第8号・内容紹介



百万遍 Hyaku-man-ben 第8号 

2022年3月18日発行






内容紹介 & 執筆者(自己)紹介



○ 現代中国でもモンタペルティ現象が発生していた

A Montaperti Phenomenon Also Happened in Modern China

(米山 喜晟)


第一章 現代中国におけるモンタペルティ現象発生の経緯 その一 転換前

第二章 現代中国におけるモンタペルティ現象発生の経緯 その二 転換とその後

第三章 なぜ現代中国では、イデオロギー闘争の終焉がモンタペルティ現象を発生させたのか


 戦いに敗れたことが、結果的に、その後の驚異的な経済的・文化的発展をもたらした。そのような歴史の現象を、中世フィレンツェの故事にちなんで「モンタペルティ現象」と名付けた筆者が、前号では、前世紀末の「冷戦終結」を一種の敗戦と見なし、そこから「モンタペルティ現象」を検出することを試みた。その結果、浮かび上がってきたのが、ロシア、中国、ヴェトナム、ラオスである。

 今号では、そのなかでもっとも成功したケースと見られる中国を取り上げる。ヨーロッパでの冷戦終結に先立って起こった「文化大革命」による大混乱を「敗戦」と見なし、そのプロセスを前後の歴史的経緯とともに詳細に検討し、今日の中国が急速に経済的・軍事的発展を遂げた要因を考察する。

 

【執筆者自己紹介】

 米山 喜晟(よねやま  よしあき): 1937年奈良県生まれ。勤務先は、峰山高校,京大(非正規職員)、京都産大、大阪外大、桃山学院大などを転々とした。研究テーマは、フィレンツェ史、イタリア・ノヴェッラ史、ムラトーリ研究、主著は『敗戦が中世フィレンツェを変えた』。




○ 「’60年代日本の芸術アヴァンギャルド(番外編)』

The Avant-garde of Arts in 1960s Japan  (intermission)

 

 ~『風流夢譚』と『エクイプメント・プラン』から見た~

 「ハイレッド・センター」と「中央公論事件」 


   Part 1 (エクイプメント・プラン) 〜  Part 2 (異邦人) 〜 

     Part 3  (中央公論事件1)  〜  Part 4 (中央公論事件2)

    〜  Part 5 (風流夢譚)

 

 (田淵 晉也) 

 

【執筆者による内容紹介】


 今回は「’60年代日本のアヴァンギャルド・番外篇」となったが、これは単なる「番外」ではなく、つぎのふたつの理由によるものである。

 第一の理由は、’60年代の現代芸術の視点から’60年代日本の文芸を自分の目で確認しておこうとしてはじめた本論の、いままで書きつづけてきた流れからやや外れるが、どうしても見とどけておきたいコトがあったからだ。そこで、ピカビアの映画、「Entre-acte」を気取って「中入り」とし、「番外篇」とした。

 見とどけたかったのは、タイトルにいれた今泉省彦のエッセー作品『エクイプメント・プラン』についてだ。この作品には、今回までもふれているが、次回あつかう、ハイレッド・センター成立の契機になった座談会で、おおきく扱われているから、これ自体をどうしても精読しておきたったからだ。それに、今回きちんと読むことによって、いままで見えていなかったものが、わかったような気になったところもある。

 したがって、番外篇とはしたが、次回継続する内容に通じるところもあるから、かならずしも完全な番外ではない。

 それにまた、この「作品」については、照井康夫の『美術工作者の軌跡 今泉省彦遺稿集』(2017年刊)に、若干誤記のまじった「作品」が収録されているだけで、わたしの知るかぎりでは、だれも論じていない。しかし、昨今の時代の風潮をみると、ろくろく読みもしないで’60年代資料として過大に評価される危険性もあるから、『形象』誌掲載の原文を参照しながら、これが書かれた時代を体験した私の読後感を遺しておくのも何らかの意味があるともおもったからでもある。

 「番外篇」の第二の理由は、切実感があるようでないような、つぎのようなことである。『百万遍』2号誌から掲載をはじめた本論は、深沢七郎の『風流夢譚』と中央公論事件をキーワードに’60年代日本の文芸風俗を見とどけておこうということではじめた。ところが、書いてみると容易にはそこに至れないのがわかった。それならそれで、自分にとっては確認できたこともあるから、すでに各篇の「執筆者の内容説明」で記したような理由で、書きつづけているわけだ。

 しかし、当初そのつもりだった、「『風流夢譚』と中央公論事件」について言うべきものがあり、また、準備していた各種資料もある。資料のなかには、昨今の情報過多なときでも公開できないものがふくまれている。たとえ本論が、そこまでたどりつけなくても、せめて、それらだけでも救済しておきたいとおもい、あえて、構成を乱し挿入したわけである。ここでいう「救済」とは、世の中に記録としてのこすのに、わずかでも寄与したいことである。今回もそのひとつふたつを使ったが、これは現在の出版事情や世の中のうごきでは、まずどんな企業体も出版してくれないものであり、われわれの同人誌でなければ発表できないだろう。これもまた、われわれ同人誌の、現代的意義かとおもう。

