ダンテの「家」4


ダンテの作品における「家」の意味


4. 『神曲』に描かれた「家」



 さて、『神曲』の中から、「家」に関連のある記述を拾い集めてみる時、我々はその量的な多さだけではなく、質的な多様さ、観点の変化の豊かさ等に驚かざるを得ない。たとえばフィレンツェの市民の「家」から、エステ家やマラテスタ家等の領主の「家」、そしてアンジュー家やフランスのカペー王家、あるいはハプスブルグ家やホーヘンシュタウフェン家に及ぶ膨大な数の「家」が、何らかの形で取り上げられており(カッチァグイダが生存した当時のフィレンツェの家だけでも、本家が42戸、分家が9戸言及されているという )、あるいは、視点の多様さだけでも、カッチァグイダのような家祖に当る人物から、殺された妻や、失脚した家来などといった人物に至る、多種多様の視点から、「家」が捕えられているのである。

①  Borghini;  Storia della nobilità fiorentina, 1974, Pisa, p.152 sgg.


 ところで、一口に「家」とはいっても、多くの側面があるわけだが、『神曲』に見られる「家」に関連した記述を眺める時、その表現の多量さに比して、日常的な家庭生活などに関する表現は、意外と少ないように思われる。勿論、『天国篇』第15歌のカッチァグイダによる、いにしえのフィレンツェの堅実な家庭生活の描写などがあるので、決してそれがない、というわけではないが、しかし全体の中ではそれらが主要部を占めているわけではない。

 また『神曲』の中には、子供を描いた箇所もいくつかはある。たとえば、ウゴリーノ伯の子供たちの痛ましい姿や、聖ドメニコの幼年時代の様子などと共に、「いつもよりずっと遅く起きたために / 乳房にむかってむしゃぶりつく乳飲み児といえども / これほどすばやくはないだろう」等の比喩もいくつかみとめられる上に、無垢な子供の霊が死後どうなるのかという問答が、『天国篇』中で交されているので、この作品が、子供に対して冷淡すぎるとは決していえないであろう。しかし、『神曲』の三界の中では、子供たちの霊はもっぱらリンボとエンピーレオ天にのみ集められていて、ダンテの前には現われて来ない。リンボはあっても、賽の河原は存在しないのだ。小児、あるいは少年の窃盗、また食いしん坊の罪(貪食の罪)などはいくらでもお目にかかれた筈だが、ダンテは、年少の故に彼らの罪を免除してやっている様子である。つまり原則として(ひょっとすると例外はあるかも知れないが)、三界には、一応知恵も分別もあり、自分の責任で行動した人物が登場しているのであり、そして又、たとえ地獄の罪人といえども、我々が想像するよりは、ずっと高い身分や地位の人々であったという事実を忘れてはなるまい。

②  Par. XXXII, v. 40-42.


 換言すれば『神曲』の中で語られている事柄は、たとえばパオロとフランチェスカのような純情可憐な例は実は稀であって(事実私には、ダンテ自身彼らをまるで未成年者のように例外的に扱っているような感じがするし、ダンテがフランチェスカの実家であるポレンタ家で厚遇されたのも、この優しい扱いぶりに少しは関係があるものと思われる)、むしろ一人前の大人たちが、その全精力と全智能をふりしぼった結果である場合の方が普通なのだ。したがって、当然霊たちが「家」に関連して物語っている事柄も、深刻な性格を帯びざるを得ないのである。

 したがって、ダンテが一見何気なく取り上げているようなエピソードが、実は恐るべき残酷物語であることも少なくはない。たとえば、l'altra quel che tu, Gaville, piagni. (あと一人は、ガヴィッレよ、そのためにお前が泣いている男だ)

 という一行がある。これは盗賊フランチェスコ・カヴァルカンティについて述べたものだが、この男がガヴィッレの村人に殺されたために、彼の一族が復讐として村人を大勢殺したという実際の事件にもとづいている。残虐で大がかりな復讐事件が、ただの一行で表現されているのである。

③   Inf. XXV, v.151


 実は、『神曲』の中で言及、あるいは暗示されている、「家」に関する事件の多くは、これに劣らず残酷で血腥いものであった。たとえば、『神曲』に取り上げられた「家」に関する事件を、主題別に分類して数を比較するならば、「相続(王位継承等も含む)をめぐる間題」と、「親族殺し」とが恐らく首位を争うこどであろう。当然のことながら、これら二つの主題は、しばしば重複しあって一つの事件を形成している。ところでひるがえって考えてみると、「相続」争いが昂じた揚句、「親族殺し」を犯すという位、陰惨で救いのない犯罪は、他に類がないのではあるまいか。ところが『神曲』の中には、こうした種類の事件がくり返し現われるのである。

