セルミーニ1


ジェンティーレ・セルミーニの人と作品& 『レ・ノヴェッレ(Le Novelle)の要約


米山  喜晟



 

 ジェンティーレ・セルミーニというシエナのノヴェッラ作者は、筆者の思い違いでなければ(特に最近はこの方面の紹介も大いに進んで来たのでその司能性もある)これまで我が国ではほとんど紹介されていないはずである。実はイタリア本国でもつい最近ようやく概説的な文学史にも取り上げられ始めた ばかりで、ノヴェッラの歴史以外ではほとんど無視されて来たとも言える存在であり、しかもイタリアのノヴェッラ史を代表するディ・フランチャからも酷評されている② という憐れむべき作者である。ただしシェイクスピアの『ロミオとジユリエット』の原作、というよりはおそらく原作に影響を及ぼした可能性の感じられる作品の作者 として国外でも案外知られている。ただ一篇の作品のおかげで国際的に不朽の名を残したという点では、幸運な作者と言えるかも知れないが、評判の悪さという点では筆者がこれまでに何度か紹介したセルカンビと好一対と言える。筆者はシエナの市立図書館でこの作者の作品カードを調べていた際、正確な文面は忘れたが「この作者の作品は破廉恥極まる云々」という警告のカードが添付されているのを見て思わず笑い出した。カンパニリズモの強いイタリアにおいてすら、生まれ故郷の市立図書館(これは筆者が最も感謝している図書館の一つなので非難するつもりはない)でこれ程の非難を浴びなければならないという憐れな星の下に生まれた人物なのである。

①  A.Tartaro, Il primo Quattrocento toscano, (LIL.,11) Bari 1971.

②  L. Di Francia, Storia di generi letterari - Novellistica - , Milano 1924. Vol.1, PP,434-444.

③  一応 Sermini → Masuccio → Luigi da Porto → Bandello → Shakespeare  という系譜をたどることが可能であるが、Sermini → Masuccio のつながりには疑間の余地が大いにある。

④  拙稿、ジョヴァンニ・セルカンビの『イル・ノヴェッリエーレ』について ~ 一地方都市の文学の運命 ~、『世界口承文芸研究』第三号、大阪1982所載(「百万遍12号」に転載)、および同、セルカンビの暗闇 ~ その『年代記』と『グィニージ家の人々への覚え書』の世界 ~、イタリア・ルネサンス文化 ~-知の饗宴 ~(清水純一教授退官記念論文集)京都1988所載。


 実はこの作家については厳密に言うと現在ほとんど何も分かっておらず、唯一確実だとされているのは、作品12に記されているように、⑤ すでに成人した後、1424年のペストを逃れて、一人でシエナの領域部の大変な田舎へ行ったということ位であるらしいが、それすら確証があるわけではなく、特に疑う必要はないけれども逆に確かめようもない。ただし1968年にその『ノヴェッレ』を校訂してペルージャで刊行したG・ヴェットーリは、作品13 ⑥ に登場するジョヴァンニ・ダ・プラートが有名なノヴェッラ集で対話集でもある『パラディゾ・デッリ・アルベルティ』の作者セル・ジョヴァンニ・ゲラルディ・ダ・プラート ⑦ だと断定し、また作者の生年を1390年頃、執筆を1425年頃と推定している。 同じプラートの生まれで時代も一致する上にセル・ジョヴァンニ・ゲラルディがダンテの研究者だったという事実 ⑨ から、おそらく彼こそ、せっかく若い娘と楽しむチャンスを与えられながら、娘と二人きりで会うための口実に過ぎなかったダンテの『神曲』の講義をやめなかったために娘に振られてしまったというこの主人公だと見なされているようである。さらにM.マリエッティはこの交友に基づいて推理を進め、作者はセル・ゲラルディ同様公証人かそれに近い法律関係者だと推理している。


⑤  G.Semini, Novelle, a cura di G.Vettori, Perugia1968, PP-237.

⑥  Id.,pp.289-96.

⑦  Ser Giovanni Gherardi da Prato(1367-1442~6). 有名な公証人で『パラディーゾ・デッリ・アルベルティ』の作者。1417~25年の期間フィレンツェのサンタ・マリーア・デル・フィオーレ教会でダンテの詩を読んだという。

⑧  G.Sermini, op. cit. のVettori の序文。pp.21-22.

Id., p.22. このエピソードは実話でかなり以前に起こったことだと考えられている。

⑩  M. Marietti, IMITATION ET TRANSPOSITION DU DÉCAMÉRON CHEZ SERCAMBI ET SERMINI: RÉÉECRITURE ET CONTEXTE CULTUREL, in 'COMMENTAIRES, PARODIES, VARIATION DANS LA LITTÉRATURE ITALIENNE DE LA RENAISSANCE', Paris 1984, p.44.


 彼のノヴェッラ集『ノヴェッレ』には40の作品と幾つかのソネットやカンツォーネが収められているが、作品40はかなり早い部分で終わっていて未完である。彼の作品の際立った特徴は形に対する極端な無頓着さで、簡単な手紙形式の序文以外にはノヴェッラをまとめる枠組も額縁もなく、また個々のノヴェッラ自体をきちんとまとめようという意図もあまり感じられない。そういう点でも評判の良くないセルカンビですら、時には、一応まとまった作品があるのに、この作者には上出来のコントは一篇もない。

⑪ 筆者は一応、何らかの事件や物語の人物もしくは集団が語る形式を取ってノヴェッラ群をまとめているものを「額縁」と呼び、献辞や手紙等で仮に作品全体をまとめているものを「枠組」としている。

⑫ たとえば Sercambi, op. cit.,の第百十一話はサッケッティの『三百話』の第CXCVI話よりもずっとよくまとまっている。


 そういえば、温泉にいる友人あての手紙という形式の序文からして相当人を食っていて、「友人にサラダを送ろうとする人が、篭とナイフを持って菜園中捜し回り、草を見付け次第全然分類せずにごちゃごちゃに篭に入れるように⑬ 自分も作品が出来次第でたらめに集めて行きたいと記している。こうした構成や配列への無頓着ぶりは、立派な枠組を持ったボッカッチョ以来の伝統⑭ とは対照的で、この言葉を文字どおりに取るだけでは不十分である。やはりここにはフィレンツェ市民であるボッカッチョ的なやり方を放棄するという、シエナ市民セルミーニの意地または開き直りを見ないわけには行かないだろう。

⑬ Sermini, op. cit., p.73.