 後期高齢者の境をかなり越えてしまった執筆者の、若干個人的で独り善がりの内容になった理由である。



【執筆者自己紹介】

 田淵 晉也(たぶち しんや): 1936年岡山で生まれる。京都で学生時代をすごす。関心をもつ研究領域はシュルレアリスムを中心とした文学・芸術文化である。著書に『「シュルレアリスム運動体」系の成立と理論』、『現代芸術は難しくない ~ 豊かさの芸術から「場」の芸術へ』、共著書に『ダダ・シュルレアリスムを学ぶ人のために』、翻訳にポール・ラファルグ『怠ける権利』、アンドレ・ブルトン『シュルレアリスムの政治的位置』がある。




○ 語り手は信用できるか: ホーソンの射程(5)

     第6章 森のなかのリンチ

〜フォレスト・カーターの場合〜

Can the Narrator Be Trusted?  〜 The Shooting Distance of Hawthorne's Narrative 〜 5  

 Chapter 6    Lynch in the Forest :  Forrest Carter’ Case  


(岩田 強)


【執筆者による内容紹介】 


 日本の読者にとってフォレスト・カーターは、チェロキー族の祖父母に育てられた少年時代の回想記『リトル・トリー』や、アパッチ族の戦士ジェロニモを主人公にした『ジェロニモ』など、アメリカ先住民を描く作家として知られているのではないだろうか。映画が好きな人であれば、クリント・イーストウッド監督主演の西部劇「アウトロー」の原作者といえば思い当たるかもしれない。だが、かれに激烈な黒人差別者という裏の顔があったことを知る人は少ないのではないだろうか。アメリカ先住民にたいする共感と愛情、アフリカ系アメリカ人への憎悪と攻撃、この二つの要素がどのように一人の人間のなかで共存していたのか、それを今号と次号にわけて考えていきたい。


【執筆者略歴】

 岩田 強(いわた  つとむ):  1944年東京生まれ。京都大学でアメリカ文学 (主として19世紀小説)を学び、和歌山大学、山梨医科大学、京都光華女子大 学で教鞭をとる。著書『文豪ホーソンと近親相姦』(愛育社)、訳書 カイ・エリクソン『あぶれピューリタン』(現代人文社)(村上直之氏との共訳) 




○ I DIARI GIAPPONESI DE M.ME SALLIER DE LA TOUR       「サリエ・ド・ラ・トゥール夫人の日本日記」

M.Me Sallier de La Tour’s Diary in Japan

(Teresa  Ciapparoni  La  Rocca)


 先年、初代駐日イタリア公使サリエ・ド・ラ・トゥール Sallier de La Tour の夫人マティルドMathildeの日本紀行がイタリアで発見されて話題になった。明治2年に西洋人女性としては初めて日本内地を旅した時の日誌で、名高いイザベラ・バード「日本奥地紀行」に10年先立ち、その精確でユニークな観察と克明な記録は決してそれに劣らぬものである。それをいち早く紹介した、テレーザ・チァッパローニ・ラ・ロッカ氏の 論文をここに転載する(Atti XXV Convegno AISTUGIA「イタリア日本学会誌」2001, pp. 191-201)。(高田記)


【執筆者紹介】

Teresa Ciapparoni La Rocca  テレサ・チャッパローニ・ラ・ロッカ: 元ローマ大学・文哲学部・日本学科専任講師。近世日伊関係史を中心に研究。2013年旭日小綬章。



○ 正史を彷徨う 

     19.   文武天皇までの陵と宮

Wandering through the Authorized Histories; 

 Chapter 19     Imperial Tombs and Palaces until Emperor Monmu

    

(森 隆一)



【執筆者による内容紹介】


 19章では天皇陵と宮について考察した。ここで、本稿の立場から生じる疑問 “大和にいないと考えられる天皇の陵や宮が何故大和にあるとされているのか” を念頭において進めた。

 タイトルは “文武天皇までの陵と宮” としたが、「宮内庁>天皇陵」に書かれている陵の位置を基に継体天皇までの陵の配置からの考察が主である。ここまでで考察した天皇紀は継体天皇までであるが、比較の為、文武天皇までも対象とした。実際には、奈良湖の湖水面の標高の考察を行った後、天皇陵の配置に関する議論に入った。各天皇あるいは複数の天皇の陵に宮を書き込んだ地図を作製したら面白いと思ったが、宮の位置をどう特定するかが解決できず、実現していない。

 今後はPartによる原稿作成を止め、章ごとに作成することにした。これに伴い、今回の19章と以後予定している幾つかの章を Part X とすることにします。これは、図表が増えてファイルの容量が増したことにより、PartVIIからは1つのPartに1つの章が続き、Partの意味がなくなってきたことによる。

 今までとの目立った違いは、図表番号を章ごとに割り振ることになったことだけと考える。これはこれで見栄えのいいものではないが、番号の付け替えはかなり手間のかかるもので、改訂と同時に行うことにして、当面はこのままで進めるつもりである。



