百万遍 Hyaku-man-ben 第10号
2023年3月19日発行
内容紹介 & 執筆者(自己)紹介
○ ダンテの作品における「家」の意味
What ‘Family’ Means in Dante’s Works
13世紀のイタリアでは、北ヨーロッパの諸国と違って、領主たちは「田舎」ではなく「都市」に住んでいた。封建的出自を誇る貴族たちが、領地の中で孤立して存在するのではなく、町中で商人たちと混じって住み、時には、自分たちも商業活動に従事したりすることもあった。
そのように、市民たちと混じりあって生活する中で、さまざまな人的交流が生まれるとともに、軋轢も発生し、そうした摩擦を緩和するためにも、「一族」や「家族」の意識が必然的に強固に築かれていった。そんな「家」や「家族」に関する諸々の事象は、文学により豊かな素材を与えることにもなり、充実した活動が生まれて、いつしか文学の「首位権」は北ヨーロッパからイタリアに移っていった。
そんな動きの中心にいたのがダンテで、今回は『神曲』を中心とする、その作品のなかに「家」あるいは「家族」に関する事象がどのように扱われているか、どのような意味を持っているかを検討、分析し、ヨーロッパ文学史の大きな曲がり角となったこの時代のイタリアを考察していく。
【執筆者自己紹介】
米山 喜晟(よねやま よしあき): 1937年奈良県生まれ。勤務先は、峰山高校,京大(非正規職員)、京都産大、大阪外大、桃山学院大などを転々とした。研究テーマは、フィレンツェ史、イタリア・ノヴェッラ史、ムラトーリ研究、主著は『敗戦が中世フィレンツェを変えた』。
○ ’60年代日本の芸術アヴァンギャルド(7)
The Avant-garde of Arts in 1960s Japan 7
’60年代日本のアヴァンギャルドと’30年代フランスの
シュルレアリスム
(田淵 晉也)
【執筆者による内容紹介】
本論の主意は、総タイトル「’60年代日本の芸術アヴァンギャルド」のもとで、文頭に掲載している、これまで書いた各章・節の流れのなかにあるのだが、本稿の主旨は、副題「’60年代日本のアヴァンギャルドと’30年代フランスのシュルレアリスム」から、みることができる。主意についてはさておき、10号誌掲載分について弁明ともつかぬ紹介をしておこう。
副題から見た内容は、小項目で示した「戦後日本のレジスタンス文学」「シュルレアリスムにおける政治と芸術」「シュルレアリスムにおける芸術の立場 ─ ダリの場合」と、とりあえず設けた道標のとおりである。しかしそれらとて、内容は解説ではなく、それらをどのように説明できるかの試行錯誤である。というのは、旧来の論文のように、結論があって書いているのではなく、また、異なる立場を説得しようとか、理解してもらいたいのでもない。まず自分自身が納得できるように、説明してみたいのである。
だが、この試行錯誤の軌跡もさりながら、執筆者のいまひとつの意図は資料性にある。
昨今、コンピューター社会となり、いかなるデーター(既知事項)も容易に入手できるとおもわれているが、わたしのような、’60年代のこの時代で生活してきた者からみると、かなり巧妙なセレクトがおこなわれているようにみえる。データーがデーターの海で溺死するように仕掛けられているようにみえる。
上記の関係項目のなかの消滅しかかっているデータを、つとめて整理して蘇生させることを心掛けている。本稿で言えば、’60年代日本のアヴァンギャルディストの「座談会・直接行動の兆し」などもそうである。この座談会記録は、筆者の知っているかぎりでは、国立国会図書館電子保存版雑誌『形象』や特殊古書店の埃をかぶった雑誌のページのなかにしか見あたらない。
そうしたデーターを紹介することである。紹介とは名前をつたえるだけでなく、解釈して意義を知らせることである。だから、商業出版では許容されない、電子同人誌だけに許される、冗長な引用をおこない、煩瑣な注記をもうけ、逐一出典を示した。本稿にかぎっていえば、筆者がもちいた邦訳のない資料のタイトルは原文を併記した。また、注記にいれた”『百万遍』XX号参照”などは、電子版『百万遍』では全号が掲載されているから、わたし自身が活用しているように、コンピューター検索機能をもちいて、検索できることを考慮している。
