第7号・内容紹介


百万遍 Hyaku-man-ben 第7号 

2021年9月10日発行






内容紹介 & 執筆者(自己)紹介



○ 冷戦後世界のモンタペルティ現象

The Montaperti Phenomenon in the post-Cold War World

(米山 喜晟)


第一章 東側陣営はいかに形成されたか

第二章 冷戦後世界でモンタペルティ現象が発生するための条件とその該当国

第三章 なぜ現在中国人だけが元気なのか

 

【執筆者による内容紹介】

 「モンタペルティ現象」に関する、2010年および2012年の論文について


 本論文を発表してから、すでに10年が過ぎつつあり、その内容も筆者の脳裡から消えようとしている。正直今更取り上げる意義が怪しいことも、筆者自身が認めているのだが、一応いかなる動機に基づいて、本論と次の論文を執筆したかを釈明しておくことにする。

 桃山学院大学総合研究所のご好意に甘えて、同研究所が刊行しておられる『国際文化論集』にすでに4度、「モンタペルティ現象」に関して論じさせていただくことができた。そうして論じれば論じる程、歴史の中から好都合な事象を拾い上げて、自己満足に浸っている感が否めないことを悟り、筆者はこのあたりで視点を改め、自らが見聞した世界史の現実の中で、この現象を検証しなければならない、と考えた。すでに日独伊の敗戦後に関しては、しつこい程論じておいたが、その後の世界が直面した、東西陣営の冷戦に関しては、まともに論じたことがなかった。そして、永遠に続くかと思われた冷戦も、前世紀の末頃には一応の決着を見ることとなった。

 そこで筆者は、本論において、まず冷戦の結果から「モンタペルティ現象」が発生し得るや否や、発生するとすればどの国に発生するか、を論じ、次の論文で、もっとも有望と思われる国でそれが発生したか否かを論じることにした。そうした意図で記されたのが、本論と次論なのである。

 今更断るまでもなく、私は世界史にも、冷戦にもまったく無知な門外漢であり、無知の塊のごとき私が、臆面もなしに壮大な問題と対決する様は、滑稽以外の何ものでもない。大いに嘲笑していただきたい、と覚悟している。



【執筆者自己紹介】

 米山 喜晟(よねやま  よしあき): 1937年奈良県生まれ。勤務先は、峰山高校,京大(非正規職員)、京都産大、大阪外大、桃山学院大などを転々とした。研究テーマは、フィレンツェ史、イタリア・ノヴェッラ史、ムラトーリ研究、主著は『敗戦が中世フィレンツェを変えた』。




○ 「’60年代日本の芸術アヴァンギャルド(5)』

The Avant-garde of Arts in Japan in the 1960s  5

  第2章  「デモ・ゲバ」風俗のなかの「反芸術」

   4) ’60年代日本の「反芸術」(その2)

           ③ - 2  「ハイレッド・センター」 

       Part 1 〜 Part 2 〜 Part 3 〜 Part 4 〜 Part 5

 

 (田淵 晉也)


【執筆者による内容紹介】

 『百万遍』6号誌に掲載した、《’60年代日本の芸術アヴァンギャルド 第2章 「デモ・ゲバ」風俗のなかの「反芸術」 4)’60年代日本の「反芸術」(その2) ─ ③  「読売アンデパンダン」展から「ハイレッド・センター」へ」 ③ー1. 「読売アンデパンダン」展》 のつづき、『 ③−2. 「ハイレッド・センター」 』 である。

 しかし、今回もまたタイトルにふさわしくこれを終えることができなかった。ハイレッド・センターの活動としては、まだ入り口にすぎないものとなった。だが、当初から書きたかったのは、今の日本のありさまをすこしでもわかるために、現代芸術を縦糸として’60年代日本をみることだったから、それはそれなりに書けたのではないかとおもっている。云ってしまえば、「第二次世界大戦」という絶好の清算機会の15年後、’60年代からふたたびあらたな退廃がはじまったのではないか、ということである。それは日本だけでなく、日本が19世紀に尻馬に乗った文明国・先進国すべてにあてはまるかもしれないが、本論の視野には入っていない。

