百万遍 Hyaku-man-ben 第6号
2021年3月22日発行
内容紹介 & 執筆者(自己)紹介
Effects of Defeat: the Montaperti Phenomenon
in the the World History
第一章 白村江の戦い その他 ~ 単発のモンタペルティ現象の実例 ~
第二章 フィレンツェとシエナ ~ 同時多発的モンタペルティ現象~
第三章 江戸幕府とモンゴル帝国 ~ 波状のモンタペルティ現象の実例 ~
(米山 喜晟)
モンタペルティの敗戦後、驚異的な経済的・文化的発展を成し遂げた中世フィレンツェ。そんな現象を「モンタペルティ現象」と命名した筆者が、「敗戦が(損失だけではなく)、経済・文化・歴史的に見て、敗北した側の関係者の多数に好ましい結果をもたらしていると見られる現象」を、世界史全体の中から渉猟した。
今回は、日本古代の「白村江の戦い」、「前漢」「北宋」「南宋」と北方勢力との関係、モンタペルティでフィレンツェを打ち破った「シエナ」のその後、日本の「江戸時代前期」、モンゴル帝国支配下の中国を取り上げて、そこに垣間見られる「モンタペルティ現象」を検証する。
【執筆者自己紹介】
米山 喜晟(よねやま よしあき): 1937年奈良県生まれ。勤務先は、峰山高校,京大(非正規職員)、京都産大、大阪外大、桃山学院大などを転々とした。研究テーマは、フィレンツェ史、イタリア・ノヴェッラ史、ムラトーリ研究、主著は『敗戦が中世フィレンツェを変えた』。
○ 「’60年代日本の芸術アヴァンギャルド(4)』
The Avant-garde of Arts in Japan in the 1960s 4
第2章 「デモ・ゲバ」風俗のなかの「反芸術」
4) ’60年代日本の「反芸術」(その2)
③ 「読売アンデパンダン」展から
「ハイレッド・センター」へ
(田淵 晉也)
【執筆者による内容紹介】
今回もまた、予定通りすすまず、要領をえないものになった。しかし、本人としては、必要不可欠の前提であって、どうしても固めておかねばならない事項とおもっている。
そうしたことの説明として、文頭に、これまで書いた道筋を示しておいた。
しかし、2年半前に書きはじめた、『百万遍』2号誌掲載の表題は 「’60年代日本の文芸アヴァンギャルド(余話)─ 『風流夢譚』と中央公論事件」であったのだが、それが、「’60年代日本の文芸アヴァンギャルド」となり、「『風流夢譚』と中央公論事件」はタイトルから消えている。
だが、この本筋は今となっても、変わっていない。わたしがやはり言っておきたいことは、「’60年代日本の芸術アヴァンギャルドにおける『風流夢譚』と中央公論事件」であって、本論の3章に至るそのために、いま道筋をたどっているわけである。
1960年代の日本は、いまの日本の状況をみるにつけ、戦後日本の処理をまちがった時代だったとつくづく思うし、また、そのなかで自分も、気づくことなく生きてきたのだとおもっている。
そのような目でみると、小説『風流夢譚』は、’60年代を代表する文学作品であることに気づいた。小説は時代風俗の表現芸術であると考えているからである。ここでいう時代とは、伸縮自在の時代であり、その期間は小説の力量によって、10年にも100年にもなれる時代であろう。そして、’60年代日本が生みだした『夢譚』が、現在あつかわれているものになっているのは、必然的帰結として、’60年代日本だったからだろう。それが、文章化することによって確認しておきたい本論の主旨、「『風流夢譚』と中央公論事件」である。
それならば、誰にむかって書いているかということになるが、それはまず自分をふくめた文学・芸術愛好家のためである。このばあいの愛好家とは、同志とか、フランス語のカマラード(camarade)と言いかえたほうがよいかもしれない。
とはいえ、こうしたことすべては、内容説明にかこつけた弁明である。つまり、わけのわからぬことを、文章作法も無視して、このように書きつづけていることのいいわけである。巷の刊行物ではけっして許されない暴挙である。それを海容し、文章化によって考えをまとめる稀有の機会を恵んでくださった、『百万遍』の発起人であり編集責任者である高田さんと福島さんに、このうえなく感謝している。
【執筆者自己紹介】
田淵 晉也(たぶち しんや): 1936年岡山で生まれる。京都で学生時代をすごす。関心をもつ研究領域はシュルレアリスムを中心とした文学・芸術文化である。著書に『「シュルレアリスム運動体」系の成立と理論』、『現代芸術は難しくない ~ 豊かさの芸術から「場」の芸術へ』、共著書に『ダダ・シュルレアリスムを学ぶ人のために』、翻訳にポール・ラファルグ『怠ける権利』、アンドレ・ブルトン『シュルレアリスムの政治的位置』がある。
This Side of the Lethe 2 : Anaphylaxis
(岩田 強)
【執筆者による内容紹介】
『語り手は信用できるか』はまた間に合わなかった。老化のせいではない(とおもいたい)。
この1年ほどテレビを見たことはこれまでになかった。コロナのせいである。ほとんど毎日、朝は「モーニングショー」、夜は「報道1930」を見て、日本の政治家たちへの欝憤がたまりにたまった。「此岸の光景・その2・アナフィラキシー」はその欝憤ばらしかもしれない。
【執筆者略歴】
岩田 強(いわた つとむ): 1944年東京生まれ。京都大学でアメリカ文学(主として19世紀小説)を学び、和歌山大学、山梨医科大学、京都光華女子大学で教鞭をとる。著書『文豪ホーソンと近親相姦』(愛育社)、訳書 カイ・エリクソン『あぶれピューリタン』(現代人文社)(村上直之氏との共訳)