 先ず、比較的結果がはっきりした「親族殺し」のテーマから取り上げてみよう。

(1)フェッラーラ候オピッツオ・デステ二世は、自分の息子アッツオ八世の手で殺されたことが記されている。これは当然、「相続をめぐる間題」ともからんでいるが、おそらくこうしたことをはっきりと記されては、エステ家の子孫は随分迷惑した筈である。あるいはエステ家の文芸保護政策にも、多少の影響を及ぼしているのではないだろうか。

(2)アルベルティ家の兄弟アレッサンドロとナポレオーネは、財産「相続をめぐる問題」で争い、共に殺し合って死んだ。この霊たちの落ちている所は、肉親を裏切った者たちが罰せられているカイーナなので、当然同じような罪人が多くみとめられる。二人の霊は地獄でもつかみ合いをしていて、その髪の毛は一つにもつれ合っている有様である。

(3) あるいは、いとこ(父またはおじという説もあり)を殺したフォカッチア、

(4) おじの財産を横領しようとしてその子を殺した(あるいは後見していた甥を殺したという説もある)サッソル・マスケローニなどのことも言及されている。

④ (1)は Inf. XII, v. 110-114. 以下(2)は Inf. XXXII, v.40-60. (3)は同 v.63  (4)は同 v.63-65.


(5) 一族共有の砦を独占するために親戚のウベルティーノを殺したカミチォーネがカイーナの解説役に登場する。しかしカイーナ以外にも親族殺しはこと欠かない。

(6) 親戚の親子を食事に招き、果物の合図で殺させたアルベリーゴ・デイ・マンフレーディ、

(7) 財産を奪うため舅を宴会に招いて殺したブランカ・ドーリア等々は、客人への裏切りのためトロメーアで罰せられている。かと思うと煉獄には、

(8) 夫に殺されたピーア・デイ・トロメイ、

(9)、(2) の同族内争いの続きで殺されたオルソ・デッリ・アルベルティ等々の被害者があり、

(10) マリー・ド・ブラバンが、わが子を王位につけるため、継子を毒殺した事件がほのめかされている。

 他にも、やや時代はへだたるが、アーサー王の甥(息子?)殺し等を加えると、まだこうした例はふえるであろう。

⑤ 同 v.67-69.  (6)は Inf. XXXIII, v.118-123.  (7)は同 v.137~138.  (8)は Purg. V, v.130-166.  (9) は Purg. VI, v.20.  (10) は同 v.19-24.  アーサー王の甥殺しは、Inf. XXXII, v.61-62.


 そして今挙げた例の内で、(1)(2)(4)(5)(7)(10)等は確実に「相続」の問題と関わりを持っているのである。言うまでもなく、『神曲』には、今挙げた例以外にも「相続をめぐる問題」が扱われている。たとえば、カヴァルカンティ家のジァンニ・スキッキは、シモーネ・ドナーティに協力して、彼のおじブォーゾ・ドナーティの遺言状を偽造するため、死者に化けて遺言を口述したかどで、地獄の詐欺師の仲問に落されている。あるいは、アンジュー家のカルロ・マルテッロの子カルロ・ロベルトが、おじに王位を奪われる事件もほのめかされている等々……。以上によっても、「親族殺し」や「相続」争いが、いかにしばしば『神曲』で扱われているかが分るであろう。

⑥ ジャンニ・スキッキのドナーティ家遺言偽造事件は、Inf. XXX, v.42-45. アンジュー家の王位簒奪は、Par. IX, v.2-3.


 「家」同士、もしくは「党派」同士の争いも、しばしば現われるテーマである。グエルフィとギベリーニ、白派と黒派の争いは、全編のいたる所に影を投げかけているといっても過言ではあるまい。またマントヴァのボナコールシ家と、カサローディ家、『ロミオとジュリエット』のモデル、ヴェローナのモンテッキ家とカッペレッティ家、あるいはオルヴィエートのモナールディ家とフィリッペスキ家等々の名前が言及され、皇帝は皮肉にも、「人々が何と愛し合っているかを見においで 」と呼ぴかけられているのだ。

⑦  Inf. XX, v.95-96.

⑧  モンテッキ家他は、Purg. VI, v.106-115.


 こうした争いの結果生じる主題が「追放」である。さもなければウゴリーノ伯の場合のような「一族皆殺し」である。

⑨  Inf. XXXIII, v.13 sgg..