⑭ 拙稿、『紙の上の宮廷---中世・ルネサンス期イタリアにおけるノヴェッラ集の枠組の変遷---』イタリア学会誌、第40号(1990)参照。





ジェンティーレ・セルミーニ(Gentile Sermini)の

『レ・ノヴェッレ(Le Novelle)』の要約



序文

(Petrioloの温泉から手紙をくれた友人〈兄弟Fratelloと呼んでいるが実の兄弟ではない〉への返事という形式で記されている。)


 君は Petriolo の温泉で私が書いたもののことを聞いて、私に写しを送れと言って来たが、友人にサラダを送ろうとする人が菜園で摘んだ草を仕分けもせずに篭に投げ込むように、私も自分の菜園で摘んだこれらの作品をでたらめに寄せ集めて君に送る。だから詩や散文がでたらめに混ぜられていても驚かないで欲しい。学問のある人には向かないので見せないでおくれ。欠点だらけの女や尼さんに見せるな。聖職者にも向かない。君は毎年温泉に行くそうだが、友情を将来も保っため今度来た時知らせてくれたら、我々は再会できる。


第一話

 (この作品は『ロミオとジュリエット』の源泉とされているので、詳しく紹介する。)


第一部 ペルージャの富裕な若者 Vannino が嫉妬深い夫 Andreoccio の妻 Montanina に恋した。Vannino は物売りの Nuta に泣いて事情を語り協力を求める。Nuta は Andreoccio の家の階段の下で疲れたからと反物をおいて横になる。Andreoccio が Nuta を家に入れてやり外出した後、Nuta が Montanina に Vannino が彼女に恋して悩んでいることを伝え、Montanina は彼に同情。Nuta は Vannino からの贈り物のバッグと金庫を差し出し、Vannino と会うように勧める。Montanina は夫怖さに贈り物を返そうとしたが、Nuta は相手から Andreoccio が市外に出る日なら Vannino と会うという約束を取り付けて帰宅した。Vannino は市の有力者 Marino の協力を求め、Marino は秘密の用事で市のためにアッシジヘ使節に行くよう Andreoccio に頼んだので、彼は実際はつまらぬ用事のため大威張りで出発する。夫が旅に三日かかるというと、Montanina は涙を浮かべて送り出す。Marino から Andreoccio の出発を知らされたVannino は Muta を通して Montanina に夜の3時(午後9時)菜園から忍び込むと伝えると、夫人は門前で自殺されては困るので、家に入れようと約束。Vannino は Marino とともに恋人の菜園に忍び込み、はしごでよじ登り窓をたたいて合図して開けてもらい、室内に入って恋を語る。夫人の寝室には御馳走が用意され、二人は楽しく食事をすませ、床につこうとした時、戸をたたく音が聞こえて Andreoccio が帰宅する。彼は雨で溝川が溢れ馬が転落し、従者の助けで辛うじて助かったので使いは明日に延ばして帰宅したのだ。Vannino と Montanina は脅えるが、夫人は身支度を整え、マントを着て剣を持った Vannino を長持ちの中に隠し、前から用意した薬を取り出し、Vannino に時期が来るまで声を立てるなと指示した後、窓から、訪ねて来たのはだれかと尋ね、夫のため手間をかけて人り口を開け、「雨が心配で神に祈っていたの」という。夫は泥まみれのまま妻を慰めようとすると、薬を飲んでいた妻は気を失って倒れそうになる。夫が慌てて人を呼ぶと、妻は臨終の振りをして公証人と修道士たちを呼んでもらい、遺言で聖ドメニコ教会に遺体を埋葬してもらいたいことと、夫に全財産を贈るかわりに条件を守るよう命じた。その条件として人払いした後、修道士 frate Ramondo と frate Giovanni に会い200ドゥカート相当の長持ちの中身を贈るから、それを棺桶と共に家族の廟に運んで埋葬しておき夜中に二人だけで廟の中に入ってこっそり中身を取り出して受け取るように勧めると、修道士はそうすることを約束した。その時阿片が効いて Montanina は眠りこむ。人々は彼女が死んだものと信じて葬式を行い、修道士たちは長持ちを棺桶と共に運ぶ。人々は長持ちを珍しがり子供たちが後から投石した。長持ちを運ぼうとした他の修道士たちは投石騒ぎやその時叫び声を上げた Vannino の声に脅えて手を引き、結局指定された二人が長持ちを死守して教会の廟の中に棺桶と共に埋葬した。


第二部 埋葬された Montanina の阿片は22時(午後4時)に効き目が切れて、目を覚ました彼女は長持ちの中の Vannino を呼びお互いに励まし合う。夜中に二人の修道士が長持ちを開けると、Vannino が剣を持って飛び出したので、修道士たちは驚いて逃げ出す。恐怖のため frate Giovanni はその晩死に、frate Ramondo は発狂した。Vannino は Montanina を助け出し、二人の男女は逃走して Vannino の家に逃げ込み、食事の後、愛の続きを完了した。Vannino は Montanina に男装させ、従者としてミラノに逃亡、そこで2年過ごした後、親戚に手紙を書いて祖国愛のため帰国したいと知らせた。親戚は喜び市民たちは大歓迎した。Vannino は彼がミラノで娶った女 Pellegrina として人々に Montanina を紹介した。Andreoccio は彼女が亡き妻 Montanina に似ているので驚く。14年が過ぎても Montanino の母だけは Pellegrina が娘に似ているので諦め切れない。Montanina は母を憐れみ Vannino と相談の後自宅に招き、左肩のほくろを見せて秘密を打ち明ける。彼女の母は Vannino に自分には親戚も友人も無いので義理の兄弟に奪われかけている全財産を譲りたいという。Vannino は固辞したが、結局折れて公証人に文書を作らせ、財産を受け取る代わりに彼女を自宅に引き取る契約を結ぶ。Montanina は生涯ロンバルディーア出身の Pellegrina として過ごし、Andreoccio を騙し続けた。


第二話

 フィレンツェの富裕な市民 Lapo Macinghi は持参金を払いたくないので、娘 Savina を10才で尼僧院に入れる。不満な娘は15才の時父が病死して4000フィオリーノの遺産を得た。彼女が19才の時尼僧院にドメニコ派修道院長とともに美青年の修道士 frate Girolamo da Fiesole が来て Savina の告解を行った。suor Savina は尼僧院にいたくないと訴え、Girolamo は同情し、「薬を上げる」と約束。Savina の指導係が suor Lisabetta だと聞いて、夜、雄鶏を提げて菜園から侵入し、御馳走を食べた後、薬だと称して快楽を教えこみ、また三日後に会う。こうして一ヶ月後に Savina の病気は冶るが、Girolamo がもう来ないというと、Savina は悲しみで失神しかける。Girolamo は Savina が反抗を続ければナポリ送りになるから、その途中で駆落ちしようと相談。Savina は朝から晩まで反抗して、修道会総長の命令で Girolamo の取り調べを受け、ナポリヘ送られる。Girolamo はリヴォルノで待ち受けて Savina に出会い、服装を変え、Girolamo はルッカの Troilo Guinigi、Savina は Pulissena と名前を改めて、下男と乳母と共にヴェネツィアに逃れる。五年後、美男子の Troilo すなわち Girolamo にヴェネツィアの若い人妻 Marchigiana がほれ込んで仲介人を通して知り合い、女は男をボートに乗せて船酔いさせて介抱するうちに関係して親しくなる。二人は駆落ちしたが、嵐に遭ってバルバーリアヘ流されてチュニスで奴隷にされる。Savina は Girolamo の失踪を数ヶ月悲しんだ後、Misser Morello di Capo d'Istria という老人に愛されて結婚したが、Morello は数ヶ月後過労で死ぬ。Pulissena すなわち Savina の富は増えたが、すでに公然と娼婦となり、そうと知らずに実の兄弟と交わりエルマフロディテ(両性具有者)を生む。Savina は自分の罪だと認め過去の所業を語る内に、Lapo Macinghi の子供だと口にし、相手は Lapo の庶子だったと告白。男は子供を水に投じて自分も入水、Pulissena も入水自殺した。Lapo Macinghi よ、なんじの吝嗇が何と多くの悪を生じたかを見よ。

