第4号・内容紹介


   百万遍 Hyaku-man-ben 第4号 

2020年3月10日発行





内容紹介



○ モンタペルティ現象はイタリア・ルネサンスに

どのように寄与したか

 How the Montaperti  Phenomenon Contributed to the Making of the Italian Renaissance?


(米山 喜晟)


第一章 イタリア・ルネサンス像の二つの型

第二章  二つのイタリア・ルネサンスにおけるフィレンツェの役割

第三章  第一型のイタリア・ルネサンスに与えたモンタペルティ現象の影響

第四章  第二型のイタリア・ルネサンスに与えたモンタペルティ現象の影響



 ヨーロッパの「近代」の扉を開いたといわれる「イタリア・ルネサンス」。その中心的な担い手となった「フィレンツェ」は古来富裕な都市であり、早くから商業活動が盛んで、優れた経済政策によって繁栄し、13世紀半ばからイタリア史のリーダーであり続けた、とするこれまでの「通説」を覆す。 

 フィレンツェは、実はイタリア史への登場が遅く、当初はきわめて好戦的で、10年にわたって戦い続けたあげく、モンタペルティの敗戦によっていったん政権が崩壊、その敗戦の影響で、国際関係に敏感な第二次市民政権が成立し、その政権下で従来イタリアでは二流だった経済も文化も驚異的に発展して、イタリアを代表する都市になったとする、前号でも展開した主張をさらに詳細に論証した論文である。


【執筆者自己紹介】

 米山 喜晟(よねやま  よしあき): 1937年奈良県生まれ。勤務先は、峰山高校,京大(非正規職員)、京都産大、大阪外大、桃山学院大などを転々とした。研究テーマは、フィレンツェ史、イタリア・ノヴェッラ史、ムラトーリ研究、主著は『敗戦が中世フィレンツェを変えた』。




○ ’60年代日本の芸術アヴァンギャルド(2)

 The Avant-garde of Arts in Japan in the 1960s 2

 第2章  「デモ・ゲバ」風俗のなかの「反芸術」

  1)’60年代日本の「反芸術」 (その1) 

  2)’60年代西欧の「新(反)芸術」(『ヌーヴォー・レアリスム』の場合)

        Part 1  〜 Part 2 〜 Part 3 〜 Part 4

    3)トリスタン・ツァラの『ダダ宣言1918』とアンドレ・ブルトンの

         「反芸術」

      Part 1 〜 Part 2 〜 Part 3 〜 Part 4 〜 Part 5 

  (田淵 晉也) 


【執筆者による内容紹介】 

 これは『百万遍第2号』掲載からはじめた「’60年代日本の文芸アヴァンギャルド─ 『風流夢譚』と中央公論事件」の連載のつづきである。

 前号『百万遍第3号』には休載したが、その「休載おことわり」に書いたように、書いているうちにやむをえず、最初のタイトルをすこしずらし、内容の章分けも、今回掲載の冒頭ページの目次に記したように、最初の第2号掲載分を第1章とし、変更をくわえた。そして、はじめのタイトルにあった「『風流夢譚』と中央公論事件」は、最終の第3章のタイトルとすることにした。

 わたしがもっとも書いてみたいのは、’60年代日本とこの「『風流夢譚』と中央公論(社)事件」であることになんらかわりはない。

 しかし、そのためには、どうしても、「『風流夢譚』と中央公論(社)事件」があらわれた、時代の状況を見定めておかねばならない。そうした事情からこうした変更がおこり、今回のような内容となったのである。

 今回の内容は、日本の状況にふかくかかわる西欧の事情を見ておくために、翻訳を多くもちいることになった。こうした場合の翻訳の使い方はつくづく難しいとおもった。文章論理の思考と翻訳の思考は並立できない、ことに時間に追われているわたしにはできないから、既訳があればこれに頼ることになる。しかし、ねらいは原著者の意向にあるのだから、複数の翻訳があるときは、どうしても訳文のことばが発散する感情がニュートラルな単語帳のような翻訳をえらぶことになる。そして、微妙なところでは、原文を引き合いに出さなければならない。それが、今回の第3節の「ツァラのダダとブルトン」におこったことである。第2節の「ヌーヴォー・レアリスム」は、訳文が見あたらなかったので(奇妙なことだが、おそらく、まだないのだとおもわれるが)自分でてきとうに訳しておいた。

