第3号・内容紹介


  百万遍 Hyaku-man-ben 第3号 

2019年9月8日発行





内容紹介



○ ペトラルカの詩心   Petrarca’s Poetic Sentiment  

    付・ペトラルカのコンスタンティヌス大帝観 Petrarca’s View of 

    Constantine I 

                         (池田 廉)


 ルネサンス・イタリア文学の巨匠、フランチェスコ・ペトラルカの代表的詩集『カンツォニエーレ』に収められた「ソネット138」の中の、やや意味不明で、古来さまざまな解釈が提唱されてきた詩句について、わが国のペトラルカ研究の第一人者である著者が、文学的、語学的見地から、詳細に論じた論考。




○ 「モンタペルティ現象」試論  An Essay on the Montaperti  

   Phenomenon 

(米山 喜晟)


 第一章 「モンタペルティ現象」とは何か

 第二章 二つのモデルから見た「モンタペルティ現象」発生の条件

 第三章  「モンタペルティ現象」に関するいくつかの問題点



 イタリアの都市フィレンツェが経済的に繁栄し、ダンテ、ペトラルカ、ボッカッチョ、ボッティチェッリ、ダ・ビンチ、マキァヴェッリら、数多くの、ルネサンスの天才たちを生みだして、ヨーロッパの「近代」の扉を開いたのは、1260年、シエナとナポリに大敗した「モンタペルティの戦い」のあとであった。

 「敗戦」が、その後の「発展」に決定的な影響を与えるという「歴史的事実」が存在するのではないだろうか。第二次大戦で壊滅的な敗北を喫しながらも、その後、空前の「繁栄」を得ることができた、この日本のケースとも比較対照させながら、その歴史の「メカニズム」を追求したユニークな論文。




○ 語り手は信用できるか ~ ホーソンの射程

   第3章 谷間から湿地へ 

  Can the Narrator Be Trusted? 〜 The Shooting Distance of 

  Hawthorne's Narrative  Chapter 3    From Dale to Marsh 

(岩田 強)


【執筆者による内容紹介】 

 ジョン・アプダイクは、1975年に、『日曜日だけの一ヶ月』という小説を出版しているが、この作品は、ホーソンの『緋文字』を下敷きにしたもので、また、谷崎潤一郎の『鍵』の影響も看取され、まさに、ホーソンの「信用できない語り手」を実作上で試行している感があるものである。




○ 正史を彷徨う Part 1  Wandering about the Authorized   Histories  1

        1. 後漢書の時代 (倭奴国と邪馬臺国)

    2. 三国志の時代 (女王国と邪馬壹國)

    3. 晋書の記事

 (森 隆一)


【執筆者による内容紹介】

中国の正史・三国史記・日本書紀から、日本の古代史を考えていこうという目標の第1歩として、後漢書卷八十五東夷列伝・三國志魏書三十烏丸鮮卑東夷伝・晉書卷九十七四夷伝それぞれの倭人条を眺めて、理解できた記事を基に、これまで考察したことをまとめたものが本稿である。作業的及び経費的理由により、web で得られる資料を主に用いた。本稿を執筆に至った経緯はエピローグに書いておいたが、筆者にとっては、数学以外では初めての著作である。




○ I “Giacimenti Culturali”   「埋蔵文化   The Cultural  

               Deposits  

Paolo  Lozupone)

 

 古代ローマから近代イタリアまで、国中が博物館といってもいいほど膨大な文化財を有するイタリア。それを求めてやって来る膨大な観光客。では、それら文化財の維持・保存の費用と観光収入はペイするか。ごく少数の有名な観光地を除けば、大部分の文化財は訪れる人もなく埋もれたままで、その維持には多額の経費(税金)がかかる