 この8月開催された第2回東京オリンピックにまつわる話をきくにつけ、アスリートの位置は、本稿でのべた谷川雁の狐拳三角構造の芸術家の位置にあるとつくづくおもった。IOC、JOC、主催都市・国家という管理・運営部門のアスリートへおよぼす支配権、アスリートの大衆を魅惑する支配権、「視聴率」や熱狂でしめされる大衆の管理・部門への権力行使という、管理・運営部門、アスリート、大衆を三頂点とする三角構造である。

 今回のオリンピックで見えたのは、管理・運営部門のアスリートへの圧倒的支配力であり、それにたいするアスリートの「拒否権」行使の実態である。谷川の狐拳三角構造がもつ意味は、三点間の循環する権力関係だけではなく、各々の権力行使には、それに対抗して拒否権がそれぞれ発揮されねばならないことだった。

 今回見たのは、競馬のサラブレッドのようにあつかわれるアスリートと、(少々古い例でもうしわけないが)テンポイントやシンボリルドルフに熱狂する大衆像だった。アスリートたちは、世界新記録のほとんど出ない劣悪な環境のなかで、サラブレッドのようにひたすら走っていた。男子では三分の一、女子では、五分の一の棄権者が出たマラソンは異常である。この季節の開催は、マスコミと運営部門の意向だという。まるで、本論でいままで書いている、芸術家と、マスコミ・美術館・画廊の関係である。

 このたとえで云うなら、サラブレッドが3頭の馬から3世紀間の意図的交配によって、つくられたように、現代文明のもとなら半世紀後には、地球高温化に適用した摂氏四十度の炎天下で新記録をだすアスリートが出現するかもしれない。その可能性は、五歳の子供に夜九時、十時までラケットをふらせ、それを20年ちかく毎日つづけられるような社会環境が、現代では奇妙とはおもわれていないのだから、じゅうぶんありうることだろう。(そうした社会環境への対応策として主張されたのが、本論で書いた谷川雁や吉本隆明らの「自立学校」だった。)

 ところで、このオリンピックも第1回東京大会は1964年であったが、ハイレッド・センターはその機に「首都圏清掃整理促進運動」のパフォーマンス・イベントをおこなっている。

 このときの開催期間は、8月ではなく10月10日から24日までだった。それでも、このときのマラソンで銅メダルをえた選手は、次回オリンピック、メキシコ大会を前に「もう走れません」という名言をのこして、自殺した。名言とは、マスコミがそれを感動的物語に仕立て上げたということである。

 かれは、1964年の東京オリンピックがなかったら、地元オリンピックのつくられた熱狂がなかったら、そんなことはしなかったはずである。かれは、現代プロ野球、プロサッカー、大相撲・・・すべてのアスリートたちの先駆者である。また、競馬については、戦後競馬ブームのはじまりは、三冠馬シンザンが登場した’60年代だったのも、客観的偶然である。

 というようなところが、本論の「内容説明」だが、いささか的外れでもうしわけなくおもっている。しかし、筆者の意のあるところをお汲み取りください。なお、筆者は、芸術家、アスリートの位置は、「知識人」の位置でもあると考えていることを、最後にひとこと付言しておきたい。(2021年8月27日)



【執筆者自己紹介】

 田淵 晉也(たぶち しんや): 1936年岡山で生まれる。京都で学生時代をすごす。関心をもつ研究領域はシュルレアリスムを中心とした文学・芸術文化である。著書に『「シュルレアリスム運動体」系の成立と理論』、『現代芸術は難しくない 〜 豊かさの芸術から「場」の芸術へ』、共著書に『ダダ・シュルレアリスムを学ぶ人のために』、翻訳にポール・ラファルグ『怠ける権利』、アンドレ・ブルトン『シュルレアリスムの政治的位置』がある。



○ 語り手は信用できるか: ホーソンの射程(4)

     第5章 嘘つきあるいは物語作家の誕生 

                         ―ホーソンの若年期について― 

 Can the Narrator Be Trusted?  〜 The Shooting Distance of Hawthorne's Narrative 〜 4   Chapter 5    The Birth of a Liar or a Storyteller :  Hawthorne in His Formative Years 

(岩田 強)


