百万遍 Hyaku-man-ben 第11号
2023年9月18日発行
内容紹介 & 執筆者(自己)紹介
A Guide to the Forest of Italian Novellas / The Origin of Novella and “Novellino”
(米山 喜晟)
ダンテ、ペトラルカと並んで、イタリア・ルネッサンス文学の三傑と称されるジョヴァンニ・ボッカッチョの代表作『デカメロン(十日物語)』は、14世紀、フィレンツェでも大流行したペストから逃れて郊外に引き籠もった貴婦人7人、紳士3人の10名が退屈凌ぎに、ひとり10話ずつ10日にわたって、ユーモアや艶笑に満ちた恋愛談、失敗談などを語り継いでいく物語で、のちのイタリア散文芸術の嚆矢となったともいわれている。
しかし、このような、「ノヴェッラ」と呼ばれる短い物語はそれまでにイタリア各地で生まれていて、その起源は中世のヨーロッパ諸国にあった。
そのような「ノヴェッラ」成立の歴史をていねいにひも解いていくとともに、巻末には、最古のイタリア・ノヴェッラ集といわれる『ノヴェリーノ』の100話の梗概を付録として添付した。
【執筆者自己紹介】
米山 喜晟(よねやま よしあき): 1937年奈良県生まれ。勤務先は、峰山高校,京大(非正規職員)、京都産大、大阪外大、桃山学院大などを転々とした。研究テーマは、フィレンツェ史、イタリア・ノヴェッラ史、ムラトーリ研究、主著は『敗戦が中世フィレンツェを変えた』。
The Avant-garde of Arts in 1960s Japan 8
(田淵 晉也)
今回の作品は、前号最後の「実作芸術家ダリをめぐって」の続きに書かれる予定であったが、果たせなくて、今号に掲載するものである。
【執筆者自己紹介】
田淵 晉也(たぶち しんや): 1936年岡山で生まれる。京都で学生時代をすごす。関心をもつ研究領域はシュルレアリスムを中心とした文学・芸術文化である。著書に『「シュルレアリスム運動体」系の成立と理論』、『現代芸術は難しくない ~ 豊かさの芸術から「場」の芸術へ』、共著書に『ダダ・シュルレアリスムを学ぶ人のために』、翻訳にポール・ラファルグ『怠ける権利』、アンドレ・ブルトン『シュルレアリスムの政治的位置』がある。
This Side of the Lethe 4: Possessed by a Raccoon Dog
(岩田 強)
【執筆者による内容紹介】
『語り手は信用できるか』:「森のなかのリンチ」は今号は休載する。前号の内容紹介でふれた Forrest Carter の研究書 Unmasking the Klansman(Dan Carter 著)は予告から1か月遅れて今年4月に刊行された。期待にたがわず情報量豊富でさまざまな興味ぶかい事実を教えられたが、まだ消化しきれていない。次号には同書をふまえた「森のなかのリンチ」の続編を載せたいとおもう。
「此岸の光景 その4:タヌキに化かされること」はボクの妻が少女時代に目撃したことを元にしている。名前を変えたり、人物を重ね合わせたり、子どもの思考がとどかないところを補ったりはしているが、描かれている事柄自体は事実そのままである。
妻は幼いころに見たり聞いたりしたことを驚くほど細かく鮮明に記憶していて、妻の里ばなしはいつもボクを魅了してきた。二十歳まえに妻とはじめて出会ったころ、東京生まれのボクには、妻の生まれ育った四国の山里が空間的にも時間的にも文化的にも別世界に感じられた。その驚きは今もつづいている。
【執筆者略歴】
岩田 強(いわた つとむ): 1944年東京生まれ。京都大学でアメリカ文学 (主として19世紀小説)を学び、和歌山大学、山梨医科大学、京都光華女子大学で教鞭をとる。著書『文豪ホーソンと近親相姦』(愛育社)、訳書 カイ・エリクソン『あぶれピューリタン』(現代人文社)(村上直之氏との共訳)
Research Notes on Japanese Novelists
(Teresa Ciapparoni La Rocca)
日本とイタリアの作品の接点、あるいは類似点を研究テーマとする筆者が、芥川龍之介や三島由紀夫らの作品の出典となるようなものがヨーロッパ文学の中に見当たらないかを探求していく、そのプロセスが随筆風に述べられている。(全文イタリア語)
【執筆者紹介】