カンツォーネ 1 人の世のはかなさと偽りの多さ。人間の罪を一人で償おうとした神の賛美。

カンツォーネ Ⅱ コムーネのために犠牲を払おうとする者がいない現状を嘆き、コムーネのために注意すべきこと、七つの大罪(特に貪欲と傲慢)への警告や、内通者をあてにして戦うという現実、老人支配の肯定、外人を信用してはならないこと、シエナの団結と誇り、ローマの賛美、聖母の賞賛等を歌う、極めて長いカンツォーネである。


第三話

 シエナの高貴な Buonsignori 家の富裕で賢明で礼儀正しい25才の青年 Bartolomeo はすでに父は亡く、獣や鳥や魚の狩りに熱中して暮らしていた。Monteantico の領地はそうした目的に好適で、彼がシエナから仲間を連れて出掛けると、その土地の人々は総出で協力した。領民の一人通称 Scopone の Neri は、礼儀知らずで恩知らずで、手も顔も洗ったことのない頑固でけちな田舎者だった。Bartolomeo の家、葡萄畑、土地の店子であり小作人であったにもかかわらず、彼を馬鹿にして欲しいものをたかっていたが、優しく気前の良い Bartolomeo は望みを聞いてやった。Scopone は主人の森で獣を取り、川で魚を取って温泉へ売りに行った。シエナから6人の若者が Bartolomeo に手紙を書いて来て、復活祭の一週間、昼は狩りをして過ごし、夜は Petriuolo の温泉に泊まりたいと伝えた。手紙を読んだ Bartolomeo は早速 Scopone に魚の準備を頼む。彼は生け簀を全部調べて50リブラ(約23キロ)の立派な魚を得たが、家に持ち帰る。家の者に口止めし、妊娠中の妻が少し残してと言うのも聞かず、全部 Petriuolo に持って行って売る。そして内心「Bartolomeo が欲しければ自分で取れ。おれはあいつの奴隷じゃない」と呟く。温泉で値段を聞かれた彼は1リブラ5ソルドの値段を付け、人々が幾ら高いと言っても負けようとしない。そこで人々が祭りで温泉の領主に選ばれた Malavolti 家の愉快な若者に彼を訴えると、直ちに Scopone は捕えられて広場の柱に縛られ、魚は没収されて料理に回される。歌や楽器もうまく、学間も文章も達者な万能の若者 Ugo Malescotti が書記に選ばれていたので、領主は彼を呼び判決を読み上げると、Ugo は机の上に立ち、紙の代わりに大きな鍬(sappa)を取ってそれに向かって判決を読み上げる。一同は判決に従い、彼にロバの耳のついた司教冠をかぶせて帚でたたいて罰することにし、Ugo らに Scopone が魚を没収された時 Bartolomeo Buonsignori の依頼で売りに来たと述べたため Bartolomeo の名誉を汚したという理由で、自分が帚の柄で彼を殴ることを追加した。やがて大きな冠と帚が到着し、Ugo 自ら処刑を行う。Scopone が縛られている前に葡萄酒やパンや果物と Scopone から取り上げた魚の料理とが並べられて宴会が始まる。人々は「うまいぞ」と言ったり、魚を彼の口元に近付けては、引っ込めて齧ったりしながらからかう。食事の後 Ugo は Scopone を橋まで連れて行って釈放した。そこへあらかじめ知らされてエプロンに石を一杯入れて待ち構えていた子供や大人が彼に対して投石し、彼は背中を殴られて擦りむき、石で足を怪我したため10日も床に就いた。

 偶然シエナの6人の着者が Petriuolo でその刑罰を見て、魚を食べた後 Bartolomeo を訪ねる。領主の許可を得た Ugo がリュートを持ち従者にチタラ(ギリシャの琴)を持たせて6人組に同行し、晩餐で40節の即興曲を作って Bartolomeo に Scopone の話を歌い、その後くわしく語る。翌朝一同は川に行き魚を取って楽しむ。オリーヴの日曜日から Bartolomeo は20人の若者を招くと彼らは進んで参加し、聖なる週間の期間中猟犬や槍や罠を持って参加した。それには Scopone も参加したので、Bartolomeo が彼の怪我の訳を問うと、胡桃の木から落ちて怪我をしたと説明した。そこで Ugo が、自分もアーモンドの木から落ちて足を折ったので温泉へ治療に行くと、後ろ手に柱に縛られ板で濃くした帚の軟膏を背中に張り付けられて治療され、紙製の司教冠をかぶらされ、皆は彼の食欲増進のため彼の費用で御馳走を食べ、何度も御馳走を彼の口まで持って行きながら自分達だけで食べ、最後に川まで連れて行って大理石のチーズを御馳走してくれた、と当てこすりを言った後、胡桃から落ちたのなら治療に行くよう勧めた。居合わせた6人組達は意味を悟って楽しんだ。一同は狩りを楽しみたっぷり獲物を手に入れ、6人組は聖土曜日にシエナに戻り、Bartolomeo は Monteantico に戻るが、Scopone がこれまで自分を利用してばかりいて何の役にも立たなかったことを思い出して、決着を付ける必要があると考えた。彼に102フィオリーノの貸しがあったので、2フィオリーノは残して、100フィオリーノをすぐに返すように命じた。Scopone がこれまでは効果のあったお世辞をいくら並べても効果がなく、葡萄畑を質に入れて多くの資産を手放す必要があった。結局 Scopone は Bartolomeo の足許にひざまずきこれまで自分が誤っていたことを認め、今後態度を改めることを約束して謝った。Bartolomeo は明日返事しようと答え、彼を見せしめに利用しようと考えて4人の家来に同席させ、Scopone が到着すると「返事を聞きに来たか」と言う。Scopone がひざまづくと「お前は私に馴れ馴れしくし過ぎた」と叱り、彼が自分を利用するばかりで何も役に立たず損害ばかり与えたと述べ、温泉で起こったことを暴露して、自分の名前を出して恥をかかせたと叱る。Scopone はすべての罪を認めて恥じながら謝罪した。4人の家来は Scopone の変わり様に驚くが、Bartolomeo は今後は Scopone(大きな帚)という名前を止めて、名を Salcione (大きなヤナギ)と改め、ヤナギのように柔順になれと命じた。Scopone はそれに従い、以後はすっかり態度を改めて失った財産も取り戻し、そのほうが有利なことを悟った。田舎者には慣れ慣れしくし過ぎてはならないし、親しくなり過ぎてもいけない。自分の財産を用心深く守れ。