【執筆者による内容紹介】 

 「語り手は信用できるか」の章構成を今回変更することにした。従来の構成では、〈信用できない語り手〉の源流の1人とボクが見なしているナサニエル・ホーソンの2つの作品、短編「ロジャー・マルヴィンの埋葬」と長編『ブライズデイル・ロマンス』を冒頭の2章であつかい、第3章ではジョン・アプダイクの『日曜日だけの一か月』、第4章ではジョイス・キャロル・オーツ「大陸の果て」をとりあげた。これらはすべて作品論で、それぞれの作品で〈信用できない語り手〉がどのように扱われているかを具体例に即して見てきたが、ここまで論じてきて、なぜホーソンが〈信用できない語り手〉に執着したかを作家論の形で考察しておく必要を感じるようになった。そこで、ホーソンと〈信用できない語り手〉の係わりをかれの精神形成期に着目して考察し、それを第5章「嘘つきあるいは物語作家の誕生」として挿入することにした。以降、第6章でフォレスト・カーターを論じて全体を完成させる予定だが、完成の時点で章の順序を再度組みなおすかもしれない。


【執筆者略歴】

 岩田 強(いわた  つとむ):  1944年東京生まれ。京都大学でアメリカ文学 (主として19世紀小説)を学び、和歌山大学、山梨医科大学、京都光華女子大 学で教鞭をとる。著書『文豪ホーソンと近親相姦』(愛育社)、訳書 カイ・エリクソン『あぶれピューリタン』(現代人文社)(村上直之氏との共訳) 



○ 正史を彷徨う Part Ⅷ & Ⅸ

Wandering through the Authorized Histories  8 ~ 9

 

       Part Ⅷ

     17.   応神天皇紀から継体天皇紀の記事から


    Part Ⅸ

     18.   東遷追考


(森 隆一)



【執筆者による内容紹介】

Part VIII

 16章で日本書紀の応神天皇紀から継体天皇紀までを見てきた。ここで興味を持った人物として、菟道稚郎子と飯豊皇女が挙げられる。異説ではあるが、共に天皇(倭王)であったとも言われている。17.6節までと17.12節では人物について調べた。他では、官職名などの幾つかを、Wikipediaの記事を見るとともに、応神天皇紀から継体天皇紀までの範囲で検索を行い、ヒットした検索文字列を含む記事を1行程度にして抜き出した。現状は、この時点に留まっている。検索結果を考察するには、引用したWikipediaの記事程度は基礎知識として理解しておく必要であると思われる。皇族に関してはこの程度で足ると思っている。

 思い浮かんだこととしては、まず、大臣・大連の検索結果から、雄略天皇紀辺りが節目のような気がすることである。また、后妃とその父親を入れた系譜から何か言えるのではないかということである。


Part IX

 12章から17章までを念頭において、女王国への行程と倭の東遷について、もう一度考えてみた。不彌国までは以前と変わらない。遠賀川河口部には Flood Maps から、筑紫湖があったと思われる。これから、中間市か直方市を候補地とした。水行二十日の推定次第では、飯塚・田川辺りも考慮の対象となると考えている。邪馬台国は、遠賀川・山国川流域か筑後川・山国川流域のどちらかと考えた。なお、河内湖から上流に向かい、龍田で戦ったという神武東征の話と類似性を感じる。

 神武東征に現れる地名と、国産み神話に現れる国(洲)を併せた図IX03で、山口県が殆ど空白である。Wikipedia「総領」に、坂東・吉備・筑紫・伊予・周防などに総領が置かれたと書かれている。坂東を除いたものは、東遷中に倭王が滞在した所、すなわち、邪馬台国があった所と考えていて、邪馬台国の跡地を直轄地とし、地方官を置き、周辺を統治したと考える。

 東遷は皇子を統率者とする複数の軍団により並行して為されたと考えている。結果的に到達地は近畿地方となった。志賀京や紫香楽京は東遷の再開とみることもできると思えるが、どちらも近畿地方の範囲である。この2京は、東山道を利用しやすいところに都を移したといえる。さらなる東への遷都がなかったのは、大陸との往来に時間がかかりすぎるのが大きいと考える。