最後に、本稿の内容について、一言だけお詫びをしたい。最終小項目「─ ダリの場合」は、「─ アラゴンの場合」とセットになるのだが、それを書きおえることができなかった。これをセットで示さねば、「シュルレアリスムにおける政治と芸術」につづく、「シュルレアリスムにおける芸術の立場」への連繫がわからない。次号『百万遍』では、すでに大半を書いているこの小項目を完成させたいとおもっている。
【執筆者自己紹介】
田淵 晉也(たぶち しんや): 1936年岡山で生まれる。京都で学生時代をすごす。関心をもつ研究領域はシュルレアリスムを中心とした文学・芸術文化である。著書に『「シュルレアリスム運動体」系の成立と理論』、『現代芸術は難しくない ~ 豊かさの芸術から「場」の芸術へ』、共著書に『ダダ・シュルレアリスムを学ぶ人のために』、翻訳にポール・ラファルグ『怠ける権利』、アンドレ・ブルトン『シュルレアリスムの政治的位置』がある。
○ 語り手は信用できるか:ホーソンの射程(6)
Can the Narrator Be Trusted? 〜 The Shooting Distance of Hawthorne's Narrative 〜 6
Chapter 6 Lynch in the Forest : Forrest Carter’s Case 2
(岩田 強)
【執筆者による内容紹介】
今回論考を進めることなく年表を作成した理由は拙文冒頭に書いたとおりである。等高線上を平行移動しているもどかしさはあったが、年表を作成することで当時の世相、事件という背後関係のまえにフォレスト・カーターを措くことができたのは収穫だった。たとえばマッカーシズムや黒人市民権運動との関連がちょくせつ感じとれる箇所は作品中には皆無だが、年表を作っていくと、カーターの言動がかれの生きていた時代と社会と密接に連動していたことが見えてくる。ケネディー兄弟やキング牧師のように陽のあたる場所ではなく、大衆のうす暗い生活において、かれもまた時代の子だった。
【執筆者略歴】
岩田 強(いわた つとむ): 1944年東京生まれ。京都大学でアメリカ文学 (主として19世紀小説)を学び、和歌山大学、山梨医科大学、京都光華女子大学で教鞭をとる。著書『文豪ホーソンと近親相姦』(愛育社)、訳書 カイ・エリクソン『あぶれピューリタン』(現代人文社)(村上直之氏との共訳)
○ 正史を彷徨う(8)
Wandering through the Authorized Histories 8
Chapter 21 Place-names appearing before Emperor Keitai’s Era
Chapter 22 Government-posts and Ancestors of Powerful Families appearing before Emperor Keitai’s Era
○ 石仏あれこれ(2)
Visiting Some Stone Buddhist Images 2
シリーズA 石仏を訪ねる
シリーズB 石仏を考える
○ 写真アルバムから
From My Photo Albums
‘シリーズC 寺社華風月 (白黒)’
Natural Beauties around Temples and Shrines (monochrome)
(森 隆一)
【執筆者による内容紹介】
「正史を彷徨う」については、
21章 継体天皇紀までに現れる地名
22章 継体天皇紀までに現れる官職と豪族の祖先
の2章を用意した。21章では、記紀の漢字の読みに関して、森博達説と藤井游惟の修正を調べた後、日本書紀の神武天皇紀から継体天皇紀までに書かれている国内の地名をリストアップしてみた。
22章では、日本書紀の神武天皇紀から継体天皇紀までに現れる官職名や豪族の始祖の初出の一覧表を作成した。前者は目に付くものを拾い出したもので、後者は‘祖’で検索をして、初出のものを集めたものである。
「正史を彷徨う」は膠着状態に陥っている気がしている。大きな原因は、記事が増えたにもかかわらず、筆者の基礎知識が乏しいことによると考えている。その表れとして、本稿で行っている、疑問を挙げ、作業仮説を立ててこれを検証していくという手法が、疑問も作業仮説も立てられなくなっている。この原因としては、関連することが増え、適切な問題設定が出来ないことではないかと思っている。また、これまでの作業仮説についても、‘言いぱなっし’の感があり、作業仮説の整理と、本文の見直しをする必要があると思っていた。しかし、修正はかなり面倒であまり面白くない。そこで、海岸線に関する考察を前提にして書き直していきたい。