第四話

 フィレンツェの二人の低い身分の青年 Papino di Bindo と Lapo di ser Ghino はラーナ組合に所属し仲良く付き合っていた。二人は織り手 Barone の娘 Sandra が気に入り、父親が娘を修道院に入れようと考えているので、持参金を払ってやると言って200フィオリーノを与え、嫁ぐ時残りを出すと約束。Sandra は修道院いやさに彼らと旅に出た。彼らは300フィオリーノ用意して、そのうち200を Sandra の下着に縫い付け、何千フィオリーノも財布にあるように見せかけて彼女を騙し、ジェノヴァヘ行く予定でとりあえずチッタ・ディ・カステッロ出身と称してピサの旅館で滞在。シエナの羊毛業者からフランスの羊毛を輸入するため派遣された Silvestrino という若者がピサに来て同じ宿で夕食を取る。アルノの魚を出した給仕に Papino は頭は厭だと言い、Lapo は尾は厭だと言って困らす。Silvestrino が Lapo に頭を与え、Papino に尾を与え自分が真ん中を取ったので、皆が喜んだ。Lapo たちは仕返しを企てて、Silvestrino に Sandra を見せ、Silvestrino がその美貌にぼんやりしているのに付け込み、明日の晩一緒に食事してその時小さなウズラ2つがいと少し贈り物を付ければ十分だから Sandra を世話してやろうという。Silvestrino が三人に御馳走すると、Sandra は二人に言われたとおり、食卓で Silvestrino の息が臭いと侮辱して彼を振る。Silvestrino は二人の魂胆を悟り何食わぬ顔で、ニラを食ったためだと弁解して愉快に別れる。Silvestrino はピサのポデスタ misser Polidoro da Mantova の実務を担当する陪席判事 misser Baldissera da Bologna と親しい。二人は仕返しを相談。で Silvestrino が Sandra の従兄に成り済ましてポデスタの前に現れ、Sandra の父の訴状を提出。Baldissera が処理を引き受け、ポデスタの家来の騎士が10人の手下を引き連れて出発、夕食中の Papino と Lano の二人を逮捕して牢屋にぶち込む。Silvestrino は Sandra を説得して、その協力を約束させ自分がその従兄になりすまし、彼女を親切な未亡人 monna Simona に預ける。未亡人の家で Silvestrino は Sandra と同じ部屋に泊まって楽しみ、Sandra も Silvestrino が気に入る。その夜 Silvestrino は牢屋で刑吏に化けて Papino と Lapo に拷問を加え、翌朝何食わぬ顔で二人に面会し同情する振りをして二人の信頼を得る。二人は彼に50フィオリーノ払う。Siivestrino は自分が送ってやるからと二人に親戚や友人に手紙を書かせ、4日後偽物の返事をわたすが、いずれも厳しい口調で二人を咎めていて二人を絶望させる。Silvestrino は判事を始めあちこちに手紙を書かせ、一通につき6リブラずつ払わせる。判決が下り二人は20年間牢屋に入れられることになり、また200フィオリーノの持参金で騙した罪で10日以内に Sandra の父 Barone に300フィオリーノ払わないと両手を切り落とすと宣告される。二人の依頼で Silvestrino と Sandra とmonna Simona はフィレンツェヘ行き、Barone と会い二人の手を切ることを許すよう交渉する。その代わり Lapo と Papino の家に隠されていた300フィオリーノを取り上げて、それを Sandra の持参金として Silvestrino の薦める相手と結婚させることにきまる。Lapo と Papino は両手切りを免れたことで Silvestrino に感謝しつつ獄中に残される。Silvestrino は Sandra の兄に成り済まして、彼女をコッレ・ディ・ヴァル・デルサの Giglio と結婚させる。Sandra が Giglio の妻だった14年間は Silvestrino は好きな時にコッレに赴いて Sandra の美酒を楽しんだ。


第五話

 シエナの領域部 Sciano の青年 Caccia はボローニャで長年学んで作詩に優れたが、同郷の Amerigo が20才となり Sciano の娘に惚れ、Caccia に仲立ちしてもらうため郷里に呼び戻す。Caccia は帰郷して猟や御馳走にうつつを抜かしている内に財産を使い果たし、叔父から「Caccia よ、入院させられそうなことをしているね。出してやらないからな」と叱られる。憤慨した Caccia は、「私は病院に入っても大儲けして出て来ますよ」と答える。Amerigo の恋愛も結局成就せず、二人はロンバルディーアヘ向かうが、途中でチヴィタヴェッキア出身の医師として、フィレンツェに立ち寄る。スカーラ病院がどう運営されているかを調べ、出入りの薬屋ポンテ・ヴェッキオの Bindo di Lapo を訪れてフィレンツェには優れた医師がいるかと尋ね、三日熱が流行しているのに薮医者ばかりで患者が増え過ぎて困っている、ロバの毛一本のほうが36人の医師よりも価値があるという返事を聞いて、自分は女王 Giovanna の侍医で今は聖墓巡礼の途中だが、どんな病気でも三日で治せるとほらを吹き、Bindo は患者が増え過ぎて困っていた同病院の院長にそう語る。院長がその名医を呼ばせると、Caccia は院長にいかなる病気でも二日以内で治すとほらを吹く。院長は60人以上いる患者を治してくれたらお礼に100フィオリーノ与えようと約東した。Caccia は直ちに診察を始め、弟子を演じる Amerigo に処方を述べる。最初の患者の脈を取り、「私の言うとおりにすればすぐ治る」と述べ、Amerigo の方を向いて少し内緒めかして声を低くして注意をひきつけておき、明朝の夜明けごろ煮えたぎった油を体内に注ぎ込むよう、また抵抗したり吐き出したりせぬようしっかり縛り付けておくように指示した。次の患者は大鍋の中で沸騰している湯の中にほうりこめと命じた。以下焼き串を腹から背中まで突き刺せとか、痔の患者には真っ赤に焼いた鉄棒を1パルマ(掌)お尻に突っ込め等、次々と残酷な治療を命じた。その晩は食べ物も飲み物も全く与えなかった。患者達はびっくりしてこのまま愚図愚図していたら皆殺されてしまうとあわてて退院した。下男たちは喜んで院長に報告し、院長は喜んで御馳走を振る舞い約束の賞金を与える。二人は早速馬で全速力で逃亡、さらにロンバルディーア、ドイツ、フランスと各地を回り巨額のお金を編し取り、馬と家来達を伴って故郷の Sciano に戻り、狩りや贅沢ざんまいに暮らす。二人が去るとスカーラ病院にはすぐ患者が戻って来たが、院長は恥を世間に知らさぬために黙っていた。お金に困った叔父が100フィオリーノ借りに来たが、Caccia は断って冷やかす。叔父は借金が払えず病院で死んだが、Caccia はその後25年間楽しく生きて金持ちのままで死んだ。他人を叱る前に自分のことを顧みなさい。