 先に見た「復讐」という主題も、いろいろな形で『神曲』の中に取り上げられる。当時の公権力である国家や都市はまだ弱体だったために、当然それに代って「家」の果たすべき役割は大きく、「復讐」にも日本の仇討ちと同様の必然性はみとめられるのであるが、しかしそれは、たとえば例のガヴィッレの例のように、行きすぎになりやすかった。しかも、「家」はしばしば、公権によって処刑を執行した人々にも復讐を行う。おまけに仇敵同士が果てしなく復讐を加え合うという悪循環を生み出すこともあった。たとえばグイド・モンフォルテは、父の復讐のために、仇敵のいとこであるヘンリー二世を暗殺する。裁判官べニンカーサ・ダ・ラテリーナは、ギーノ・ダ・タッコのおじに死刑の判決を下したばかりに、後にタッコの手で殺される。アルベルティ家の内輪争いは、アレッサンドロとナポレオーネの死のみならず、ナポレオーネの子オルソの死、そして更にその後にアレッサンドロの子アルベルトの死をひきおこす。1300年当時、復讐によって怨みをはらしていなかったジェーリも、後に甥たちの手で望みを充たしたということである。だから、息子が殺されても冷静さを失わず、復讐に走らなかったマルズッコは特別賞賛に価したのだ。『煉獄篇』33歌36行には、suppe ということばが出てくるが、これは九日間連続して死者の墓の上でかゆ(スッパ)をすすれば、遺族たちの復讐の権利が失われるという奇妙な習俗をさしているそうだ。当時の人々には、このことばは特別の暗い印象を有していたに違いないのだ。

⑩  グイド・モンフォルテは  Inf. XII, v.119-120,  ベニンカーサは、Purg. VI, v.13-14. 他は前出。


 「親族殺し」「相続争い」「党派争い」「追放」「復讐」などといった主題は、「家」の暗黒面そのものを描いた主題と見なすことができるが、それに対して、「先祖たちによる子孫の批判」「家同士の比較」「父と子(先祖と子孫)の比較」等々のいわば「家」に関する批評、評論に当る主題群が存在し、やはり繰返しあらわれることも注目に価する。紙数の都合で実例を一々挙げることは控えるが、「父と子の比較」なども、ストレートな比較のみならず、フィリップ四世の父と舅が王の行為を互いに嘆き合う、などといった、手のこんだやり方さえ用いられているのである。霊たちが、こうした「家」に関する批評や感想を述べる際、ほとんど異口同意に口にするのは、時代が下ると共に、「家」が堕落していくという認識である。つまり、(エドワード一世のような稀有な例外を除くと)、子は父よりも劣っており、(マラスピーナ家やスカリジェーリ家のようなごく少数の例外を別にすると)「家」は確実に悪質化しており、その資格のない暗愚な家長の手中に帰しつつあるのだ。要するに、時代が、そして「家」が、日毎に悪化しつつあるという嘆きが、『神曲』全体を一貫して流れている一つの基調音である、といっても過言ではあるまい。

⑪  Purg. VII, v.109-111.


 そうした歴代の腐敗と、「親族殺し」等の悪業とが重なると、そこに当然生じるのは、「家」の「没落」であり、「滅亡」である。もっとも、「家」の「運命」は必らずしも、因果応報的なものではないということに、ダンテははっきりと気付いていて、そのために「運命」とは何か、という問いが生じる。しかし結局それは、人間の知恵では理解し難いものだと見なさざるを得ない。

 similemente alli splendor mondani  /  ordinò general ministra e duce  /  che permutasse a tempo li ben vani  /  di gente in gente e d'uno in altro sague,  /  oltre la difension di senni umani;

  (同様にして、(神は)世俗の栄華に関しても、 / 全体を統御するための指導者および指揮者〔運命)を定め、 / その者が、ある民族から他の民族へ、またある血族から他の血族へと、 / 空しい富を適当な時に移転させる。 / それは人知がいかに防ごうとしても、とても敵わないものである ⑫。)

⑫  Inf. VII, v.76-81.