○ Teseo Tesei     Eroe della Marina Militare Italiana 

  「イタリア海軍の英雄、テセオ・テセイ Teseo Tesei,  Hero 

   of Itarian Navy

Cristina  Di  Giorgi


 前回の空のエース、アドリアーノ・ヴィスコンティに続いて、低速魚雷を開発して第二次世界大戦で活躍したイタリアの海の英雄テセオ・テセイの功績と生涯。先般出版された同名の自著の要約と紹介。




○    On Summers                        

 (福島 勝彦)


 8月生まれだから、夏には強いはずだ。そう自分に云い聴かせて、真夏の暑さを凌(しの)いできたことがあったが、近年、それが口実ではなく、現実になりつつあるのを感じている…




○ 謎ときマルコ・ポーロ(3)  Solving the Mysteries of 

   Marco Polo 3


             10「九曲溪」      11「水西大橋」        12「京兆府」 

           13「苑成大」    14「司祭王ヨハンネス」

(高田 英樹)


 『東方見聞録』で有名なマルコ・ポーロ。実は、謎の多い人物である。

 その書はだれが書いたのか? 本当に東方に旅したのか? そもそも、実在の人物なのか? 

 残された数多くの「写本」から、代表的な7つの版を読み比べ、その謎に迫っていく。




○ ディーノ・ブッツァーティ短編選(3)

           Selected Short Stories of Dino Buzzati  3

  「飛び降りっ娘 A Girl Who falls』

(ディーノ・ブッツァーティ、ブッツァーティ読書会・浅見溢子訳)


【原作者紹介】

 ディーノ・ブッツァーティ(1906~1972): 20世紀イタリア文学を代表する作家のひとり。幻想的、不条理な作風から「イタリアのカフカ」と称されたこともあるが、短編小説の名手としても有名である。




○ イル・ミリオーネ・マルコ・ポーロ写本の伝統(3)  The Tradition of the Manuscripts of Marco Polo  3

(ルイジ・フォスコロ・ベネデット、 高田英樹訳)

    (6)    (7)


 マルコ・ポーロ写本についての最高の基本文献。諸版の異なりは、従来オリジナル(1298年)に後に誰かが書き加えたため、とされていたのを、最初全て含んでいたオリジナルが後に要約・省略されたため、との新たな説を立てた。




○ 「’60年代日本の文芸アヴァンギャルド(余話)」休載のおわび

                             (田淵 晉也)                                 連載を予定していた「’60年代日本の文芸アヴァンギャルド(余話)----- 『風流夢譚』と中央公論事件」を休載することにした。

 準備していたし、2号誌に掲載以来、書きすすめていたから、たいへん残念である。理由は、身辺雑事と多少の体調問題にあったのだが、ほんとうのわけはほかにある。

 じつは当初書きはじめたときは、「’60年代日本の文芸アヴァンギャルド(余話)」とあるように、’60年代日本の文芸アヴァンギャルドを語るうえで、小説『風流夢譚』の雑誌掲載(1960年)とそれによっておこった中央公論事件は、その余話として最適のテーマであるとおもったからだった。

 ところが、そうした視点から『風流夢譚』をみてみると、どうしてもこれが書かれた時代背景と、この時代におけるアバンギャルド文学や芸術の状況が前提となるから、自分なりにそれを整理しなければ書けないことがわかった。

 というわけで、前回の第2号誌に、序章として、大前提である「’60年代日本社会の位置  ① 世界の状況 ② 世界状況のなかの日本」と、前提となる第1章として、「(1) ’60年代三枚の風俗画」 (2)「『デモ・ゲバ』風俗のなかの’60年代日本」を書いたのだった。

 そして今回は、’60年代日本のアヴァンギャルド芸術と文学の状況を、当時の最大のテーマであった「反芸術」を中心に書くつもりであった。

 ところが、書きすすめているうちに、当時の日本のアヴァンギャルドは、ヨーロッパやアメリカの芸術動向と密接に連動しているので、どうしてもそれらについてふれねばならないことに気づいた。とすると、かなりの翻訳や図版を加えなければならない。そして、すでに400字詰め原稿用紙概算で500枚分書いたのだが、なおまとめるのにすこし時間を要しているというのが実情である。

