第13号・内容紹介



百万遍 Hyaku-man-ben 第13号

 2024年09月06日







○ ジェンティーレ・セルミーニの人と作品 & 『レ・ノヴェッレ(Le Novelle)』の要約

On Gentile Sermini and his works / the digest of Le Novelle

(米山  喜晟)

  1.  ジェンティーレ・セルミーニの人と作品

    & 『レ・ノヴェッレ(Le Novelle)』の要約(1〜16)

  2.  『レ・ノヴェッレ(Le Novelle)』の要約(17〜40)



 イタリア中部の都市シエナの作家、ジェンティーレ・セルミーニは、シェークスピアの『ロメオとジュリエット』の元ネタとなった作品を書いたとして、国外ではいささか有名だが、本国ではあまり知られておらず、前号で採り上げたジョバンニ・セルカンビ(1348〜1424)と同様、「悪評」にもさらされてきた。しかし、彼が1424年に執筆したといわれるノヴェッラ集『レ・ノヴェッレ」には、一世代前のセルカンビにも負けず劣らぬ奔放な好色譚が満載で、ある意味、当時の活気あるイタリア社会の実相を生き生きと描いている。今回は、そこに収められた40編のノヴェッラの要約を掲載する。



【執筆者自己紹介】

 米山 喜晟(よねやま  よしあき): 1937年奈良県生まれ。勤務先は、峰山高校,京大(非正規職員)、京都産大、大阪外大、桃山学院大などを転々とした。研究テーマは、フィレンツェ史、イタリア・ノヴェッラ史、ムラトーリ研究、主著は『敗戦が中世フィレンツェを変えた』。





○ 語り手は信用できるか:ホーソンの射程(7

 第6章 森のなかのリンチ

  フォレスト・カーターの場合(3)

Can the Narrator Be Trusted?  〜 The Shooting Distance of Hawthorne's Narrative  7  

 Chapter 6    Lynch in the Forest :  Forrest Carter’s Case 3

(岩田 強)


【執筆者による内容紹介】 

 赤ん坊の人種差別家などいるはずがない。ヒトが人種差別家になるには、かならずなんらかの契機・経路がある。フォレスト・カーターの場合、そうした契機・経路はどんなものだったのか、ダン・カーターの『KKK団員の仮面をはぐ』を手がかりに、その変貌の現場を突きとめたい。



【執筆者略歴】

 岩田 強(いわた  つとむ):  1944年東京生まれ。京都大学でアメリカ文学 (主として19世紀小説)を学び、和歌山大学、山梨医科大学、京都光華女子大学で教鞭をとる。著書『文豪ホーソンと近親相姦』(愛育社)、訳書 カイ・エリクソン『あぶれピューリタン』(現代人文社)(村上直之氏との共訳)




○ Ichirō Nishikawa (1930-1995)


(Teresa  Ciapparoni  La  Rocca ・ 稲垣豊典訳




○ 「講義ノートの周辺」(3)

My Lecture Notes and Others 3 


    「Part II  情報と社会」                            

        4. コンピュータ

        5, コンピュータと通信

                      6. 社会への影響



○ 「正史を訪れる」(2)

On-site Inquiries into the Authorized Histories 2  

              

     Part I  古代以前

      三章  縄文・弥生の遺跡の地勢考察

     Part Ⅱ  大倭王と倭女王(後漢書と三国志の時代)

      四章  東アジア概観 (中国と東夷諸国)                         

      五章  倭奴国と邪馬臺国(後漢書の時代) 

(森 隆一)


【執筆者による内容紹介】


「講義ノートの周辺」Part II 情報と社会 では、4. コンピュータ、5. コンピュータと通信、6. 社会への影響 を準備した。

 5章までは、情報とコンピュータに関して、歴史的経緯をふまえて、解説することを目指した。これは、‘歴史は良いが、仕組みはダメ’とのコメントに依るものである。標語的なサブ・タイトルを‘パソコン関連のパンフレットを読める’とした。また、‘数理科学科邂逅の科目で、唯一定理の現れない講義’と言っていた。

 6~8章では、著作権・個人情報などを扱う。当時は資料も少なく、関連する法律も整備中であったこともあり、OHP原稿は項目だけで済まし、講義をしていくうちに少しは描き直した。これを見返すと、なにを話していたかを殆ど思い出せないところも少なくない。ということで、一部は削除し、新たに思いつくことがあれば書き加えること程度に止めざるをえない。


「正史を訪れる」では、Part II 大倭王と倭女王 (後漢書と三国志の時代)、四章 東アジア概観 (中国と東夷諸国)、五章 倭奴国と邪馬臺国 (後漢書の時代) を準備した。

 四章は「正史を彷徨う」5章に手を加えたもので、倭が登場するまでの中国と東夷について、興味に基づいて、記事を拾い集めたものである。標語的には‘図 4.7 2世紀の東夷 に馴れる (あるいは、異議を唱える)’ようになることを目指した。