 かくして、「家」の「没落」や「滅亡」の姿は、むしろ同情や愛惜をこめて歌われ、第三のテーマ群を構成する。昔栄えたフィレンツェの家々や、ベッリンチォーネ・ベルティのごとき立派な「家長」の姿、堅実な家庭生活等々、あるいは、かつてロマーニャ地方に栄え、今は「没落」し、あるいはすでに「滅亡」してしまった数々の名家の姿が、なつかしげに歌い上げられて、すぐれた叙事詩を形成する。しかし、カッチァグイダのことばの場合もそうだが、過去の讃美は、そのまま現状の批判であることも見落してはならないのである。

⑬  Par.XVI. のカッチァグイダのことば、およびロマーニャの名家は、Purg. XIV, v.74 sgg. のグイド・グエッラのことばの中で歌われる。


 ところで、『神曲』における「家」に関する記述の中で、もう一つ重要なテーマ群を形成するのは、ダンテを通しての、霊たちの子孫に対する伝言に関するものであろう。ここで見逃すことができないのは、ダンテが描いた死者たちの、現世に対する影響力の乏しさである。彼らは一度死ぬと、たとえばグイド・ダ・モンテフェルトロや、その子ブォンコンテ・ダ・モンテフェルトロが語っている通り(親子が同じ状況について語っているのは決して偶然ではなく、「父と子の比較」のテーマの一つの変形である)、ただちに霊は天使もしくは地獄の使者に捕えられ、三界のいずれかに連れ去られ、しかもトラヤヌス帝のような例外を除くと、二度と生者の許には戻れないことが定められていて、たとえば亡霊となって子孫に忠告を与えることも、あるいは怨敵に祟りを加えることも不可能なのである。

⑭ 父は、Inf. XXVII, v.61-129. 子は、Purg. V, v.85-129.


 エンリコ・ベスタは「キリスト教の一神崇拝は、敬愛(ピエタース)の対象ではあっても崇拝(アドラーティス)の対象ではない祖先たちの神格化の余地(マルジネ)を残さなかった」と記しているが、教会の教えが徹底し、しかしスコラ的啓蒙主義が指導的であったこの時代には、こうした傾向は特に顕著であったらしく、ダンテの霊たちは悉く、幽霊となって生者に働きかけることを禁じられていると見なすことができるようである。むしろ、『神曲』においては、生者の祈りによって、煉獄の霊たちの浄罪の期間が短縮しうるという定めがあるため、死者たち(の一部)は、生者に対して負い目を負っているほどである。この定めのために、死者たち、特に煉獄の霊たちによる、子孫への伝言(祈りの依頼)が何度も『神曲』の中で繰り返される。実はこの「生者(子孫)への祈りの依頼」というテーマこそ、「親族殺し」や「相続問題」などと共に、最も頻繁に『神曲』で取扱われているテーマなのである。死者が、親しかった生者に、自分のための祈りを期待するというテーマは、「家」に関する諸テーマの中でも最も人間的感情が豊かに現われるテーマだと考えても良いであろう。しかし、その場合でさえ、イタリアの「家」の現実は反映されないわけにはいかず、たとえば二ーノ・ヴィスコンティは、娘のジョヴァンナにのみ「祈り」を期待し、

    Non credo che la sua madre piu m'ami  (彼女(娘)の母親(すなち彼の未亡人)がもう私を愛しているとは思わない。

 と述べて、かつての妻の薄情さをなげいているように、やはり一つの「家」の現状批判とならざるを得ない場合が多いのだ。

⑮  Enrico Besta; La famiglia nella storia del diritto italiano, Padova, 1933, p.9.

⑯  Purg. VI, v.34-51.  その他。

⑰  たとえば、Purg. III, v.114 sgg.; VIII, v.70 sgg. ; v.142 sgg.; XXIII, 85 sgg.; Par. XV, v.88 sgg. など。

⑱  Purg. VIII, v.73.


 以上のように、現状の暴露である第一のテーマ群や、その理論的裏づけを受け持っている第二のテーマ群のみならず、滅びゆく家々への愛惜の叙事詩である第三のテーマ群や、子孫への伝言を扱った第四のテーマ群も、全て何らかの形で、「家」制度が深刻な行き詰まりに陥っていることを示している。ありきたりの言葉ではあるが、ヨーロッパ封建制の危機そのものを見事に描きつくしているということが可能である。しかもその後の展望という点でも、ダンテは極めて悲観的である。

 第二章で見ておいた通り、ダンテは、徳(才能)は、天から与えられるものであって、家柄によって生じるものではないと説いたが、この主張は、『神曲』の中でも一貫して守られているといって良い。たとえば『煉獄篇』第8歌91行以下では、自然は人間に素質を与える時、「家」(ostello)に考慮を払わないのに、人々はその素質を無視して職業をおしつけるために、道を踏み誤ることになる、などという意見がはっきりと述べられている。しかしそうした意見は、何らの実践的な主張にもつながらず、またその認識にもとづくような変化が、この世に生じつつあるような気配もない。

