合、種子の体質、種まく人の性質、および天体の配置に応じて、受容される知性の量はことなる(p.253~258)。こうして受容されるものが今述べている幸福の種子、つまり「高貴さ」なのである(以上の説は、『煉獄篇』第25歌31~75行における、スタティウスの説明と大体等しいものと見なされている(p.251 の注釈)が、『饗宴』と『神曲』とがこの問題についてほぼ等しい見解を保っていることをみとめるならぱ、『天国篇』第8歌94~148行の説や、ダンテが自分の詩才の原因を双子座の下に生れたためと見なしている(Inf. XXVI, 23~24 その他)事実などにもとづいて、受容する側の条件はほんの消極的な影響しか持たず、天体の配置こそ最も重大な条件だと見なされていたといえるであろう。またそのように考えないかぎり、「高貴さ」を家柄と無関係なものと見なすダンテの説は成立しがたいように思われる)。

 それでは、「高貴さ」は何によって分るか。それは人の生き方によって分るもので、その輝きによつて見分けることができる(p.287~8)。しからぱ、「高貴さ」を証明する徳とは何か、人生には四つの時期があり(p.290~291)、その各時期において、異った徳がふさわしい。それらの徳こそ、「高貴さ」のあらわれに他ならない。すなわち、一、青少年期 Adolescenza(8~25歳)には ① 柔順 ② やさしさ ③ 羞恥心 ④ 身体の優美さ、二、壮年期 Gioventure (26~45歳)には ① 節制 ② 強健 ③ 愛情 ④ 礼儀 ⑤ 公正、三、初老期 Senettude (46~70歳)には ①「慎重 ② 正義 ③ 寛大 ④ 愛想の良さ、四、老年期 Senio には ① 死 ② 過去の祝福等々が、それぞれの時期にふさわしい徳と見なされている。またそれぞれの徳は更に細分されてくわしく論じられているが省略する(p.313~362 にわたつて各々の徳が説明されている)。

 要するに人間の貴賎は、こうした徳性があらわれているか否かによってのみ決定されるのである。すると、すぐれた先祖を持つだけで、名誉に価し、尊敬されるべきだという意見はどうなるか(p.363)。それに対しては、ユーウェナリウスの「(それは)小人を巨人と呼ぶことに他ならない」ということばで答えたい(p.365)。また同じ詩人の「汝と汝の先祖の像との違いは、像の頭が大理石でできているのに、汝の頭は生きていることだ」ということばではなおあきたらぬ(p.365)。何故なら石像は先祖の名声を保つが、悪しき子孫はそれを汚すからである。つまり、すぐれた人物の不名誉な噂は、人々の耳から遠ざけられて聞かれるべきではないが、それと同様、すぐれた先祖の不肖の子孫は、全員によって追放されるべきであり、善人はただ記憶の中にのみ残っている善(つまり先祖)を誹謗する、この(生きた)中傷(つまり不肖の子孫)を見ないように、目をとじるべきである(とダンテはいうp.366)。

 次に、それではある一族(progenie)を「高貴」だと呼ぶことは誤りであろうか。万物は各部分より成立っていて、小麦の塊のように、生命を持たないために、各部分が共通の本質を持たなくとも一体をなしているものがあり、その場合には白い塊と呼ぶことができる。それと同様に、「一族」という概念も魂を持っていない以上、「高貴な一族」と呼ぶことは可能であろう。ただし白い塊にまじりものが加わると色が変るように、高貴な一族も、善人が死に絶えて、不肖の子孫ばかりとなると、「卑賎な一族」に変るであろう(p.366~367)。

 以上で『饗宴』第4部中に記された「高貴」と「家」に関する説を大体紹介したわけであるが、その見解が『神曲』においても継承されているということは、『天国篇』第8歌127~9行の「人間という蝋に型を押す天然(天体)は、立派にその技を行うが、その家(ostello = casata, famiglia)を区別しない」とか、同歌の145~8行「しかし汝たちは剣をおびるべく生れついた者を宗門に押しこめ / 説教に適した人間を王とする / その結果、汝たちは正道を踏みはずのだ / 」というカルロ・マルテッロのことばなどによって明らかである。

 このように、ダンテが一貫して、家柄よりも個人の徳性を尊重する立場に立っていたという事実は、やはり一応注目に価するものと思われる。たとえば、カスティリオーネの『廷臣論』中で展開されている騎士の出身がどうあるべきかなどという談議と比較すると、はるかに徹底して個人の徳性が重んじられていることがわかる。

⑫  Carlo Cordie の監修になるリッチアルディ版の B. Castiglione, Il libro del corteggiano では14節から16節(32~6ぺージ)において、こうした問題が論じられているが、そこでは、廷臣の資格としての家柄の重要さについて、意見が分れている。他方、Alberti の Della Famiglia などでは、より徹底した実力主義が主張されているようである。時代および、作者の出身や経歴を考慮しつつ、更にくわしく検討を加えることが必要な問題であると思われる。


 もっともこうした説そのものは、たとえばトマス・アクィナスの「だから、もし善良な親の息子が善良であれば、彼らは俗説によつても真理によっても高貴(nobiles)であるだろう。もし彼らが悪ければ、俗説によつては高貴であるが、物事の真理に従うならば、卑賎(ignobiles)となるであろう。また悪しき人々の息子たちに関しては逆のことが言える」ということばなどに代表される、13世紀の啓蒙的な思潮を忠実に解説したものと考えることができるであろう。むしろ我々が注目すべきことは、『饗宴』第4部において、その説が極めて根気良く熱心に説かれているという事実、あるいは『神曲』の中でも、何度もこの問題についてふれられているという事実そのものであるように思われる。つまり、『饗宴』第4部の中で延々と繰りひろげられている長広舌そのものが、ダンテの「家柄」に関する深い関心-----たとえ否定的関心であるにせよ-----をあらわしていると言えないであろうか。そういえば、「高貴さ」とは何か、つまり誰を貴族と見なすべきかという疑問は、現代の我々が感じるような退屈な問題ではなくて、ダンテの同時代人にとってはまさに生き甲斐に関わる問題だつたのではあるまいか。我々にとっては煩瑣にしか見えない長談議にも、多くの家族がひしめき合い、互いに出自を誇り合つている、イタリア中世都市の状況が反映しているに違いないからである。

⑬  Il Convivio, op. cit., p.71 の註釈の中に引用されているトマス・アクィナスからの引川、原典は Comm. Polt. I, I, lec 4。


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