 で、次回『百万遍』4号誌には、この’60年代アヴァンギャルドの状況について、自分なりの見方を掲載するとして、すでに準備をすませている『風流夢譚』と中央公論事件については第5号誌からということになる。

 しかし、とするなら、全体構成として分量的にアンバランスが生じることになる。前提が700枚(既刊2号誌が約200枚)で、本論をたとえ400枚書いても、「『風流夢譚』と中央公論事件」はサブ・タイトルだとしても、羊頭狗肉の感がある。

 というわけで、総タイトルを「’60年代日本の文芸アヴァンギャルド」とし、初回の第2号誌掲載分を序章と第1章、次回第4号誌掲載予定を第2章とし、第5号誌掲載を「第3章・『風流夢譚』と中央公論事件」とすべきではないかといま苦慮している。

 それにしても、これは前回の執筆意図にも書いたことだが、’60年代という時代は、私の生涯の基礎がつくられたときであり、また、現在の日本に通じる戦後日本が、うやむやに、なしくずしに形成されていった十年間であった。外見上では、高度経済成長がはじまり、日米安全保障条約が固定化され、東京オリンピック(1964年)と国際万国博覧会(1970年)が開催された時代である。いまの日本の「神話時代」である。

 そして、いまの日本で語られ、また、なぞらえられているこの「神話時代」は、かならずしもわたしのおもっている’60年代ではない。

 そうした理由からも、その時代を体感した者として、自分なりにこの時代を整理しなおすことが、自分の人生にたいする義務であるようにおもっている。しかし、元来、20世紀の芸術アヴァンギャルド、ことにフランスのシュルレアリスムに関心をもち、本をよんだり、考えたり、ものを書いたりしてきた私のとれる方法は、文学や芸術をとおして眺めることであるから、さきに掲げたタイトル「’60年代日本の文芸アヴァンギャルド」ということになる。

 したがって、次号、『百万遍』4号誌には、その第2章 ’60年代日本のアヴァンギャルディスト ━ 赤瀬川原平とその仲間たち/ 1)「デモ・ゲバ」風俗のなかの「反芸術」、 2)「デモ・ゲバ」風俗のなかの赤瀬川原平とその仲間たち」 となるはずである。

 しかしながら、他方、このような独り善がりの言動が許されるのも、同人誌『百万遍』であるからこそである。内容的にも分量的にも、制約なく自由に、書きとどめることができる形式の同人誌『百万遍』を発案し成立させ、刊行をつづけられている諸氏にはほんとうに感謝しなければならない。締め切りをやぶっておいて、いまさらなにをかいわんやであるが、刊行期日という節目がなければ、いかなるおもいも雲散霧消してしまうからである。次回第4号誌には、たとえ一滴でも思考とおもいの痕跡をのこしたいと願っている。



同人CD-ROM『百万遍』第3号・編集後記


 年2回発行というペースは順調に守られている。なんといっても、高田英樹氏の「マルコ・ポーロ」という太い幹が存在していることが大きい。しっかりとした幹があってこそ、枝葉が栄えて、きれいな花も咲く。今回、また新しい枝葉がひとつ増えた。専門外と云いながらも、原典から説き起こした、その内容は本格的である。この同人誌に、さらに重みを加えるものとなろう。

 前号発行後、この「百万遍ホームページ」を作成した。

 しかし、同人誌「百万遍」は、CD-ROMが本体である。ホームページには、著者の許諾を得た作品のみが掲載されている。また個人情報保護のため、「執筆者紹介」欄は削除してある。

 とはいっても、CD-ROMよりは、ホームページの方が手軽に見ることができるのも確かである。このアドレスを大いに広めていただけるとありがたい。

(2019.9 福島記)

  

目次へ




©  百万遍 2019