 この点について、『神曲』の中には、いわば「家臣」のテーマともいうべき例が、幾度も繰返し現われてくることが注目される。たとえばフェデリーコ二世の寵臣で、後に失脚して自殺したピェール・デッラ・ヴィーニャ、テバルド二世の家来で汚職役人だったチァンポロ、フランス宮廷の侍従長で、マリー・ド・ブラバンを毒殺のかどで告発し、逆に敵方のスバイとして処刑されたピェール・デッラ・ブロッチャ、あるいはプロヴァンスの宮廷につかえ、主君の四人の姫君を全て王に嫁がせた功臣ロメーオ(ロミュー)など、代官のたぐいを数えれば他にも数が増すが、いずれも大した門地なしに一時は権勢を誇った「家臣」たちであるが、チァンポロの場合は自業自得であるとしても、四人とも全く不幸な死を逐げている。

⑲  ピェール・デッラ・ヴィーニャは Inf. XIII, v.55 sgg.  チャンポロは、Inf. XXII, v.46 sgg.  ピェール・デッラ・ブロッチャは、Purg. VI, v.19 sgg.  ロメーオは、Par. VI, v.128-142.


 要するに「家臣」のテーマは、『神曲』の中ではほぼ失脚のテーマであるといっても良いのだ。個人的な徳も才能も、あるいはすぐれた功績でさえ、「家」の現実に対しては全く無力なのだ。つまり、数々の「家」の没落や滅亡が、個人の徳や力量中心の新しい時代の予兆ではないかなどという、楽天的な展望は、『神曲』の中にはかけらもないといって良い。また、ダンテの 'la gente nova a subiti guadagni' (新参者と短期間で得られた富)への嫌悪感は、必らずしも個人の実力本位の時代の到来を歓迎したとは限らないのである。彼の個人の徳(才能)に関する意見が、ほとんどそのまま通用したのは、多分芸術の世界だけだったといっても過言ではないだろう。そして事実、すぐれた文学者たちや、カゼッラ、オデリージらのような芸術家たちの登場する場面は、『神曲』の中でも、他の部分とは隔絶した、一個の美しい世界を形成しているのである。

⑳  Inf XVI, v.73.


 それでは、先に見たような「家」の現実を、ダンテは如何に救済しようというのであろうか。この点に関して、ダンテはただ、救済者の到来もしくは出現に期待するだけである。一時期、彼には、ずさんな計画のためイタリアで客死した皇帝ハインリッヒ七世こそ、この救済者であるかのように思われた。そしてこのハインリッヒ七世や、さらに謎めいた終末論的な救済者である五百十王が、イタリアのみならず、全世界の腐敗を一挙に粛清し、回復させうる、と彼は信じたのだ。多様にして鋭い「家」の現実に関する認識と、この単純な救済者への期待との間には、はっきりいって不均衡があるように感じるのは、私一人ではあるまい。

㉑  ハインリッヒ七世は、Par. XXX, v.137 sgg.  他、五百十王は、Purg. XXXIII, V.43.


 ところでダンテは、しばしば「紋章」や、家名にもとづく象徴的表現を用いて、「家」を一個の生物、あるいは動物群のごとく(たとえばポレンタ家は「ポレンタの鷲」であり、オルシーニ家の人々は「小熊たち」である)表現する。そしてこうした表現は、彼においては少しも不自然な感じがしない場合が多い。つまり彼は、「家」を一個の生き物、あるいは一人の人間のように感情移入しえたのである。勿論それは、ダンテ一人の特性ではなく、この時代の人々に共通のもので、「紋章」などもそうした感性にもとづく産物ではあったが、しかしダンテこそまさに典型的な時代の子であった。

㉒ 「ポレンタの鷲」は、Inf. XXVII, v.41. 「小熊たち」は、Inf. XIX, v.71.


 しかし、その一方で、ダンテは「家」の現実をはっきりと把握しえた。すでに見たような、深刻で暗い面のみならず、「道楽者」「悪妻」「家柄自慢」「未亡人の薄情」、その他といったもっと軽い面までを捕えて、あるいは先祖の目から、家臣の目に至る様々な視点から、豊かに、多角的に描くことができた。そして修道院や教会に対する場合よりも、はるかに細密に、微妙な陰影を捕えることができたのであった。『神曲』が成功した原因は、「家」に関する表現に負う所が大きいのだ。

㉓ 「道楽者」は、Inf. XXIX, v.121 sgg.  におけるシェーナ市民たちなど。「悪妻」は、Inf. XVI, v.45. 「家柄自慢」は、Purg. XI, v.49 sgg. 「未亡人」は、前出の他、Purg. V. v.85 sgg.


「5. ダンテの「家」の原像」

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