 五章は「正史を彷徨う」1章である。

 正史の引用と訳文の書式を変更した。フォントを本文と同じ16ptとし、ダブル・クォーテーションで“訳文”とした。引用文と原文のフォントは太字の14ptに変えた。

 また、三章(12号)節番号・図番号の間違いを訂正した差し替え版を準備した。


【執筆者自己紹介】

 森 隆一 (もり たかかず) :  1945年愛知県にて生まれる。1968年京都大学理学部数学科卒業。1970年同大学院理学研究科数学専攻終了。京都産業大学に勤務し、2015年定年退職(免職)。数学では、初めは確率論を、後半は計算可能性解析を研究してきた。




○ 銀幕の反照         Reflection from the Silver Screen     

                                                 (福島 勝彦)


 蛇足になるが、「銀幕の反照」とは、映画館の明るいスクリーンの光が観客に当たって、その姿を浮かびあがらせているさまをいう。さて、そのような作品に仕上がっているかどうか?


【執筆者自己紹介】

 福島 勝彦(ふくしま  かつひこ)1945年8月生まれ。大阪市出身。ちょうど戦争が終わったときに生まれ、以後79年間、「戦後」の時代とともに生きてきた。京都大学文学部卒業。そのあと、中高一貫の私立男子校に39年間勤務した。現在、作品ホームページ「二十世紀作品集」を開設中。http://happi-land.com/こちらもご覧ください。




○ 謎ときマルコ・ポーロ(11)

Solving the Mysteries of Marco Polo  11


   26-1 マルコ・ポーロの正体(1)商人マルコ 

         26-2 マルコ・ポーロの正体(2)密偵マルコ

         26-3 マルコ・ポーロの正体(3)使者マルコ

         27    ナタン・クビライ― その善政と善行 ―



○ マルコ・ポーロ・生涯と伝記(2)

The Life and Biographies of Marco Polo 2

    

               12.   中世ピーサ年代記1(増補改訂版)

     13.   中世ピーサ年代記2(増補改訂版)




○ ニコロ・ディ・コンティ旅行記 4  (ラムージォ版)

Nicolò di Conti’s Travels 4

 

   5.2  フラ・マウロ図・II 沿海部:東海から北洋



(高田 英樹)



 15世紀前半、ポーロに続いて25年(1419~44)の長きにわたって東方に旅したもう一人のヴェネツィア商人ニコロ・ディ・コンティ(1395~1469)旅行記の全訳。テキストは、教皇エウゲニウス4世の命によりその秘書官ポッジォ・ブラッチォリーニに語ったものがポルトガル語訳され、それからラムージォがイタリア語に訳して『航海と旅行』に収めたものである。



【執筆者自己紹介】

 高田 英樹(たかた ひでき): 1941年兵庫県丹波生まれ。京都・ピーサでイタリア語を学ぶ。ローマ・京都・松山・大阪で留学生に日本語を教える。今宝塚・丹波で再びイタリア語を勉強している。




同人CD-ROM『百万遍』第13号・編集後記


 もうこの「後記」の冒頭に掲げなくてもよいと思えるぐらい「コロナ」も沈静化したと云ってよいのだろうか。町なかでも「マスク」姿が激減してきた。もっともそれは、コロナが怖くなくなったというより、暑くてマスクなどしておれない、ということかもしれない。それほど、今年は厳しい「猛暑」が続いた。というより、今も続いている。その原因として「地球温暖化」が挙げられることが多いが、その根拠もどれほど確かなものかは不明である。

 そんななか、「南海トラフ地震注意報」なるものが気象庁から出された。近いうちに必ず起きると云われてはいても、いつごろなのか曖昧だったが、「注意報」が出たのははじめてとあって、人々は浮き足立ち、水やら、米やらがたちまち品薄となった。今のところ、その注意報は「空振り」のようだが、予想されていた地震が起こらなかったといって怒るものはだれもいない。ひとまずホッとするまもなく、こんどは台風が次々とやってきた。夏の台風は迷走して、同じところにいつまでも滞留して大雨を降らせ、思いがけない大きな被害が出た。秋が深まると、台風の季節も本番となるので、この先が思いやられる。

 そのような自然の災厄に目を奪われていたが、人間によるウクライナとガザの災厄はやむことを知らない。戦地が限定され、そこへ世界中から武器弾薬が送り込まれて大量消費されるのだから、現地はたまったものではない。日常の悲惨は増すばかりだ

 ハマスの「先制」に対する「報復」を、いまや国際法に違反した「非人道的な大量殺戮」のレベルにまでエスカレートさせているイスラエルを、先日、長崎市が8月9日の平和祈念式典に招待しないという措置をとったところ、「イスラエルをロシアと同列に置くのはけしからん」と、アメリカのみならず、いわゆる「G7」のすべての国が、大使級の派遣をとりやめたという。世界はそんなことになっているのか。そんな「G7」をありがたがって、わが国も加わっているのか。そんな国々に倣って、いつの間にか「軍事費」を倍増すると「閣議決定」で決めてしまったこの国の政府。いやはや、愚痴が溢れてとまらないこの夏であった。

(2024.09 福島記)



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