第六話

 アシアの Cabar 地方の二つの都市 Soriana と Belfiore が争う。後者の住民で富裕な青年 Gallio が権力者 Mamoreo の娘 Cardina に恋したが、Marmoreo は Gallio を追放し、Gallio は Soriana に逃れ、Marmoreo 打倒のため亡命者の仲間と Belfiore 反攻を計画し、Belfiore  征服を目的とする Soriana の15人の秘密の委員会のメンバー二人と親しくなる。ある年の新年に Soriana から Belfiore に移住した60人と連絡がつく。そのグループの200年前に Belfiore に移住した人の子孫で Marina 門の門番 Saladino が裏切りを約束。Gallio の協力で秘密委員会は Soriana の全軍を率いて突如 Marina 門から攻め込む計画が成り立つ。その前日疲れ切って眠った Gallio の目前に Caldina の幻影が現れて心を改めた Gallio は、Belfiore 侵入に協力するため集まった亡命者仲間に、Soriana の軍隊が留守の間に自分達が Soriana を征服して、その手柄で Belfiore に帰国を認めさせようと提案。Gallio は同志 Turino とともに Fioralto の城へ行き、実力者 Parione の協力を求め、Parione は祖国 Belfiore に戻り議会を開かせ、戦備を整えて敵の襲来を待つ。Saladino は捕えられ自分と22人の息子の生命を助ける条件で協力を約束させられた。Soriana の6000人の軍隊は夜明け二時間前に Marina 門に到着。Gallio が一人門に近付き中に入ると門は閉じられ、夜明けと共に門が開くと、中から武装した3000人が現れる。驚いた Soriana 軍は戦意を喪失して降伏した。60人の裏切り者と15入の秘密委員会のメンバー達は腹部の臍のところを鋸で挽かれて、遺体は4台の車に積まれ、Saladino 親子が御者となって Soriano に運び事情を伝えた。Belfiore では Marmoreo と Cardina を中心に全ての主要な市民の集会が開かれ、そこで Gallio が真相を打ち明けて、市民達の前に膝まづいて許しを求めた。貴族もポポロも彼の功績を誉め称えて、Cardina は泣いた。ポポロの間から Gallio を領主にしようと言う声が上がり、Patrione 達が断る彼に権力を示す金色の棒の束を差し出した。Gallio は Cardina と結婚して領主となり一生幸福に統治した。Soriana の6000人の捕虜は Sabar の墓に閉じ込められて、そのまま壁を塗り込められて死んだ。Soriana は Belfiore に服従し、Soriana の矢と共に腹を鋸で挽き殺された75人の徴として75本の矢の入った1000ドッピアの価値ある箙を Belfiore に贈った。

第一ソネット 敵だった者を信用するな。彼らは常にスパイしていて小さな火も大火となる。

第二ソネット 外人を信用するな。親切に扱っても用心を怠るな。

第三ソネット 外人を信用するな。Saladino は遠い昔 Soriana の出身だったため裏切った。Pugna の遊びの台詞(pp.193-7)略(この当時の遊戯の言葉の記録として貴重である。〕

第一~十二ソネット 恋愛の辛さ、友人に金を貸すな、貪食の嘲笑その他を含むが省略、ヴィーナスの使い(pp.211-3)食後優れた人々と火に当たっておしゃべりした時、恋の喜びは短く苦しみが長いことを話し合う。その夜の明け方の夢に Venus と Cupido が現れ、不当に非難したと叱り、隣人のA. は嫉妬なしに心安らかに恋を楽しんでいると告げた。


第七話

 フィレンツェに Papino と Giovan Bello という二人の親友の若者がいた。Papino が25才で Lauretta を娶ると、Giovan は遠慮して来なくなったので Papino が怒り、Giovan は今まで通り出入りした。Lauretta は自分が Giovan と親しくすると、夫の名誉を傷付けるのではないかと心配したが Papino は取り合わない。Papino が軽い病気に罹った時 Giovan に「友よ、見捨てるな」と言い一方に妻、他方に Giovan を寝かし、病気が治った後も同様に三人で一つのベッドに寝る習慣が定着した。暑いので Giovan が裸で寝ていると、手足以外はシーツに包まれていたが、シーツがテントのように持ち上がり、Lauretta はそれに見とれてしまう。親方の命で Papino が絹の買い付けのためピサヘ出掛け、Giovan に Lauretta の世話を頼んで出発した。Lauretta が Giovan に自分達がどんなに志操堅固か二人で確かめようと挑戦、Giovan は受けて立ち、二人は一緒にベッドに入り、いつもはベッドの端と端とで寝るのに二人の美徳を自慢するため同じ枕で寝てそれでも堕落しないことを確かめることにし、さらにもっと美徳を誇るため抱き合って寝る。自然の本性に抵抗できず取っ手は鳥篭に収まる。何度も繰り返され、朝起きて二人は愕然とした。Giovan は自然の突発事件だとし、Lauretta は夫 Papino のせいだとして二人で昨夜の夢を語り合う。結局自然が与えたものは楽しまなければならないという結論に達し同じことを繰り返すことに決めた。Lauretta は帰宅した夫に Giovan のお陰で名誉が守れたと語り、夫は親友に感謝した。程なく Papino が死に、一ケ月後に Giovan は Lauretta と結婚して生涯楽しく暮らした。

ソネット 前話の Giovan と Lauretta は間違っていない。Papino がそうさせたのだ。二人の若さを考えよ。誰も苦しんではいない。Papino になりたい人はいくらでも友や親戚を得る。



第八話

 ナポリに住むペルージャの亡命者の法学士で法廷弁護士の misser Agapito は、42才で同性愛の趣味があり独身だったが、卑しい庭師の娘で、賢く美貌の誉れ高く、五月一日の祭で女王 Giovanna に気に入られた14才の娘 Isabella の器量と踊りに惚れて、女王の廷臣の misser Oddo の仲立ちで結婚。Agapito は結婚7ヶ月後、18才の学生 Germano に惚れ、教育する振りをして四六時中手元におく。Isabella はそれが気に食わず当初夫を叱るが、やがて学生が自分に恋していることに気付く。程なく Germano の父が死に、Agapito は Gemano が夜を怖がるので一緒に暮らそうと妻を説得して彼を同居させる。ペルージャからの亡命者がローマに集合して反攻を企てる計画が生じ Agapito も出発すると Germano は一度家に戻るが、夫人は女中を使いにやって招き、夫は Germano の父から Germano を息子として扱う約束で引き取ったので、もし家を出られると夫が怒るので自分が困るというと、彼は素直に彼女の許に戻る。食後二人は床に就いて、最初はいつもの通り主人の寝る寝室の中央を空けて寝室の両端で寝るが、Isabella が夫は寛大な人だから何でも夫同様に利用するように Germano に勧め、二人は Agapito の眠る場所を分けあって眠り、互いに抱き合う。二人はその月中そうして暮らしていると夫が戻る。女中が告げ口したので、夫は妻を叱る。妻は意外そうに夫の疑いを否定したが、夫は妻を裁判官(giustizier = 死刑執行人)に告発し Isabella と Germano は裁判所に連行された。裁判官が Isabella の取り調べを始めると、彼女は女王への拝謁を求めて、夫妻と Germano の三人で女王の許に伺候し、女王が Germano に事情を尋ねると Isabella が代わって既婚の婦人達の陪席を求めたので、女王は分別ある既婚婦人達を同席させて彼女に語らせた。彼女は夫と七ケ月暮らしたが彼女が懸命に喜ばせようとしたのに(夫を馬にたとえて表現しながら)すぐ本来の彼の好みに戻り、若い男と付き合い始め、Germano が夜怖くて一人で寝られないという理由で自宅に引き取り自分達の寝室で寝かせたことを語った後、当初彼女は反対したが、やがて夫と共に Germano を子供同様に扱うことにして、夫の留守中も忠実に夫の方針に従っただけだと弁明した。ソドム趣味をほのめかされた夫は、あわてて自分は Germano と肉の罪を犯していないと述べる。Isabella はすかさず自分もそうだと言い、さらに自分は夫が Germano について主張した言葉を信じ、自分も同じ潔白の美徳を立証したくて Germano と一緒に暮らしただけだから夫の非難は不当だと弁明した。この長い演説の後から Germano は短く Isabella の主張に同意した。3人は別の部屋へ連行され女王は婦人達から意見を聞き、それに基づき裁判官に使いをやり Agapito の習慣について更に詳しく調べるように命じ、他の二人も厳しく監視させた。その翌朝裁判官は女王と婦人達宛に文書で Agapito が罪を犯していたことを報告。女達はその結果に基づいて決を下し、裁判官はソドムの徒で同時に中傷家の Agapito を火刑に処した。次の日曜日に女王と婦人達は Isabella と Germano を呼び Agapito の罪が明らかにされたので、汝達二人が夫婦になるべしという判決を下した。さらに Agapito の財産は Isabella のものとなり、Germano は騎士に任じられ女王も参加して祝辞を述べた盛大な結婚式の後に夫婦揃って廷臣に取り立てられて生涯楽しく暮らした。