Teresa Ciapparoni La Rocca テレサ・チャッパローニ・ラ・ロッカ: 元ローマ大学・文哲学部・日本学科専任講師。近世日伊関係史を中心に研究。2013年旭日小綬章。
○ 正史を彷徨う(9)
Wandering through the Authorized Histories 9
○ 石仏あれこれ(3)
Visiting Some Stone Buddhist Images 3
シリーズA 石仏を訪ねる
シリーズB 石仏を考える
○ 写真アルバムから(2)
From My Photo Albums 2
‘シリーズC 寺社華風月 (白黒)’
(森 隆一)
【執筆者による内容紹介】
「正史を彷徨う」については、
23章 安閑天皇紀から崇峻天皇紀
24章 隋書の時代
エピローグ
の2章と付録を1つ用意した。23章では安閑天皇紀から崇峻天皇紀を扱い、24章では推古天皇紀を扱った。23章は殆ど理解できていず、印象も薄い。后妃とその子女・官職名・地名などを考慮して、見直さなければどうしようもないと思ったことが打ち切りの動機である。これが出来るかどうかの見通しは立っていないが、地理院地図のアプリ ‘自分で作る色別地勢図’ により海(湖)水面の考察から見直しをしていく予定である。
24章は隋書の記事と推古天皇紀を扱っている。皇太子摂政となったのが聖徳太子である。廿九年に聖徳太子の薨去があり、卅六年の崩御で終わっている。推古天皇の宮に関する記事は、崇峻天皇五年豐浦宮で即位、元年用明天皇を河内磯長陵に改葬し、九年耳梨行宮に居し、十一年小墾田宮に遷った、である。一方聖徳太子の宮に関する記事は、元年難波荒陵に四天王寺を造り始め、九年皇太子は斑鳩に宮を興し十三年斑鳩宮に居し、十四年岡本宮で法華経を講じ、廿九年斑鳩宮で薨じた、である。明日香と斑鳩はかなり離れている。
子供の代で滅ばされたのは天智天皇に似ている。共に2王朝の並立から抗争になったのではなかったかと思っているが、作業仮説とするにはさらなる考察が必要である。
また、ここに書かれている遣隋使と裴清の記事は正史と日本書紀の記事が一致する初めての例である。この考察も殆ど手を付けることが出来ていない。
前号でもアナウンスしたように「正史を彷徨う」は本号で終了とします。新稿は ‘正史を訪れる’ とするつもりである。構成は ‘正史を彷徨う’ を踏襲することとし、内容の整理再配置と一部の充実から手を付けていく予定である。
「石仏あれこれ」では次を取り上げた。
‘シリーズA 石仏を訪ねる’
A7 鵜川四十八体仏 1977 A8 東大寺・塔頭 1977
‘シリーズB 石仏を考える’
B2 仏教の成立
を準備した。タイトルの ‘仏教の成立’ は誇大広告的なもので、成立時の地勢の考察と施設(寺院)を調べた結果と考察である。また、インドの色分け標高地図が面白かったので、ほかの四大文明の地域の色分け標高地図も作成してみた。
「写真アルバムから」では
‘シリーズC 寺社華風月 (白黒)’
C7 小諸・弥彦・磐梯朝日 1975 C8 大三島・松山 1975
C9 宇和・高知 1975 C10 法起寺・法隆寺 1975
C11 潮来・鹿島・銚子 1975 C12 當麻寺1975
「正史を彷徨う」の後を考えているうちに、生業としていた数学に関しても何か書いて投稿することを想いついた。高等学校への出前授業、オープン・キャンパスでの模擬授業、教育研究集会での講義を拡張していく形で出来ないかというのが発想である。タイトルを「講義ノートの周辺」とすることにした。プロローグに幾つかの話題を挙げてみたが、これらを書き続けていけるかの目途は立っていず、構想倒れに終わる恐れもある。ボチボチ続けていくつもりである。
始めは高等学校数学Ⅰ幾何の教科書の(図を除いた)本文を丸ごと引用することにした。これは講義ノートではないが、この内容を1年生の半期の講義で行うことを提案したが、適切な教科書がなく見送られたことがあったので、取り挙げることにした。
「講義ノートの周辺」
プロローグ
Part I 高等学校数学Ⅰ幾何
はじめに 1. 幾何学の基礎
【執筆者自己紹介】
森 隆一 (もり たかかず) : 1945年愛知県にて生まれる。1968年京都大学理学部数学科卒業。1970年同大学院理学研究科数学専攻終了。京都産業大学に勤務し、2015年定年退職(免職)。数学では、初めは確率論を、後半は計算可能性解析を研究してきた。