【執筆者自己紹介】

 森 隆一 (もり たかかず) :  1945年愛知県にて生まれる。1968年京都大学理学部数学科卒業。1970年同大学院理学研究科数学専攻修了。京都産業大学に勤務し、2015年定年免職。数学では、初めは確率論を、後半は計算可能性解析を研究してきた。




○ 体重       On Weight

                                       (福島 勝彦)


 自分は一生、60キロを超えることはないのではないか。高校3年の中頃までずっと、そう思ってきた。体重のことである。顔はまるまるしているのに、裸になったらガリガリやな…



【執筆者自己紹介】

 福島 勝彦(ふくしま  かつひこ):1945年8月生まれ。大阪市出身。ちょうど戦争が終わったときに生まれ、以後76年、「戦後」の時代とともに生きてきた。京都大学文学部卒業。そのあと、中高一貫の私立男子校に39年間勤務。百万遍・創刊号に掲載した『わがデジタル創世記』を、加筆・修正のうえ、2019年、文芸社から刊行した。また、作品ホームページ「二十世紀作品集」を現在開設中。http://happi-land.com/




○ MISHIMA MONOGATARI  〜 Un samurai delle arti

         「三島物語 ― 芸術のサムライ」

        &

     IL GRANDE VIAGGIO 

       〜 La missione giapponese del 1613 in Europa

        「大いなる旅 ― 1613年日本ヨーロッパ使節団」


The Story of Mishima Yukio:  A Samurai of Arts

The Great Travels :  The Japanese Mission to Europe in 1613


(Teresa Ciapparoni La Rocca)

(訳:稲垣豊典・高田英樹)

 


 最近イタリアで、本同人誌への寄稿者でもある元ローマ大学講師テレーザ・チァッパローニ・ラ・ロッカ氏編纂になる二つの書が刊行された。『三島物語-芸術のサムライ』(2020)と『大いなる旅―1613年日本ヨーロッパ使節団』(2019)である。どちらも、イタリア・日本のみならずヨーロッパ・アメリカ・アジア諸国の多数の研究者から寄稿された論考や資料を編んだ国際的かつ本格的なものであるが、我が国ではほとんど知られていない。大部なものゆえその全体を写/移すことは出来ないが、ここにその表紙・書誌データ・目次そして氏自身の手になる「序文」を掲げて、その欠を埋めることとする。


 

【執筆者紹介】

Teresa Ciapparoni La Rocca  テレーザ・チャッパローニ・ラ・ロッカ:元ローマ大学・文哲学部・日本学科専任講師。芥川をはじめ近代日本文学、近年は近世日伊関係史を中心に研究。2013年旭日小綬章。


  


○ ダンテ・ボッカッチォ・マルコ・ポーロそして東方(2)

Dante, Boccaccio, Marco Polo and the East  2


 マルコ・ポーロと、ほぼ時代の重なるダンテやボッカッチォとの係わりについて、これまでに書いたものをまとめたもの。


        09. ザイトン 泉州     

          10. マルコ・ポーロ写本    

    11. 写本たち     

          12. 旅と書  

   

(高田 英樹)


【執筆者自己紹介】

 高田 英樹(たかた ひでき): 1941年兵庫県丹波生まれ。京都・ピーサでイタリア語を学ぶ。ローマ・京都・松山・大阪で留学生に日本語を教える。今宝塚・丹波で再びイタリア語を勉強している。



同人CD-ROM『百万遍』第7号・編集後記


 毎号、同じ話題で恐縮だが、「新型コロナ」の蔓延が止まらない。強行された「オリンピック・パラリンピック」がどれだけ直接的な原因となったのかは不明だが、国内の感染者数は1ヶ月半で10倍近く急増した。もはや病院には収まりきれず、「自宅療養」を強要され、そこで何の治療も受けられずに命を落とす者さえ出てきている。唯一の救世主と云われた「ワクチン」も、供給が不足して行き渡らず、さらに異物混入という思わぬ事件さえ起こって混乱は深まるばかりだ。

 しかし、そんななかでも、「百万遍」は着実に発行を続けている。こんな時だからこそ「書きたい、書き残しておきたい」という気持ちが募ってくるということもある。次号では、ちがう話題に移りたいものだ。

(2021.9 福島記)



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