第九話

 バルレッタに教会法の学位を取る準備中の22才の Puccio と20才の相棒 Gianni がいた。女たらしの泥棒 Puccio は父親から早く学位を取るようせきたてられていたが、隠者の姿をして信者からまきあげたお金を蓄えていた。夜中にピサの船に乗り込み、貧しい隠者の振りをして、船主を騙してただで乗せてもらい、喜捨まで受けてローマに到着。寂しいところに住み着いて隠者の振りをして贈り物をせしめているいる内に、名声はコロンナだけでなくローマ一帯に広がり、一年後には最高の告解師だという評判が生じ、彼らの教団も彼らをあらゆる人に告解師として推薦した。Renzo Parioni の妻の Bianca Rosa は夫が女を囲っていて自分の相手をしてくれないと嘆く。Puccio が何かの罪の報いかも知れないので我慢するように忠告した後、三日後に来るようにと勧めた。Puccio は女が去ると相棒の Gianni と相談。約束の日に夫人が来ると、Puccio は神が彼の祈りを聴き入れられ、彼女の夫が今夜彼の僧房を訪ねて来ることになったので、その夫と一緒に寝れば二人の間には愛と平和が生じるだろうと勧める。Bianca Rosa はその夜指定された時間に化粧して現れ、Puccio は明日の朝まで決して口を利いてはならないと注意して、彼女を僧房に入れ、夫に化けて彼女と交わる。夜明けごろこっそり抜け出し、修道士の姿に戻って夫人を訪問。Bianca Rosa が神に感謝すると Puccio は彼女の夫は来たが、光が射して僧房に入るのを禁じたため、やむなく Puccio 自身が彼女の相手を勤めたと語り、自分達の教団では夫婦の不和に対して女性の救済のためこのように処置が命じられていると説明した。決して人に知られてはならないことと、こういう処置を受けたのは彼女が初めてではないことを告げた。女は満足して Puccio の言葉を信じて受け入れたが少し恥じた。そして結局悪いのは夫であり、もし夫が自分を望まないならば自分も夫を望まないだろう、だから夫が女を捨てたらその時には夫を受け入れると答えた。Puccio は夫人は傲慢の罪を犯しているとたしなめた後、婚姻の義務をおろそかにせず自分達の教団の規則を守るため、今後は frate Gianni も加えて三人で大いに努力しようと忠告し、その後は Gianni も加えて二人が夫人相手に立派に義務を果した。



第十話

 前話の主人公 Puccio の柑捧 frate Gianni の所へ Lello da Porta Latina の妻 monna Galliotta が告解を受けに来て、自分の夫は男ではないと訴えた。Gianni が不思議がって確かめると、男性としての機能が欠如していることが分かる。Gianni は自分達の法令集を調べておくといって帰宅させ、何日か後に Galliotta を訪問し、婚姻の義務は十分に果されねばなず、不足は満たされるべきだと規定されていることを告げ、重罪に落ちないために自分たちも不足分を提供して協力しようと提案した。Galliotta も Gianni が美青年であるのを見て彼の提案に同意し、少し遅れて彼の僧房を訪ね二人は規定に従って義務を巣した。Galliotta は Gianni が気にいり、彼が他の夫人に対しても義務を果そうとしたので、焼き餅を焼いて女達に Gianni を中傷して妨害し、代わりに夫にたっぷりとお布施をはずませ、贈り物もはずんで彼を自分の専属として二人の男子を生んだ。二人の仲は円満で、夫もますます彼に帰依し Gianni も満足、二人の隠者の名声は死ぬまで続いた。

ソネット 若くて野心のある告解師には油断するな。


第十一話

 法王庁出入りの弁護士 misser Marino da Sutri の妻 madonna Alessandra は前話の修道士 Puccio と Gianni に帰依し、夫妻は Puccio を度々食事に招いて歓待した。Puccio は若く美しい夫人に惚れこみ、ある朝 Marino の食事に毒を盛ると、彼は三ケ月後に死亡した。その葬儀が済んだ後に Puccio が未亡人を訪問して慰めると、彼女はまだ20才なので肉欲に悩まされ、兄に頼んで再婚したいと告白した。そこで Puccio は彼女の兄も毒を盛って殺す。その後 Puccio は女に彼女が寡婦のままでいることは神の意志で、それに逆らうと彼女自身か兄の身に不幸が起こることが神によって知らされていたが、人に告げることは禁じられていたと述べたため、Alessandra は彼を予言者だと信じこみその足元に身を投げ出して謝り、今後の方針を問う。彼は天使が彼女に神の意志の実践を望んでいると述べて、その証拠に天使の贈り物として、自分が盗んで溜めていた宝石や真珠の宝を示した。さらに Puccio は天使の勧めとして、老若の争いを避けるため五体満足な30才以下の未亡人ばかりを集めた尼僧院の建設と、肉欲を隠して名誉が保てるよう毎日二度ずつ寝て愛し含うことを提案し、未亡人は全財産を投じて尼僧院を建設して自ら院長となる。菜園に通じる入り口から Puccio は院長室に出入りして楽しみ、他の尼僧たちもしかるべき告解師を見付けて楽しませ、秘密が守られて名声が高まる。ここでは告解をベッドの中で行い、告解師に食事と宿を提供するよう定められていた。半年後噂が法王の耳に入り、法王は調査を命じ真相を知って、秘密の内に火を付けさせ、929年10月4日に24人の尼僧と4人の助修士が共に焼かれた。Puccio と Gianni は生き残り悪事の限りを尽くしながら、936年の10月4日に聖徳の誉れ高く満足して死んだ。

カンツォーネ 初期キリスト教会の清貧と信仰を称え、コンスタンチヌスの寄進以後の教会の堕落を嘆き、美食を具体的な品名を示して非難。聖職者の肉欲とシモニア等を攻撃。


第十二話

 私 Sermini は1424年のペストを避けるため領域部の山中の村に移住し、狩りで気晴らしした。その村には野獣同様の連中が住んでいる。私は教会司祭 ser Cecco da Perugia と親しく付き合い、ミサでは助祭の代役を勤める。村人達は教会を嫌い、たとえ鐘を聞いてやって来てもほとんど中に入らず、ser Cecco は一人ですべての役を引き受け、左手で蝋燭、右手で十字架を持ち、足で楽器代わりの鐘に縛り付けた綱を引くという有様だった。ある日曜日、村人は誰も来ず我々二人だけだったので、ser Cecco は腹を立てて教会の入り口を閉ざして閂をかける。その後鐘を乱打すると、人々は集まるが、入り口が閉ざされていて、いくら叩いても開けられない。我々は怒った村人が戸口で悪口を言うのを全て聞く。閉じたまま我々二人でミサを終わると、司祭は扉へ行き村人の中に入り、彼らに「今日は奇跡が生じた」と語り、天使が扉を閉めて、村人全員を破門すると告げられたと伝えた。その理由はミサにさぼり、十分の一税も滞らせているからだと説明すると、司祭の言い方が余りにも真に迫っていたため、村人達は脅え、男女全員が集まって泣き騒ぎ、どうすれば許されるかと尋ねる。ser Cecco は自分の言うとおりにせよと命じ、男女の告解を行い、払うべきものを徹底的に払わせ、村人が悔い改めてミサに出席するようになり、同時に神父の評判は高まった。