○ 正史を彷徨う Part Ⅵ & Ⅶ
Wandering through the Authorized Histories 6 ~ 7
(森 隆一)
【執筆者による内容紹介】
前Part では神武天皇紀を見た後、縄文海進を調べ、ここで見付けた Flood Maps によって、古墳時代の推定海岸線を見てきた。今回は、この他に気になっている幾つかの話題を取り上げていく。その後、日本書紀の応神天皇紀から継体天皇紀に戻ることにする。
Part VI では、まず、国産み神話をとり挙げる。国産み=征服と考えれば、神武東征の経由地を示した図 V02 の空白を埋められるのではないかということで検討する。次は、古墳と土器の話である。共に膨大な文献資料があり、これらから引用することは至難の業と思われる。今のところ、ウェブサイトでは適当な解説記事を見つけていない。とはいえ、基礎知識の確認を兼ねて、想いつく幾つかの用語を Wikipedia から引用していく。
倭の東遷で重要なキー・ワードとして、船と鉄と考えている。復元古代船の野生号の記事は Part I で引用したが、この船で対馬海峡を渡ることができたのかは疑問として残っていた。この後、「魏志倭人伝の夢」というサイトを見つけた。ここに「狗邪韓国から対馬へ」というページがあり、潮流を利用すれば可能であったかもしれないという印象を得た。
鉄に関しては、「IRON ROAD ・和鉄の道」というサイトを見つけた。この作者は、製鉄会社を定年退職した後、日本の製鉄に関連する遺跡巡をした記録が IRON ROAD 和鉄の道である。ここから、本稿に関連すると思われる記事を引用した。
DNA解析から人種の変遷を調べる研究の成果が得られたのは、最近のことである。日本人の人種的構成については面白い結果が出ているが、古代史に関わる研究は取り掛かった段階と思う。この進展は、基本的には、分析データの蓄積と統計的手法の適用と思っている。日本のデータは今後増えていくであろうが、問題は朝鮮半島のデータであろう。DNA解析結果のデータ・ベースがあるという。発掘データがあり、これにアクセスでき、データを解析できれば、面白いことが得られそうであるが、筆者には無理と考える。
海流・和鉄・DNA解析については、本稿の執筆中に知った話題で、これらを用いられるほど理解していないが、理解できれば、仮説の検討や、新たな見方が見つかる可能性があると想っている。
Part VII では応神天皇紀から継体天皇紀までを見ていく。9章で扱った崇神天皇紀から神功皇后紀と同様に書き進めたが、ファイルが大きくなりすぎ、支障がおきた。そこで、2つに分割したが、相互参照が多く煩雑になった。方針を変更し、注記のうち、考察や複数の引用をしているものは、次章で扱うことにして、概要を把握することを目指した。目についたこととしては、在位期間が短い天皇が居ることと、後継の天皇が簡単に決まらない場合と、即位前後に何らかの抗争がある場合が多く見られる。このうち、印象に残っているものを挙げる。
まずは、応神天皇40年に、太子の菟道稚郎子を後継に指定している。翌年に応神天皇は崩御し、菟道稚郎子と仁徳天皇は皇位を譲り合っているうちに、大山守皇子が挙兵した。この後、3年程譲り合った後、菟道稚郎子が自害し、仁徳天皇が即位した。この他に、履中天皇と仲皇子、安康天皇と木梨軽皇子などが挙げられる。また、顕宗天皇と仁賢天皇も譲り合った後、弟の顕宗天皇が皇位に就き、兄の仁賢天皇を皇太子とした。ここで吉備がたびたび現れる。
履中天皇紀で物部伊□弗大連、雄略天皇紀で、大伴連室屋 物部連目爲大連が現れ、以後大連が制度として機能し多様である。大臣に関しても、検討を要する武内宿禰を除けば、雄略天皇紀で平群臣眞鳥大臣が現れる。なお、大臣・大連は百済の左輔・右輔を想わせる。
雄略天皇紀の記事からは、体制造りが行われたという印象を受けた。いわゆる大和朝廷の誕生といえるかもしれない。律令制を目指したとも思われる聖徳太子と同じように、雄略天皇の血筋からは天皇はいない。
この後は、吉備出身の顕宗天皇と仁賢天皇が書かれている。両者は吉備出身の天皇である。さらに、暴虐な天皇として書かれている武烈天皇、経歴に検討が必要と思われる継体天皇と続いている。継体天皇紀には磐井の乱が書かれている。
【執筆者自己紹介】
森 隆一 (もり たかかず) : 1945年愛知県にて生まれる。1968年京都大学理学部数学科卒業。1970年同大学院理学研究科数学専攻修了。京都産業大学に勤務し、2015年定年免職。数学では、初めは確率論を、後半は計算可能性解析を研究してきた。
○ 悪人正機 It is Bad People Who Can Be Saved First
(福島 勝彦)
親鸞の、あの有名なことばに関する小エッセイ。
【執筆者自己紹介】
福島 勝彦(ふくしま かつひこ):1945年8月生まれ。大阪市出身。ちょうど戦争が終わったときに生まれ、以後75年、「戦後」の時代とともに生きてきた。京都大学文学部卒業。そのあと、中高一貫の私立男子校に39年間勤務。百万遍・創刊号に掲載した『わがデジタル創世記』を、加筆・修正のうえ、2019年、文芸社から刊行した。また、作品ホームページ「二十世紀作品集」を現在開設中。http://happi-land.com/
○ Il Bergamotto L’Essenza calabrese che profuma il mondo.
