百万遍 Hyaku-man-ben 第2号
2019年2月27日発行
内容紹介
○ イタリア学事始め The Dawn of My Italian Studies
(池田 廉)
日本の「イタリア学」草創期のパイオニアのひとりである筆者が、戦争末期から現在に至る、70余年の研究生活を振り返った回想記。関連するイタリア語論文3篇を付録する。
○ 『教区司祭アルロットの名言と冗談』の輪郭 The profile of Mottoes and Jokes of Piovano Arlotto
(米山 喜晟)
前号で「イタリアの一休」として紹介された教区司祭アルロットの言行録は、16~17世紀のイタリアで驚異的なロングセラーとなった。今号では、その『教区司祭アルロットの名言と冗談』の内容、構成などをくわしく分析する。
http://maga.happi-land.com/furyumutan1.pdf
「風流夢譚」と中央公論事件(1) Furyu-mutan (An elegant dream vision) and CHUOKORON Incident
(田淵 晉也) 【執筆者による内容紹介】
本論のタイトルは『’60年代日本の文芸アヴァンギャルド(余話)・ 「風流夢譚」と中央公論事件』であるが、今回は、「風流夢譚」にも中央公論事件にもほとんど関係ないものである。この執筆の動機には、’60年代日本を五感で体感した者として、その体感の記憶を整理し確認しておきたいということがあった。それは、自分自身の問題であると同時に、現在の日本のありさまが初源的に凝縮されているようにおもうからである。
そして、’60年代初年度に書かれた深沢七郎の『風流夢譚』と、これを契機におこった中央公論事件は、この時代のひとつの様相を考える絶好の手がかりになると考えた。
というようなわけで、「『風流夢譚』と中央公論事件」は、’60年代を確認するためのものであるから、どうしても、この小説が書かれ、この事件がおこった背景を見極めておくことが、必要不可欠となる。それはむしろ、読むひとのためというより、考える自分のためである。
さいわい掲載するのは、商業誌ではなく同人誌である。また、本号の同人・執筆者の半数は、’60年代の筆者が、京都の「百万遍」で知りあった方々ばかりであるから、このような形式のものでも許していただけるかと勝手におもった。
ただし、もちろん今回は、前置きであって、次号からもっと本論に近づくつもりである。しかしここでも、形式だけでなく内容的にも、商業誌ではけっして許容しないものにふれるつもりである。これもまた、’60年代にあったひとつの風潮の気抜けした再現になるかもしれない。
(田淵 晉也)
【執筆者による内容紹介】
本稿は、「あとがき」にも書いたが、第二次大戦後に隆盛をきわめた日本の芸術アヴァンギャルドの動向をまとめる途中で出てきたものである。その一端として画商について調べたものがあった。19世紀以後の近代の芸術や文学は、画商や出版社と不可分の関係にあり、その関係を抜きにした考察は、机上の空論になるようにおもっているからである。
一方、昨今の日本のアートシーンでは、経済不況を反映して、画商の閉店、縮小、経営方針変更があいつぎ、NHKや民放のテレビでさえ、画商の手先のような美術番組つくりに動員されているような感がある。そうした状況を見聞きするにつけ、20世紀の上昇期にあった画商について、調べたことを公開しておくことは、なんらかの意味があるとおもったから、このようなかたちで発表してみた。もちろん’60年代の日本の画商についても若干の資料はあるが、いろいろ差しつかえもあろうかと、今回は国外だけにとどめた。
○ 語り手は信用できるか ~ ホーソンの射程 Can the Narrator Be Trusted? 〜 The Shooting Distance of Hawthorne's Narrative
(岩田 強)
【執筆者による内容紹介】
19世紀のアメリカ人小説家ナサニエル・ホーソンは「自分自身や家族のことは話したがらない性分」を自認していたが、そのいっぽう作家である以上はげしい告白衝動ももっていて、この矛盾を解決するために編み出したのが、独特の遠回しな語り口だったのではないか。そしてこの韜晦的な叙法は、直接間接に後代の作家たちに受け継がれてきたのではないか。本論はこのような問題意識にたって、ホーソン、ジョン・アプダイク、ジョイス・C・オーツ、フォレスト・カーターを論じていく。
○ A Brief Note on the Origins of Banko Ceramics 「萬古焼の起源についての短いノート」
(Daniela Sadun)
三重桑名の豪商沼波五左衛門(弄山、1718~77)に始まるとされる萬古焼の起源について、特にその師匠とされる京都の尾形乾山(光琳の弟、1663~1743)との関係をめぐって考察したもの。