 恋人からも友人からも離れて暮らしていた私は、淋しさの余り次のソネットを創作した。

 動物の言葉ばかり聞かされた私は、彼らの啼き声でソネットを作った。以下延々と鳥や獣の啼き声が記され、これが私の散歩だ。ヴィーナスがいつも以上に私を悩ます。

 ある朝、戸口にいた私は村人のおしゃべりで寝こんでしまうが、 Roncone の太い声で目を覚まし、Roncone と村人達の会話を聞いて記録した。さらに嫌悪と共に村人の不潔な状態について記す(当時の山村の人々の会話の記録やその生活状態は、市民の領域部の住民に対する差別意識の表現の貴重な記録である)


第十三話

 misser Michele Raffacani がプラートのポデスタだった頃、彼の父親はいつも表面は正しく暮らしながら、高利貸を営む。Michele は妻の monna Chiara と前妻との間で生まれた15才の娘 Baldina と共に赴任して、彼女達と同室で寝るが、彼がいつも美男子の若い下男と寝てしまうので、夫人は不満を抱く。そこで同地ヘポデスタの騎士として同行した家来の ser Ugolino da Ugubio に目を付けて、彼に字の書き方を教えて欲しいと頼み、夫が眠った後で騎士の寝室を訪れると、騎士は奥方のために字を教え、奥方は短い時間内で立派に字を学び、更に二人は親密となり一緒に寝るようになり、関係は二ヶ月続いた。ser Ugolino はポデスタの娘にも字の教育がしたくなり、monna Chiara は望まなかったが強引に約束を取り付けた。monna Chiara は自分もせっかくのこれまでの勉強の成果を忘れたくないと言って、継娘と一晩交替で勉強を続けることにした。ところが二人を相手に教育に努めている内に、ser Ugolino の筆が弱って来たので、彼も自分の代役の起用を考えた。たまたま友人でプラートの公証人の ser Giovanni da Prato が Baldina に恋しているのを知り、彼に代役をまかそうと決心、木曜の夜 ser Ugolino と ser Giovanni が Baldina と三人で食事して、その後『神曲』を読み始める。ser Giovanni が朗読している間に ser Ugolino が気を利かして立ち去る。残された ser Giovanni が3章まで読み、続けて4章を読み始めたので、Baldina は退屈していらだち、勝手に monna Chiara の部屋へ行って眠る。ser Giovanni は4章を読み終えて、 Baldina が来るのを待つが、ついに現れないのでからかわれたと思い、怒って去る。この話を私はシエナで学んだことがあるので親しくしていた ser Giovanni から聞いて知った。彼が自分のことを棚に上げて運命を非難するのを聞くと、おかしくて口も利けない程だった。そして彼に答えるために四行22節の詩を作った。それは恋はなによりもチャンスをつかむべきで、一度逃がすと二度と戻って来ない、という内容である。


第十四話

 シエナの Salimbeni 家の青年 Anselmo は Montanini 家の娘 Angelica に恋した。彼女の実家はシエナの名家だが、両親が死んで没落し、家一軒と地所一ヶ所しか残らず兄 Carlo と二人だけが残されていた。Anselmo は Angelica に執心して、(彼女を得るためなら)1000フィオリーノ出しても良いと申し出た。ところが Calro は喧嘩して大市民を傷付けて裁判にかけられ、15時間以内に1000フィオリーノの罰金を払うべし、もしそれができなければ右手を切るという宣告が下り、Carlo はやむなく財産を売ろうとするが、1000必要なのに当てにしていた買い手は足元を見て800しか払おうとしない。結局 Anselmo が同情して1000で買ってやり「あなたは自由です」と釈放してやる。Anselmo に恩義を感じた上に、Anselmo が Angelica を恋していることを知っていた Carlo は、Angelica に Anselmo に対して何もしない訳にいかないと述べた後、Anselmo に会い、お礼に Angelica を引き取って下さいと申し出た。Anselmo は嬉しさの余り気を失いそうになり、目をつぶって「好きなようにして下さい」と答えた。そこで Car1o は妹を説傳し、Angelica は覚梧を決めて Anselmo の家に向かう。Anselmo は丁重に彼女を迎え入れ、「私はこんな宝には値しない。自分の満足よりもあなたの名誉を重んじなければならない」と述べて、「隣人の messer Cino Berarducci に頼んで仲人をしてもらう」と語って別れた。翌朝 Anselmo が隣人に仲人を頼むと、親戚でもある Cino はもっと有利な縁組を勧めた。だが Anselmo は途中で遮り断ったので、Cino も同意して San Donato 教会で結婚式を挙げ、Anselmo は公証人 ser Giuliano に「私は持参金は要らない」と言って書類を作らせた。一ヶ月にわたり盛大なお祝いが開催され、Anselmo は無事 Angelica を娶り、三人は幸福に暮らし、市民達の間で礼節の最高の例と認められた。


第十五話

 ピサの大市民の若者 Sismondo は Lamberto Brunelli の娘 Isotta と結婚した。婚約後、家に迎えるまで二年の間があり、その間 Sismondo は時々 Isotta の家に通う。父 Lamberto は隣人の Rossetto Ranieri を連れて船で商売に出掛けて留守で、Isotta の母は病気がちなので、Isotta は姪(長兄の娘)の Angelica および Rossetto の妻 Cassandra と同室で眠ることにしていた。女たちは糸を紡いだり布を織ったりして暮らす。Sismondo は婚約者の所で出会った Cassandra も Angelica も美人なので気に入り、まず Cassandra に自分は Angelica に恋しているという。Cassandra は Sismondo の深刻な様子を見て自殺されては困ると思い協力を約束。そこで Sismondo はこうしたことに不慣れな Angelica を慣らすため、今度は Angelica に対して自分は Cassandra を恋していると打ち明けても構わないかと Cassandra に尋ね、その了解を得て Angelica にそのように打ち明けて、彼女からも協力の約束を得た。ここまでの準備で、二人の女がいずれも言葉に弱いと見抜いた Sismondo は、ピサ随一の美青年で性格も良く音楽に優れている等、多くの美点に恵まれ、女性なら誰でも愛人にしたがる20才の若者 Gentile Buonconti の協力を求め、彼に、好きな女ができた様子で女たちの住まいの界隈を往復してもらい、彼に Angelica にも Cassandra にも平等に慇懃に振る舞い、相手を問われた時には「最も美しい人」とだけ答えるように頼んでおく。Gentile がその通りにすると Angelica も Cassandra も互いに嫉妬して、彼が目指している相手が誰なのかを知りたがる。Sismondo は彼を連れて女達を尋ね、Gentile がソプラノ、自分はテノールでバッラータを歌う。Angelica が彼に対して頼んだので、彼は Gentile に思う相手を尋ねに行った振りをして、翌日「彼は自分は死ぬと嘆いていたが、より美しい方としかいわない」と報告し、二人は嫉妬して相手の方が美しいと誉め合う。Angelica は Sismondo に二人の内どっちが美しいかを判定してほしいと頼む。Sismondo は布地が見ただけでは判定できないように、女性も触ってみないと分からないと言い、午後二人をベッドに寝かせて、自分が間に寝て審判を行うことにし、Cassandra の家のベッドで三人が裸で横たわり、Sismondo はまず目と手と歯と舌で Angelica を味わい、次に Cassandra を味わうが、優劣が決まらず、続いて暗いところで全身で抱いてみても同様だったので、Gentile 自身で試してみないと判定はできないという結論に達する。そこで Gentile を呼びにやったことにして、彼自身が Gentile に化けて女達の味見を試みると、二人も楽しく義務を果した。二人から成績を聞かれた彼ははっきり分からなかったと答え、二人は更に機会を与えるが、 Sismondo は返事を保留したまま楽しみ続ける。しかしついに「やはり本物の彼に判定を下してもらった方が良い」とこれまで自分が替玉を務めたことを白状し、本物の Gentile を連れて来ることを約束し、Gentile にも全ての事情を打ち明けた。かくして本物の Gentile が Sismondo の手引きで二人を比較するためにやって来て、四人が一つのベッドで寝て慎重に吟味し、その後これら破廉恥な四人は機会があり次第、どちらの女が優れているかという比較研究を行った。Cassandra の夫が戻った後でもこの研究は続けられたが、結論はついに出なかったという。