【執筆者自己紹介】

 森 隆一 (もり たかかず) :  1945年愛知県にて生まれる。1968年京都大学理学部数学科卒業。1970年同大学院理学研究科数学専攻修了。京都産業大学に勤務し、2015年定年免職。数学では、初めは確率論を、後半は計算可能性解析を研究してきた。




○ 北海道   School Trips to Hokkaido  

                                       (福島 勝彦)


 私がはじめて北海道に行ったのは、高等学校に就職して3年目の夏休みだった。修学旅行の「下見」に行ってみないかと誘われたのだ。本番では「フェリー」だったが、下見では、特別に飛行機となっていた。私にとっては、北海道もはじめてなら、飛行機もはじめてで、出発の日が近づくにつれて、胸が躍るのを抑えきれなかった。ところが、出発当日になって、思いがけないことが起こった…


【執筆者自己紹介】

 福島 勝彦(ふくしま  かつひこ)1945年8月生まれ。大阪市出身。ちょうど戦争が終わったときに生まれ、以後76年、「戦後」の時代とともに生きてきた。京都大学文学部卒業。そのあと、中高一貫の私立男子校に39年間勤務。百万遍・創刊号に掲載した『わがデジタル創世記』を、加筆・修正のうえ、2019年、文芸社から刊行した。また、作品ホームページ「二十世紀作品集」を現在開設中。http://happi-land.com/  こちらもご覧ください。



○ 謎ときマルコ・ポーロ(7)

Solving the Mysteries of Marco Polo  7


   21-1 グラン・カン・クビライ(1) 容姿・妃たち

       21-2 グラン・カン・クビライ(2) 息子・孫

         22-1 グラン・カン・クビライ・その都 (1) 宮殿(改訂版)

         22-2 グラン・カン・クビライ・その都 (2) 大都の街

         22-3 グラン・カン・クビライ・その都 (3) 城外地区


   (高田 英樹)


 『東方見聞録』で有名なマルコ・ポーロ。実は、謎の多い人物である。

 その書はだれが書いたのか? 本当に東方に旅したのか? そもそも、実在の人物なのか? 

 残された数多くの「写本」から、代表的な7つの版を読み比べ、その謎に迫っていく。  

   

【執筆者自己紹介】

 高田 英樹(たかた ひでき): 1941年兵庫県丹波生まれ。京都・ピーサでイタリア語を学ぶ。ローマ・京都・松山・大阪で留学生に日本語を教える。今宝塚・丹波で再びイタリア語を勉強している。




○ ディーノ・ブッツァーティ短編選(7)

 Selected Short Stories of Dino Buzzati  7

   『クリスマスのお話』   Racconto di Natale

   (A Tale of Christmas)


(ディーノ・ブッツァーティ、ブッツァーティ読書会・稲垣豊典訳


【原作者紹介】

 ディーノ・ブッツァーティ(1906~1972): 20世紀イタリア文学を代表する作家のひとり。幻想的、不条理な作風から「イタリアのカフカ」と称されたこともあるが、短編小説の名手としても有名である。




同人CD-ROM『百万遍』第8号・編集後記


 この欄に「新型コロナ」が登場したのは「第5号」、2020年8月であった。それから1年半、いまだその話題から抜け出せないとは、いったいどうしたことだろう。

 そう思っているうちに、欧州では、ロシアとウクライナの戦争が始まった。国境近くに大軍を集結させるロシアに対抗し、軍備を増強して、愛国心を鼓舞し続けるウクライナ大統領を見て、なんとか軍事的衝突は避けられないものか、と願っていたが、ついにロシア軍が「侵攻」した。

 いろんな歴史的経緯はあるのだろうが、近年まで同じ国であったところが独立し、叛旗を翻して「敵陣営」に加わろうとするならば、ロシアとしても黙認はできないだろう。ウクライナは、少なくとも、拙速にNATO(北大西洋条約機構)という軍事同盟に加盟することだけは思いとどまって、苦しいながらも、平和裡に未来を切り拓く道を探るべきだった。

 いったん戦火を交えれば、その結果がどうなるにせよ、多くの兵士が戦場で死に、またそれ以外でも、巻き込まれて亡くなったり、怪我をしたり、そして難民となって国外に逃亡せざるをえなくなる人々が多数出ることになる。だれにとっても、好いことは何もないのだ。

 自分の身に置き換えて考えてみると、日本はいまアメリカと「同盟」関係にあるが、沖縄など各地に大きな顔で存在する「米軍基地」に象徴されるように、その関係は「従属」的なものではないかといわれることもある。

 それを解消するために、即座にアメリカとの同盟を破棄して、別の同盟に加わろうとすれば、アメリカも、今のロシアのように、黙ってはいないだろう。侵攻してくるアメリカ軍に対して、お前は武器をとって戦うことができるか?

 「はい!」と手を上げるのは威勢のよいことだけれど、待っているのは「戦争の地獄」だ。

 そんなことにならないよう、ありとあらゆる手を尽くすのが、国政を預かる者の使命であり、そうさせるように後押しするのが国民の責任であろう。

 何と云っても、平和がいちばんなのである。

(2022.3 福島記)


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