○ 青群(せいぐん)
(福島 勝彦)
1960年代。
ある「青春」の物語。
【執筆者自己紹介】
福島 勝彦(ふくしま かつひこ):1945年8月生まれ。大阪市出身。ちょうど戦争が終わったときに生まれ、以後78年間、「戦後」の時代とともに生きてきた。京都大学文学部卒業。そのあと、中高一貫の私立男子校に39年間勤務。百万遍・創刊号に掲載した『わがデジタル創世記』を、加筆・修正のうえ、2019年、文芸社から刊行した。また、作品ホームページ「二十世紀作品集」を現在開設中。http://happi-land.com/ こちらもご覧ください。
The Yuan Court Festivals Recorded by European Travelers
(馬 曉林)
13~14世紀にシルクロードを通ってヨーロッパからモンゴル人が支配する「元朝中国」に入った、マルコ・ポーロとオドリコ・ダ・ポルデノーネ。彼らの残した旅行記に記載された、元朝宮廷の祝祭行事を文献学的に検討して、その旅行記の信頼性と重要性、および当時のヨーロッパ社会と中国社会の結びつきの深さを再認識する。(全文中国語、英語による要約あり)
【執筆者紹介】
馬 曉林(マ・シャオリン):1984年生まれ。モンゴル帝国とユーラシア交流の専門家。『マルコ・ポーロと元朝中国:原典と儀式、信仰』(2018)他、60編以上の論文の著者。現在は、南開大学歴史学部教授で、中国の元朝史協会の事務次長も務めている。
○ 謎ときマルコ・ポーロ(9)
Solving the Mysteries of Marco Polo 9
(高田 英樹)
『東方見聞録』で有名なマルコ・ポーロ。実は、謎の多い人物である。
その書はだれが書いたのか? 本当に東方に旅したのか? そもそも、実在の人物なのか?
残された数多くの「写本」から、代表的な7つの版を読み比べ、その謎に迫っていく。
(高田 英樹)
15世紀前半、ポーロに続いて25年(1419~44)の長きにわたって東方に旅したもう一人のヴェネツィア商人ニコロ・ディ・コンティ(1395~1469)旅行記の全訳。テキストは、教皇エウゲニウス4世の命によりその秘書官ポッジォ・ブラッチォリーニに語ったものがポルトガル語訳され、それからラムージォがイタリア語に訳して『航海と旅行』に収めたものである。
【執筆者自己紹介】
高田 英樹(たかた ひでき): 1941年兵庫県丹波生まれ。京都・ピーサでイタリア語を学ぶ。ローマ・京都・松山・大阪で留学生に日本語を教える。今宝塚・丹波で再びイタリア語を勉強している。
同人CD-ROM『百万遍』第11号・編集後記
「コロナ禍」もようやく沈静化してきたのだろうか。今年の4月になって、新型インフルエンザと同じだという「第五類」に編入され、さまざまな「規制」が解除された。テレビを見ていると、野球場や体育館では満員の観客を集めているが、そこから新たな「クラスター(感染集団)」が発生したというニュースも聴かない。ただ、街を歩けば、マスクをしている人はまだ多く、また身近なところでときどき「感染」の噂を耳にすることもある。しかし、もう世の中には、コロナはもう下火だ、という認識が蔓延しはじめているようだ。
そしてウクライナの長引く戦争。もう勝敗などどうでもよい、無益な殺し合いだけは即刻やめてほしい、という「日常」の感覚が人々(これはわれわれ対岸の人間も含まれる)のあいだに早く戻ってこないものだろうか。
さて、創刊からまる5年、第11号を迎えた、わが「同人誌・百万遍」だが、このたび、編集・発行方針にすこし変更を加えることになった。
年2回、3月と9月の発行は変わらない。ただ、これまで、その間の半年間に投稿された原稿を年2回、まとめて公開していたのを、これからは、執筆者の希望があれば、途中の時期であっても、随時、ホームページで公開することにした。その時は「速報版」という名称の目次をつくることにする。もちろん、決まった期日が来れば、それは従来通り「第○○号・内容紹介」という目次となる。
もうひとつ、手間がかかる割りに、このところ需要が激減してきた「CD-ROM版」の作成を次号からやめることにした。発表は、この「百万遍ホームページ」のみとなる。
(2023.09 福島記)