第十六話

 ローマの稼ぎの良い教会にいる ser Pace という司祭がいて、Colle di Valdelsa 出身の少年 Masetto を雇う。契約に違反すれば25フィオリーノ支払うという条件で終身 ser Pace に仕えるという契約を結んだ。契約の担保として Masetto は司祭に20ドゥカートと7オンチャの銀の宝物つまり小さなタカを預けていた。司祭は少年に明日4人の聖職者が訪問するから12リブラの魚を買って料理し、ソラマメを添えるように命じた。少年が一人に2個ずつのソラマメを添えて出したので、司祭はその夜少年を叱るが、少年は言われたとおりにしただけだと弁解した。翌朝は塩漬肉と新鮮な魚にエジプト豆を添えるように命じると、少年は半スタイオ(1スタイオとはトスカーナで24.36リットル)のエジプト豆を全部使い3つの深鍋で煮たので、司祭は仲間にそれを見せて Masetto を叱った。少年は再び言われたとおりにしただけだと弁解した。司祭は怒り、仲間と外出する時、入り口に鍵を掛けて「お前は今日我が家をきれいにしろ。そして出てうせろ」と命令した。少年が「入り口に鍵を掛けてそんなことを言うなんて。一体どこから(出ましょう)」と尋ねたので、司祭は「窓から」と命じた。そこで Masetto は窓から食器類を始め、家具や小麦粉の袋、鶏小屋の中身などを次々と投げ出して台なしにしてしまう。4人の神父と帰宅した司祭はこれを見てびっくりすると、少年は「言われたとおりにしただけです」と言う。司祭が「出て行け」と言い、棒で殴ろうとすると少年はうまくかわし、神父達に「今見たことの証人になって下さい」と頼んで逃走した。たまたまセナトーレの騎士がそこに行き会わせたので、騒ぎを見て二人を捕え、4人の神父も証人として同行した。 Masetto はセナトーレに裁判を求め、Masetto が巧みに司祭達の美食と贅沢を非難し、セナトーレは ser Pace を憎んでいたので、裁判官に命じて裁判を行わせ、判事は ser Pace に預けた担保を返還した上、25フィオリーノを少年に対して払うよう司祭に命じた。Masetto はそれらの財産と共に意気揚々と故郷に向かった。

 シエナの領域部の Sciano d'Ombrone 出身の若者 Pela がこれを聞いて ser Pace に同情し、問題のお金を取り戻してやるからと、正確な金額を確かめる。出発の前夜に Colella da Sutri という人物より Ventura da Scianoという人物に宛てて書かれた、支払いが遅れていた借金45スクードを20ヴェネツィア・ドゥカートと25ローマ・ドゥカートで相手の息子 Salvi の手に託して支払うことと、相手の娘の結婚式のお祝いに小さな銀のタカの宝を送ることを記した手紙をでっちあげて Masetto の後を追う。Bolsena の宿で追い付きそこで泊まる。Pela は Sutri 出身の若者 Salvi としてMasetto に会い、Acquapendente への道を尋ねて信用させ同行することにする。Acquapendente で同じ宿で泊まった翌朝、同地のポデスタに眠っているうちに同行者にお金と銀の宝を盗まれたと訴える。Masetto は捕えられ拷問にかけられ、Pela の言い分と手紙の内容が一致しているので Salvi こと Pela が信用されてお金と宝を引き渡されたが、たまたまポデスタはせん痛を病んでいたので、取り調べを公証人の ser Piero da Farnese に任せると、欲深い公証人は金を巻き上げようと二人を監獄へ入れた。Masetto は手紙が偽だと言い、Colella da Sutri に三日以内に出頭させてほしいと要求、Pela が苦境に立つが、ポデスタの家来で看守役のひとり Schiavetto が Pela と Masetto の間に入り、三晩目に二人はその手引で脱獄して看守も含め三人で逃げる。お金と宝をもつ Pela が足をくじいて歩けない振りをすると、Masetto はまた捕えられるのを恐れ、先に行く。先行した Masetto は Pela がシエナ方面を目指していたと考え、自分がやられたのと同様の Viterbo からピサ宛ての手紙をでっちあげて、Radicofani のポデスタに訴え、ポデスタは四人の家来に探させたが Pela も Schiavetto も現れなかった。二人は反対方向のローマヘ行き、ser Pace に取り返したものを渡すと、彼はお金だけ受け取り、宝を二人に与えた。この話が Brancacci 枢機卿を通して法王 Gregorio XI の耳に入る。法王は全枢機卿にコッレ人とシャーノ人のいずれがより悪いかと尋ねたが、その後この法王は各地を転々とした後、不運にも法王の地位を失ったので、ついに結論は得られず、実力伯仲の悪人同士が好敵手として、お互いに「おまえがコッレ人ならわしはシャーノ人」ということばが生まれたという。

カンツォーネ(ただし作品自体に対してバッラータと呼びかけている) Ⅰ 恋した娘が苦しみを訴え人々に忠告を求める。

カンツォーネ Ⅱ 恋する少女が美少年を賛美する。目、歯、肩、腕、胸等を賛美。

バッラータ Ⅰ 愛の不実を嘆く。

バッラータ Ⅱ 恋する乙女が愛を称える。

ソネット Ⅰ 一時期静まった恋の苦しみが再び激しくなった。

ソネット Ⅱ 苦しみの余り乙女は死を決意。原因となった者は喜んで見ているだろう。

ソネット Ⅲ 乙女が青年の体の部分や美徳を列挙して賛美する。


第一部終わり


『レ・ノヴェッレ(Le Novelle)』の要約

・第二部(第十七話〜第四十話)



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