 したがって、訳文は多く引用したが、その原型をとどめぬまでに、自分につごうのいいように修正したものがある。もっとも、そうはいっても、訳文について、いかなる議論にも応じる覚悟はいちおうはある。しかし、こうした所業は、一般刊行物ではけっしてできないことである。たしか、20行をこえる引用は、金銭がからむかもしれない承諾を必要とするのではなかっただろうか。そうしたことは、今回かなりふんだんにつかった図版のあつかいにも、日本に著作権所有者が代理人をおいていれば、一般書籍ならちょっと問題だったかもしれない。これらについては、まえにもすこし書いたが、つくづくこの『百万遍』のありがたさをかんじる。

 好きなことを、好きなように、また、好きなだけ書け、また、定期的な締め切りによってそれを督促してもらえる、こうした時代にそくした発表機関にめぐりあえたことはじつに幸運だとおもう。

 しかし、わたしは、この幸運をまだほんとうには活かしていないのではないかともおもう。一般刊行物では決して刊行できないような、真に意味のある内容をもりこんだものをまだなにも書いていないと忸怩たるおもいでいる。はやく、第3章にはいりたいものである。


【執筆者自己紹介】

 田淵 晉也(たぶち しんや): 1936年岡山で生まれる。京都で学生時代をすごす。関心をもつ研究領域はシュルレアリスムを中心とした文学・芸術文化である。著書に『「シュルレアリスム運動体」系の成立と理論』、『現代芸術は難しくない ~ 豊かさの芸術から「場」の芸術へ』、共著書に『ダダ・シュルレアリスムを学ぶ人のために』、翻訳にポール・ラファルグ『怠ける権利』、アンドレ・ブルトン『シュルレアリスムの政治的位置』がある。




○ 語り手は信用できるか ~ ホーソンの射程(3)

   第4章 飢えの始まるところ 

 Can the Narrator Be Trusted?  3 〜 The Shooting Distance of Hawthorne's Narrative

Chapter 4    Where Starvation Begins

(岩田 強)


【執筆者による内容紹介】 

 第4章ではアメリカの現代作家ジョイス・キャロル・オーツの中編『大陸の果て』をとりあげ、作者の韜晦戦略を検討する。この作品の核は、幼少時に体験した両親の離婚から精神的外傷をこうむった若い娘の心理劇だが、作者オーツはその精神分析的物語に目に見えにくい寓喩的衣裳をまとわせていて、ある色眼鏡をかけるとその衣裳が見えてくるのではないだろうか。本章が目指しているのはその色眼鏡のかけ方を示唆することである。


【執筆者略歴】

 岩田 強(いわた  つとむ): 1944年東京生まれ。京都大学でアメリカ文学(主として19世紀小説)を学び、和歌山大学、山梨医科大学、京都光華女子大学で教鞭をとる。著書『文豪ホーソンと近親相姦』(愛育社)、訳書 カイ・エリクソン『あぶれピューリタン』(現代人文社)(村上直之氏との共訳)




○ 正史を彷徨う Part Ⅱ & Part Ⅲ

Wandering about the Authorized Histories  2 ~ 3

(森 隆一)

    Part Ⅱ

      4. 韓

      5. 東アジア概観 (中国と東夷諸国)


    Part Ⅲ

      6. 高句麗の王統

      7. 百済の王統

      8. 新羅の王統

 


【執筆者による内容紹介】

(Part II)

 中国の正史・三国史記・日本書紀から、日本の古代史を考えることを目標としている。Part II は2つの章から成る。

 4章では、後漢書・三国志・晋書にしか書かれていない韓条を、出自と朝貢を主に考察した。

 5章の前半では、隋の前までの中国の王朝について、筆者のイメージを確認する意味を込めて、Wikipedia の記事を選択引用することにより概説を試みた。

 後半では、東夷諸国を同様に扱った。こちらは興味ある記事の抜き出しである。扶余については、正史の情報もかなりあり、今後考察したいと思っている。

 なお、高句麗が抜けているのは、1つには、晋書を除き、唐書までの全ての東夷伝に書かれ、情報が多量である。もう1つは、高句麗本記に倭の記事が書かれていないことによる。


(Part III)

 Part III は朝鮮三国、すなわち、倭と密接に関わった百済・新羅とその背後にある高句麗を調べる第一歩として、各国の王統を考察した。 

 結論を簡単にいえば、中国に朝貢した後の王統は三国史記と正史でほぼ一致しているということである。これは、高句麗では第6代太祖大王 宮 以降、百済では第13代近肖古王句 以降、新羅では第23代法興王秦 以降となる。