本稿についてであるが、予定に従って、聖徳太子が書かれている推古天皇紀までで終わりとすることにする。聖徳太子は、日本武尊・菟道稚郎子と並んで、王位は消されたが、業績は消すことが出来なかった3皇子と考えている。日本武尊・菟道稚郎子については、20章以降を取り込んで、考え直したいと思っていたところである。
これにより、次回に
23章 安閑天皇紀から崇峻天皇紀
24章 隋書・唐書の倭・日本
の2章を投稿し、「正史を彷徨う」は終わりとします。
22章の‘あとがき’で‘本稿はα版と仕様書の中間’と述べた。この観点からは、
21・22章は仕様書レヴェルかその資料と考えている。
この後は、仮タイトル「正史を訪れる」として、α版を目指す予定である。
「石仏あれこれ」では次を取り上げた。
‘シリーズA 石仏を訪ねる’
A3 秩父 金昌寺 1976 A4 一乗谷 西山光照寺跡1976
A5 散見 1975 以前 A6 散見 1976
金昌寺と西山光照寺跡は、前巻で扱った慈眼堂と共に石仏写真を撮ることにしたきっかけとなったところで、知恩寺と共に初めに置くことにした。
この後は、アルバムの順に掲載していく予定である。上記3カ所以外でも1976年以前に、石仏の写真は撮っていたが、1か所での写真は少ない。これらを、‘散見 1975’・‘散見 1976’と集約した。
‘シリーズB 石仏を考える’については、‘B1 石仏とは’を準備した。仏像に関する知識を得るため、主としてWikipediaから、各種仏像の解説記事を引用したものである。この後は、メモで取り込んでいた画像をどうするかという問題があり、試行錯誤でやっていくしかないと思っている。基本的には、Wikipediaと寺社などのサイトと観光協会のサイトでダウン・ロードできるもの程度は大丈夫ではないかと思っているが、改めて探すことになる。これら以外は、数年前に作成したリストから、現在も続き、更新が行われているものをリンクする程度が妥当と考えている。
今回から、新たに「写真アルバムから」の連載も始めることにした。車の運転に慣れた1978年以降は、石仏以外の写真は殆ど撮らなくなったので、ここで取り挙げる写真は1978年までに撮影したものである。系列はAから始めるべきであるが、「石仏あれこれ」と混同するので、Cから始めることにした。
本号に投稿したものは、以下である。
「写真アルバムから」
はじめに
‘シリーズC 寺社華風月 (白黒)’
C1 真如堂・光明寺1973-1974 C2 泉涌寺・東福寺 1974
C3 妙心寺・北野神社1974 C4 今宮神社・大徳寺1974
C5 散見1974 C6 伏見稲荷・鞍馬寺 1975
【執筆者自己紹介】
森 隆一 (もり たかかず) : 1945年愛知県にて生まれる。1968年京都大学理学部数学科卒業。1970年同大学院理学研究科数学専攻終了。京都産業大学に勤務し、2015年定年退職(免職)。数学では、初めは確率論を、後半は計算可能性解析を研究してきた。
○ 北海道3 School Excursions to Hokkaido 3
(福島 勝彦)
定年まであと10年となってからも、修学旅行の付き添いで北海道へはもう3回行くことになった。その時々の学年にはいろんな特徴があり、さまざまな出来事もあった…
【執筆者自己紹介】
福島 勝彦(ふくしま かつひこ):1945年8月生まれ。大阪市出身。ちょうど戦争が終わったときに生まれ、以後77年間、「戦後」の時代とともに生きてきた。京都大学文学部卒業。そのあと、中高一貫の私立男子校に39年間勤務。百万遍・創刊号に掲載した『わがデジタル創世記』を、加筆・修正のうえ、2019年、文芸社から刊行した。また、作品ホームページ「二十世紀作品集」を現在開設中。http://happi-land.com/ こちらもご覧ください。
Gleanings from The Tale of Genji and L’Astrée
(高藤 冬武)
内容については、本文冒頭の「はじめに」を参照してください。
【執筆者自己紹介】