Bergamot : The Calabrian Essence Which Perfumes
the World
(Paolo BOLANO)
(訳:稲垣豊典)
ベルガモットという、カラブリアの柑橘類の説明。
【執筆者紹介】
Paolo BOLANO パオロ・ボラーノ
ジャーナリスト、かつて RAI-TV(イタリア国営放送局)勤務、TG2・TG3(TV ニュース)担当、‘CASALE’、‘Tutto di Tutto’ディレクター。現カラブリア月刊 RINASCITAREGGIO「レッジォ(カラブリア)再生」編集長。制作したTV番組で受賞多数。著書 “Operatore Media”(「メディアオペレーター」)、 “L’Urlo di Reggio”(「レッジォの叫び」)。
○ Shiroya porta a Roma la cucina giapponese autentica
「シロヤはローマに本格的日本料理をもたらす」(要約:稲垣豊典)
Shiroya Brings the Authentic Japanese Cuisine to Rome
○ Cina, sull'antica Via della Seta
「古代シルクロードの中国」
○ Viaggio in Vietnam
「ヴェトナムの旅」
(Mariella MOROSI)
シロヤ(白屋)という、ローマに開店した日本料理店の紹介。
および、中国、ヴェトナムの旅行記。
○ ディーノ・ブッツァーティ短編選(6)
Selected Short Stories of Dino Buzzati 6
(ディーノ・ブッツァーティ、ブッツァーティ読書会・浅見溢子訳)
【原作者紹介】
ディーノ・ブッツァーティ(1906~1972): 20世紀イタリア文学を代表する作家のひとり。幻想的、不条理な作風から「イタリアのカフカ」と称されたこともあるが、短編小説の名手としても有名である。
○ 謎ときマルコ・ポーロ(6)
Solving the Mysteries of Marco Polo 5
(高田 英樹)
『東方見聞録』で有名なマルコ・ポーロ。実は、謎の多い人物である。
その書はだれが書いたのか? 本当に東方に旅したのか? そもそも、実在の人物なのか?
残された数多くの「写本」から、代表的な7つの版を読み比べ、その謎に迫っていく。
○ ダンテ・ボッカッチォ・マルコ・ポーロそして東方(1)
Dante, Boccaccio, Marco Polo and the East 1
マルコ・ポーロと、ほぼ時代の重なるダンテやボッカッチォとの係わりについて、これまでに書いたものをまとめたもの。
00. はじめに
01. ジパングの系譜
02. ダンテ『神曲』
03. ヨーハンネース『書簡』
05. ボッカッチォ『デカメロン』
06. マルコ・ポーロとダンテ ~ ダンテの沈黙をめぐって ~
07. ダンテとマルコ
08. ボッカッチォとマルコ
(高田 英樹)
【執筆者自己紹介】
高田 英樹(たかた ひでき): 1941年兵庫県丹波生まれ。京都・ピーサでイタリア語を学ぶ。ローマ・京都・松山・大阪で留学生に日本語を教える。今宝塚・丹波で再びイタリア語を勉強している。
同人CD-ROM『百万遍』第6号・編集後記
「新型コロナウィルス」が上陸して1年以上が経った。第1波、第2波、第3波と、繰り返し、その猛威が押し寄せ、現在「小休止」の様相を見せてはいるが、「変異ウィルス」の登場や、政治的・経済的な思惑で強引に実施されようとしている「東京オリンピック・パラリンピック」によって新たな引き金が引かれないとも限らない。急遽開発された「ワクチン」が唯一の頼りとなっているが、「副反応」については、今号の岩田氏の原稿にもあるように不安は大きい。
そんな中、「百万遍」は着実に号を重ねている。次号発行の頃はまだ無理かも知れないが、その次あたりには、安心して「会食」などができるようになっていることを願うばかりである。
(2021.3 福島記)