 上記以前の王については、高句麗は正史では高句麗本記とは異なる王統が書かれている。百済と新羅は、恐らくは使者から聞き取った、始祖に関する記事の他は、王の名前が書かれていない。三国史記の両国の王統を検討することにより、複数の王朝を1つにしたのではないかという考えに到り、幾つかの修正王統を考えた。

 次では倭の東遷と倭の五王を扱う予定である。

 倭の五王に関しては、百済本記では、第18代腆支王映以降が主となることから、修正王統の検証を先送りにして考察することが可能である。


【執筆者自己紹介】

 森 隆一 (もり たかかず) :  1945年愛知県にて生まれる。1968年京都大学理学部数学科卒業。1970年同大学院理学研究科数学専攻修了。京都産業大学に勤務し、2015年定年退職。数学では、初めは確率論を、後半は計算可能性解析を研究してきた。




○ 眼鏡(めがね)    On Glasses

                       (福島 勝彦)


 いつごろから目が悪くなったのか、まったく記憶がない。あるとき、母親が学校に呼び出され、担任の先生から「大変なことになっている」と云われて、慌てて …


【執筆者自己紹介】

 福島 勝彦(ふくしま  かつひこ) : 1945年生まれ。大阪市出身。ちょうど戦争が終わったときに生まれ、以後74年間、「戦後」の時代とともに生きてきた。京都大学文学部卒業。そのあと、中高一貫の私立男子校に39年間勤務。百万遍・創刊号に掲載した『わがデジタル創世記』を、加筆・修正のうえ、昨年、文芸社から刊行した。




○ 謎ときマルコ・ポーロ(4)

Solving the Mysteries of Marco Polo 4


  15. シュールな夫婦   16. マルサルキス   

  17. アラン人(改訂版)

(高田 英樹)


 『東方見聞録』で有名なマルコ・ポーロ。実は、謎の多い人物である。

 その書はだれが書いたのか? 本当に東方に旅したのか? そもそも、実在の人物なのか? 

 残された数多くの「写本」から、代表的な7つの版を読み比べ、その謎に迫っていく。


【執筆者自己紹介】

 高田 英樹(たかた ひでき): 1941年兵庫県丹波生まれ。京都・ピーサでイタリア語を学ぶ。ローマ・京都・松山・大阪で留学生に日本語を教える。いま宝塚・丹波で再びイタリア語を勉強している。






○ ディーノ・ブッツァーティ短編選(4)

    Selected Short Stories of Dino Buzzati  4

  何かが起こった  Something Has Happened 

(ディーノ・ブッツァーティ、ブッツァーティ読書会・稲垣豊典訳)


【原作者紹介】

 ディーノ・ブッツァーティ(1906~1972): 20世紀イタリア文学を代表する作家のひとり。幻想的、不条理な作風から「イタリアのカフカ」と称されたこともあるが、短編小説の名手としても有名である。


【訳者自己紹介】

 稲垣 豊典(いながき とよのり):  1948年(昭和23年)生まれ。故堺屋太一氏の名付けた“団塊の世代”の一人。関西学院大学法学部卒。政府系金融機関に勤務した後、家庭裁判所に調停委員として勤務、70歳で定年退職。現在は、天体望遠鏡(入門者用)を購入するなど、宇宙に興味津々といったところです。

 



○ マルコ・ポーロ・生涯と伝記(上)

The Life and Biographies of Marco Polo 1

 00. はじめに        01. ラムージォ       02. 航海と旅行      

 03. 序文1本文       04. 序文1注      05. 序文2  

   06. 序文3     07. おわりに       08. ヤコボ・ダックイ   

   09. 遺言書        10. ベネデット序     

(高田英樹 編訳)


【執筆者による内容紹介】

 マルコ・ポーロの生涯や伝記についてこれまでに書いたり訳したりしたものを集めたもの。すべての基礎であり出発点であるラムージォの、三つの「マルコ・ポーロの書への序文」、「遺言書」等の古記録、ベネデットの「序」、ピーサとヴェネツィアの中世年代記、等からなる。




同人CD-ROM『百万遍』第4号・編集後記


 年2回発行というペースは依然守られている。

 今回は、常連のイタリア人執筆者の原稿がなかったが、強固な連載を持つメンバーが、これまで以上の力作を投稿をしてくれて、とても充実したものとなった。

 ただ、この同人誌の内容が、かなり「学術誌」的方向に傾いて、読者の中には「堅苦しい」「読みづらい」という印象をお持ちの方がおられるかもしれない。もっと気軽に読めるような作品を増やしていくということも今後考えていかねばならないかと思う

(2020.2 福島記)


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