高藤 冬武(たかとう ふゆたけ): 1939(昭和14)年東京生。1958年京大文学部入学、同大学院博士課程一年退学(仏文学)。以降、京産大(2年)、大阪樟蔭女子大(10年)、九州大(26年)でフランス語教育担当。武蔵、畿内、筑前と西下、太宰府の道真との「出会い」、その流謫の地で詠まれた漢詩(菅家後集)に親狎愛惑す。多感な十代末から不惑の年ならぬ不惑の最中まで、二十有余年を過ごした京大阪の風土文化、人情こそ、我が心の終の栖、望郷、忘られぬ。京國歸何日(道真)。
文学研究では、フランス小説における恋愛思想の変遷を辿った。十二世紀南仏の所産、「恋愛の文化」(宮廷風恋愛 アムール・クルトワ)は、近代科学技術文明の勢いの前に衰退し、恋愛小説の舞台は、〈許されぬ愛の悲劇〉から〈許された愛の幻滅と苦悩〉(恋愛結婚の誕生)へと替わった。後者、文学史上の傑作、バンジャマン・コンスタン(1767-1830)の『アドルフ』の登場である。コンスタンに於ける「作家と作品」の表裏一体に的をしぼり、ルソーの『告白録』をも凌ぐ(F. モーリアック)と言われる『私日記』を翻訳した(九州大学出版刊2011年)。
Lured unawares to Hyaku-man-ben
(ワタナベ)
【執筆者自己紹介】
ワタナベ:
1978 愛媛県生まれ
2004 大阪芸術大学大学院卒業
2018 ワタナベ彫刻展 〜憑代探し〜 大阪 【GALLERY WKS.】
2020 ワタナベ彫刻展 前期〜木偶も化身も〜 後期〜奇縁集会〜 大
阪 【GALLERY WKS.】
2021 下垣沙耶香・ワタナベ二人展 〜誰そ在るか〜 大阪
【GALLERY WKS.】
○ 謎ときマルコ・ポーロ(8)
Solving the Mysteries of Marco Polo 8
『東方見聞録』で有名なマルコ・ポーロ。実は、謎の多い人物である。
その書はだれが書いたのか? 本当に東方に旅したのか? そもそも、実在の人物なのか?
残された数多くの「写本」から、代表的な7つの版を読み比べ、その謎に迫っていく。
(高田 英樹)
15世紀前半、ポーロに続いて25年(1419~44)の長きにわたって東方に旅したもう一人のヴェネツィア商人ニコロ・ディ・コンティ(1395~1469)旅行記の全訳。テキストは、教皇エウゲニウス4世の命によりその秘書官ポッジォ・ブラッチォリーニに語ったものがポルトガル語訳され、それからラムージォがイタリア語に訳して『航海と旅行』に収めたものである。
【執筆者自己紹介】
高田 英樹(たかた ひでき): 1941年兵庫県丹波生まれ。京都・ピーサでイタリア語を学ぶ。ローマ・京都・松山・大阪で留学生に日本語を教える。今宝塚・丹波で再びイタリア語を勉強している。
Selected Short Stories of Dino Buzzati 9
『編集長様親展』 Confidential ! Dear Editor-in-chief
(ディーノ・ブッツァーティ、ブッツァーティ読書会・稲垣豊典訳)
【原作者紹介】
ディーノ・ブッツァーティ(1906~1972): 20世紀イタリア文学を代表する作家のひとり。幻想的、不条理な作風から「イタリアのカフカ」と称されたこともあるが、短編小説の名手としても有名である。
同人CD-ROM『百万遍』第10号・編集後記
4年目に突入した「コロナ禍」もようやく終息の出口が見えはじめたのだろうか。そんな動きがあちこちに見られるが、科学的根拠は確かではなく、政治的思惑だけが先行しているきらいもあって、本当にそうなのだろうか、という疑念は消えない。
ウクライナでの戦争は1年が過ぎたが、いっこうに終わる気配がなく、仲裁の動きも一切ない。双方で多くの人命が失われていく一方、巨利を得て、笑いが止まらぬ連中も大勢いるのだろうか。この戦争が引き金となって、世界の経済に大きな澱みが生じ、「円安」のマイナス面が一挙に露出して、国内の消費者物価の急上昇が、私たちの生活を直撃しはじめた。
こんな暗いニュースが続く中、わが「百万遍」はついに2桁の号数に達することができた。年2回のペースも着実に守っている。さらに、今号も2名の新人の参加を得て、新しい傾向の作品が付け加わった。従来の連載原稿も好調に続いている。世の中のいろんな動きに屈することなく、この調子で活動を進めていきたいと思う。
(2023.3 福島記)