○ La lettera di Gian Luigi Rondi 「ジャン・ルイージ・ロンディの手紙 The Letter of Gian Luigi Rondi」
(Teresa Ciapparoni La Rocca)
1951年ヴェネツィア映画祭で金獅子賞を受賞した黒澤明の「羅生門」、その選考の内幕を明かす一人の委員の手紙の紹介。
○ L’Unità d’Italia「イタリア統一 The Unification of Italy」 (Paolo Lozupone)
1860年代のイタリア統一の歴史を、古代ローマ帝国以来のヨーロッパの歴史の中で、日本人向けに分かりやすく講義したもの。
○ Adriano Visconti, Asso dei cieli 「空のエース、アドリアーノ・ヴィスコンティ Adriano Visconti the Ace」
(Cristina Di Giorgi)
第二次世界大戦で空軍のエースと謳われながら、戦後パルティザンに殺されたアドリアーノ(1915~45、中世以来の貴族ヴィスコンティ家の末裔)の生涯とその事件。
「明治国家」の正体 The Real Nature of ‘Meiji Dynasty’
(福島 勝彦)
小学校から始まって、中学、高校、大学など、各所でめぐりあった図書館と本に関する回想譚。
徳川幕府を倒して、新政府を起ち上げた彼らはどのような国家をつくったのか。彼らがつくった「明治憲法」を分析して、その正体に迫る。
○ 謎ときマルコ・ポーロ(2) Solving the Mysteries of Marco Polo 2 (図版を増やすなど、CD-ROM版を一部改訂しています)
(高田 英樹)
『東方見聞録』で有名なマルコ・ポーロ。実は、謎の多い人物である。
その書はだれが書いたのか? 本当に東方に旅したのか? そもそも、実在の人物なのか?
残された数多くの「写本」から、代表的な7つの版を読み比べ、その謎に迫っていく。
○ 妻を持つべきか ~ 風雅な妻帯論 Should We Have a Wife? 〜 An Elegant Essay on Marriage
(ジョヴァンニ・デッラ・カーサ、池田 廉訳)
「国家を維持していく上で結婚は必要であろうか」「一人の同じ女性と生活習慣を共にするのがどれほど辛いことか」「美女といえども、妻となればたちまち煩わしい」「妻は夫をつねに尻に敷き服従させ、ありとあらゆる手段で当たり散らし、夫をうんざりさせる」「行き過ぎた愛欲に走る女性と、その罪」など、諧謔的なアンティ・フェミニズムの系譜を引き継いだ、ルネサンス期イタリア文学特有の、皮肉で滑稽な論考。
【原作者紹介】
ジョヴァンニ・デッラ・カーサ: 1503年、フィレンツェ近郊に生まれる。ボローニャとパドヴァの大学で学んで、聖職者の道を歩む。1533年、ローマに移り住む。この頃、本書『妻帯論』を執筆。1537年、教皇庁内局に。1540年、トスカーナ徴税官。1544年、教皇庁ヴェネツィア駐在大使。1551年、公務から身を引き、修道院に引きこもって、創作活動に専念。代表作『ガラテーオ』などを執筆。1555年、新教皇パウルス4世に請われて、外交顧問に就任するも、1556年、ローマにて歿。
○ マント Il mantello
(ディーノ・ブッツァーティ、ブッツァーティ読書会・太根 紀子訳)
○ 魔法の背広 La giacca stregata
(ディーノ・ブッツァーティ、ブッツァーティ読書会・稲垣 豊典訳)
【原作者紹介】
ディーノ・ブッツァーティ(1906~1972): 20世紀イタリア文学を代表する作家のひとり。幻想的、不条理な作風から「イタリアのカフカ」と称されたこともあるが、短編小説の名手としても有名である。
○ イル・ミリオーネ・マルコ・ポーロ写本の伝統(2) The Tradition of the Manuscripts of Marco Polo 2
(ルイジ・フォスコロ・ベネデット、 高田英樹訳)
マルコ・ポーロ写本についての最高の基本文献。諸版の異なりは、従来オリジナル(1298年)に後に誰かが書き加えたため、とされていたのを、最初全て含んでいたオリジナルが後に要約・省略されたため、との新たな説を立てた。
同人CD-ROM『百万遍』第2号・編集後記
前号、この欄で、年2回発行、次号は2019年2月頃を「目指して」いる、と高らかに宣言していた。こういう予定はえてして遅れるのが通例だが、なんと、きっちりと2月に発行の運びとなった。ひとえに、牽引車たる高田英樹氏の気合いと頑張りのたまものと思われる。
今回、それに呼応するように、3名の強力な執筆者が加わり、この同人CD-ROMに、大きな幅と厚みがうまれた。3号以降につながる内容のものもあり、今後がさらに楽しみである。
(2019.2 福島記)